第一話 『お寝坊くまさん』
以前までダークな異能力ものを書いていたんですが、そういうものを書いているとたまにはこういう明るいものが描きたくなる! ということで新しく連載を始めることにしました。よろしければお付き合い下さい!
東に面した大きな窓。そこから鳥のさえずりと共に、太陽の光が熊谷梓に降り注いだ。
梓はぼんやりと目を開けるが、まだまだ眠いらしい。春の暖かい日差しのせいか、もう一回夢の中に戻ろうとしている。ふっと眠りに落ちる時が梓の一番好きな瞬間。だが夢の中に戻ることは叶わなかった。梓が住んでいるのは一軒家。その二階の窓を開ける音がしたかと思うと、少年の声が梓の鼓膜を揺らした。
「起きろ、梓! あと十分で始業時刻だぞ!」
突如告げられたタイムリミットに梓の意識が徐々に覚醒しだす。枕元に置いてある時計を見ると、七時にセットしてあったはずなのに、梓が知らない間に長針が一回転以上している。時刻は八時二十分。
「まっず!」
梓は飛び起きると、ショートの髪の毛を美容師もびっくりするような速度で梳かし、歯を磨く。続いて制服に着替えるためにクローゼットに向かった。床に散らばる小物が程よく足ツボを刺激して、梓の目が完全に覚める。紺色のブレザーを着ると鏡の前に立ち、一回転してみた。
「うん、いい感じ」
鏡の前の自分に向かって、グッジョブと親指を立てる。さあ、あとはカバンを持って学校に行くだけだ。左腕につけている腕時計が示す時刻は八時二十九分。
(まずい間に合わないって? 大丈夫!)
梓はカバンを左肩に、靴を右手に持つと二階へ駆け上がる。階段横にあるのは大きな窓。そこを勢いよく開けると、再び目の前にはほとんど同じ大きさの窓が登場する。そんなことを気にすることなく、梓は二つ目の窓も開けた。
その途端、大勢の生徒の喋り声や扉を開け閉めする音が聞こえてきた。梓が中を見れば、壁に設置されている時計の秒針が始業時刻まで残り三十秒だということを教えてくれる。
「予定通り、間に合った!」
窓の先は旭高校の二階。二階の窓から女子生徒がいきなり入ってこようとしているという珍妙な光景にもかかわらず、気にする生徒は一人としていなかった。意気揚々と窓をくぐろうとする梓の頭に誰かの手が添えられた。女性である梓よりは少し大きい程度の男の手だ。
その手が梓をくぐらせまいと、渾身の力を込めてグイグイと押し返してくる。梓はその手の持ち主を知っていた。
「竜! どうして私の登校の邪魔をするの」
「学校と自分の家が密着するように建っているからといって、毎日毎日窓をくぐって登校するんじゃない! ちゃんと校門から入ってこい!」
梓は頭を一旦戻すと、頬を膨らませつつ、向こう側にいる男を睨みつける。
幼馴染である小島竜が梓を見ていた。荒く切られた黒髪に、黒縁メガネ。二重でパッチリとしているために愛嬌がある目も、今は細められている。鼻筋が通っているため、少しだけかっこいいという同級生もいたが、梓にとっては真面目が服を着て歩いているようなものだった。
「竜、そこをどいて! 私の無遅刻記録が途絶えちゃうじゃない」
梓の精一杯のお願いも今はクールを通り越して、ただ冷たいだけの竜には届かない。
「無遅刻の記録? それなら昨日、途絶えたばかりじゃないか! 頼む、今月中にたった一日でいい。俺にこの窓を開けさせないでくれ」
氷のような竜の目に一瞬、涙が光ったように梓には見えた。竜と梓の間に沈黙が降りる。その沈黙を破ったのは
ー始業のチャイム
「じゃあな、梓。明日からはちゃんと一階にある入り口から入ってこいよ」
鳴り響くチャイムが梓に絶望を運んでくる。先ほどの涙はどこへやら。ニヤリと笑いながら、竜はカラカラと窓を閉めた。
カチャリ
(窓にしっかり鍵までかけたよ、あの人。私が絶対に入れないように)
「意地悪!」
梓の逆ギレにも似た叫びはチャイムの音にかき消された。この日梓の遅刻が確定したのは言うまでもない。