眠りに落ちた冒険者
報告が終わるとリサとアルマは仲間達と一度分かれ、今度は魔術師組合へと向かった。
徒歩での移動だったので、ボロ雑巾の様な所与の身体は借りた外套で隠すことになった。
あまりの酷い体裁では現在この都市周辺を脅かせているアンデッドや悪魔に間違えられては困る。
途中で街の中心の広場を通ると、そこには巨大なモニュメントが置かれていた。何かの文字が刻まれていたが、かなり朽ちており『言語』のスキルでも理解することは出来なかった。
リサの説明によると2,000年程前に大陸全土で起こった大戦があり、その終結を記念して立てたといわれている石碑なのだそうだ。ボロボロで手入れもされておらず、周辺は子供の遊び場になっていた。
魔術師組合ホールは冒険者組合と同じく街の中心部に建てられていた。中に入ると目に付くのは2階に上がる大きな中央階段。そして両脇には受付と魔導具の店舗があり、リサが受付に挨拶をすると直ぐにロンバルド魔術師組合長の研究室へと案内された。
「失礼します」
中は重厚な設えの家具が並んでおり、魔法使いの長に相応しい雅やかな装飾が施されている。部屋の主は中央にある椅子に座って煙草を噴かしていた。
「うむ、良く来てくれた。早速だが、こちらに来て欲しい」
リサとアルマは後を付いて行き、奥にある部屋へと案内された。
そこには、まだ若い男と女が別々にベッドで寝ている。何の事か全く想像が出来ないので、2人はロンバルドが話し出すのを待つ。
「この者達は組合の魔術勉強会の参加者だ。先日エルフから召喚要請があったので、実戦経験を積ませる目的で平行世界に送ったのだよ。無事に帰ってきた者の話では、向こうで悪魔と戦闘になり、洞窟の中で数人が巨大な魔法陣の罠に嵌められたそうだ。人形に憑依している状態で討たれたのであれば、それが壊れるなりすればマナが切れる。本来ならそれで終わりだ。ところが向こうの世界から帰って来ない」
ロンバルドは少し黙っていたが、難渋する表情で穏やかな寝顔の若い2人を見つめていた。
「ここからは私の推論だが、何者かに霊体を奪われたのではないかと思う」
「霊体を奪う? そんなことが出来るのですか……なぜそんな事を?」
「この事件が起きてから様々な可能性を考慮し、エルフ長とも議論をしているところでな。まだ結論が出てないのだが……おそらく霊体を奪った者は、それを使い平行世界を渡る事が目的では無いかと考えている」
「エルフの召喚魔法を使う事なく、霊体が平行世界を渡るのですか?」
「平行世界の向こう側で悪魔が受肉した場合、当然その存在は世界に定着されてしまう。そうなってしまえばエルフ達が使っているような魔術儀式を使わなければ行き来は出来ないとされている訳だが。私とエルフ長の憶測ではこうだ。向こうの世界でマナ切れを起こしただけで、何の魔術や儀式を使わなくても戻ってくるのだから、霊体と魂の結び付きは非常に強いものだ。その力を利用して、平行世界を渡る手段が霊体を媒介してあるとしたら……。奴らは世界を渡る方法を見つけたのかもしれん」
「なるほど。それでこの2人は悪魔に霊体を奪われたと……奴らは何をする為に並行世界を渡るのでしょう……」
「それは分からん。この世界に渡り何らかの目的を達成して元の場所に戻るのか……あるいはこちらで受肉する為なのか……」
「それで……この2人はどうなるのですか?」
「恐らくだが、この者達は肉体と魂はここにあり、それを繋ぐ霊体が奪われている状態という事になる。そして、この状態が続くのはかなり危険な事だ」
「危険?」
眠っている2人は、2日ほど前に魔術儀式で霊体になってからずっとこの状態で、このままだと生命力が無くなりいずれ死に至るとのこと。
後輩達に目をやり、リサは何か考えを言葉に纏めているようだが、ロンバルドがさらに話を続ける。
「これも仮説なのだが、リサも知っているだろう。呪術には力ある精霊を自分に召喚して、その力の一部を一時的に振るう術がある。もし初めから霊体で存在出来る者がいるとしたら……。霊体であってもその者は魂が結びついて存在しているはずだ。魂と魂は接触すると互いに呼び合い、様々な影響を及ぼす」
「ま、まさか! アルマを憑依させるのですか? 自身に精霊を召喚する術は、熟練の呪術師でもかなりの負荷が掛かるため行う者は少ないと聞きますが……」
「このままでは2人はいずれ力尽きてしまう。僅かな可能性でも助けられる道筋があればそれにかける価値がある。今はそんな状態なのだ。それに霊体と魂の結び付きは強い、もし成功すれば眠っている二人は霊体の体験、即ち悪魔の体験を見ている可能性が高い。そうだとすると敵の場所や行動が分かるかもしれん」
アルマは穏やかに寝ている若い2人を見て、急に可愛そうになって来た。助かる可能性が僅かでもあるなら何でもやってみる価値はあるだろう。
「どうだね、やってくれないか?」
魔術師組合長はこちらを見ながら魔法使いらしい粗野な顎髭を撫でている。
「憑依とかしても2人が安全なら、私は構わないですよ」
(どうせ一度死んだ身だ。自分に何が起こっても構わない)
「うむ。君のような存在自体が過去に例が無いのでな、危険が無いとは言い切れない。どうなるか分からんのだ。しかし何もしなければ2人を待つのは死だ。もちろん成否に拘わらず礼はするつもりだ」
(そっか……どのみち危険は避けられないということか……でも2人に死が近づいている状態が変わらないなら度胸を決めるしか無いかな)
「魔術師組合長は魔法の先生ですよね? もしうまくいったら私にこの世界の魔術や魔法陣の事とかを教えてくれませんか?」
「それでいいのかね? もちろん構わないとも。その他にも組合から報酬を用意する」
(今わたしがこの世界で最も興味がある事を学べる機会を得た。それに、これからお金が必要になりそうだし、報酬は正直ありがたい。しかし、やると決めたからには2人を助けなければいけないよね、急に責任の重圧が……成功させなければ……)
ロンバルドとリサは魔術儀式の準備を始めた。
アルマは儀式を必要とせず憑依出来る事は分かっていたが、今回は人間に憑依するので、危険が無いように専門家のロンバルドに任せる事にした。
「眠っている男の方はハンス・コルソン。魔法剣士を目指しているが魔力耐性がまだ低い、憑依や魔法儀式で高い負荷が起こった場合が心配だ。もう一方の女性はアナ・ケトリー。駆け出しだが魔術師だけあって魔力耐性も多少ある。恐らく憑依に耐えられるのはアナだけになるかもしれんな」
3人はアナという女性が寝ているベッドの脇に立ち準備を始めた。
アルマは憑依の準備としてベッドの横に置かれた椅子に座り、ボロボロの人形から離脱して霊体の姿になる。
人形は力を無くしグッタリと椅子の上で首を垂れていた。
霊体の姿になったアルマを見てロンバルドは感嘆した後しばらく眺めていた。
(ええ、ええ、そうですよ。幽霊ですとも)
アルマは寝ているアナの脇に立ち魔術儀式の始まりを待つことにした。
「マナ切れも起こさず、魔術儀式も必要としない霊体が存在しているのだな。研究に協力して貰いたいのだが……うむ、それは改めて申し入れるとしよう……」
(ブツブツと独り言を呟いている……モルモットは絶対嫌だから、協力しないし聞かなかったことにしておこう……)
ロンバルドは指で空間に何かを描くと大きな魔法陣がアナの頭上に出現した。
「何か危険を感じるような事があったら身体から離脱してくれ。それでは、いくぞ」
声を出せないアルマは仰向けになりながら大きく首肯して合図を送った。すると空中にあった魔法陣は一瞬輝いた後に消滅して、その後アルマの視界はゆっくりと沈んでいく。
やがて真っ暗な世界に落ちた。体中の感覚が敏感に伝わって鼓動を感じる。
人形では得られなかった、かつて人だった頃の身体に戻ったような自然な感覚が至る所に伝わって来る。
(これが生きている人間に憑依するって事なのか……)
身体に違和感が無くなった頃に、突然頭の中にフラッシュバックが走った。
どこかの田舎町の風景、広場にある古い遺跡で子供達が遊んでいる姿。
少女が店の手伝いをして食事を運んでいる様子。
これはアナの記憶という事だろうか、妖精と出会った時にも起こった現象だ。
目を明けるとロンバルドとリサが固唾を呑んで見守っていた。
ここまでは上手くいった訳だが、魂の接触とは一体どうすれば良いのかと考え始めた時だった。
(うぎゃあぁああああああぁ、罠だぁー! あっ、な、何これ!? うううう。あ、あれ? 身体が動かない! ううううぅ、何でぇー!?)
念話している時と同じ様に頭の中で叫び声が響いた。
急に憑依されたら動転するのは当然だろう、『念話』で話しかけてみようと言葉を念じる。
(落ち着いて、あなたを助けるために憑依したの。あなたにもこの部屋の光景が見える?)
(えっ!? こ、ここは──。ロンバルド組合長に、リサ・マローニーさん? 憑依した……? え、えーと……)
「ロンバルドさん、リサ、とりあえず彼女を起こすことに成功したみたい。私が身体を動かすことは出来るけど彼女は出来ない。目は見えるようだし、音も聞こえると思うけど?」
「ふむ、アナよ、聞こえるか?」
(ロンバルド様! 聞こえています、私はどうなってしまったのでしょう……)
アルマは相槌をした。
「おまえは平行世界で悪魔に謀られ自身の霊体を奪われたようだ。アルマはおまえに憑依して、眠っていた魂を目覚めさせた。そうしなければいずれ死を迎える事になっただろう。アルマは異世界から来た肉体の無い存在だ。故にこのような事が出来たのだ」
ロンバルドはアナが霊体を奪われて眠るようになってからの出来事を話しはじめた。
隣のベッドで寝ているハンスも同じ状況になっている事や、同じく一緒に向こうの世界に渡ったセイジとブレダは無事に帰って来た事を伝えた。
「アナよ、霊体と魂は強く結ばれているはず。おまえの霊体を奪った者の行動や記憶が伝わって来てはいないか?」
アナはそう言われ恐ろしくなった。
自身ともいえる霊体が敵に奪われたとはいえ、知らない所で取り返しの付かない事をしているのではないかと思うと目覚めた時の困惑が消え失せた。
アナは記憶の中を辿って行くと、本来経験していない筈の悪魔が行ったのであろう胸を悪くさせる光景が見えて来た。
(あっ! ありました……。私が経験してない記憶があります。恐ろしい事に悪魔が人を殺めて……その血を使って自身に対して何か魔術儀式をしたようです。これは多分……なんてことなの……)
難解なジグソーパズルを解くように少しずつ見えて来る記憶を紐解いていく。
アナはしばらく黙って悪魔の所業を理解していった。
(どうやら、私たち2人の霊体を使ってこちらの世界に渡ったようです……あぁ、私のせいです……ど、どうしたらいいのでしょう……)
アルマはアナのいうことをそのまま、ロンバルドとリサに伝えた。
「アナよ、おまえに非はない。これまで一度もこのようなことは無かった。我々も安全だと思って見習いのおまえ達を送ったのだからな。それで、この世界を渡った者は何処で何をしているのか分かるか?」
(はい、あの者達は……。一番新しい記憶では、カーノルディンの北西の森で、もう1体の悪魔とアンデッドの軍勢を編成しているようです。その悪魔の姿は……ハンスそのものです……)
「平行世界を渡ったという仮説通り、おまえ達の霊体を奪った悪魔で間違いないだろう。しかし……もうそこまで来ていたとは。いったいどうやってアンデッドの軍勢をそんな近くまで移動させたのか……北の街カーノルディンを襲撃するつもりか。確かに今の奴らの本拠地からすれば順当で正直すぎるほどの戦略だが……であれば、このコントリバリーはその次の目標になる。その足がかりか」
(ロンバルド様、あの……ハンスは起こさないのですか?)
「うむ。ハンスは魔法耐性が低い、このような負荷が掛かることを強いれば命にかかわる。だが、ハンスの霊体を奪った者も同じくカーノルディンを狙って北西の森にいるのであれば、こちらから出向いてその2体の悪魔を討てば、依代を失った霊体は解放され本来の場所に戻るはずだ。おそらく問題は解決できる」
「リストーニアの次はこの国まで……こちらから出るにしても急がないといけませんね」
部屋の扉がノックされた。
「ロンバルド様、緊急のご報告でございます!」
ここまで来る時に見かけた1階の受付嬢が、何かを伝えに研究室まで来た。
ロンバルドは扉の方へ向かう。
アナを目覚めさせることに成功したが今度は霊体を取り戻さなければいけない。
もしアルマが彼女から離脱してしまったら、また眠りに落ちてしまう為に暫くはこの状態を維持することになりそうだ。
(それにしても……)
(何か食べたいです……)
「はぁ、確かにそうだね。この世界に来て初めて空腹になったわ……リサ、何か食べたいよ」
「あははは。はいはい、じゃあ、この後は飯食べるかー」
受付嬢の報告を受けたロンバルドが顔こわばらせてこちらに足早に戻ってきた。
「遅かったようだ。カーノルディンが襲撃を受けている、そしてこのコントリバリーにも敵の軍勢が向かっているそうだ」