失われた記憶
リストーニア王国は周辺の人間国家の中で最も歴史ある国と言われている。
大昔の対戦でこの国を救った女性の英雄が建国者と言われており、王族の母系からは強い魔力を持つ優秀な魔術師を度々排出しており、英雄の特別な力が脈々と受け継がれていると信じられていた。
王国郊外にある修道院に併設する国営の孤児院には、平和に見える国家とは裏腹に恵まれない子供達が保護を受けていた。
「エレノア、あなたには鑑定の通り魔術の才能がある。予定通り来月から王国魔術師の訓練施設に移る事になりました」
「そんな! 今まで通りここで働かせてください! ここは人が足りてないし、孤児とは言え職業の選択は出来るのですよね。私は魔術師なんてやりたくないです……」
「エレノア……言う事を聞いて。もう決まった事なのです。あなたはもうすぐ大人になる。いつまでもここに居る訳にはいかないのよ。魔術の才能を生かして一人前になったら、孤児達の面倒を見てくれたら良いわ」
エレノアは国営の孤児院で幼少期を過ごした。
孤児院では希に魔術の才能がある者が見つかると軍に引き取られ、訓練を受けた後に魔術兵として軍隊に配属される。
特に類い稀なる才能を持ったものはより高度な任務に就く部隊に配属され、エレノアは特殊部隊の候補生として魔術兵の予備訓練施設に入る事になった。
*
──2年後。
訓練施設の寮で、すっかり日々の生活にも慣れてきた頃。
「なんか寮生活って就寝も起床も早くてさ。ほんと辛いわー」
「私は孤児院の生活だったからあんまり変わらないかな。ラズの出身は何処なの?」
「エレノアって孤児院出身だったの? 優遇されているから良いところのお嬢さんかと終わったわ。あたしは農家の娘よ。もうほんとに最果ての集落から来たの」
寮の相部屋になるラズは文句ばかり言うが気さくな女で、直ぐに喋り相手として打ち解ける事が出来た。しかし、彼女はその性格とは裏腹に特徴的な外見があった。
それは、いつも顔全面を覆う頭巾を被っている事だった。
彼女が言うには子供の頃に大火傷をして顔が爛れてしまい怖がられてしまうからという理由で、だからこそ魔術師となって戦いの中で生きて行こうと決めたそうだ。
覚悟を決めた者は強い。ラズは予備訓練施設の成績では常にトップクラスだった。
エレノアにとってラズは4人目の同室仲間になる。
寮の規則で半年に一度は部屋を交換するので、既にこの施設で訓練を始めてから2年の歳月が流れていた。
「ねぇ、ラズ。次の演習訓練が終わったら。軍に配属されるのでしょう? どうなるのだろうね?」
「そりゃあ、私の成績なら宮廷魔術師団で間違いないだろうさ。前回の成績はトップだぜ? トップ。まぁ、エレノアも優秀だから頑張りな」
そして最後の魔術演習の訓練が終わり訓練生達はそれぞれの配属を言い渡された。
「ラズ・コンビル、外周警備隊に配属」
「エレノア・セイウッズ、宮廷魔術師団に配属」
「なっ!」
「今期卒業の者は明日から配属先に移る事になる。今日中に荷物をまとめるようにしろ。以上解散だ」
「なぜだ! なぜ……」
「ラズ?」
全くもって配属に了承しかねているラズだった。
自分より成績の悪いエレノアの方がより良い職務に就く事になった為に、部屋に戻って荷物を整理するにも気不味い雰囲気は続いた。
いつも気さくな話を寝る前にしていた2人だったが、この日ラズは終始ブツブツと独り言を呟いており、表情が見えない彼女の振る舞いは気味が悪くエレノアは話し掛ける事が出来なかった。
次の朝、2人は荷物をまとめた後に世話になった部屋を去る前に掃除をしていく事にした。
「ラズ、最後に掃除をしていきましょう」
「ん? ああ、そう? はいはい、じゃ、やるか」
この部屋に来てから半年が経過していたが、忙しい訓練や勉強の毎日でほぼ寝るだけの部屋になっており手付かずの場所は埃まみれになっていた。
次にこの部屋を使う後輩の為に窓や本棚を丁寧に水拭きする。
昨日から動きが悪くなっていたラズだが最後の掃除程度はなんとか出来た様だ。
「これで、この部屋ともお別れね。もう、迎えが来る頃だわ」
エレノアは埃まみれの窓を拭く為に長い髪の毛を後ろに纏めていたのをすっかり忘れて、そのままの状態で部屋を後にした。
送迎が来る予定の正門にて待機をする。
「ラズ、半年間ありがとう。きっと軍の中で一緒に活動する事もあるでしょう。その時はよろしく」
「ああ、そうだわね。よろしく、ううぅ? あぁ?! な、なんだと!」
エレノアが髪を後ろに纏めた為に露わになった左首を凝視してラズは叫び声を上げた。
「えっ何? この痣? 小さい頃からあるのよ。また少し大きくなって来たかしら」
「ククク……そう言う事だったのか……自分から戻って来るとは」
「ラズ?」
「……貴様だったとはなぁ」
「配属の事? まだ納得出来ないのかしら……」
様子がおかしくなったラズの言動はこれまで半年間の中では無かったもので、エレノアは彼女があまりの納得出来ない配属結果に落胆して気が触れてしまったのかと思った。
「ちょっとラズ? しっかりして……」
その時に丁度同じく迎えを待つ訓練生が正門にやって来ると、ラズは急に大人しくなりエレノアを無視して他の訓練生に挨拶をした。
その後、直ぐに各所配属別に馬車がやって来た。
「それじゃあ、みんな、また何処かで!」
今期卒業の13人の訓練生達は最後の挨拶をしていたが、エレノアは最後までラズに対して声を掛けられなかった。
彼女のその頭巾から僅かに伺える眼は血走っており、常に睨みつけられていたからだ。エレノアは最後に後味の悪い思いをして、予備訓練施設から宮廷魔術師団への配属となった。
宮廷魔術師団はこの国の最高魔術指導者とされる王妃直属の魔術機関で、専門分野別に戦闘、研究開発、他文化渉外部門が設けられており、エレノアが配属されたのは戦闘部門だった。
そこは魔術の訓練施設から毎年配属者出る訳では無く、選ばれた者だけの部隊である。
新しい職場に着いたエレノアがまず初めに驚いた事は広い個室を与えられた事だった。訓練施設のように相部屋や半年に一度の部屋交換も無い。
しかし2つだけ規則があった。
それは家具を動かさない事、そして月に1度部屋の点検がある事だ。
城の中の片隅といえ、立派な設えの部屋は孤児院や寮生活とは全く違う心地の良い物だった。
「今日から新人が配属された。では自己紹介を」
「エレノア・セイウッズです。皆さま、どうぞよろしくお願いいたします」
「おいおい、孤児院出かよ」
「やめろ。聞こえるぞ」
宮廷魔術師のほとんどは貴族の次男三男が英才教育を経て入団することが多い。孤児院で才能があって冒険者になる事はあっても、宮廷魔術師になる事は極稀な事だった。
エレノアは宮廷の作法などが全く分からず初日から勤務は難航し、今はそれらの勉強が急務となっている。
「エレノア、職務の方は慣れて来たかな?」
「はい団長。勤務内訓練を担当して頂いている先輩方は皆さま親切丁寧に教えてくださいますので」
「そうか。明日は君も訓練に参加するのだろ? 王妃陛下が見学にいらっしゃる日だ。頑張ってくれたまえ」
「はい!」
全員集合時に挨拶をした時には身分の違いの為か、かなり感触が悪かったのだが勤務内訓練を行う先輩はエレノアに対して戦闘や魔術の座学、そして宮廷内の作法などを懇切丁寧に指導してくれる。
既に新しい職務に着任して半年は経っていたが優秀で優しい先輩達に囲まれ、エレノアは職場に幸せすら感じた。
訓練当日。
予備訓練施設とは違いより実戦的で厳しい体験をここでは何度もして来た。自身の戦闘技術も配属後は格段に成長している様に感じられる。
一日の訓練を終えて王妃陛下の前に整列した時にエレノアは最前列の一人になっていた。
部隊の中央正面には一壇設けられており、そこに壇上する為に王妃陛下がエレノアの前を横切った。エレノアはこの時初めて間近で最高位の上司である王妃陛下を見る事になる。
痩せ細って顔色は悪く目にクマが出来て、まるで病人のような顔をしていた。
壇上で労いの言葉をかけている王妃陛下を見ながら、エレノアは宮廷内に流れる不穏な噂の事を考えていた。
それは王妃陛下が毎晩怪しげな儀式を執り行っており、その目的は王国の転覆を計っているのではないかという噂だ。
そんな話を聞いた事があったので、エレノアは王妃に対して良い印象を抱いて来なかった。
痩せ細った身体は恐らく過度な魔術儀式の負荷の現れだと言われており、高位な魔術師でもある王妃はこれ以上何を求めてそのような儀式をしているのか、エレノアは壇上に立つ王妃に対して訝しげな表情で視線を送っていた。
そんな王妃は話を続けながら何かを探しているかのように整列している魔術師団を見回して、エレノアと目が合う所で視線が止まった。
(しまった! こんな怪訝な表情でいたから目立った……)
エレノアは表情を引き攣った笑顔に変えて見せ、目線を下げて目を合わせないようにした。
この国は母系の権力が強く政治や経済、軍事に至るまで影響力を持っている。この場で王妃陛下に悪い印象を与えてはいけない。
壇上で話を終えてこの場を去る王妃陛下から視線を感じながらも、エレノアは憂虞して少しも目線を合わせる事はしなかった。
その後エレノアは訓練や魔物討伐など忙しい毎日を送り、配属されてから1年が経った頃に宮廷内である事件が起こる。
連続して宮廷魔術師が何者かの手によって殺されたのだ。その中には職務訓練を担当した親切な先輩も含まれていた。
宮廷魔術師だけに留まらず軍全体でも何人かの兵士が殺される事件が起きていた。戦った形跡は無く被害者は皆鮮やかな手口で暗殺されたという。
宮廷内では王妃が私欲の為に邪魔者を呪い殺したのではないかという噂まで広まっていた。
エレノアは噂がどうあれ親切にしてもらい尊敬している先輩が殺されたことに憤りを感じていた。
最近は城の外も物騒で悪魔や巨人が度々目撃されており、戦闘になった冒険者や兵士達が殺されてしまう事件が後を絶たなかった。
次第と訓練は専ら巨人や悪魔達の対抗方法が主体となっていた。
*
リストーニア王グリゴールは誰もが思う誉れ高い国王で、人柄や愛想も良く何よりも民の為に政治を執り行う。
若い頃は何に対しても大変厳しく厳格王のあだ名を付けられていたが、十数年前から方針を改めたようで何事も笑顔で対応するようになり、今では微笑王の名で知られている。
穏やかな王といつもその隣にいる宰相ハレルもまた穏やかな笑顔を振りまく政治家で、彼が王の側近に選ばれてからお互いに良い影響を与え合っていると国民から名声を博していた。
何かの式事の際には宮廷魔術師団は護衛任務等で王族の近くで行う職務もあるが、エレノアは任務でこの2人に近寄る時はいつも心を和まされていた。
そしてある日その事件は唐突に起こった。
城壁外周に度々目撃されていた悪魔とアンデッドが群れを成して襲撃して来たのだ。
烏合の衆だった悪魔が何者かによって統率の取れた襲撃を行い。城の中は想定していなかった攻撃に対して、混乱してしまったのか軍の司令が機能している様には見えなかった。
「一体何をしているのだ、敵が襲撃しているのだぞ!」
「おい! 城壁の門が開いているらしいぞ! どういう事だ!」
国軍とは違う命令系統を持つ宮廷魔術師団は都市防衛の為に直ぐに集められ、機能していない城壁の門へ赴き、閉門と入り込んだ悪魔の掃討を行う司令を受けた。
全部隊が4つに別れて東西南北の門に向かって駆け足でその場を去る。
エレノアも所属する部隊に付いて行きその場を後にしようとした時。
「エレノア。君は私と一緒にこちらへ来てくれ」
「はい、団長」
宮廷魔術師団長が直接まだ新人の魔術師に指示をする事は珍しいが、緊急事態で何か手伝うことがあるのだろう。
エレノアは言われた通りに小走りで魔術師団長の後について行った。
「これから向かう場所は王妃陛下の部屋だ。そして秘密の場所でもある」
「は、はい。他言いたしません」
王妃の部屋に入るなど男性は御法度だろうから、この非常時で自分が呼ばれたのだろう。
恐らく王妃の護衛任務をすることになるのだろうか。
(あの偏屈そうな王妃陛下と部屋でずっと一緒にいるのは辛い任務になりそうね……)
「さぁ、着いたぞ」
「えっ? ここですか?」
「王妃陛下、サミルです。失礼いたします」
着いたその場所は薄暗い城の地下階層で、宮廷魔術師団員の部屋の丁度真下辺りに位置する場所だった。
宮廷魔術師団は自分の最高位の上司の真上で生活をしていたことになり、これは上下関係の厳しい宮廷の中であってはならない事になる。
この不自然な位置関係を疑問に思いながらエレノアは魔術師団長の後について部屋の中に入った。
王妃陛下の部屋は王族が好むような豪華な調度品や家具などは一切無く、まるでそこらの平民が使うような質素な家具が必要最低限だけ設えてあった。
しかし、その部屋で目を引いた物は部屋の中央に明らかに儀式で使われている魔法陣と、乱雑に置かれた高価な魔道具の数々だった。
その部屋に杖を持った王妃陛下と先に部屋に来ていたのであろう宮廷魔術師団の精鋭達が既に待ち構えていた。
(やっぱり、儀式の噂は本当だったの……)
団長は扉を閉めて王妃の姿を見るなり跪いた。
部屋の異質さに気を取られていたエレノアも慌てて後に跪く。
「サミル、良く来てくれました」
「エリッサ様、エレノア様をお連れしました」
「え……?」
「2人とも時間が無いわ、顔を上げてください。皆と話をしなくてはいけません」
「まさか奴らに先に動かれてしまうとは……」
「本当に後もう少しのところで先に動かれてしまったのね。残念だけど仕方ない。想定はしていた事です」
「エレノア、あなたには何が起こっているのか分からないでしょうから説明が必要ですね」
「ここ最近、外周で騒ぎを起こしていた悪魔が攻撃をして来たという事でしょうか?」
「そうね、確かにそうだけど事実はもっと深刻なのよ」
「サミル、私は準備があるから途中まで説明してください」
「承知致しました」
王妃は何かの魔術の準備がある様で魔道具等を揃えて、宮廷魔術師達と忙しく部屋の中で動き回っていた。
団長のサミルは状況を説明し始めた。
「最初に知って欲しい事は、この国の宰相は人間ではないという事です」
「えっ? 宰相様が?」
今から十数年前に平凡な文官に過ぎなかったハレルが突如にして宰相に任命された。
それからグリゴール王はガラリと性格を変えられた。
そこまで特に異常は見られなかったのだが、王は国の中枢の役人は更迭して新しい役人を外部から招聘した。
宰相の政治は表向き国民にとっては特に圧政するわけでは無く、むしろ財を還元するような扱いに皆から歓迎されていた。
「王妃陛下はその異常に気付かれて、奴らが何を企んでいるのか調査を行なっていた」
宮廷魔術師の先輩も話に入って来た。
「何人か密偵を送り込み暗殺されることもあったが、ついに宰相が悪魔と接触している所を目撃したのです」
国軍は宰相と王に掌握されていたので下手に動くことが出来ない。その為に水面下の戦いがこの宮廷内で繰り広げられていた。
既に王は人格を無くし宰相の言いなりになっていて、宮廷内のまともな人間と話をすることは無かった。
「この国の中には多数の悪魔が入り込んでいることが分かったのです」
「今起こっている戦いは内側から攻撃されているも同然だ。我らだけでこの国から悪魔を排除するしかない……」
「わざわざ人間に化けて潜入してくるなんて。敵の目的は人間の排除だけなのでしょうか?」
「それは……」
エレノアが質問をするとサミルと先輩達は黙り込んでしまった。
「そこからは私が説明しましょう。エレノア」
「はい」
「奴らの目的はある大悪魔の復活なのです。恐らくそれはこの国に古くから封印の事でしょう。王位を次ぐ者しか入れない封印された地下遺跡がこの城にはあります。この国の建国以来誰も解除したことが無い封印です」
「そこを守り切れば私達の勝利でしょうか?」
「いいえ、封印はあまりにも長い年月の中で綻びが出始めているようなのです。様々な魔術を試しましたが完全な状態に戻すことが出来ないままです。しかし、まだ遺跡には封印の効果が残っていた為に完全に解除することが出来なかったらしく。あの宰相は、いえ、あの悪魔は別の方法を行おうとしたのです」
「では、その方法をさえ潰してしまえば良いのでしょうか?」
「そうね。その方法とは特別な生贄を使って悪魔が受肉することなのです。そしてエレノア、あなたの首の痣は生贄の印なのよ」
「えっ! ──い、生贄ですか……?」
物心がついた時からある痣に何の違和感もなく過ごして来たが、それが国を巻き込むような大惨事に関係していた事でエレノアは茫然としてしまう。
「少し話を戻しますね。私はあの宰相がやって来た頃に双子を身籠っていました。もちろん、国民には知らせていないし、王宮内でも一部の者しか知らない事だったのです。私には二人の王子がいることは知っているわね」
「はい、勿論です」
「この国は古い仕来りが多いから、双子は不吉の象徴として一方を国外に追放した方が良い等と散々言われたのよ。だけど王と私は双子の妹には王位継承権を破棄させて、私の庇護下で貴族の家で育てると言って宮廷内を納得させたのよ。しかし、それから1年の間に宰相は王を狂わせ、宮廷内に悪魔を蔓延らせてしまった」
「そ、そんなことがあったのですね」
「ええ。そして宰相は封印の解除が出来ずに諦めて別の方法を探し出して生贄を使う手段に出た。その封印された強大な悪魔を受肉させるには高い魔力と封印をした者の血を持つ、まだ無垢な存在が必要だったのよ。そして、ついに宰相はこの上ない対象を見つけ双子の妹に呪いをかけた。それに気が付いた私は宰相の目を欺く為に孤児院へ娘を預けたの」
「えっと? ちょっと待ってください。それって……えーと……」
「エレノア、あなたはこの国の王女なのよ。それに安心して、王位継承権も残っていますから」
「あ、あの。この状況下で……ご冗談では無いのですね……」
「驚くのは当然でしょう。ですが時間がありません、話を続けます。宮廷にあなたを呼び寄せたのは、その痣がある一定まで成長するとあなたは死んでしまう……孤児院にいたとしても死は避けられない事が分かったのです。そして、時間が掛かりましたが私達はこの呪いの対抗魔術の開発に成功しました。宮廷内の私の近くにいれば呪いの進行を抑える事が出来たのです」
エレノアは何となく痣を知った時に豹変したラズの事を思い出した。訓練生にも悪魔がいたのかもしれない。
「そして、ここからはあなたにやってもらう事です」
「まだどうして良いか分かりません……ですが、私に出来る事があれば何でもおっしゃってください!」
「エレノア、あなたにはこの国から逃げてもらいます」
「えっ! 逃げるのですか?」
「王も王子達も悪魔に乗っ取られてしまった。もうあなたしかいないのよ……。この国の東の森のさらに奥深く行った所にあるケアネイという国に行きなさい。あなたには、ここにいる5人を付けます」
「ケアネイですか? 聞いた事がない国です」
「そうね、この国の者達は皆蛮族と呼んでいますね」
「蛮族ですか!? それなら聞いた事がありますが、森で遭遇すると戦いになることもある野蛮な一族と聞いていますが……」
「大丈夫よ。彼らは長きに渡り悪魔と戦い続けている者達なのです。私達と同盟を組み、お互いに助け合う約束もしてあります。まずそこに赴き悪魔に対抗する準備をするのです」
「は、はい! 承知致しました」
「そしてあなたには、一時的に封印の魔術を施します」
「封印?」
「ここを安全に出る為に、あなたのその痣の呪いを一時的に抑える魔術です。しかし、大きな問題があります。それは、あなたの記憶と声に障害が出てしまう未完成な術なのです。解除はこの者達がケアネイに着いて安全を確保してから行います。良いですね?」
「はい、分かりました。それ位の期間ですし、問題ありません」
「あなたにはこの杖を渡しておきます。これは国宝の蒼水晶の杖と呼ばれているけど、本当は地下遺跡の封印の鍵なのです。絶対に悪魔の手に渡ってはいけない物です」
そう言い終わると王妃陛下は今までの威厳ある態度を崩してエレノアを抱きしめた。
「ああ、不憫な私の娘。必ずあなたを魔の手から救って見せるわ」
「陛下……」
「この封印の魔術は徐々に効果が現れるの。完全に記憶が消える前に城壁の外に出なさい。王族用の脱出路は抑えられているでしょうから召使い達に紛れて外に出るのです」
「陛下はどうされるのですか?」
「私はまだやり残した事があります。だから一緒には行けませんが、後にケアネイで会いましょう」
王妃は豪華な装飾がついている筒の中から羊皮紙の巻物を取り出し、魔術をエレノアに向かって発動させた。
「さあ、エレノア様。急ぎましょう!」
「それでは陛下、どうかご無事で!」
それからエレノアは宮廷魔術師に先導されて城の外に向かって急ぎ足で移動した。
何人かの兵士や文官達とすれ違ったが、もう誰が悪魔か判別が出来ない。城の外は戦闘が始まっているようで煙が上がっているのが見える。それなのに城の中は誰も慌てる者がいなかった。
予め脱出の為に待機させていた召使い達と一緒に城の外まで出る事に成功した。城付近で移動中、既に魔術の効き目が現れたらしくエレノアは意識が朦朧となっていた。
「よし、お前達はもう解散していいぞ。家族と避難したい者いただろう。待たせて悪かったな」
「エレノア様、急ぎましょう。外壁まで後少しです!」
エレノアは何とか歩みを止める事なく城から一番近い外壁の門に向かって走った。
その時、上空から掠れた聞き覚えのある声が聞こえた。
「ははは、何だ。こんなところで何やっているのさ、エレノア!」
「貴様、何者だ!」
「あなた! ラズなの?」
「あんたのこと探したよ? 急に場所分かんなくなっちゃうんだもんさー。宰相様も大慌てだわ」
外周警備隊の姿をした頭巾を被った女が、宗教施設の尖塔にある彫像と肩を組みながらこちらを見下ろしていた。
ラズは20メートル程ある上空から何の術も使わずに飛び降り、その途中に大きな蝙蝠の様な黒い翼を広げゆっくりと地上に降り立った。
「お前ら! 王女がいたぞ。こっちだ!」
「クッ。こいつ悪魔か。仕方ない、やるぞ! エレノア様をお守りしろ」
「お前はエレノア様を担いで門の方に向かえ」
ラズが声をかけた方角から兵士や魔術師と一般人までが、20人程駆け足でこちらに向かってきた。
5人の宮廷魔術師の内もっとも体格の良い男は意識朦朧としているエレノアを担ぎながら、門に向かって走り出し残りの4人が応戦する形を取る。
エレノアは戦況が気になっていたが、防御魔法に衝撃が起こると響く独特な甲高い音を聞きながら、この非常時だというのに目を開けていられなくなり、ついに意識が暗闇の中に落ちてしまった。
どのくらい目を瞑っていたのだろうエレノアは目を覚ました。
頭の中は不自然な感覚に包まれており、何か大事なことを抱えていたような気がするが思い出す事ができない。無造作に石畳の路地に寝ていたようだ。
手には大事そうに杖を持っていたので、恐らく自分の持ち物なのだろう。
周辺が騒がしいので辺りを見渡してみると、自分と同じ制服姿の男が魔術による戦闘を行っていた。
相手はボロボロになった頭巾を被っており気味の悪い翼を持つ悪魔だ。
己の味方なのであろう男の方は既に満身創痍になっており、頭巾の悪魔は止めを刺す為に短剣を振りかざした。
悪魔とはいってもマナが続かない程に戦ったのだろう。男に加勢する為にエレノアは立ち上がった。
「あ、あ……。うう……」
声が出なく魔法詠唱をすることも出来ない。
しかも、マジックサインから攻撃魔法を準備したいが、何処に何が入っているのか思い出すことが出来なかった。
これでは男の支援が到底間に合わない。
頭巾の悪魔は短剣を突き刺したが男は最後の力を振り絞って身を避け、何とか急所を避けたが深傷を追ってしまった。
直ぐにでも治癒魔術で回復しなければ死んでしまうだろう。
「あー、もう! 手古摺らせやがって、くそ!」
「貴様とは刺し違えても……。エレノア様に近づくことは許さんぞ」
「動けもしないくせによく言うねぇ?」
悪魔はそう言うと倒れてしまった男を力強く蹴飛ばした。
「まぁ、いい。後はエレノア、お前だけだ。何でこの年齢まで生きていたのか分からんけど、殺してしまえば、あたしの仕事は終わりさ」
悪魔は素早く動き出しエレノアに向かって来た。頭が混乱しているエレノアはどう対処して良いのか分からない。
既に頭巾の悪魔が目の前に迫って短剣を振りかざした。
仕方なく杖を構えるがこんな物で対処していたのではいずれ殺されてしまう。
〈アーク・オブ・ライトニング/雷撃〉
雷鳴が響き高圧電流が頭巾に命中した。
追い打ちをするように炎の魔法攻撃が悪魔を襲う。
「グアア! ちくしょう!」
「よし、あの悪魔弱っているみたいだから。一気にやっちゃうよ!」
運よく現れた上級冒険者達と思われる一団が悪魔に攻撃を続ける。
先ほどの電撃魔法でボロボロの頭巾は焼け落ち、その中から酷く厭わしい顔が顕になった。
焼け爛れた悪魔から不快な匂いが漂ってくる。
「エレノア! おまえは絶対に殺してやるぞ! クソッ!」
完全に形勢が逆転して悪魔はその場から慌てて逃げ去った。
惨状の後を見渡すと辺りは死体だらけになっていた。
自分と同じ制服を着ている者達が男女合わせて5人程おり、その他にも兵士や魔術師が20人程倒れていた。
最後に戦いを続けていた男も残念ながら既に息を引き取っている。
「大丈夫だった? あんたは宮廷魔術師の格好をしているけど、まともな人間みたいだね」
「あ、あ、う……?」
「……ありゃ? 声出ないの? じゃ念話できる?」
エレノアは首肯して答える。
「国の兵士や魔術師が悪魔と一緒に国民を攻撃しているのよ。冒険者が応戦しているけどもう無理ね。私達は出来るだけ人を集めてこの国から逃げることにしたの。あなた宮廷魔術師の様だけど国を出る気があるのなら一緒に来る?」
「ふん、こんな状態じゃ宮廷魔術師も何もないだろう」
(わたしは、どうして良いかよく分からないけど。悪魔に与する気はないわ。それに……困ったことに何も思い出せないの)
「それって記憶障害? さっきの戦闘で悪魔の術にでもやられた? まぁ、じゃあ記憶が戻るまでで良いからさ、一緒に来なよ」
(ええ、さっきみたいな悪魔が来たら一人で対処できないし、付いて行かせてもらうわ)
「おい、リサ! 退却って何処まで行くつもりだ?」
「そうね、ひとまずカーノルディン辺りまで行くわよ。ネビル、ジュリも誘って来てよ、あの子優秀だからさ」
「ああ、そうだな。流石にこの状況で単独行動は厳しいだろう」
「よし、じゃ行こう。あ、そうだ。あなたの名は?」
(多分、エレノア……と言うみたい)




