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もえる恋の話

作者: 清兄

テーマ「もえる」でワンライです。

筆を動かすたびに線が増えていき、

重ねられた色は現実へと近づいていく。

誰もいない美術室で俺は一人筆を片手にカンバスに向かい合っていた。

カンバスにはとある一人の少女。

俺は一息ついてその絵をじっと見つめる。

まだ完成には程遠い、それでも俺にとっては何よりも大切なもの。

決して本人には見せられないな、そんなことを考え苦笑しながら、

俺はもう一度筆をとった。



俺の人生は喪ってばかりの人生だった。

何かを一つ得る度に、多くの物を喪っていく。

その事実を否応もなく認めざるをえなかったのは、

小学生の頃だった。

その日、俺は弟を得て、同時に母を喪った。

母の体調が良くないことは父から聞いていた。

ただ、それを想像しきれていなかっただけで、

俺にとってみれば弟を得た対価に母を喪ったという話なのだ。

それからというもの、俺は何かを喪ってばかりいる。

大切なもの、大切な人。多くの物を喪っていくうちに、

俺はいつしか何かに執着することを恐れるようになっていた。

そんな中、俺は絵を描くことに救いを得た。

絵に描けば、喪った物も喪う物も残しておける。

それに気付いてからというもの、

俺はただひたすらに絵を描き続ける日々を送ってきた。

最早形だけ残っているといった状態だった美術部に入部し、

やる気のない顧問教師に無理を言って、

美術室の鍵を毎日借りれるようにした。

誰もいない美術室で一人放課後に絵を描き続けるのは、

俺にとって掛け替えのない至福の時間だった。


そんな俺の日々が変わったのは二月ほど前のことだった。

その日、俺はいつものように美術室で一人絵を描いていた。

誰にも邪魔されず、ただ思い出を追想していられる幸せな時間。

グランドからかすかに聞こえてくる運動部の掛け声を聞きながら絵を描いていると、コンコンと控えめにドアをノックする音。

顧問だろうか、そう考えてはみたが、

あのやる気のない教師がわざわざここにくるとは思えない。

俺は仕方なく筆を置き、ドアの方へと歩き出した。

建て付けが悪いドアを開けると、

目の前には一人の少女が立っていた。

「あの、美術部に入部したいのですが」

それが、俺の日々を変えた少女、日野柚葉との出会いだった。

「えっと、美術部ってここであってますよね?」

放心して黙りこくっている俺を不審に思ったのか、

確認するように少女が聞き直す。

「あ、ああ。ここが美術部で合ってる。

それで入部したいのか?」

決して喜ばしいことではなかった。

絵を描くことももちろんだが、

俺はここで一人で居られることにも価値を見出していたからだ。

「はい。先生に聞いたらここにくれば人がいると聞いて」

あの教師め、入部管理くらい自分ですればいいのに。

若干八つ当たり気味にここにはいない教師への恨み言を内心で呟いていると、

少女はキョロキョロと美術室の中を見渡し、

目敏く俺の描きかけの絵を見つけた。

止める間もなくカンバスへ近づくと少女は感嘆の声を上げる。

「わあ……!凄い綺麗。色使いがとてもリアルで、

本当にそこにあるみたい」

その感想が嬉しくなかったと言えば嘘になる。

誰だって自分の絵が褒められれば嬉しくなるのだ。

だが、それとは別に、俺は喪失感を感じていた。

俺の唯一の憩いの場が終わりを告げたようなものだからだ。

俺はせめてもの抵抗とばかりに、素っ気なく入部届を手渡す。

「これに必要なことを書いて、陣内先生に渡したら入部できる」

一応、部長である俺が後で報告して入部させることも可能だが、

俺はここへこの少女を連れてきた先生へせめてもの仕返しがしたかった。

少女は受け取った紙にササッと必要事項を書くと、

出してきます!と元気よく言って教室から出て行った。

「はあ……」

誰もいなくなった教室で一人ため息をつく。

きっとあの様子だとすぐに戻ってくるだろう。

俺は、これからのことを考えると憂鬱にならずにはいられなかった。

現実逃避気味に絵の続きを描いていると、

案の定先ほどの少女が戻ってきた。

「戻りました」

少し息を切らせている少女はどうやら走って戻ってきたようだった。

そう言えばこの少女の名前を知らなかったな、

そう思って俺は軽い自己紹介をする。

「そう言えば名前を聞いてなかったな。俺は狩野響、二年だ」

「あ、私は日野柚葉です、一年制です」

「それじゃ日野さん、俺からは特に何かいうことはないから、

好きなようにしてくれ」

「え?あの好きなようにって……」

困惑したように日野さんが俺の方を伺う。

「ここに来るも来ないも、絵を描くも描かないも、

全部そっちに任せるってことだ。

俺は俺で好きにやるからそっちも好きにやってくれ」

「でも……」

泣きそうな顔で日野さんは俺をじっと見つめる。

その様子がまるで昔の弟のようで、

若干居心地が悪くなった俺は助け舟を出す。

「……分かった。絵の描き方とか、俺の知ってる範囲で教える。

ただ、こっちから何かを強制したりはしない。これでいいか?」

「は、はい。ありがとうございます!」

そう言って頭を下げる日野さんを見て、

俺は少しだけ懐かしい気分になる。

ちょうど一年前。父親が異動に伴い引っ越すことになった。

弟はそれについて行き、俺も何度か向こうに移らないかと誘われているが、

毎度それを断っている。

言うまでもなく、人との関わりを避けたかったからだ。

目の前の少女は中々会えない弟を思い出させるのだった。



それから、俺の日常は変わり始めた。

放課後、絵を描くのは一人ではなく二人になり、

静かな美術室は俺に質問をする声と、俺が答える声で満たされる。

最初は不満だった俺もいつしかその状況を受け入れ始め、

彼女への想いもそれに連れて変わり始めるのだった。

毎日、放課後に美術室へ行く俺に合わせ、

日野さんも毎日顔を出すようになり、

ついに俺と彼女はお互いを下の名前で呼ぶ仲になった。

しかし、そんな喜びを打ち消すように、

俺の中にはある不安が芽生え始めていた。

それは再び訪れるかもしれない喪失の恐怖。

また、俺は何かを喪ってしまうのではないか。

それは、俺の思いも寄らない何かであり、

あるいは最も恐る彼女そのものではないか。

その不安は決して拭い去ることができずに、

ただじくじくと俺の心を蝕んで言った。

そんな恐怖に駆られた俺が彼女の姿を絵に残し始めたのも、

あるいはなるべくしてなったと言う事かもしれない。

勿論、このことは彼女には内緒だ。

君の絵を描かせて欲しいだなんて、言える訳も無い。

だから、俺は彼女が帰った後、静かになった教室で、

一抹の寂しさを堪えながら彼女の絵を描き続けている。

絵の中の彼女は俺の脳内の彼女と寸分違わず、

いつも俺にするように微笑んでいた。

かの巨匠、レオナルドダヴィンチもいまの俺のような心境だったのだろうか、

などと分不相応なことも考える。

俺にとって絵の上手下手は最早どうでもよく、

ただ俺の知る彼女を正確にカンバスの上に描きたい、

それだけが俺の願いだった。

多少の不便はあれど、確かにここ最近の俺は充実していた。

だからこそか。

運命というものは時に残酷に人を絶望に追い落とす。



「先輩?」

声が聞こえた。

背筋が凍り、時間が止まったかのような錯覚を覚える。

聞き覚えがあるなんてものじゃない。

それこそつい20分ほど前に聞いた声だ。

振り返るのが怖い。

それを知ってしまうのが怖い。

知られてしまったと知るのが怖い。

どうして、という質問が頭の中を巡る。

建て付けの悪いドアは、開ければ必ず音を立て、

気づかない訳がない。

そこまで考えて、そういえばつい昨日、

ドアの修理がされ音がしなくなったという事を思い出す。

俺にとっての日常にその軋むドアの音が組み込まれてしまっていたからこそ、

俺は彼女が再び戻ってきたことに気付けなかった。

「どう、して」

ようやく絞り出せた言葉は震えていた。

どうしてここにいるのか。

帰ったのではなかったのか。

その意味を察した彼女はしどろもどろになりながら答える。

「えっと、教室に忘れ物をしちゃって、取りに戻ってきたら先輩が……」

ああ、そういうことか。どこか冷静な頭であっさりと納得する。

忘れ物を取りに戻る。

聞いてみれば何もおかしなことはないいたって普通の理由だ。

「先輩、その絵……」

戸惑いを隠せない様子で柚葉が俺の目の前のカンバスを指差す。

そこには誰が見たって彼女と同一人物と分かる絵。

最早言い逃れなできない状況だった。

「……ああ、日野さんの思ってる通り、これは君の絵だ。

勝手だけど描かせてもらっていた、すまない」

神様というやつはなんて残酷なのだろうか。

俺は今この瞬間、彼女という大切な人と、

絵という大切なものを同時に喪ったのだから。

「もう、俺は筆を取らないし、この絵もすぐに破棄する。

どうかそれで許してはくれないか?

勿論、二度とここにもこないし、君が望むならこの学校もやめる」

半ば投げやりにそう告げる。

幸いと言うべきか、ここをやめても父の方へ行けば学校には通える。

だが、そんな俺を待っていたのは意外な彼女の反応だった。

「あの、その絵、もう少しですよね?

……良ければその絵が完成するところ見せてもらえませんか?」

「……分かった」

最初から俺に拒否権はない。

なぜ彼女がそんな事を言ったのかは分からないが、

彼女がそう望むなら俺はそれに従うだけだ。

俺はもう一度筆を取ってカンバスに向き直る。

あれほど望んでいた静寂が、今はどこまでも息苦しかった。



「……ふう、完成だ」

あれから1時間。今までにないほどの集中力を持って俺の絵は完成した。

嘆息し脱力した俺は椅子にもたれかかる。

隣にモデルがいたのも大きな要因だろう。

その甲斐もあってか、完成した絵は今まで俺が描いてきた絵の中でも、

一番の出来栄えだった。

こんな状況じゃなければ1時間はこの絵に陶酔していただろう。

執行を待つ受刑者のような気持ちで彼女の反応を待っていると、

彼女は何かを考えている様子で絵を見つめていた。

「……」

今までに見たことのないその横顔に、

性懲りも無く俺はまた彼女の絵を描きたいなどと考える。

けれど、それはきっと叶わぬ願いだ。

俺はこの戒めとして二度と筆は取らない。

そう、決めたのだ。

そうしていると、日野さんは何かを決心したように頷くと、

俺の方へ向き直って真っ直ぐに俺の目を見つめた。

「先輩」

ああ、きっと起こっているのだろうな。

今までに聞いたことのない声で彼女は俺を呼ぶ。

「どうして先輩は私の絵を描いてたんですか?」

至極当然の疑問だ。

俺は今までの俺の経験も含め、全てを包み隠さず彼女へ話す。

全てを聞き終えた彼女は驚いた様子で俺を見ていた。

「お母さんが……」

「昔の話だよ。それに、だからと言って、俺が許されるわけでもない」

「どうしてですか?」

自罰的になっていた俺を驚かせたのはそんな一言だった。

「どうしても何も、自分の絵が勝手に描かれていたんだ、

嫌な気分にさせてしまっただろう?」

「いいえ。そんなことはないです」

しかし、彼女ははっきりとそう断言する。

「……私、嬉しいんです。先輩が私の絵を描いてくれていたこと。

最初は先輩私のことが嫌いみたいでしたから、

最近ようやく仲良くなれたようで嬉しかったんです」

「どうして……」

意味が分からず、そう聞くと彼女はさっきの何かを決心したような表情で、

手をぎゅっと握りしめた。

「それは……それは私が先輩のことが好きだからです」

「俺のことが、好き?」

「はい。最初は絵の上手い先輩だなとしか思ってませんでした。

でも、先輩が絵を描いている時の優しい表情。

先輩のあの顔を私は好きになったんです」

そう言って、安西さんは教室の後ろ、

布のかけられているカンバスに近寄る。

「見てください、これが私の気持ちです」

そう言って取り払われた布の下に現れたのは、

―――絵を描いている俺の絵だった。

「私も、ずっと先輩のことを描いてたんです。

だから、おあいこです。私も先輩も」

彼女はどこか嬉しそうにそんなことを言ってのける。

俺は何も言うことができず、ただその絵を見つめ続けた。

「ねえ、先輩。返事、もらえませんか?」

その言葉に俺はようやく意識を取り戻す。

正直、それが許されるのか分からない。

何かを喪う事も無くえてもいいのだろうか、

そんなことばかり考えてしまっている。

それでも、俺は

「俺も、柚葉のことが好きだ」

この燃える想いに正直でいたかった。



もえるには「燃える」と「喪得る」の二つの意味をかけて見ました。

感想等くださると嬉しいです。

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