あなたの夢へ、ラブレターを
死んでしまった人が夢に現れる。
それを古く人は、「夢枕に立つ」と言った。
励まされたり、頼み事をされたり、何も喋らず微笑んだり。或いは、酒を酌み交わしたり……。
仮に言葉なんてなくても、生前と変わらない元気な姿を見て、安心する。
夢枕に立つとは、悲しみを乗り越えるための、死者からの「エール」なのだろう。
ならば果たして、夢に立つ故人は「本物」なのだろうか?
意思を持った、生者の記憶に左右されない、故人本人の魂なのだろうか?
何を馬鹿な、とあなたは笑うかもしれない。
死ねばそれまで。死んでまで魂が存在し、一生眠れないなんて御免だ、と。
けれど、僕は信じたいんだ。
たとえ夢の中でもいい。
先に逝ってしまった人に、大好きだった人に、また逢えた事を。
これから僕が綴る事は、今朝僕が「見た」ばかりの夢だ。
とても嬉しくて、とても悲しい出来事だった。
あなたが死んで、今年で6年になります。
その節目でも何でもない日の夜に見た夢を、ただ僕は綴りたかった。
言わばこれは、あなたへ伝え残した「ラブレター」なのです。
◇◆◇
夢を見た。
一ヶ月後には忘れているかもしれない、雲のような曖昧模糊な夢を。
そこには先に逝ってしまった人達が皆居て、僕は彼らと歩いて話した。
じいちゃんと、ばあちゃん。流産した甥に、生き別れた兄貴。
その中に、僕は「彼女」を見つけた。
何故そうまで「彼女」に目を奪われたか。
それは、余りよく分かりたくない。分かりたくも、ない。
けれど僕は彼女を選んで、そして話した。
詳しい経緯は省こう。
なんせ、夢の話だ。
酷くあやふやで、何をしたかも何を話したかも覚えていない。
きっと一ヶ月後には忘れているだろう。
だから、今日は触りだけを話す。
久しぶりに「彼女」と話すのは、とても楽しかった。
それが6年振りに交わした会話とは思えないほど、スムーズに話せた。
別に言語野に異常もないし、かと言って饒舌でもない。
そんな僕が、驚くほど饒舌になれたのは、やっぱり僕が「彼女」を恋しく思っていたからだろう。
僕と彼女は、別段付き合っていた訳でもない。
ただ、昔から常に近くにいた、と言うだけ。言わば幼馴染みだ。
何事もなく過ごして、何事もなく過ぎていく時間。
その時間が止まってしまったのは、六年ほど前。
『え、死んだ……? あいつが……?』
その日はたまたま一緒に帰らなかった。
そのまま「彼女」は、還ってこなかった。
日本では、年間200人以上の人が飲酒運転の車に轢かれて死亡している。
彼女も、その中の一人になってしまっただけ。
冷たいかも知れないけれど、別段恋人でもない僕には、彼女の死が人生を変えるほどの力がなかったのだ。
『──?』
『──?』
『『──!』』
けれどこんなにも楽しい気分になれるのは、彼女といる時だけ。
その矛盾した観点に、僕の中で何かが揺らぐ。
それを見逃すは簡単で、気付くことさえ難しいような違和感。
けれど僕は、その違和感を無視した。
『…………』
僕と話していた彼女が、ふと黙った。
その時の彼女は、心なしか透けていたように思う。
──もう時間切れだ
なんせ、これは夢だ。
元より曖昧模糊。加えて頭の悪い僕が見る夢は、その出来まで悪い。
唐突に悟った僕は、涙を流していた。
泣きながら、子供みたいに訴えた。
『お、俺さッ。俺、さあ……』
拙く、子供のよう。
けれど言葉使いだけは一丁前の、酷くアンバランスな言の葉。
詰まり詰まった言葉を叩き出すようにして、僕は言葉を投げ続けた。
『俺っ、18になったから、さぁ──ッ!』
その先の言葉は、喉の奥につっかえて死んでしまった。
中途半端に歳をとってあまり甘えなくなった僕の、最期の「おねだり」。
それは、得体も知れない怪物に絞め殺されて、遂に言葉にならなかった。
胸の中では、何度も何度も叫ぶ。
胸の中で、一年分の我が儘を消費してしまうほどに。
『──』
そんな僕を、彼女は何と思ったのだろうか。
呆れただろうか。それとも不快に思っただろうか。
少なくとも彼女は、僕が言おうとしていたことを分かっていたと思う。
それでも彼女は、何も言わなかった。
何も言わず、ただ笑っていた。
その笑顔が悲しげであったのか、優しげであったのか。
それすらももう、思い出せない。
「……夢」
気付けばもう、夜は明けていた。
枕は涙に濡れていて、カーテンの隙間から漏れ入る柔かな朝陽だけが、僕の涙を照らし出す。
その朝陽は、夢の終わりまでも僕に教えてくれる。
「なんで、今さらこんな夢を……ッ!」
もう少し、あの夢を見ていたかった。
それが、彼女を求める気持ちを強くさせると分かっていてもり
起きてから分かったのだが、僕は彼女の死に動じていなかった訳ではなかった。
むしろ取り乱し、錯乱して、彼女を「遠くへ行った」ものとして記憶からも消し去っていた。
「チクショウ、こんな夢見るなんて、最悪だ──ッ!」
溢れる。溢れる。涙が、溢れる。
彼女に逢いたい、彼女が好きだと、胸が叫ぶ。
もう彼女はいないのに、もう逢えないのに。
あの時、彼女に言えなかった言葉を、僕はようやく口にする。
──もう、居なくならないでくれ
ようやく、自分の想いに目を向けた。
僕は、彼女が好きだったんだ。
彼女が死んで、6年経って初めて見つけた「好き」の気持ち。
「やっぱり、好きだ──』
僕はずっと、彼女に逢いたかったんだ。
好きで好きで仕方がなくて、けれど伝える言葉は選ぶ間もなく消えていって。
泡のように空をたゆたう。
その泡を壊さないように、僕はペンを執った。
机から適当な便箋を取り出して、筆を走らせる。
書き出しは、そう。何も飾らない、ただ在る気持ちを乗せて書く。
手紙も言うにはあまりにも青くて、ラブレターと言うにはあまりにも何もかもが遅い、ラブレターを。
あなたの夢へ──
涙が零れた。
パジャマの袖で乱暴に拭い、手紙を取って外へ飛び出した。
自転車のキーを回し、慌てて飛び乗る。
夜露に泣いたサドルから腰を浮かせて、ペダルを踏み込む。
随分と油を差していないギアが、ギィギィと哭いた。
重いペダルを漕いで漕いで、僕は走る。彼女が死んでから一度も訪れていなかった、彼女の家へ。
冬が暮れていく。
夜が眠り、朝が目覚めるように。冬は暮れて、やがて春が訪れる。
6年前から止まっていた時間が、ようやく動き出そうとしていた──