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1.同じホームで待ち、同じ駅で降りる女

 僕は毎朝大体同じ時間に起きて、着替えもそこそこに朝ごはんを作る。10分やそこらの寝坊で朝ごはんを作ると同時に昼のお弁当も作るか否かが決まる。


 そして僕は毎日同じ時間の電車に乗るべく、駅のホームに立っている。

 同じ車両の同じ入口の()()()()同じ位置に座るため、駅のホームで待つ位置も同じだ。


 10日に7回、いや5日に3回くらい、一緒の電車になる女の人がいる。

 その人は僕と同じ駅から乗るんだけど、いつも同じホームの定位置で電車を待っている。


 その人が待っている位置から電車の乗ると僕の隣の車両になる。


 ホームで電車を待っていると、ふと横を見ると5メートルくらい先にその女の人が結構な確率でいるので、僕はいつの頃からかその人をそこで待って隣の車両に乗る人だと認識するようなった。


 電車に乗ったあとは、車両が違うので一瞬でその人の存在を忘れてしまうのだが、その日はどうしてか、ふとその女の人が目に入った。


 それは、僕の目的地である終点の駅に着いた時のこと。ややほかの乗客よりもゆっくりと電車から降りると隣の車両から彼女もややゆっくりと電車から降りた。


 あ、彼女もこの駅で降りていたんだ。と随分長い間一緒の電車に乗っている人なのに、初めて降りる駅を認識できた。

 でも考えてみてほしい。


 そもそも同じ時間に同じようなホームの位置で電車を待っているというだけで、赤の他人の事をここまで認識することなんてあるだろうか?


 今日はたまたま、ふと見た時にその人が目に入っただけなのだ。


 そんな事を思っていると、彼女は駅のホームから改札方面に向かう階段に向かう。

 当然僕も改札へ向かうので同じ方向に進むのだが、突然彼女が歩く向きを変えたのだ。


 はて、と一瞬思ったが、なんてこともない。

 僕にはこのあと時間が迫っているし、彼女の行き先を気にする事もない。気にもならない。

 ちらっと目線だけで彼女を認識しつつも通り過ぎると、僕は階段を降り、彼女がどうなったかはもうわからない。


 その日自宅に戻っても、夜寝る前のアンニュイなひとときも、彼女の事を思い出すことはまったくなかったが、次の日駅のホームで立っていると、近くにいる隣の車両に乗るであろう彼女を見た時、昨日のことが鮮明に思い出されたのだ。


 あのあと彼女はどこに行ったんだろう。

 乗っていた電車に忘れ物でもして引き返したのだろうか。

 今日の僕の電車を待つ暇な時間は、どうでもいいことに費やされた。


 同じ時刻になってやっぱり同じ車両の()()()()同じ場所に座ると、もう既に彼女の事などすっかり考えることはなかった。

 なんとなく気になりだしたからって、姿が見えない時にまで考える事もないし、思うところは考えても意味がない事だったろう。


 ところが電車を降りた時、僕はふと考えてしまった。彼女は今日は階段を降りるかな…と。


 電車を降りてすぐ出来のホームで彼女を探す僕がいた。

 朝のこの時間は通勤ラッシュから多少ずれているといえ、やっぱり発着時のホームは混雑している。隣の車両から降りた彼女がいつ降りたかにもよるが、なかなか見つけるには難しい。


 僕が階段の近くまで歩きながらあたりを見回しても彼女の姿を見つけることができなかった。


 その時、なんとなく僕が今乗っていた電車を見た。


 僕が乗っていた車両、彼女が乗っていた車両、どちらでもない別の車両に彼女が座っているではないか。

 駅のホームから電車の窓越しに映る座っている彼女を認識する。


 彼女は()()電車から降りていないのだろうか?


 いや、そんな事はない。

 なぜなら彼女は、僕の隣の車両に乗ったはずだ。


 いや、待てよ。乗った時に隣の車両が混んでいて、さらに隣の車両に移り座ったのか?


 だとしても変だ。

 電車が駅に着いてからもう1分、いや2分は確実に経っている。この駅は終点だから次に向かう事はない。

 彼女は電車から降りないのだろうか?


 軽く頭の中が整理しきれない僕だったが、時間の拘束には勝てず、結局立ち止まる事も足取りを緩めることもせずにそのまま改札へ向かう階段を降りたのだった。


 もうここまでくると彼女の事が気になって仕方がない。

 恋だの愛だのではなく、単純な好奇心だ。

 彼女の容姿はすぐに思い浮かべることができるほど、赤の他人であり話したこともないくせに脳裏に焼き付いている。

 決して美人とは言えない顔立ちと、決してスタイルが良いとは言えない低い身長。決しておしゃれとは言いにくい服装に、決して若いとは言えない見た目。


 けれどもあまりに普通で、あまりに特徴も何もない彼女の事が、僕はどうしても気になって仕方がなくなってしまっていた。


 その日は一日中彼女の事を思い出したり考えたかというと、実はそうでもなかった。

 改札を通ってしまえば、もうそこからいつもの日常で溢れていて、彼女の事を思い出すことはなかった。実際そんなもんなんだろう。


 次の日の駅のホームで待つ僕の近くには、彼女がいつものように隣の車両に乗るべく電車を待っている。僕は横目で気にしながら、今日は電車を降りた時にちょっと気にして降りてみようと誓いながら電車を待っていた。


 電車が来て、彼女と僕は隣同士の別々の車両に乗り込む。


 だが、不覚にも僕は電車が動き出し終点の駅で止まってから電車を降りる直前まで、彼女の事を考えることすら忘れていたのだ。

 やはりそんなものなのだろう、赤の他人というのは。


 僕は急いで電車を降りるとホームを見渡す。

 

 いた。


 彼女が隣の電車から降りて駅のホームを階段に向かって歩いていた。


 あぁ、なんだやっぱりこの間の出来事は何か間違いかなのかなと思った時、彼女が階段ではない方向に歩きだした。


 この距離なら彼女を行く方向を見届ける事が可能だ。


 彼女はそのままゆっくりと歩き出すと、今乗っていた電車にまた乗り出したのだ!

 違う車両にまた乗り出したのだ!


 明らかにおかしい。一度電車を降りて、改札へ向かう階段の方向に向かって歩いていたが、階段を降りる直前に方向転換をし、今乗っていた電車に再度乗る。


 普通じゃありえない。忘れ物かと疑うが、そうであれば同じ車両に戻るはずだ。


 その後彼女はその車両の席に座った。


 その電車は終点に到着すると、15分後には折り返し運転を始める。

 つまり来た道を戻るのだ。


 彼女も来た道を戻るのだろう。


 もしかしたら、お仕事を急に辞めなければいけなくなり、しょうがなくこのような行為を繰り返しているのではないかと思ったが、サラリーマンな中年男ではないし、ありえるのかと疑問に思う。


 折り返し電車が発車するまで彼女の行く末を見守りたかったが、僕にだってもう時間はない。

 結局ものの数十秒の間立ち止まるに留まり、僕は日常へ続く階段を降り、また彼女の事を忘れるのだった。


 もう何度も何度も同じ朝を繰り返しているが、こんなに気になってしまうことはかつてないだろう。

 さて彼女はいつから僕のとなりの車両に乗るべくこの駅のホームを通っているのだろう。


 彼女を認識したのがつい最近の話だが、もしかしたら僕が認識していないだけで、彼女は何年も前から僕の隣の車両に乗っていたのかもしれない。


 今日も終点に到着し彼女の動向を探るひと時が始まった。


 既に僕は駅のホームに降りた彼女を捉える事に成功している。さぁ、このあと彼女は改札に向かう階段へ向かうのだろう。だが、直前で方向転換するのだろう。


 そう思いながらゆっくりと僕も階段へ向かう。


 一瞬。そう一瞬僕の目の前に人が数人横切ったせいで、彼女を見失ってしまったのだ。

 僕は動揺しつつも歩く速度を緩めない。だってこれは僕の日常なんだから。いつもと変わらない僕はだれかにきっと認識されておらず、周りの人にとってはいつもと変わらない景色と一緒なのだから。


 階段へ向かう僕は横目で電車の窓を見る。

 彼女は座っていない。


 どこにも彼女は座っていないのだ。見失ったのだから、きっと電車に戻ったのだろうと思ったのに、予想が外れているらしい。


 どこだ、どこにいるんだと、いつもと変わらず平静を装いながら周りを観察しても、彼女はいなかった。

 結局僕は階段を一歩降りるところまで足を運んでしまったのだが……。


 目の前に彼女がいた。


 後ろ姿だが、僕にはわかる。


 突然現れたような気がするが、そうでないかもしれない。単純に人の波が彼女を見えなくしていただけなのかもしれない。

 僕の前に彼女がいたのだ。


 でもおかしいじゃないか、もう階段を3段、いや4段は降りている。


 彼女が階段を降りるところは一度も見たことがない。

 僕のわくわくはもう止まらなかった。


 今日は、今日の日常は、まだ始まらないのだ。


 僕の日常は彼女を見失ってから始まるのだ、いつもと変わらない、つまらない日常は彼女と別れてから始まるのだ。


 僕は彼女からある程度の距離をとり見失わないように追いかけた。

 見つかってはいけない。僕は彼女にとっておそらく景色と変わらないただの無機質な物体なはずだ。

 悟られてはいけない。彼女の日常を壊してしまうから。


 改札を通るところまで来た。初めての経験だ。改札を抜けてもまだ僕の日常が始まらないんなんて。


 でもまた人が僕の前を通り過ぎた次の瞬間には、彼女の姿がなかった。

 僕は少し残念なような、でも安堵したような気持ちになり、時間が差し迫った日常に戻ったのだった。


 それが今までで一番僕の日常が壊れた瞬間だったのだが、これ以上はもう僕の日常が壊れることはなかった。


 次の日、その次の日も、彼女は同じ駅のホームにいたり、いなかったり、電車に戻ったり、突然いなくなったりを繰り返した。


 あの時のように階段を降りる事はない。

 折り返し電車に座るか、いないか、消えるかのどれかだった。


 もう何か月もそれが続いただろう。

 結局は、彼女の不思議な存在と行動自体も、僕の日常の一部となってしまった。


 なんだか不思議な事だと思うのだが、もう僕にとっては普通の事が今でも起きているのだった。

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