俺の秘密
天龍暁には秘密がある。
9月某日。昨日までと変わらない、クソ暑い日。
「はよー」
「はよー。計算ドリルの答え見せてくれー」
「あいよー。ちょっと待って」
昨日までと変わらない1日の始まり。昨日までなら、この後も普通の1日が過ぎていくのみなんだが、今日は少し不安が付き纏う。
「だからね!ポテチにしろせんべいにしろ、どうせお皿に開けるならマヨネーズ添えておく心配りが重要だと思うんだよ!」
来たよ。俺の不安要因が。
「何ならお皿を設計する人がマヨネーズ用のスペースを作っておくべきだと思うね!絶対そうだよ!」
速水まりなは今日もマヨトーク全開だ。とりあえず、それに安堵する。いや、マヨネーズのスペースってなんだよ。臨機応変にケチャップとか醤油とか入れちゃダメなのかよ。
今の速水を見ていると、昨日の出来事が全部嘘みたいに思えてくる。でも、全部本当にあったんだ。俺がイービル界とかいう世界に引きずり込まれたのも、鬼に追い回されたのも、そこを助けてくれたのが魔法少女の速水だったのも、……俺が魔法少女の勧誘を受けたのも。
じっと速水を見ていたせいか、彼女が俺に気づいて目が合った。が、すぐに逸らされてしまった。向こうも反応に困っているのかもしれない。でも、それが昨日の出来事が紛れもない事実であることを裏付けているように思えて、少し気分が悪かった。
昨日速水に連れられて行った施設で、海という人は俺を「間違いなく女の子だ」と言った。言われて、俺と速水はフリーズしていたが、海さんが「そうでしょ?」と聞いてきたことで、俺はどうにか我に返ることができた。
「俺は男だ。だから魔法少女なんかにはなれない」
俺がそう答えると、海さんはまたキョトンとしたが、今度はすぐに受け入れてくれたようだった。
「そう。ごめんなさい、気を悪くさせてしまいましたね。お詫びとして、暁さんが秘密を守ると固く約束してくれるなら、記憶消去の魔法はかけないことにしますが、約束してもらえますか?」
「……わかりました」
こうしてその場は終わったのだが、その後俺が帰路につくまで、速水はフリーズしたままだった。だから正直、彼女が俺をどう思っているのかわからない。もし、俺を女と疑っているなら、かなり面倒だが何とかしなくてはいけない。
そんな考え事をしながらも水を流し、トイレの個室から出ていく。小便器の前を通り過ぎて手洗い台を利用し、短パンで適当に手を拭いて、トイレのドアを開けて出る。すると、5メートルほど先に速水がいて、目が合う。彼女は顔を真っ赤にして固まっていた。
「おい、どうした?」
そう俺が声をかけると、彼女は物凄い勢いで逃げ出した。
「……かなり面倒だな」
その日の5時間目。次の時間と合併して、体育が2時間。今年最後の水泳の授業だ。更衣室でダベりながら着替えて、そのままプールサイドへ。クラスに1人は居る、ボタンで留まるタオルをマントにしてはしゃぐ奴を友達とケラケラ笑っていると、ふいに誰かに腕を引っ張られた。そのまま俺は物陰に連れ込まれる。腕を掴む力の強さや、そもそも手を引かれるということ自体にデジャヴを感じた俺は、顔を見るまでもなく誰の仕業か予想できた。
「な、なななななななななななな」
……が、相手の表情とテンパり具合は予想できていなかった。
「お、落ち着け。深呼吸しろ、深呼吸」
「落ち着けるわけないよ!!なんて格好してるの!?」
顔をひたすら真っ赤にしながら、速水は俺に抗議した。
「何言ってんだよ?水着を着なきゃ授業受けられないだろ」
俺は冷静に返答する。
「そうじゃなくて!!だってそれ、海パンって、む、胸が……」
「は?男子の水着といやぁ、海パン一丁だろ。それがどうかしたかよ?」
「だって……あ、あき…………女の…………」
「さっきから何言ってんだ?大丈夫かよ?」
震えた声で話す彼女に対して、俺はあくまで冷静に返答する。
……いや、本当はわかっている。速水が言いたいことぐらい。案の定、彼女は俺を女だと思っている。だから、俺が海パン一丁で普通に出歩いていることに戸惑っているんだろう。だが、だからこそ彼女には再び「天龍暁は男子である」と認識してもらわなくてはならない。さもなくば、わざわざ転校してきた意味がなくなってしまう。
「なあ。お前、俺が女だと思ってんだろ?」
「えっ?だって、そうなんでしょ?」
彼女の声はなおも震えている。
「なら見せてやろうか?」
「えっ?」
「俺の●●●」
「…………えっ!?」
既に真っ赤だった彼女の顔がさらに赤くなり、湯気を出し始めた。いいぞ。思い通りだ。
「俺の●●●見れば、俺が男だってはっきりわかるだろ?ちょうど物陰だから他の奴に見られることもないし、お前だけに見せてやるよ。あ、でもトラウマになったらごめんな」
「ひぃっ!?」
効いてる効いてる。もう一息だ。
「じゃあ行くぞ」
海パンの左右に指をかける。その指でゴムを広げ、数ミリ下にスライドさせる。
「……ご」
「ご?」
「ごめんなさーい!!」
目に少し涙を浮かべて、速水は逃げ出した。そして、プールサイドを走った容疑で先生に捕まり、もう一度謝る羽目になった。
「ただいまー」
「おう、おかえり」
アパートに帰宅すると、姉貴の声が迎えてくれた。いつも通りなら、もうちょっとで姉貴はバイトに行く。
「水着洗濯したいんだけど、洗濯機の中の服と一緒に回して平気?」
「うん、よろしく」
「はーい」
了解を得たので水着を洗濯機に放り込み、一度居間へ。姉貴はバイトの支度を終えてテレビを見ていた。俺は姉貴の後ろを通って、箪笥から着替えを取り出す。そして、着ていた服を脱いで洗濯機のスイッチを入れて、シャワーを浴び始めた。
ふう。プールの冷たいシャワーもいいが、やっぱり熱めのシャワーが気持ちいい。湯に入らずとも、包まれている気分になる。
……プールといえば、今日は勢いでハッタリをかましてしまったが、速水はアレで俺が男だと信じただろうか?というか、あの時は疑いを晴らすことしか考えてなかったが、あの方法でよかったのだろうか?明日学校に行ったら、「陰部を見せつけようとした変態」という認識が広まっていたりしないだろうか?
……まぁ今あれこれ考えても仕方ないか。明日以降、上手いことやるしかないだろう。そう思いながらシャワーを止めると、姉貴の話し声が聞こえた気がした。友達と電話でもしているのだろうか?まぁ、姉貴の交友関係には興味ないけど、バイトに行く時間もあるだろうから一声かけてやろうか、と思った。俺は体を拭いて脱衣場に上がり、バスタオルで体を拭くと部屋着に着替えて居間へ足を運んだ。
「姉貴、そろそろバイト行かなくていいの?」
俺の足と口は、「行かなくて」の「て」の辺りで止まった。姉貴の話し相手は電話口の友達じゃなかった。というか、姉貴の友達でさえなかった。
「へー、そうなんだー。……お、暁。まりなちゃん遊びに来てるよ」
速水が、少し苦笑しながら俺に会釈をした。彼女はテーブルを挟んで姉貴と向かい合うように座っていて、借りてきた猫みたいになっていた。
「さて、そろそろバイト行きますか」
そう言って姉貴は立ち上がり、バッグを持つと入口に立つ俺に耳打ちで話しかけてきた。
「いい子だね。っていうか秘密を打ち明けられる友達ができたんなら報告しなさいよ」
「!?」
姉貴のその一言の意味が、一瞬理解できなかった。
「んじゃあ戸締まりよろしく。まりなちゃん、帰り道気をつけてね」
そう言って姉貴が出ていく辺りで俺の頭はやっと働き、1つの結論に達した。バレている。俺の秘密は姉貴経由で速水にバレている。
「……いつ来たの?」
俺は速水に質問してみた。それと同時に姉貴のベッドに腰かける。床に座っている速水を見下ろす形にすれば、ここからの会話で自分が主導権を握れるだろうと思った。
「えっと、5分くらい前かな」
「そっか。姉貴と何話したの?」
「うん、私が『暁くんって女の子なんですよね?』って聞いたら、お姉さんが『暁にも心を許せる友達ができたかー』って1人で納得してて、それからは暁くんと仲良くなったきっかけとか、学校での様子とか聞かれて、適当に答えてた、って感じかな」
「……ふーん」
やっぱり、姉貴は勘違いをしたようだ。速水が俺の秘密を知っていると認識したらしい。だが、今の話では姉貴が速水の質問に何て答えたのかわからない。気を効かせて答えなかったのだろうか?だとしたら、そこをわざわざ探るのは薮蛇というものだろうか?だが、もし秘密がバレているなら、放っておくわけにはいかない。ここは1つ、つついてみよう。
「『女の子なんですよね?』って聞いて、姉貴はそれに何て答えたんだよ?」
「うん、『体はね』って」
……やはりバレていた。勘違いした姉貴は気なんか効かせてくれなかったようだ。うわ、マジか。もうバレちまったのか。転校してきてからの、男子として過ごしてきた平和な日々は3ヶ月で終わっちまうのかよ。何だよそれ。夜9時台のドラマかよ。
「……あの」
「?」
「体は、ってどういう意味なの?」
「……」
速水が質問してきた。まぁ、当然の疑問だろう。大抵の奴には意味がわからなくて当然だ。いっそこのままわからないでいてくれてもいいような気もするが、これ以上嗅ぎ回られて他の奴にまで勘づかれるのはごめんだ。こいつには、ある程度本当のことを話そう。
「医者が言っていた話だけど、人間には『体の性別』と『心の性別』があるんだって。大半は体と心で同じ性別になるらしい。体は男で、自分でも男だと思っている、とか。でも、たまに体と心で性別が違う人がいるらしい。俺がそうなんだよ」
ここで一度話を区切る。速水は、まずここまで理解できただろうか?俺は彼女の様子を窺う。
「えっと、じゃあ暁くんは、体が女の子で、心は男の子っていうこと?」
お。何だ、意外と賢いじゃないか。
「そういうことだよ。そんで、俺はこっちに来てから男として生きるって決めたんだ。だから俺は魔法少女なんかにはならない。昨日の2人にはそう伝えておいてくれ」
「わ、わかった」
「それから、俺のことはこれからも男子として扱え。絶対に学校の奴らには秘密だ。俺も魔法少女の件は秘密にする。この約束守れるな?」
「うん、わかった。約束する」
これでいい。これで俺の平和は保たれる。思えば、魔法少女の秘密を保持できる程度には、こいつだって賢いんだ。こういう取引をしておけば、こいつの口止めはできる。最初からこうすればよかったものを、焦って空回りしてしまった。
安心したら腹が減って、俺は冷蔵庫を開けてみた。姉貴が作ったカレーが鍋に入っている。昨日見たときの残り具合からして、もう2人前は間違いなくある。
「お前、夕飯食ってくか?」
俺は速水に声をかけた。
「え、いいの?」
「おう。今用意するから待ってろ」
姉貴が速水を俺の親友か何かだと誤解している以上、こいつを冷遇したら俺が怒られる気がする。飯ぐらい出してやらないと。俺はカレーを温めることにした。
「えっと、暁……くん?暁……ちゃ」
「ちゃん付けしたらぶん殴るぞ」
「ひぇぇ」
……こいつ本当に大丈夫だろうか?というか、人をメイスでぶっ叩くような奴がビビってるんじゃねぇよ。「殴っていいのは殴られる覚悟のある奴だけ」という格言を知らんのか?
「暁……くんって、お姉さんと2人暮らしなの?」
「そうだよ」
「お父さんとお母さんは?」
「実家だよ。姉貴がこっちの大学に通ってて、そこに俺が転がり込んだんだ」
「そうなんだ……」
「つーか、お前こそ夕飯食ってくなら、家に電話した方がいいんじゃねぇの?」
「あ、うん、私は大丈夫」
「…………ふーん」
今の返答に、何となく「こいつも訳ありなのか?」と感じて、それ以上は追求しないことにした。しばらくしてカレーが出来上がった。
「「いただきます」」
2人とも、ほぼ同じタイミングでカレーを口に運ぶ。
「美味しい!」
速水が言った。俺にとっては知った味だが、家族が褒められると悪い気はしない。速水はそのままカレーを食べ進める。
「ところで暁くん」
「何?」
「マヨネーズってある?」
「…………あるけど絶対に出さない」
それは流石に姉貴に悪い気がする。速水が明らかに落胆していたが、俺は無視してカレーを食べ続けた。
つづく