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クワス (Quus)  作者: 宮沢弘
第一章: 対話: ヒトと人
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1−4: 構造主義

 ホテルを出る時、フロントに寄るとカード・キーを見せ、部屋の掃除はいらないと伝えた。マスキング・テープでなんとか壁に貼り付いているカードをばらばらにして欲しくなかったからだ。

 学会の会場では、二つめのセッションの――学生が発表するセッションの――前に、当の学生と会えた。部屋に入り、発表と質疑応答についての最後の確認を簡単に済ませた。

 ではあっても、発表はうまくこなせたが、質問の一つに打ち合わせとは異なる答えを学生は返した。

「共同研究者の村瀬ですが……」

 そう切り出し、学生の答えに補足をした。

 私自身はといえば、午後のポスター・セッションだった。個人的には、オーラル・セッションよりもポスター・セッションが好きだし、全国大会よりも研究会のほうが好きだ。それは、関心を持ってくれた人と、より突っ込んだやりとりができるからだった。もっとも、そう言ってもいられなかったりもするのだが。

 私はポスター・セッションの後で、急いで生協でマスキング・テープを仕入れた。小道具感のあるものと、離れた場所に昔から馴染みのある黄色のマスキング・テープがあった。どちらを買うか迷いはしたが、幅広の――幅2.5cmほどの――、そして3本パックの黄色いマスキング・テープを買った。そしてもう二つ、細字のサインペンとハサミも。

 そして、今日の学会が終った

 

 コーヒーを――昨日よりも濃そうなものを――、そして弁当とスイーツを買い、ホテルへと戻った。

 ベッドはくしゃくしゃのまま、そしてなにより、壁の情報カードもそのままだった。着替えると、弁当を食べながら、情報カードを見渡した。

 言語ゲームが成立しなかった。それは情報カードにエピソードを書き出す前からわかっている。言語ゲームが成立しなかったのは、おそらくあの男性と私のルールに違いがあったからだろうことも推測できる。ルールの違いは、おそらくは単純なもので、学士号以降の意味ないし価値の認識の違いだろう。

 なら、あの男性の最初の一言への私の反応が違ったらどうなっただろう。つまり、「私の子供もね、大学を出ているんですよ」という言葉に対して、それを肯定する――親褒めであれ、子褒めであれ――反応をしていたら。

 私は情報カードをジャケットのポケットから取り出し、「それはすごいですね」と書き、連番を付し、マスキング・テープをハサミで切り、「あぁ。えぇと……」と書いてある情報カードの横に貼った。

 一歩下がり、全体を俯瞰した。これはつまり、肯定とそうでないものということになる。あの男性との会話の最後のエピソードが明らかな否定であるなら、「あぁ。えぇと……」は明らかな否定とは言えないかもしれない。だが、ここではひとまず「あぁ。えぇと……」を否定だと考えよう。

 私は、「あぁ。えぇと……」と書いてある情報カードに、サインペンで “-a” と書き足した。そして、「それはすごいですね」と書いた情報カードに、 “+A” と書き足した。あるいは、その前の「困惑」というエピソードに対応する情報カードを用意したほうがいいだろうか。

 情報カードに「是認」と書き、連番を付し、「困惑」というエピソードの横に貼った。順序どおりではないが、「困惑」と書いてある情報カードに “-b” と書き足し、「是認」と書いた情報カードに “+B” と書き足した。

 また一歩下がり、壁を眺めた。「困惑」から「それはすごいですね」に至る経路はあるだろうか。ないわけではないように思えた。では、「是認」から「あぁ。えぇと……」に至る経路はあるだろうか。こちらの経路は、あったとしても強いものではないように思えた。

 「困惑」から「それはすごいですね」に至る経路に頭を戻し、考えた。その経路はどういうものだろう。それは、「無関心」と言えるように思えた。あるいは、それは「無関心」ではないのかもしれない。それは、「通俗的コミュニケーション」と呼べるかもしれない。私は一枚の情報カードに「無関心/通俗的コミュニケーション」と書いた。

 それから、「是認」から「あぁ。えぇと……」に至る経路を考えた。その経路があるとして、それはどのようなものだろう。私自身が発っした「あぁ。えぇと……」でないなら、それ以降に続くであろう会話を考えるなら、それは「関心」と呼べるかもしれない。

 「無関心/通俗的コミュニケーション」と書いた情報カードに、 “-c” と書き足し、また「関心」と書いた情報カードに、 “+C” と書き足した。そして、両方の情報カードに連番を書き足し、壁に貼った。

 もう一度、一歩下がり、全体を見渡した。二項対立にこだわる必要はないだろう。だが、単純にはそれを基本にしていいだろう。

 そこで気付いた。それらを展開するには、空間が足りない。すでに書き出してあるエピソードに対立する潜在的にありえたエピソードを展開するには、空間が足りない。だが、できる範囲でやってみよう。

 

 記号でラテン文字のアルファベットを使い尽くし、ギリシア文字も使い尽しかけた。情報カードは壁という平面に貼ってあるが、それは私の頭の中ではすくなくとも三次元の空間に配置されていた。


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