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クワス (Quus)  作者: 宮沢弘
第一章: 対話: ヒトと人
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1−3: 現象学

 ホテルの部屋に戻ると、レジ袋を床に置き、情報カードを手に取った。

「一郎: 二橋大学」

「二郎: 政経大学」

 まず、その二枚を書いた。いずれも私の大伯父にあたる人だ。

「祐介: 首都教育大学」

 伯父の一人。

 そして、ほかの伯父や叔母、そして両親の出身大学を書き出した。

 ここまでは簡単だった。

 さらに兄弟、そして従兄弟たちの出身大学を書き出した。

 そこから、さらに学部卒の情報カードには右上に緑の丸を、修士修了の情報カードには右上に青い丸を、博士号持ちの情報カードには右上に赤い丸を書き加えた。

 伯父や叔母の半数は学士であり、半数は修士、そして祐介伯父は博士号を持っていた。従兄弟たちについて気にしたことはなかったが、半数が博士号を持ち、残りの半数が修士号を持っていた。それは、私にとっては普通のことだった。だが、こうやって並べてみると、かならずしも世間的に普通ではないだろうとは思えた。

 私はいったん壁の情報カードを確認し、最後の通し番号を確認した。椅子に戻ると、今書いた情報カードに、それに続く連番を書き込んだ。その情報カードを束にして持つと、また壁の前に戻り、さきほどまでとはすこし離した場所に一枚、また一枚と貼った。

 この地域の大学進学率が低いというのは、ほかの地域における大学への進学とは違う意味とルールを持つのかもしれない。さきほど、コンビニエンス・ストアの前で聞いたような発言がされるように。そして、あの男性が私に話しかけたように。もちろん、コンビニエンス・ストアの前で聞いた発言が日常的にあちこちでなされているとは思えない。あるいは、されているのだろうか。いずれにせよ、私が持っているルールは、そこには適用できないように思う。

 つまり、大学への進学率のエピソードは、私が思っていたものとは違う意味を持ち、大学への進学を口にするということは、私が思っていたものとは異なるルールを持つことになる。それは、あの男性と私は、異なる言語ゲームを行なっていたことを意味する。この地域においては、大学に進学し、そして卒業したということは、「大学を出ているからってなぁ」と言われる意味、ないしルールがあるということだ。

 私は、壁の前で「大学を出ているからってなぁ」と情報カードに書くと、連番を振り、ほかの二つの島からすこし離れた場所に貼った。

 クリプキの「クワス算」という反論に対して、ヴィトゲンシュタインは、観察できる範囲ではそれは現われないと、改めて反論していた。だからこそ言語ゲームが成立すると。

 だが、クワス算は身近にある。そう言っていいのだろうか。すこし改変するが、5以上の足し算の答えはすべて5である。そうなのだろうか。学士以上はすべて同じ。あの男性のルールがそういうものだとしたら、男性の言葉や行動には一貫性があるようにも思える。

 もちろん、たとえば日本語話者全員が、同じ言語ゲームを行なっているとは限らない。あの男性の言ったこと、コンビニエンス・ストアの前で見たことを考えると、言語ゲームの範囲は思われるよりも狭いのではないか。

 では、どれほどの広さ、あるいは狭さなのだろう。方言は、時代、地域、そして話者が属する社会という三つの軸によって分類される。時代は、現在行なわれている言語ゲームには直接は関係しない。では、地域と社会を五つほどに区分したらどうだろう。5 x 5 = 25。たとえば日本語に限定しても、25の言語ゲームが行なわれていることになる。その中の一つにとって、それ以外のものは異なるルールによって行なわれている。これは、とくに話者が属する社会の影響が大きいかもしれない。

 ならば、社会の区分は五つで済む話ではない。社会階層、勤めている組織、その組織の中に存在する下部組織。それらは10,000か? 100,000なら足りるか?

 ヴィトゲンシュタインは、「根拠なき行動様式、それが終点なのだ」と述べている。それ以上は問うてもしかたがないし、問うても答えなどない。

 だが、それは単一の言語ゲームを行なっているとした場合の話ではないのか。この日本においてさえ、たとえば100,000以上のルール、あるいは社会があるのだとしたら、そのルール間や組織間、社会間での言語ゲームははたして成立しているのか。成立していないのにもかかわらず、成立していると思い込んでいるのだとしたら、それはなぜ、そしてどうしてだろう。

 あの男性は、「息子が大学を出ている」と言うことによって、私との言語ゲームが成立すると思ったのだろう。それが、私の参加証が誘発したものであったとしてもだ。だが、私とは成立しなかった。私にはあの男性のルールが把握できなかった。事例が足りないとは言えるだろう。だが、いずれ出た言葉だろう。そこで、やはり私はルールを見失うだろう。

 だとすると、言語ゲームが成立しているように見えるのは、充分に小さい社会が前提なのだろうか。異なるルールによる言語ゲームを行なう社会に属する人間が、そもそも交流しないというような。

 

 私は床に置いたレジ袋を取り、中からコーヒーと、スイーツを一つを取り出し、残りを冷蔵庫に入れた。コーヒーを――ペットボトルのものだが――飲んだ。そしてスイーツを一口、口に運んだ。壁に貼った情報カードを眺めながら。別の視点が必要かもしれないと思いながら。


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