5−1: 対話
ミメクトームの構築を始めてから半年、計算は順調と言えば順調だった。もっとも、以前概念辞書を探りながらいくつかの物語を分析したときには、一回の分析に二週間ほどかかっていた。今回は、それに加えて多層の統計ネットワークの構築という作業も入っている。それを考えれば、順調という判断に落ち着くだろう。計算が終わるまで、どれほどかかるか。すでに終わっている量から考えると、あと半年ほどだろうか。
ともかく、Makefileの別バージョンを用意し、現状で集計できる範囲においてではあるがミメクトームの構築を試みた。この集計にもすこし――おそらくは十日ほど――かかるだろう。
そんな作業をしながらメールを確認すると、健康診断の連絡があった。基本的にはどうということはない内容だが、勤務時間が多い場合――私がそれに該当することは明らかだった――、臨床心理士、あるいは医師による面談を勧める旨の記載に目が惹かれた。はたして、医師は私の言語ゲームに近い言語ゲームを行なっているだろうか。医師が行なう言語ゲームは複雑そうに思えた。もし、私が面談を受けた場合、医師は、その人が参加できるどのような言語ゲームを採用するだろうか。
私は医師による面談を希望する旨の返信を送った。
* * * *
健康診断の――つまり面談の――日になった。
仮のミメクトームは一週間前に集計が終り――予想よりも一週間ほど時間がかかった――、それを眺める時間はそれなりに取れていた。それまでに、さらに小規模の仮のミメクトームも作り、それを駆動するプログラムも完成していた。そのプログラムには、ウェブの検索機能を持たせ、知識ベースの代わりとしていた。この一週間は、いくつかのパラメータを変えながら、仮のミメクトームを駆動し、対話という形で――あるいはデータを眺め――評価を繰り返していた。キーボードとディスプレイで、あるいはマイクとスピーカで――つまり音声認識と音声合成を用い――、対話と評価を繰り返していた。同時に、コピーした仮のミメクトームを用い、ミメクトームどうしによる対話もログを取りながら試みていた。
パラメータの一つとして、ミメクトームそのものへのフィードバックの係数を用意していた。これにより、対話によってミメクトームそのものの確率が変化する。それは対話によるミメクトームの変化を再現するものでもあった。
この点については、私との対話よりも、仮のミメクトームどうしの対話のログと、時間によって取っていた仮のミメクトームのバックアップに変化は見えやすかった。
フィードバックの係数が正であれ負であれ、ある程度の範囲では仮のミメクトームのパラメータも、対話における反応もカオス的挙動を示しているように思えた。だが、その範囲を超えると、なんらかの精神障碍や知的障碍に似た傾向が見られるように思えた。仮のミメクトーム自体のバックアップを見ると、なんらかのアトラクタにはまっているか、それと同じことであるのかもしれないが局所的な最適値、つまり谷にはまっているか、あるいは支離滅裂な変化をしているように思えた。これについては、この仮のミメクトームではあっても分析と検証を進め、一旦は発表しておくのもいいだろう。
* * * *
そして、今、私は面談の医師と対面している。ちょっとしたいたずら心から、ジャケットのポケットにはICレコーダを忍ばせている。
「体調はいかがですか?」
医師は訊ねた。この問いかけに意味はない。
「朝五時から夜十一時まで、楽しく研究をしていますよ」
私はそう答えた。医師はなにかをメモした。
「勤務時間が長過ぎますね。よくあることですが。もうすこし規則的な生活に改めたほうがいのでは?」
「規則的? 充分に規則的でしょう。ほぼ毎日朝五時から夜十一時なんですから」
「あぁ、私が言ったのはそういう意味ではなく。勤務時間の規定をすこし意識したほうがいいのではないかと」
「つまり、先生の言う “規則的” であることに従って、語源的なロボットのように振舞えと?」
「えぇ、人間はロボットですよ。だからこそライフ-ワーク・バランスを適切に取る必要があるんです」
「なるほど」私は椅子から立ち、医師のタブレットに手を伸ばし、私にも見えるように医師の膝に押し付けた。
「先生、ここに先生は私が言ったこととして “ロボット” と書いていますね?」
私はその箇所を指差した。
「えぇ、あなたはそう言いましたから」
椅子に座ったまま、医師は私の顔を見上げた。
「私が? 私が “ロボット” と言ったと? いつ言いました?」
私はジャケットのポケットに手を入れた。
「先程おっしゃいましたよね。私の言う規則的であることに従ってロボットのように振舞えと、と」
「いいえ、私はそんなことは言っていませんよ」
私はポケットからICレコーダを取り出し、一分弱前のところを再生した。
『つまり、先生の言う “規則的” であることに従って、語源的なロボットのように振舞えと?』
「わかりますか? 私が言った言葉は、“語源的なロボット” です。ロボットとは言っていません」
「それは、ロボットの語源と言える労働者という意味でしょう? それくらいは私も知っていますよ」
医師の顔には苛立ちとも思える表情が浮かんでいた。
「いいえ、違います。その意味で言うなら、私は “ロボットの語源” と言うでしょう。ですが、私はそうは言っていない。つまり、それとは別の意味、意義を “語源的なロボット” という発言は持っているということです。わかりますか?」
「私には大きな違いには思えませんが」
「いいえ、大きな違いです。 “語源的なロボット” という言葉の意味や意義は、指差して示すことができる明確な対象がある。対して労働者あるいは労働者という意味でのロボットという言葉には、そのような対象の全体は存在しない。この違いが大きくないと先生はおっしゃるんですか?」
「あなたと言葉遊びをしている時間はないんですが」
「なるほど。わかりました。でしたら、私にできるのは、」私はジャケットのポケットから情報カードのホルダとペンを取り出し、『内村医師は面談の能力に欠ける』と書き、それを医師に見せた。「これを入口に貼るくらいですね」
医師は苛立ちから、さらに表情を歪めた。
「どうぞ、ご自由に」
タブレットをまた抱えると、医師はなにごとかを書き足した。
「では、自由にさせていただきます」
私はそのまま仕切りから出ると、ポケットからマスキング・テープを取り出し、医師に言ったとおり、情報カードを入口に貼った。
正直なところ、仮のミメクトームとの対話のほうが明確だった。そのミメクトームは、 “語源的なロボット” という言葉に対し検索を行ない、適切な――その文脈においてではあるが――応えを返してきていた。
この違いをどう理解するのがいいのだろう。私はポケットから出したアイテムを、またポケットに収めると、歩きながらぼんやりとその問題を考えた。




