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クワス (Quus)  作者: 宮沢弘
第一章: 対話: ヒトと人
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1−1: 対話

「私の子供もね、大学を出ているんですよ」

 小料理屋のカウンターで食事をしていると、突然左に座っていた男性から声をかけられた。

「は?」

 思わず声を挙げ、私はその男性を見た。私と同年代のように見えた。

「それ、学会の」

 男性は、私のジャケットの胸ポケットを指差した。そこには、学会の参加証が差したままになっていた。

「あぁ、どうも」

 私は参加証を抜き取り、内ポケットへと収めた。

「えぇと、それでなんでしたっけ?」

「いえね、私の息子も大学を出ているんですよ」

 男性はそう繰り返した。私は意図を掴みかねていた。

「あぁ。えぇと……」

 男性がなにを言いたいのかがわからず、まともな応えが思いつかなかった。

「私、こちらの大学に勤めています」

 男性は懐から名刺入れを取り出し、一枚を抜き取ると私に向けてきた。

「はぁ」

 私はまともな応えを思いつかないまま、名刺を受け取った。そこには「XX課長」とあった。年代を考えると、もういくらかは昇進するかもしれない。あるいは課長としていくつかを回り始めたところか。

 私は名刺をポケットに収め、元の話に頭を戻そうとした。

 私も明日、学生に発表させるが、なにかそういうことなのだろうか。

「息子さんでしたか? この学会で発表を?」

「いやいや、そんなことはしませんでしたが。でも、大学を出ているんですよ」

 その応えを聞いて、気付いた。この男性は笑みを浮かべている。このやりとりを考える限りでは、その息子は大学院に進学しているということだろうか。

「それで、今はどちらの大学院に?」

「大学院? 大学院なんかには行かずに、ちゃんと就職していますよ」

 男性はやはり笑みを浮かべていた。男性はなにやら誇らしげではあるのだが、いったいなにを言いたいのだろう。私は混乱した。

「先生も大学を出ているんでしょう?」

 男性は問いかけてきた。

「えぇ。出てますが」

「うちの息子も大学を出ているんですよ」

「はぁ」

 どうにも間抜けな応えしか出てこない。おそらく実際に間抜けな顔をしているだろう。対して、男性はやはり笑みを浮かべていた。

 この男性は、どういう応えを期待しているのだろう。このやりとりで分かることは、男性は、おそらく私が博士号を持っていると予想していること――それ自体は間違っていないが。自分の子供が大学を出ていること――それはつまり学士号を持っているということ。この二つから、どういう応えを返すのが妥当なのだろうか。一つめは親褒めとして、この男性を褒めること。二つめは子褒めとして、その息子を褒めること。だが、どちらも適切な返答ではないように思える。三つめの返答も考えられる。たとえば、この男性の祖父あたりから大学を出ているのなら、家として悪くはないということだろう。

「あぁ、えぇと、あなたの親御さんやあなたはどちらを出ておいでで?」

「私? それに私の親ですか?」

「えぇ」

「いや、大学など出ていませんよ」

 私はまた混乱した。博士号を持っている相手に、学部卒の息子がいることを伝えて、なにを言いたいのだろう。あるいは、名刺には課長とあったが、それは上りに近い。大学を出ていない自分がそこまで昇進したことを認めて欲しいのだろうか。あるいは――大学勤めでそれはありえないと思うが――、学士号、修士号、博士号の違いがわかっていないのだろうか。

「ちょっと待ってくれますか」

 そう言い、私はポケットから端末を取り出した。この地域の大学への進学率を検索すると、かなり低いものだった。男性は、自分自身は大学を出ていないと言った。そうすると、このやりとりから、四つめの返答も思い受かぶ。つまり、「無駄金を使いましたね」というような返事をすること。この四つめが一番適切な返答に思える。

 あるいは、男性にとっては、息子が大学を出ているというのは誇らしいことなのかもしれない。この地域の進学率から考えると、そういうことのように思える。だとすると――五つめの返答を思いついた――、大学を出ていない自分が大学に勤め、そして息子が大学を出たという、つまりは自慢を受け入れて欲しいということだろうか。

「えぇと。つまり、それほどでもない家系から大学出身の息子さんが出たことが誇らしい。そういうことですか?」

 混乱していたのだろう。四つめと五つめが――あるいは三つめも――混ざった応えを返してしまった。

「いや、言いかたが悪かったとは思いますが」

 急いでそう付け足したが、男性の顔は曇っていた。

「勘定を」

 私は席を立ち、急いで勘定を済ませた。

 小料理屋を出てからも、考えていた。結局あの男性はないを言いたかったのだろう? まさか、夕食を摂っているだけで、こんなに混乱することになろうとは思ってもいなかった。私は酒は飲まないが――小料理屋は、同じく酒を飲まない友人の勧めだった――、酔うというのは、これに似た感覚なのだろうと思った。友人にこれを話したら、どういう反応をするだろう。


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