プリン消失事件にチョコレートを添えて
風呂上がりに冷蔵庫を開けて、わたしは悲鳴をあげた。
わたしのプリンがない。いや、正確に言えば1つ欠けていたのだ。
「ココア」「チョコレート」「カスタード」の3つで1セット。お値段にして3000円のブロッサムガーデンの高級プリン。これを買うために、早朝5時起きをし2時間の列に並んだわたしの苦労が1つ欠けていた。
今日の朝まではあった。その記憶は確かにある。すなはち、事件が起きたのはわたしが高校に行っている間かあるいは放課後となる。
すぐさま犯人に目星をつけてわたしは走り出した。
「午後9時45分32秒、現行犯逮捕。おい、プリン吐き出せやコラァ」
「姉ちゃん、誤解だってば」
首根っこを掴んで持ち上げると、弟は苦しそうにうめいた。
弟の部屋に突進したわたしは、ドアを蹴破って突入し容疑者を吊し上げることにした。容疑者Aこと弟の顔がどんどん真っ青になってゆく。持ち上げてばかりなのは疲れるのでぱっと手を放す。弟は重力にしたがってどさりと落ち何度か咳き込んだ。「流石メスゴリラ……」とほざく不出来な弟に蹴りを入れて一睨みし、
「なんでわたしのプリン食べた? 遺言なら聞いてやる」
「ちょっ、証拠でもあんのかよ!」
「我が家で甘いものを食べられるのはわたしとお前だけ。それに、父さんと母さんは仕事だったからその来客もありえない。つまり、必然的にプリンを食べたのはお前しかいない」
「まてまてまて。姉ちゃんは容疑者を一人忘れてる。たくにーちゃんがいるだろ!」
食らわせようとした鉄拳が弟の目の前で止まる。
わたしには桜庭拓哉という幼馴染がいる。隣の家に住んでおり物心がついた頃からずっと一緒にいる気の置けない友人である。
何の因果かはわからないが、小学校から今現在高校2年生まで桜庭とはずっと同じクラスで気心もしれている。そんな事情もあってか、わたしと桜庭は顔パスどころかお互いの家の合鍵を持っている。だから桜庭にとっては、たやすく我が家に侵入してプリンを平らげるのは容易いことなのだ。
攻撃が止んだのを察したようで弟は畳み掛けてきた。
「それに、オレはねーちゃんのプリン横取りする恐怖を誰よりも知ってる! オレなわけがないだろ!」
以前弟がプリンを冗談で横取りして一口食べたとき、わたしは怒れる荒御魂の化身となり締め上げてこの世の地獄を味あわせた。それを思い出したようで弟はぶるりと身を震わせた。
「でも、桜庭は今日学校にいたのをわたしはこの目で見てる。つまりアリバイは成立してる」
「ねーちゃん、今日帰ってくるの遅かっただろ。たくにーちゃん、今日ねーちゃんの部屋に来てたぜ」
わたしの部屋のプライバシーはないらしい。まあ、あっちも同様だから決して他人のことはいえない。
「……つまりあんたは、わたしが帰るまでの時間に桜庭がプリンを食べたって言いたいわけ?」
「その可能性がある、って話だよ。少なくともオレはプリンを食べてないし」
「まあいいや。本人に聞いてみるし」
ちらりと弟の机を見ると弟のスマホが光っていた。メッセージアプリの通知である。わたしはロック画面を解除しアプリを起動させた。
「ちょ、ねーちゃん、なんでパスワード知ってるのさ!」と不平を言う愚弟を無視しわたしは読み進める。
どうやらこの星見沙織という女とメッセージアプリで会話をしているらしい。ホーム画面を見ると、なかなかに大きな胸と小動物のような顔をした女がのっていた。弟の持っているエロ本に出てくる女と随分似ている。
『今日は突然ごめんね』と星見沙織。
『だいじょうぶ! 気にってもらえたなら良かった!』
『ありがとね! ふわぁ~。眠たくなったからそろそろ寝るねー』
『わかった、おやすみ! また明日!』
『またねー』
画面を滑らせて読み進めようとすると顔を真赤にした弟がスマホをひったくった。
わたしは格好の獲物を見つけ満面の笑みをしてやった。
「あんた、この沙織ちゃんのこと好きなの?」
「ちちち、ちげーし」
「へぇ……ほんとに? 明日沙織ちゃんに会って聞いて見よっかなー、我が弟のことどう思ってますか、って。姉として弟のことは気になるもんなー」
途端、弟は目にも留まらぬ速さで土下座をした。この弟はわたしの教育によって6歳のころから土下座をする習慣がついており、まさしく土下座界のサラブレッドである。
「実は、彼女を狙っておりまして」
「早く素直になれば良いのに。で、どんな感じなの?」
「今日家にいらっしゃってチョコレートをいただきました、姉上様。とても好感触かと」
弟はポケットからキャンディのようにプラスチックで包まれた四角のチョコレートを3つ手のひらに乗せていた。
間違いなく一袋300円といったところのファミリーパックから取り出した既製品であった。さしものわたしも呆気にとられて聞き返した。
「え、これは?」
「本日は 2月14日のバレンタイン。そして、わたくしめに星見さまはお恵みをくださったのです」
「義理チョコじゃね、これ」
「いや」と弟は勢い良く立ち上がった。「沙織……星見さんは、今日わざわざ家に来て、チョコレートを渡してくれたんだ。オレのために! それに、料理は苦手だから既製品にしたって言ってたし!」
釈然としないところもあったが、よくよく考えれば弟の恋愛がどうなろうとわたしには関係ないので触らないようにした。
それより大事なのはプリン。愚弟のことを考える暇があったらプリン。
犯人には必ず反省させ、プリンを倍にして返してもらうのだ。
わたしは振り返り、
「もしあんたがプリン食べた犯人だったら、その空っぽの頭を木魚にするからね」
と言い残した。
冷蔵庫から持ってきたカスタード味のプリンを堪能しつつスマホを手に取った。そしてメッセージアプリを起動し、容疑者Bこと桜庭にメッセージを送った。
『起きてるでしょ』
この部屋からは桜庭の部屋が良くみえるどころか、バルコニーを伝って部屋に入れるほど近い。カーテンから溢れる光から察するに間違いなく桜庭は起きて部屋にいるはずである。
『まあ、高校生が寝るような時間じゃねえしな』
『ちょっと聞きたいんだけど、今日、何してた?』
『なにしてた、とは』
『わたしの家に来たんでしょ? その時、何してたってこと』
『お前の部屋でゲームしてたな。18:00から19:30くらいまでな』
『証拠は?』
『めんどくせえな。プレスタ4起動してセーブ画面見てみろ』
言われてプレスタ4を起動すると、わたしがハマっている乙女ゲームのタイトル画面がでてきた。ロード画面を開くと、やった記憶のないセーブデータが2つあった。記載されている時間は18:11:02と19:29:33。なるほど、確かに乙女ゲームをやっていたようである。実際、わたしが知らないところまで進んでいるし――。
『なんでエンディングになってるんですかね。わたしまだクリアしてないんだけど!』
『お前が早く帰ってこねーからだよ』
納得いかねぇ、と思いながらわたしは桜庭が作ったセーブデータを消してやった。もしこれでプリンまで食べていたら決して許すまい。末代まで呪ってやる。
桜庭という男は理不尽の権化である。
発言も傍若無人であるが、それ以上に彼のスペックは神に愛されているとしか思えないほど理不尽である。
容姿端麗にして学業優秀、スポーツ万能。毒舌さえも女生徒にとってはスパイスになるらしく、周囲には異性の姿が絶えない。
加えて今日にいたってはバレンタインである。授業の合間の休憩時間には異性で柵ができていた。下校中にはサンタクロースのように大量のチョコレートを抱えていただろう姿が想像できる。
『そういえば、チョコレート全部食べたの?』
『オレがカカオを食えるわけねーだろ』
この男の唯一の欠点。それは、カカオ製品が食べられないことである。だから、チョコレートが押し寄せるバレンタインは彼にとって一年のうちで最悪の日であり、まるで大量の毒薬を善意で渡されたような気分だっただろう。しかも、年齢を増すごとにチョコレートの数が増えているから恐ろしい。
『じゃあどうしたの? 捨てたの?』
『クローゼット開けてみろ。オレからのバレンタインだ』
まさか、わたしは戦々恐々として、観音開きのクローゼットを開けた。途端、リボンと箱が雪崩落ちる。わたしが絶望して立ち尽くしていると、ピザくらいの大きさの円状の包みが最後に落ちてきた。
悲鳴の代わりにスマホをフリックした。
『毎年毎年、チョコレートを押し付けるのはやめて!』
『仕方ないだろ。オレにとって、カカオは敵だが、カカオ農家に恨みはないんだ』
『だからって……断ればいいじゃん! チョコいらないって』
『前から言ってるんだが、誰も聞いてくれないんだ』
そういえば、と思い当たるふしがある。桜庭の発言は何を言っても異性に良いふうに曲解されるという性質を持っているらしく、チョコレートはいらないと言えば、『わたしたちに遠慮してくれているのね』と解釈されるのだ。もはや一種の魔法である。生前に女神を誑かして加護かなにかを貰っているに違いない。
『そういえば、今日はなんでわたしが帰ってくるのを待ってくれなかったの?』
たいていこの男はうちに来たらわたしが帰ってくるのを待っているのに、今日は先に帰ってしまったのだ。
わたしはひらめいた。プリンを食べたから罪悪感で先に帰ってしまったという可能性である。それを証明するかのように、なかなかメッセージが返ってこない。
ぼーっと待っておくのも何なので、部屋に生まれた問題を片付けることにした。フローリングに乗っかったチョコレートの山の半分を袋に詰め、マッキーで愚弟用と書いてしばる。残りは大鍋で溶かして加工し、乙女ゲームのキャラの名前とハートマークを書いてゲーム会社に送ってやろう。しかし、問題はこのピザのような巨大なチョコレートである。こんな大きさを持ち帰るのはさぞ大変だったであろう、と桜庭に少し同情した。
そんなことを思っていると、桜庭からメッセージが返ってきた。
『ちょっと面倒な相手の対処してた。なんか、めっちゃメッセージ来るんだけど』と続けてメッセージが来た。『逆にお前はなんで今日帰ってくるの遅かったんだよ』
『えー、教えたくないなー』
正直、たいした話ではない。毎年バレンタインの日はとっとと帰って桜庭とチョコレートを消化していたのだが、今年は友人の誘いがあって、バレンタイン用のお菓子を一緒に作ったのだ。
『まかさ、誰オレ以外の男こにチョコを揚げたのか!』
誤字脱字がひっでぇ。
『そんなわけないじゃん。わたし、桜庭以外に親しい男友だちいないし』
『じゃあなんで遅くなったんだ!』
お前は門限を気にする親父か。
わたしはやれやれと相手に見えるわけじゃないが、肩をすくめた。
『隠しとこうかと思ってたんだけど、しつこいから言うね』
『はやくいえ』
思わず携帯をベッドの上に叩きつけた。わたしはナイロンのスクールバッグから、透明な袋に入ったアーモンドクッキーを取り出して写真を撮った。味見をしたところ初めてにしては中々である。友だちにはよく出来たのをプレゼントし、一番焦げが多いのを何枚か弟と桜庭に割り当てたが、良いのと一緒に並べなければバレないだろう。
明日サプライズとして渡してやろうと思ったが、別に大事に隠さなきゃならないモノではない。
写真をメッセージアプリにアップロードし、
『バレンタイン用にどうぞ。アーモンドクッキーだよ。力作』と送った。
『明日渡すね』と送ろうとした瞬間、窓からノックの音がした。なんだろうと思ってカーテンを開けると、窓のディスプレイには桜庭が映っていた。
わたしは思わずカーテンを閉め、別のメッセージを送った。
『双子っていたっけ?』
『それはオレだ。はやく窓を開けろ、寒い』
窓を開けると、桜庭とともに冷気が入ってきた。雪が降っていないとはいえ、冬はやはり寒い。早々と窓を締めると、すでにクッキーの袋を開けた桜庭がいた。
切れ長の瞳に烏羽色の髪。すらりとした長身を護る作務衣が似合っていた。確か、わたしが乙女ゲーで出てきた作務衣が似合うキャラが好き言ってから、普段着としてずっと着ているのだ。何でも似合うからこそ服選びに悩むらしく、面倒だからわたしが好きな服を着るらしい。
無言でむしゃむしゃとクッキーを食べ終えた桜庭。いただきますとか感謝ぐらいしろよと思ったが、言うと面倒なので黙っておいた。
夜中に仮にも17の乙女の家に侵入するとは何事か。とはいえ、今がいいチャンスである。わたしはプリンについて探りを入れることにした。
「桜庭、そういえば質問の答えが返ってきてない」
「桜庭と言うのはやめろと言ってるだろう。下の名前で言え」
わたしは大きくため息をついた。昔は拓哉をもじってタクと呼んでいたが、いつも桜庭と一緒にいた事もあって、わたしは嫉妬されてちょっかいを出されることが良くあった。それが面倒に思って、「桜庭」と言うことで、他人行儀に見えるようにしたのだ。
まあ、この場所に他人がいるわけでもないので、
「タク。答え返して。『今日はなんでわたしが帰ってくるのを待ってくれなかったの?』」
「それ、言わなきゃならないのか」
やはり、とわたしは確信した。この男こそがわがプリンを貪った大敵だ。言質を撮ったらすぐさま腹パンしよう。
頷くと、桜庭はぽりぽりと頭を掻き、
「お前がバレンタインで告白したのかと思ったからだ」
「は? 誰に」
「……誰かは知らん。だが、その相手が部屋に来てオレがいたら邪魔かと思ったんだ。それに、顔合わせしたら殺人沙汰になるところだったしな」
「いや、流石に修羅場になるとは思うけど、さく……タクなら大抵の相手に勝てるでしょ。腕っ節も強いし」
わたしであっても桜庭絡みの嫉妬で厄介ごとに巻き込まれることがよくあったので、自慢にはならないがチンピラ50人程度なら片手で血祭りにできる。というか、したことがある。だがそれ以来、メスゴリラだとかうら若き乙女に愚弟が言うようになった。本当に見る目のない弟で、姉として悲しくなる。
桜庭は舌打ちをし、すっと目を細めた。
「あのな、そういう意味じゃなくて――」
桜庭が言い切る前に、ポケットから着信音がした。作務衣のポケットを手を入れてスマホを取り出すと、桜庭はチョコレートの怪人を見たような顔をした。
「はい」と不機嫌そうな声を出す桜庭。相手は誰だろうと思うが聞き取ることはできない。
「へー」「あそう」「ふーん」と空返事をしていた桜庭は、「そろそろ眠いからねるわ」と言ってスマホを切った。はて、最近どっかで聞いたなそのセリフと思っていると、桜庭がこっちを向いた。
「お前のせいだぞ」
「はい?」
何言ってんだこいつ。プリンがなくなってイライラしているのに、加えて感謝の一言もない。
ついにフラストレーションが溢れたわたしは桜庭に言い返すことにした。
「とりあえず、アーモンドクッキーの感想は」
「焼きすぎて焦げてるな。オレが作った方が絶対うまい。他の男に食わせたら恥をかくぞ。だから、これからオレが良いって言うまで他の男に食わせるなよ」
嘘でもいいからうまいとか言えよ。
まあ、ある意味これこそが忌憚のない意見だ。むしろ褒めたら、それはそれで腹パンだったので答えとしては正解だ。
桜庭は右頬を掻いて、
「まあでも……作ってくれたのは、嬉しい」
と言った。
わたしは犬派と猫派で言うなら犬派である。大きな犬種が好きで、特にドーベルマンが好きである。ドーベルマン激かわ。
しかし、これまた無能愚弟はなんと犬アレルギーである。そのため、我が家では飼うことができず、悔しい思いをしていた。そんなとき、幼いわたしは近くにいた桜庭を犬に見立てて、向かい合って髪をわしゃわしゃした。これがどうにも楽しく、桜庭も文句を言わないものだから、よく犬ごっこと見立ててわしゃわしゃとしていた。
とはいえ、よくよく考えれば異様な光景だった。
保育園児が保育園児に首輪をし、犬になって、と言って散歩するのはなかなかに壮絶な光景だったろう。流石に外ではやらなかったとはいえ、室内でやっていたわけで、それを見て「楽しそうね」なんて言って笑っている両親はやはり頭のネジが飛んでいると思う。
そんなこともあって、時々桜庭が可愛くなるとついわしゃわしゃする癖がついていた。現に今も久しぶりにわしゃわしゃしていた。やっぱり一人暮らししたらペット可のアパートでドーベルマン飼おう、と毎回思う。
流石に高2だと桜庭も嫌かとおもったがすんなりと受け入れていた。とはいえそれも数秒のようで、桜庭は「顔が近い」と女性に対して失礼なことを言って顔を鷲掴みにし、わたしを遠ざけた。
「で、わたしのせいってどういうこと」
「前にいっただろ。お前がオレの彼女のふりをしてくれれば万事解決するって」
なるほど。電話の相手の想像がつく――おそらく桜庭を好きな女の一人だ。大方、その相手にメッセージアプリで夜中に電話をされたから鬱陶しそうな顔をしていたのだろう。
その対策として以前、わたしに彼女のふりをさせる、という提案が桜庭からされていた。
確かに桜庭の周りの女性は減るだろう。とはいえ、間違いなく嫉妬に狂った女から何らかのアプローチがある。ヤクザの娘の策略で一人で殺し屋5人と相対したときは流石に怪我するかと思ったがなんとかなった。だが、それが日常的になると思えばげんなりする。それ以上に厄介なのが、桜庭が出してきた彼女のふりをするために必要なこと五箇条である。端的に言えば、これを守るとわたしは家から出られなくなるという制約である。何より、わたしに得がない。さすがに高級プリン食べ放題なら考えるけど。
というわけで、もちろん答えはノー。
「はいって言うわけないでしょ。わたしは平凡な人生と生活を送りたいんだから」
そういったわたしの決意を遮るように、またスマホの音がなった。
「またか。流石に電話じゃなくてメッセージだな」
「おんなじ人?」
「そうだ。見ろ、あのデカイのを」と心底嫌そうな顔をする。目線の先にはピザサイズの件のチョコレートがあった。「この女は今日お前の家にやってきて、オレにあのチョコレートを渡してきたんだぞ。オレはストーカーにも縁が多いが今回は中々だ。一応お前も気をつけておけ」
「アプリ見ていい?」
「ああ」
画面を覗き込み、わたしは背筋に電流が駆け抜けるのを感じた。ちらりと食べ終わったプリンを見て、「わかった」と無意識に呟いていた。
「いきなりどうした」
「わかったの。わたしのプリンを食べた不届き者がね!」
「また来たわ」の挨拶の代わりに寝ている弟の顔面にかかと落としした。幸せそうによだれを垂らして寝ている弟がずいぶんと憎らしい。寝ぼけまなこの弟は上体を起こして文句を言った。
「ねーちゃん、いきなりなんだよ! ていうか、扉開ける音とか気配とか一切しなかったけど?」
「そんなスキルは基本に決まってるでしょ。単純なことを言わせないで」
「やっぱり人間じゃないな」
ギロリと睨むと掛け布団にこもる弟。しかし、その方が危険だと気がついたのか、やがて亀のように頭だけ出してきた。隠し持っていたのか工事用のヘルメットを被っている。
「やっぱあんたが犯人だったのね」
びくり、と亀が揺れた。
「なんのことだよ、姉ちゃん。オレはプリンを食べてないぞ」
「ええそうね、あなたはプリンを食べていない」
「じゃあ、オレは無罪――」
そう言いかけた弟のヘルメットを掴んだ。逃がすものか、と言う意思を込めて強く握ると、ヘルメットに亀裂が走り抜けた。
「食べたのは、星見沙織ちゃん――そうよね?」
ひっ、と弟は息をのんだ。わたしは気分良く推理を披露することにした。
「あなたは沙織ちゃんにチョコレートを貰い、そして家の中に招き入れた。でもそこまでは問題がない。で、丁度お茶請けを探したあなたは、冷蔵庫の中にあるプリンを良いカッコするためにも沙織ちゃんに出した。そして、沙織ちゃんがそれを食べ、わたしのプリンが1つ消えた。あなたが一緒に食べなかったのは、わたしに対する恐怖があったから」
「で、でも、そんなの推測じゃないか! たくにーちゃんが食べていない理由にはならない!」
わたしはため息をついて、先程食べたプリンを弟の机の上においた。
「このプリン、何味か教えてあげようか? 『カスタード』なんだよ?」
「それがどうしたって――あっ」
「そう、プリン3つのうち、『カスタード』を除けば、残る味は『ココア』と『チョコレート』。両方ともカカオが原料として入ってるんだよ?」
桜庭はカカオが駄目。そんな男がわざわざ唯一の当たりであるカスタードを避ける理由がないのだ。
わたしは弟に言い逃れをさせる間もなく言う。
「あんたはプリンを食べる勇気がない。桜庭は消えたプリンは食べられない。よって、唯一プリンを食べることができるのは、沙織ちゃんしかいないのよ!」
ぐぅぅとうなる弟。
しかし、観念したかと思いきや覚悟を決めた顔をした。
「この推理には穴がある。オレが一人でプリンを食べたという可能性だ。恐怖を克服できる可能性だ!」
実際そんな可能性はない。今だって足は生まれたての子鹿である。どうなら弟は沙織を護ることにしたようだ。そうすることで、沙織に被害が及ぶのを防ぐつもりらしい。
しかし、その答えは失敗である。わたしが拳を振りかぶった瞬間に弟はベッドから地面に降り立って土下座した。
「気がついたようね。そう、どっちに転んでもわたしはあんたを木魚の刑にするということに。だいたい、事情を知らなかった沙織ちゃんに非があるわけじゃないし、手をだすつもりはないわ」
もし、実際に推理が外れていた場合、犯人は弟になる。その場合だと、わたしは木魚にする。逆に正解の場合、弟が沙織に出したということは弟の責任なのでどのみち木魚にする。
弟は観念したようで、
「お姉様の推理、すべて正解となります。誠に申し訳ございません」
「じゃあ、木魚の刑ね」
「しかし!」と弟は土下座の大勢から勝ちを確信した瞳を向けてきた。「ねーちゃんはオレは攻撃することはできない。なぜなら、ねーちゃんは、『もしあんたがプリン食べた犯人だったら、その空っぽの頭を木魚にするからね』とは言った。だがしかし、オレは食べていない。つまり! ねーちゃんはオレを木魚にすることはできないのだ!」
立ち上がって自慢げに言う弟に腹が立った。しかし、わたしは衝動にあらがった。
「じゃあ、その理屈を振りかざして木魚の刑は回避するってことでいい? 今なら、プリンを×3買ってくるだけで許してあげるけど大丈夫?」
「それでいいさ。どのみちおれは今金欠だから9000円も払えないしな」
「そう、なら、仕方ない。じゃあ、黙っておくのは辞めておくね」
わたしはそう言って自分のスマホを取り出し、
「これは、とある人たちの会話のスクショなんだけど」
わたしはこれの画面を弟に差し出した。この画面はわたしが桜庭に頼んで撮ってもらったメッセージアプリのスクリーンショットである。会話は、当然、桜庭と星見沙織である。
まず沙織は言う。
『どうでしたか、わたしのチョコ♡先輩を想って作ったんですよー』
この会話中、桜庭はすべて『そうか』しか返さないbotと化していた。人工知能と会話した方がまだ有益だといえる。しかし、どうやら沙織は気にした様子もなく、
『わたし、料理得意なんですよ♡先輩と結婚したら毎日美味しいご飯作っちゃいますね♡』
『チョコ、先輩のために取り寄せたものなんですよ♡やっぱチョコは手作りで溶かして愛情込めなきゃですよねっ♡』
などとひたすら流れるハートマーク。読み進めるごとに、弟の生気がなくなってゆく。
「料理、不得意、会話雰囲気、違う、はーと」
英単語の練習中のようにうわ言を繰り返す機械となった弟を流石に見ていられなくなったが、せっかくやり始めたことなので、徹底的にすることにした。
「ねえ、気がついてる? この最後のトークが入力された時間、午後10時29分52秒なんだ。『ありがとね! ふわぁ~。眠たくなったからそろそろ寝るねー』っていつ打たれたものだっけ?」
そして、例の巨大なピザ型の包みを渡す。弟はそれを震える手で開封すると、そのまま白目を向いて泣きながら気絶した。支える力がなくなり落下した衝撃で半分にわれたハート型のチョコレート。その上には文字が書かれていた。
『拓哉くん♡星見沙織』
弟用にチョコレートを詰めた袋を隣に、アーモンドクッキーを向かい合ってその反対側に置くと、お供え物のようであった。わたしは落ちていた工事用ヘルメットを弟にかぶせ、持参していたラップの筒でポクポクポクポクと何度か叩く。机の上のグラスを鉛筆で叩くと「ちーん」という音がした。そしてわたしは合掌した。
弟は桜庭に近づくために沙織に利用されたのだろうとは流石にもう言えなかった。
翌日、高級プリンがなくなったことを嘆いていると、桜庭がプリンを買ってきてくれた。どうやら、あのプリンの製造であるブロッサムガーデンは、桜庭の父親が率いるグループ会社の1つだったらしい。すなわち、将来的には桜坂拓哉が継ぐ会社であった。
知人価格で買えるかどうか桜坂に聞いたところ、条件を飲めば好きなときにあのプリンを食べさせてくれるらしい。
五箇条抜きで、単に彼女のふりだけでいいという。
答えは言うまでもない。
わたしはもちろん。