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ガラスの魔王  作者: 久陽灯
第二章 ガラスの魔王
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第19話 目覚め

 セトは目を閉じて闇を漂っていた。

 ここはひどく居心地がいい。

 ふわふわして、まるで空に浮いているようだ。

 何の音も聞こえず、誰も彼の邪魔をしない。


 さっきまで凍えていたのが嘘のようで、身体のけだるさもすっかり消えている。

 さっき? さっきは一体、何をしていたのだっけ?

 大事なことをしていたような気がしたが、思い出せなかった。

 きっと取るに足らないことだったのだろう。

 セトはそのまま、心地いい暗闇で眠りにつこうとした。


 と、ガツン、という音が遠くから響き、彼のとろとろとした眠りは中断された。

 何か硬いものを打ち砕いているようだ。

 断続的なその音は、どんどん大きくなる。

 何度目かで、彼は鬱陶しくなった。

 いまだかつてないような、この優しい平穏を乱すものは何なのだろう。


 薄目を開けて確認すると、目の前に大剣が打ち込まれていた。

 彼はぎょっとして目を見開いた。

 いや、彼の顔の前には分厚い透明なガラスの壁がある。

 まるでガラスの棺に入っているようだが、それを乱暴に剣で壊されているらしい。

 と、そのとき身体の周りを取り囲んでいたガラスが粉々に砕け散り、剣は彼の顔すれすれでぴしりと止まった。


「いやあ、危ない危ない」


 呑気そうな声が聞こえ、彼の顔から剣がさっと遠ざけられた。

 そこは、石柱がいくつも水面からつきだしたような廃墟のように思えた。

 濃い緑色のつたやこけが廃墟の白い石柱に絡みついている。

 架空領域の魔術を思い出させるような、静かな何の音もしない空間だった。

 魔術で作られた黄色い小さな太陽を遮るように、この世の何よりも赤い髪が、さっと風になびく。

 面長の顔に碧色のつり目でにやっと笑う、真っ赤な軽装鎧を着た女戦士がそこにいた。

 処刑されたときのやつれた面影はなく、健康的でつやつやとした頬をしている、十五、六歳の少女だ。


 セトは、口を開けたまま言葉を忘れていた。

 彼女だ。

 英雄赤騎士こと、マリアン・オリンピア。

 双子だとしてもこんなに似ていることはあり得ない。

 マリアンがひざまずき、セトに手を差し伸べてきた。


「おい、しっかりしろ。お前を起こしに来てやったんだから」


 彼女の手を取り、セトは夢うつつのままに身を起こした。

 その途端、全ての記憶が蘇ってきた。

 女王の処刑。ロゼとの逃避行。

 そして、ついに自身が魔王になってしまったこと。


「……どうして、貴女が?」

「石から出られたからな」


 そのとき、彼は破壊された床に転がっているペンダントに気付いた。

 ミスリルの蓋が壊れ、そのそばに、ひび割れた紅の魔石が転がっている。

 ヒビからは、薄い煙が立ち上り、しゅうしゅうと音を出しながら確実に小さくなっていた。

 セトは愕然として、魔石に駆け寄った。

 あの鳥の言ったとおり、魔石の術は安定していなかったのだ。

 パキリ、と音がして小さなヒビがまた一つ増える。

 セトは慌てて両手で魔石を掴んだ。

 消える。

 消えてしまう。

 魔石がなくなれば、彼女の魂も永遠に消えてしまうだろう。


 どうする、どうすればいい?


 セトは、魔石を元に戻す方法はないものか、とおろおろしていた。

 が、当人のマリアンは至極落ち着きはらって、座ったまま興味深そうに尋ねた。


「で、ここはどこなんだ?

 凍った湖みたいな地面の底でお前が眠っているのが見えたから、剣で割ってやったんだが」


 彼は思わず振り向いて確認した。


「……普通の剣で?」

「? それ以外、何か方法があるか?」


 きょとんとした表情に、彼は思わず笑い出したくなった。

 魔力の根源を物理で割るなど、普通の人間にできる芸当ではない。

 彼女の魔力で強化された馬鹿力あってのことだ。

 どうしてこのひとは、いつも誰もが無理だと思うことを、何の疑いもなく行動に移してしまうのだろう。


「……ここは、多分私の精神の一部だと思う。

 ごめん。約束は守れなかった」

「みたいだな。だが、まだ全て終わったわけじゃない」


 彼女の強気な笑みを、セトは悲しい気持ちで眺めた。

 やはりこのひとは馬鹿だ。

 何が起こったのか、まるで分かっていない。

 全て終わりだ。

 ここは魔王の心の奥底。

 セトが精神の中で目覚めたとしても、外界には干渉できない。

 ロゼを守ることもできず、後に英雄と呼ばれるであろう誰かに殺されるのを待つばかりだ。

 マリアンの魂を閉じ込めておいた魔石だけでもどうにか救いたいが、それさえ、どんどんひび割れて小さくなっていく。

 ここまで小さくなってしまっては、もう戻すことさえ敵わないだろう。

 セトは思わず、マリアンにとりすがった。


「……どうすればいい? 貴女のいない世界でなんて、生きていけない」

「お前は生きてくれ。私は向こうで、ずっと待っているから」


 耳元でそう囁かれ、セトは叫んだ。


「嫌だ! 私も一緒に連れて行ってくれ」


 回した腕に力がこもる。

 が、彼女は女王然として言った。


「命令するのはこの私だ! おまえは、生きろ」


 セトは腕を緩め、碧色の瞳と見つめ合った。

 僅かに微笑みをたたえたその瞳に、彼は静かに微笑み返した。


「ひどい人だ。あなたはいつも自分勝手なんだ。

 私には死すら許してくれない」

「あの子を放っていく気か? 私が託したあの子を」


 マリアンが、激励するように彼の肩を嫌というほど叩いた。

 その瞬間、セトの耳に誰かの泣いている声が微かに聞こえた。

 ロゼの声だ。

 泣きながら、戻ってきて、と叫んでいる。

 思わず、彼はマリアンに尋ねていた。


「どうやって戻ればいい?」

「お前はすでに目覚めている。

 後は、魔王を眠らせればいいだけだろ?」


 相変わらず、まるで綱渡りをしながら宙返りくらいできるだろうとでもいうふうに、難しいことを気軽に言ってくれる。

 それでも、楽観的なその言葉に、セトは充分救われた。

 彼は立ち上がり、呟いた。


「……杖は出せるだろうか」

「やってみろ。手伝ってやる」


 セトの手に、暖かいマリアンの手が重ねられた。

 二人で声を合わせ、呪文を唱える。


『真の心よ、来たれ我が手に』


 光の粒子が立ち上り、黄金の杖がセトの手のひらに現れ出た。

 黄金の鳥は、物珍しそうに二人を見て言った。


「おお、王女様じゃねえか!

 まさか、復活したんじゃないだろうな」

「残念だが、お前ともしばしお別れだ」

「……だろうな」


 寂しそうに言うマリアンに、杖が言った言葉はそれだけだった。

 贄を使わない魂の魔石は安定しないということを、ロッドは初代魔王に使われていたときに学んだのだろう。

 だから、あのとき必死で止めたのだ。

 魂の魔石を作るのは、ただ一時、延命するだけの力しか持ち合わせていない行為だと。

 セトには、今それがひしひしと伝わってきた。

 彼は杖を握りしめ、ロッドに向かって言った。


「悪いが最後に、もう一働きしてくれ。

 肉体分離と精神包括を同時に行う」


 いきなりとんでもねえな、と杖が素っ頓狂な声で言った。


「できるのか? 自信はあるんだろうな?」

「……ない」

「おいおい」


 自分自身が魔王になった場合、セトはどうすればいいのか。

 それも、長年彼が研究してきたことだった。

 だが、魔王になったことのない彼にとって、いくら書物を読み理論を積み上げたところで机上の空論に等しい。

 しかし、一つだけ、使えるかもしれない方法が禁術の書に書かれていた。

 精神と肉体を無理矢理引きはがして、もう一度結びつけるという古代の魔術だ。

 かなりの力業だが、これで魔王の精神を押さえ込むことができたなら、セトは自分の身体を取り戻せるはずだ。

 ——そう上手くいくものではないとわかっているつもりだが、それしか方法がない。


 英雄赤騎士が、手を添えたまま力強く言った。


「私の魔力も使え。

 そうすれば、少しは勝算があるかもしれない」

「だめだ。そんなことをすれば……」


 死んでしまう、と言いかけてセトは口を閉じた。

 彼女は、何もしなくてももうすぐ死んでしまうのだ。

 その表情を読んだように、彼女は手に力をこめ、セトの耳元で囁いた。


「私は死ぬわけじゃない。

 いつだって、おまえの心の中にいる」


 そして、はつらつとした声で促した。


「さあ、呪文を!」


 セトはうなずき、静かに長い呪文を唱えだした。

 杖の先が明るく輝き、精霊の唱和が立ち上る。

 セトの手の中にあった魔石は、輝く赤い煙となって彼の周りを取り囲んだ。

 重ねられた温かい手はいつの間にか消え失せる。

 それでも、彼は呪文を唱え続けた。

 精霊の唱和はますます高まり、トランペットのように高く鳴り響いた。

 ふいに閃光と共に衝撃がはしり、セトは目がくらんで倒れた。







 魔王は遠吠えの度に家々をガラスに変え、村はほとんど壊されていた。

 が、ロゼを抱えて馬に乗り込み、思い切り走り続けていた兵士は、家屋が壊れる音がしなくなったことに気づき、馬を止めて後ろを振り向いた。

 魔王は中央広場に陣取り、ガラスの巨大な破片を従えながら佇んでいた。

 だが、先ほどから遠吠えは聞こえず、彫像のようにじっとしている。


 と、ぱきり、と何かが崩れる音がした。

 六つの瞳から、ガラスの鱗が伝い落ちてくる。

 それは、魔物が流すはずのない涙を流しているように見えた。

 と、身体や尻尾からも、鱗が続々と剥がれ落ち始める。

 鱗と共にひび割れていく身体が支えきれなくなってきたとき、ついに、三つの首が咆哮を上げながら落ちていき、地面に当たって粉々に砕けた。

 彫像が崩れ落ちていくように、幾千の皿が同時に割れるような音を立てながらガラスの魔王が崩壊していく。

 ロゼやヴェルナースの兵達は、あっけにとられてそれを見守っていた。






 いつの間にか、雲間から見える太陽の光は黄色に戻っていた。

 ガラスの破片の中に、ぽっかりと丸く地面が空いている場所。

 そこに、薄汚れた緑色のマントを羽織ったセトが、うつぶせで横たわっていた。

 ヴェルナース兵が、恐る恐る隣の兵に尋ねた。


「あれ、死んでるのかな?」


 そのとき、ぴくりと彼の手が動いた。


「セト!」


 ロゼはそう叫ぶと、ヴェルナース兵の馬から身を捩って飛び降りた。


「おい、油断するな、危ないぞ! 魔王の罠だ!」


 ヴェルナース兵の止める声を聞かないままに、ロゼは、猛然と走り始める。

 セトがゆっくりと膝立ちになったとき、ロゼが首に飛びついてきた。

 彼女は泣きながら、満面の笑みを振りまいている。


「戻ってきてくれて、ありがとう!」

「私こそ、すまなかった」


 セトは小さな身体をぎゅっと抱きしめる。

 そして、半分壊れてしまったペンダントをロゼの首にかけてやった。

 先ほどより、体調はずっとよくなっている。

 立ち上がり、ぐるりと周りを見渡すと、ヴェルナース兵が数人、馬に乗っている以外、村にはガラスの荒野が広がっていた。

 セトは、ロゼをしっかりと抱え上げると、口の中で杖を出す呪文を唱えた。


 気を取り直したヴェルナース兵が走り寄ってきたが、彼の方が一歩はやかった。

 何もない場所から杖をとり出すと、高らかに次の呪文を唱える。

 魔気が立ち上り、精霊の唱和と共に、彼の背中から黒い翼が飛び出した。

 ヴェルナース兵がたどり着く前に、二人は光差す空に舞い上がった。

 そして、垂れ込める雲の隙間を目指し、高く高く飛んでいった。

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