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ガラスの魔王  作者: 久陽灯
第二章 ガラスの魔王
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第18話 魔王

 ロゼは、なかなか帰ってこなかった。

 井戸を探してどこまで行ったのだろう。

 セトは気を揉みつつも、動かなくなった身体を呪いながら待っていることしかできなかった。


 渾身の力をこめて彼は寝返りをうち、ぼんやりと教会の天井を見上げた。

 この村は、街道から外れているわりに豊かだったらしい。

 教会の入り口近くにあるバラ窓からは、褪せることのない美しい色ガラスで描かれた天使たちが優雅に微笑みこちらを見下ろしてくる。

 バラ窓の弱々しい光は、奥にある大神タクトの白い石像を微かに照らしていた。

 光は神を輝かせ、その下にうち倒れているものには届かない。

 当然だ。

 光はいつだって正しいものを照らすのだから。

 熱と寒さに震えながら、彼は心の中で密かに笑った。

 思い出したのだ。

 この教会も、廃村と共に忘れられた存在だということを。

 どれだけ賞賛し祭り上げていたとしても、彼らの民はやがてそれを忘れて去って行く。

 忘れられた神像は、英雄の末路と同じく哀れに思えた。


 しかし、大理石でできた白い布を被るタクト大神は、それでも超然とした笑みを浮かべていた。

 すました顔をして、片手を上げ、信じる人々を救おうとしている神像。

 セトに今更神を信じる気はなかった。

 所詮異教徒を、しかも魔術教さえ破門されたセトを救ってくれるほど、タクト神は慈悲深くない。

 自らの信徒さえ処刑台に送る残酷さを持ち合わせているのだから。

 そして罪のないロゼの命を奪おうとする奴らから、彼女を救ってもくれないのだ。


 と、そう考えていたとき。

 地の底から出てきたような低い声が、彼の耳に届いた。


『王女に罪はない、だと? 彼女の手も既に汚れているだろうに』


 一体、だれが話しているのだろう。

 セトは首を回して他に誰かがいるのか確かめようとした。

 しかし、薄暗い廃教会には誰の姿も見えない。

 再びその声が響いた。


『今はあの王女こそが、業を持つ存在だ』

「……あの子は関係ないだろう!」


 どの方角から聞こえたのか皆目分からなかったので、彼は力を振り絞って精一杯叫んだ。

 答えたのは、低く長い嘲笑だった。

 笑い終えた後、声はこう言った。


『お前が殺した人々の家族も、今お前と同じことを思っている』

「私のことはどうでもいい。好きなだけ憎んでくれてかまわない。

 ただ、女王のとの約束のためにやったことだ!」

『お前は、女王のために殺したというのだな?』


 まるで無知な子供を諭すように、声は静かに続けた。


『だから女王は死んだのだ。

 お前が、女王のために人を殺す度、お前は女王に人殺しの業を押し付けた』

「違う」

『お前だけじゃない。

 何百人もの王党派や兵達が、女王のために命を絶った。

 だから女王は処刑された。全ての業を背負って』

「違う」


 セトは苦しい息の下から繰り返した。

 声は面白そうに答えた。


『違わない。

 さあ、お前は今度の旅で何人殺した?

 お前が殺すことで、かけがえのない人を失った者は幾人いるだろうな?

 その者の怒りはお前にも向かうだろう。

 だが、そうさせた、あの王女へも向かうのだ』

「やめろ、もうやめてくれ!」


 セトは絶叫して耳を両手で塞ぎ、目を閉じた。

 だが、その声はますます大きくなった。


『耳を塞ぐがいい。目を閉じるがいい。

 私の声は聞こえるだろう?

 女王は既に処刑され、憎むべき対象は既に他へ移った。

 あの赤毛のかわいらしい王女様も、背中に幾人もの業を背負わされて死ぬだろう。

 そして、最初に背負ったのがお前の業だ』

「黙れ!」

『黙らないさ』


 声は、セトがとうに分かっていたことを静かに告げた。


『私はお前であり、お前は私なのだから』


 彼は胎児のように丸まって、自分を抱きしめるように腕を交差させ、両肩を強く握った。

 あのひとが、笑っていてくれるだけで。

 おとぎ話の最後のように、いつまでも幸せに暮らしてくれるだけで。

 ただそれだけで、よかったのに——






 ロゼは、よいしょとかけ声をかけて、その細く小さい腕で抱え上げられるぎりぎりの大きな石を持ち上げた。

 たぶん、もとは家の壁に使われていたものだろう。

 彼女はよろよろと進み、それを同じく石造りの井戸の中にえいっと放り投げた。

 井戸の底で硬いものに当たる鈍い音が鳴り、ロゼはしゅんとなった。

 また失敗だ。

 が、その後、ぱりぱりという微かな音が聞こえ、彼女はぱっと顔を上げた。

 小さなその音は、やがて遠雷のようにごぼごぼという水音に変わる。


「やったあ!」


 彼女は井戸をのぞき込み、分厚い氷がやっと割れたのを見て、飛び跳ねるほど喜んだ。

 井戸は街の大通りの隅ですぐに見つかった。

 しかし人が普段使わないせいで、井戸の表面に氷が張り、使いものにならなくなっていたのだ。

 そのおかげで石を落として氷を割る作業に時間をとられてしまった。

 手袋は汚れ、マントの肩は雪で真っ白になってしまったが、これでやっと水が汲める。

 ロゼは半分凍り付いた桶を井戸の縁から力任せに引きはがすと、中に放り込んだ。


 そのとき、思いがけない場所から蹄の音がした。

 振り向いたロゼは、恐怖に目を見開いて立ちすくんだ。

 通りの向こうから、二本の角の兜を被った人々馬に乗ってやってくる。

 ヴェルナースの騎兵だ。

 ロゼと見つめ合った後、数人の兵が指さして叫んだ。


「赤毛の女の子だ!」

「王女だぞ!」


 ロゼはスカートをたくし上げて教会へ走り出しそうとしたが、ふと足を止めた。

 所詮馬には敵わない。絶対に追いつかれてしまう。

 彼女は教会のバラ窓を一瞥すると、くるりと背を向けて逆方向に走り始めた。






 しばらく荒い息をついて目を閉じていたセトは、外の喧噪に気付いて目を開けた。

 蹄の音や荒々しい声が廃村を満たしている。

 彼は耳を澄ませ、そして嫌な予感が現実のものとなっていることを知った。


「魔術師はまだ遠くへは行っていない! よく探せ!」

「あの様子だと、まだ魔術は使えないはずだ! だが、ぬかるなよ!」


 ロゼの泣きわめく声も聞こえてきた。


「どうして? ロゼはここにいるよ! ロゼだけを連れて行ったらいいじゃない!」


 セトは思わず立ち上がろうとして、がくりと膝をついた。

 そのままずるずると這いずるように、教会の中央通路を進む。

 兵士達の粗野な声が一層大きくなった。


「どこに隠れている、小僧!」

「……私はここだ!」


 聞こえたのかどうかは分からないが、そのとき教会の扉が乱暴に開かれた。

 二本の角が特徴的な兜を被った大柄の兵士が、扉の向こうからこちらを見つけて睨みつけた。


「ここにいたぞ!」

「だめ!」


 ロゼが、教会の扉の前に立っていた兵士の前に立ちはだかった。

 セトは膝をついたまま、両手を上げて強面の兵士に思わず懇願した。


「やめてくれ、その子を奪うのだけはやめてくれ!

 あのひととの約束なんだ。

 絶対守らなくちゃならない、たった一つの約束なんだよ!」


 しかし兵はセトの絶叫に構ってはくれなかった。

 逆に、王女は餌になるとふんだらしい。

 兵はロゼを乱暴に押しのけると、その腕を捻って小脇に抱えると、大きな剣を抜き放った。


「さあ、杖を出さずに、大人しく出てこい。

 でないと、この王女様がどうなるか分かっているだろうな!」


 王女の柔らかそうな喉元に剣が突きつけられたとき。

 やめろ、と言ったつもりだった。

 しかし、それはもう、声ではなかった。

 およそ人ではないものの咆哮を上げていることに、セトは自分自身気付いていた。

 爪は長く伸びて尖り、差し伸べた腕には透明な鱗がびっしりと張り付いていく。


 ——だが、もう、どうでもよいことだ。

 この世から、彼の存在理由がなくなってしまうのだから。





 窓の色ガラスが、渦巻く魔気に押され、全て吹き飛ぶように割れた。

 そこから不気味な青い光が差し込んでくる。

 太陽が青い、と外の兵士達が騒いでいるが、教会の扉の前でロゼを小脇に抱えている兵士は、それを確認する余裕がなかった。

 教会の中央通路で倒れた魔術師が、金切り声のような耳障りな音とともに、全身を氷のような物体に覆われていくのを固唾を呑んで見ていたからだ。

 この魔術師が杖を使っているそぶりはない。

 そもそも、魔術はまだ使えないから安心して探せ、と連盟の魔術師から今朝方言われたばかりだ。

 やはりこいつは魔王なのか。

 彼はこの魔術師が異様な変化をとげていくのを、逃げることすら忘れて見入っていた。

 結晶が積もるように透明な鱗が重なり、身体がどんどん大きくなる。

 兵士はぽかんと口を開けたまま、目線を上げた。

 ちょうど首ができたところだった。

 その姿は、狼に似ていた。しかし、三つの顔と竜のような尻尾がついている。

 青いガラスの鱗でできた魔物だ。


「ガラスの魔王だ……」


 兵士は、開けたままの口から声を発した。

 それに応えるように、三つの頭が同時に遠吠えをした瞬間、ビリビリという轟音とともに教会の屋根が透明なガラスとなって崩れ落ちた。

 危ういところで、兵士は扉の向こうへと飛びさすり事なきをえた。

 だが、屋根より高い位置から、六つの青い瞳がじっとこちらを見下ろしている。

 ロゼは呆けたように魔王を見上げている兵士の腕を抜け出して、異形の魔物に手を差し伸べた。


「セト、戻ってきてよ!」

「無駄だ、あんなの元になんて戻るか!」


 兵士は慌ててロゼを抱え上げようとする。

 だがロゼはちょこちょこと魔王に向かって走り出しながら、ペンダントを首から外して掲げた。


「ねえ、これを見て! 思い出して!」


 くわっと真っ赤な口を開き、恐ろしく巨大な牙を見せて魔王の口の一つが迫ってくるが、ロゼは怯まなかった。

 だが、兵士に腕を掴まれて後ろへ引き戻される。

 その瞬間、ロゼの先ほどいた場所で、牙と牙とが噛み合わさった。

 数本の赤毛とペンダントの鎖が引きちぎられ、魔物の口の中に入る。 


「本当に、わからないの?」


 ロゼが絶望的な声で囁くように言った。


「あんなものに言葉がわかってたまるか!」


 彼女を抱え上げて走り出した兵士のすぐ後ろでまた金属音のような不快な遠吠えがして、今度は教会の壁がガラスの破片となって崩れ落ちた。

 魔王は既に目覚めてしまった。

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