第12話 シハク村
翌日、分けてもらった食料を山羊に積み込んで、彼らは北を目指した。
セトの飛行魔術でロゼを抱えて飛ぶことはできても、さすがにシェンリーまで持ち上げて飛ぶのは難しい。
それならば多少山羊がゆっくり歩いたところで、ヴェルナースへ着く時期は変わらないだろうという判断だ。
森が途切れる場所までは、山賊達が馬で送ってくれることになった。
ローシュとセトは道中、まだティルキアが王都だった頃のことについて、細かいところまで話の花を咲かせた。
カニの串焼き、行きつけの酒屋カモメ亭のシチュー、王都を突如取り囲んだ古代竜の群れ。
思い出は尽きないが、現実はいつも終わりを迎える。
森が終わり、木々がまばらに生えている場所に出ると、ローシュは名残惜しそうな顔をしながらも、馬で送れる場所はここまでだと語った。
ここからは、馬も入れないような悪路が続くらしい。
「では、さらばだ、友よ!」
ローシュは芝居がかった調子で帽子を取り、赤毛の頭を下げて仰々しくお辞儀をすると、白馬に鞭を当て、颯爽と来た道を駆けていった。
彼に従って、他の山賊達も次々と別れの言葉を述べて去って行く。
「いい人達だったね」
ロゼが満面の笑みを浮かべてセトを見上げた。
「私たちにとってはいい奴らだった」
彼は複雑な気持ちで山賊を讃え、今から登る白山を厳しい目で見上げた。
森の木陰が途切れてはじめて、灰色の空に大きな山の影がいっそう高くそびえ立っているのがわかる。
白山への道はただ一つ。
低い木々の間にある石ころだらけの長い上り坂だ。
最初はまだ平坦だった傾斜が、一刻一刻経つ度、徐々に急になっていく。
シェンリーは息を切らし、ロゼの口数も自然と少なくなった。
それでも、疲れたなど一度も言わないところがかえってけなげだった。
彼らは延々と脚を動かし、ときに下草に危うく足をとられそうになりながら登り続けた。
やがて、背丈より高い木々すら減ってきた。
そのかわり、背丈ほどもある岩がごろごろと転がっている荒れ地が姿を現す。
敵もいないかわりに、何か生き物が感じられる気配もない。
まるで世界の果てだな、とセトは知らず知らずのうちに思った。
獣道は歩く度に細くなり、ときに片側が絶壁のような急斜面になって、山羊も落ちそうなくらいの道幅を三人は進んだ。
と、冷たい風とともに白い粒がセトのマントに落ち、ふわりと融けた。
「降ってきたな」
セトは険しい顔で灰色の空を見上げた。
ちらちらとみぞれのような雪が舞う。
今はまだこの程度だが、山の天気は油断できない。
セトは山羊の首につけられた綱を引っ張ると、シェンリーに手渡した。
そして、自分は杖を取り出して物理防御の呪文を唱える。
そもそも矢や投石をはじくための魔術の壁だが、上に向けて使えば透明な屋根となり、雪に当たることはない。
山羊を含む全員が収まった半円形の魔術壁を、ある程度溜まった雪が滑り落ちていく。
「なるほど、魔術師との旅は便利ですね」
シェンリーが感心したように言った。
「いいか、魔術は便利な道具じゃない。立派な学問……」
「うわあ、便利なの〜」
セトの言葉は二対一で遮られたので、彼は諦めて歩みを進めた。
雪は次第に激しくなり、地面は瞬く間に白いベールに覆われる。
獣脂が染みこんだ革のブーツを買っておいてよかった、とセトは改めて思った。
さくさくと軽い雪を踏みながら、彼らは細い獣道を登っていった。
どのくらい登っただろうか。
ロゼの黙っている時間が多くなり、歩みが目に見えて遅くなったので、セトは不思議に思った。
慣れない登山で疲れているのだろうか。
もうそろそろ目的地にたどり着く頃だが、それまでに一度休んだほうがいいのかもしれない。
しかしこの吹雪の中、休めるところがあるかどうかは疑問だった。
「ロゼ、大丈夫か?」
そう尋ねても、ロゼはどんよりとした目でセトを見て頷くだけだった。
顔が赤くなっているようにみえたので、セトは雪の中で膝をつき、ロゼの額に手を当てる。
彼女の額は燃えるように熱かった。
「熱が出ているじゃないか!」
「ねつがでているの?」
ロゼはぼうっとしたようすで、おうむ返しに呟いた。
既に、意識が朦朧としているようだ。
その声はひどく掠れている。
喉に手を当てると、そこも熱い。
どうやら、たちの悪い風邪をひいてしまったようだ。
セトは杖を持っていないほうの手で彼女を抱え上げると、今までよりもっと早く歩き始めた。
山羊をひいているシェンリーが途方に暮れたように呟いた。
「どこか、休むところがあればいいんですが」
「大丈夫。もうすぐ着く」
そう言いながら、セトは足を出来るだけ早く動かした。
シェンリーが息を切らしながら後に続く。
「いったい、こんな山奥のどこに休むところがあるんです?」
「この先に村がある」
「こんな辺鄙な場所に?」
と、雪が降りしきる中、岩場を越したとき。
ざり、と足の下で何かが滑った。
雪の下の石に足を取られたらしい。
セトは危うくロゼを落としそうになり、慌てて平行を取り戻した。
そして、今までの岩とは明らかに違う、両脇に灰色の石壁が続く雪道を見つけた。
杖を持つ手が震えた。
白山の中腹に、村は一つしかない。
ここがシハク村に違いなかった。
雪の重みで屋根は全て落ち、白い雪の中に埋まっている。
かつて村だったという証は、規則的に詰まれている灰色の石壁だけだ。
シェンリーが放心したように壁に寄りかかった。
「村人はここを見捨てたのか?」
「……そうだろうな」
どうして村がなくなったのか、セトも詳しいことは分からない。
ただ、心当たりはあった。
大洞窟への贄が滞り、村に災いが起きることを怖れた人々が村を捨てたのだ。
どこか、身を寄せられそうな場所はないか。
彼はきょろきょろとあたりを見回し——そうして、心の底から記憶をたぐり寄せた。
「……禊ぎの間へ行こう」
自分の口からその言葉が出てきたとき、彼は自身のことながらぞっとした。
幼い頃の記憶がまだ記憶の隅に残っていたのだ。
両脇に石組みが積まれた道を急いで登っていくと、大きな三角形の中に丸い文様を入れた背丈ほどもある像が姿を現した。
もっとも、台座部分は雪に埋もれていたが。
この巨大な像は、魔術教のシンボルだ。彼はこれにも見覚えがあった。
記憶通り、しばらく歩くと垂直の黒い崖が見え、その岩肌の下には人一人通れるくらいの洞窟が口を開けていた。
大洞窟に入る前に暗闇に慣れるため、かつてここで数ヶ月過ごしたことがある。
ロゼを背負ったセトはするりと入り口に入り込むと、ランプを掲げ、明かりの呪文を唱えた。
ぱっと中が照らされて、数人は楽に入れる洞窟の中が見える。
きめ細かに整えられた岩肌は、この禊ぎの間が人の手で掘られたことを示していた。
「どうしてこんなところを知っているんです?」
山羊とともに後から入って来たシェンリーが不思議そうに尋ねた。
「私は、この村の生まれなんだ。
幼い頃に離れたけれど、結構覚えているものなんだな」
セトがそう言うと、シェンリーは初めてほっとした顔つきをし、山羊の荷物を下ろしながら言う。
「しかし、禊ぎの間とはなんですか?」
「……後で話す。それより、ロゼの看病が先だ」
セトはてきぱきとロゼの帽子や上着を取り、毛布にくるんだ。
そして古びた鞄から風邪に効く煎じ薬の小瓶を取り出し、一口飲ませてやった。
氷嚢代わりに皮の水筒を額に置いてやると、彼女はどんよりした青い瞳でセトを見つめて呟いた。
「ママはどこ?」
旅に出てからロゼが初めて口にしたその言葉に、セトは頭から冷水を浴びせかけられたような気分を味わった。
ロゼはたったの六歳だ。
母親と引き離され、よく知らない人々に連れ回されているのに、心細くないわけがない。
旅の途中の陽気さは、寂しさを紛らわせるためだったのだろうか。
早くヴェルナースに行くことにばかりかまけて、ロゼの気持ちなど考えもしなかった自分に気づき、セトは激しく後悔した。
シェンリーも、マントとブーツを取りながら、どう言ったものかと考えあぐねてロゼを気の毒そうに見ている。
「ママは?」
もう一度聞かれて出てきた言葉は、自分でも意外なものだった。
「……そうだ。ママにもう一度会えるまで、勇気の出るペンダントを貸してあげよう」
「ゆうきのでるペンダント?」
また、ロゼがおうむ返しに繰り返す。
セトは首から丸い魔石入れのペンダントを外した。
ヴィエタ帝国の紋章が付いている、正真正銘のミスリル製のペンダントだ。
昔、マリアンがセトにくれたものである。
「これはロゼのママが見つけたペンダントなんだ。
君のママは勇敢だった。
このペンダントを持つと、ママの勇気がロゼに宿る。
大丈夫、熱もすぐに下がる」
意味を理解したのかは分からないが、ロゼはにこっと笑って手を出すと、そのペンダントを受け取ってぎゅっと抱きしめた。
しばらく毛布の上からなでてやると、彼女はペンダントを握りしめたまま、安心しきったようにすうすうと寝息を立て始めた。
一段落すると、セトは火の魔石で赤々と燃える火を起こした。
その周りに皆の雪の付いたブーツやマントを置いて乾かしながら、シェンリーとともに味のしない干し肉をかじった。
山羊にも背負ってきた干し草を与えると、隅でもぐもぐと食べ出す。
やがて、干し肉を食べ終えたシェンリーが尋ねた。
「それで、ここは一体、どういう村だったんです?
なんだか不気味なところですが」
「……ここ、シハク村は暗黒時代から魔術師たちの隠れ里だったんだ。
この禊ぎの間も、魔術の儀式を行う場所だった。
白山には、山を穿つ大洞窟がある。入口はこの村のすぐ近くだ。
枝分かれした道の一つは、ヴェルナースへも続いている。
ロゼの病気が治ったら、大洞窟に入ろう。山を登るよりは近道だろうし」
シェンリー口を尖らせて首を捻った。
「しかし、大洞窟なのでしょう? 中で迷いませんか?」
迷う。
言われて初めて、そんな概念がなかったことに驚き、同時に背筋がぞっとした。
彼の頭には既に精巧な地図が出来上がっている。
上下、左右に枝分かれした洞窟の道筋。
罠が仕掛けられた大通りに、ヴェルナースへ続く細い枝道。
そして、絶対に誰にも入られてはいけない部屋。
いつ、どこで、どうやって覚えたのか。
全くわからないが、大洞窟を彷徨っていたときに覚えたのかもしれない。
それは、自分でも不思議な感覚だった。
「……多分、道は覚えている」
セトは、自分でも驚いた部分を伏せて語った。
「洞窟は十年に一度、子供の贄を求める。
この禊ぎの間で暗闇に慣れた子供は、六歳になると大洞窟の奥に置き去りにされるんだ。
その子は洞窟から帰ってきてはならない。
帰ると村全体に災いが降りかかる」
セトは言葉を切ると、息を吸って告白した。
「私はその『洞窟の子』だった」
「まさか、あなたも置き去りに?」
シェンリーが驚いた様子で目を丸くする。
「そのときはこの風習がおかしいとも思わなかった。
小さいときから、お前は『洞窟の子』だと言い聞かされていたし、親の顔も知らない。
私は贄になるためだけに生まれてきたはずだった」
「では、どうやって帰ってきたんです?」
セトの脳裏に、銀髪をなびかせた魔術師の姿がありありと浮かんだ。
幼い彼の手を取って、再び地上に連れ出してくれた救世主の魔術師だ。
「魔術師連盟から派遣されたリュシオン先生が、洞窟から連れ出してくれた」
未だに野蛮な贄の風習があるというのは、魔術師連盟にとっては不名誉なことだ。
だからそれを止めさせるために来たのだ、と、彼は後に説明を受けた。
それでもセトにとって、リュシオン先生は救いの神であり、生涯英雄であり続けた。
と、シェンリーが不意に真面目な顔をして言った。
「いいのでしょうか」
「何が?」
「私が、ヴェルナースについていって、ですよ。
「ここまで来ておいて。
皆で行ったほうが楽しい、と王女も言っていただろう」
セトはそう言うと、ロゼの額の水筒を取り、手を当てた。
まだ少し熱いものの、先ほどよりは随分ましになっている。
風邪薬が効いたのかもしれない。
外に出て、水筒に雪をつめてもう一度ロゼの額においてやり、セトは乾いた岩壁に頭をもたせかけた。
しかし、シェンリーはまだ話足りなかったらしく、彼が寝る支度をしているのにぼそぼそと話しかけてくる。
「私は助けられてばかりです。何の役にも立っていない」
「私を負ぶって歩いてくれたじゃないか」
いつの間にか、山羊も隅で立ったまま寝ている。
セトは山羊を指さした。
「見ろ、あいつのほうが賢い。私たちも、寝られるときに寝ることにしよう」
シェンリーはため息をつき、乾いたマントを身体に巻き付けて横になった。
セトも説教をした手前目をつぶったものの、なかなか寝付けなかった。
明日、ロゼの風邪が治っていれば大洞窟へ入ることになるだろう。
彼は故郷へ戻ってきたのだ。




