第8話 魔術戦
屋根の穴から飛び出た直後、彼は四つの魔気に取り囲まれていることに気付いた。
月を背に、空中に浮いている影が二つ。
そして、セトの真後ろにもう二つ。
「随分と派手な術を使ってくれたな」
凍るような月の元、とりわけ大きな翼を背負った人影がそう言った。
聞き覚えのある声。フェルディだ。
街中で回復魔法という大技を使われた以上、出てこざるを得なかったのだろう。
「言ったろう。私は、余計なことに首を突っ込むと」
セトがそう言うと、小さく舌打ちの音が聞こえた。
もう一人、彼の前にいる気配が嘆いた。
「残念じゃ……実に残念じゃ。
このような強い魔力、よきことに使えばどれほどの益となったかしれぬのに。
のう、そうは思わんか」
セトは答える代わりに、ぐっと杖を握りしめた。
おそらく、前の二人はおとり。
二人の会話に引き込まれた途端に、後ろから攻撃が来るだろう。
そう考え、口の中で小さく呪を唱える。
そのとき。
後ろから魔気の発する爆風がおこり、彼は咄嗟に高く舞い上がった。
今まで彼がいた場所を、強い光が幾筋も貫いた。
千の槍のように、光の束が彼の動く方へ迫ってくる。
錐揉み下降に転じてやり過ごしたが、それでもなお光の槍は出現し続けた。
セトは光の槍をかいくぐり、目の回るような飛行を続けながら、それでも冷静さを失わなかった。
これは飛びながら出せるような魔術ではないのだ。
槍の出現は唐突だが、起点の数は多くない。
槍を出しているのは一人。
月明かりの薄暗さでもセトの動きが見える範囲、そして、前の二人には絶対に当たらない配慮ができる場所からの攻撃。
(つまり、今、真後ろの建物の屋根の上にいる)
敵の居場所が分かった途端、彼は翼をたたみ、落下した。
一瞬、周りの魔気がざわつく。
彼ら魔術師たちは、セトに槍が当たったのかと、勘違いしているようだ。
まっすぐ落ちてきた彼は、屋根に勢いよく杖を突き立てると、唱えていた呪を解き放った。
またもや、この世の終わりのようなものすごい音をたてながら、建物自体が崩れ落ちた。
かすかな悲鳴と、消えていく魔気を感じながら、彼はもう一度翼を開いて上昇した。
「くらえ!」
上昇したとたん、右側から叫び声と大きな火柱が繰り出された。
まともに当たれば黒こげになってしまうような灼熱の炎だ。
セトは無理矢理体をよじって方向を変えたが、それでも右半身にちりちりとした熱さを感じた。
飛びながらでも使用できる、魔石解放の攻撃だろう。
魔力容量が限られている魔石で、この巨大な火柱とは、相当な作り手に違いない。
そこまで考えて、セトは思い当たった。
そういえば、今日作りためた魔石を店にいくつか売り払った。
そして、フェルディに後をつけられて——
「売るんじゃなかった」
苦笑すると、セトはまた地面を目がけて急降下しはじめた。
次の攻撃がくる前に何か手を打たなければ。
飛びながら解放できる魔法では、弱すぎて対抗しきれない。
得意のガラス魔法も使えないし、灼熱の炎にはなす術もない。
ガラスがにょきにょきと突き出し、凶悪なエッジを描いている牢屋跡地に着陸したのと、第二波の火炎が立ち上ったのは、ほぼ同時だった。
セトはたたらを踏んで火炎から出た爆風に耐え、杖をついて空を見上げた。
炎を背に、白い翼を羽ばたかせ、セトを追うように若者の魔術師が近付いてくる。
『紅の炎よ、我が手に勝利を。焼き尽くせ、我らが敵を』
セトが呪文を唱えると、荒々しい精霊の唱和とともに膨大な紅い火の玉が空を覆う。
古代飛行術を使っている魔術師が、慌てて方向を変えるのが見えた。
彼が黄金の杖を振った途端、紅の火炎の矢があらゆる方向から若者を襲った。
幾本かが連続して当たったようだ。
苦悶の声をあげて、若者は燃えながら落ちていった。
しかし、フェルディと老人——あの二人はやはり別格のようだ。
用心のためかこちらへは近付いて来ず、今放った火矢も全て避けたか、撃ち落としたかしたらしい。
だが、古代飛行術は翼を制御しながら風を操るという難しい魔術だ。
だからこそ、致命的な弱点がある。
『風よ、大地をまとい、彼方まで飛翔せよ』
セトが呪文を唱えると、風がうなりを上げて巻きおこった。
魔石でできた小さなつむじ風ではない。
ガラスの破片を巻き込んだ、元の建物とほぼ同じくらいの巨大な竜巻が瞬時に彼を中心に出現した。
大きな破片が幾つも舞い上がり、互いにぶつかって砕け散る。
誰かの悲鳴が聞こえる。竜巻だ、と叫ぶ声も。
それが誰の声なのか、彼の耳には判別がつかなかった。
二つの魔気がふっと魔気が消える。
彼は杖をとん、と地面についた。
風がぱたりと止み、暗い天からありとあらゆるものが降り注ぐ轟音が響いた。
セトは物理防御の呪文を唱え、風で何もかもが吸い上げられ、再び落ちてくる円の中心に立っていた。
飛んでいた魔術師たちは、二人ともいなくなっていた。
あたりにはただ、ガラスの破片と、何か判別のつかないがらくたばかりが散らばっている。
奇妙な寂しさを感じながら、彼はあたりを見回した。
気付かないうちに、街のあちこちから火の手が上がっていた。
浅黒い顔をした男が満面の笑みを浮かべながら走り、他人の家のガラスを割って松明を放り込んでいるのが見えた。
「共和派め、これでもくらえ!」
男は歯をむき出してそう言うと、また新たな松明を作って走り出した。
ふと上を見ると、香辛料の看板を掲げた店の三階の窓から女が投げ落とされようとしていた。
一瞬のち、彼女はかん高い悲鳴を上げながら、頭を下にして地に落ちた。
セトはぞっとしながら、彼のやってしまったことの結果を眺めていた。
投獄されていた彼らは、逃げようとはこれっぽっちも思っていなかったらしい。
彼が解き放ってしまった猛獣は、すでに誰にも止められない状況になっていた。
王党派の暴動を収めようと市民兵も躍起になって槍を振り回して威嚇しているが、騒ぎはだんだん大きくなって収まりそうもない。
ふいにロゼが心配になった。
この喧噪の中、怪我をしたり、捕らえられたりはしていないだろうか。
彼は人でごった返す街の大通りを走るかわりに、また古代飛行術の呪文を唱えた。
ふわりと浮き上がり、風に乗ると、街の全貌が見渡せた。
あらゆるところに火の手がまわり、人々は家財道具を持ち出そうとしたり、身一つで逃げだそうと北の城門まで走ったりしている。
城門の前に集まっている集団の中に、彼は目当てのものを見つけた。
緑の男物の帽子を被った子供が、金髪の男に手をひかれている。
空を飛んでいるセトに気がついたシェンリーが、大声で叫んだ。
「城門を通るのは無理だ! 夜明けまでは開かない!」
「待ってろ、今開ける!」
彼は城門の上に降り立ち、驚いて完全に出遅れている兵士たちを尻目に呪文を唱え、杖を振り下ろした。
石でできた城門は、ぴしりとヒビが入った後、徐々に透明なガラスになり、けたたましい音を立てて崩れ落ちた。
「早く抜けろ! あの林まで走るんだ!」
彼は王女をさっと拾い上げると、再び古代飛行術の呪文を唱えて空へ飛び上がり、壊れた城門を越えて遠くに見える林まで一直線に飛んでいった。
その姿を見た人々は、後にこう語った。
城門を破壊し尽くし、両翼を広げ飛ぶその姿は、さながら伝説に聞く初代魔王のようだった、と。




