第7話 救出
セトは暖炉の前にあぐらをかいて座り、杖をかざして真剣な顔で燃える火を見つめ、長い呪文をぶつぶつと唱えていた。
いつものように魔気を散らさず、ただ右手だけに集中して魔力を高める。
十分に魔力が満ちると杖を床に置き、その研ぎすまされた魔力を、赤々と燃える炎に呪文を唱えながら右手ごと突っ込んだ。
後ろでロゼの息をのむ声が聞こえる。
声を立ててはいけないと、事前に彼は言い聞かせていた。
集中が途切れ、手に大火傷を負った魔術師の話はよく聞く。
それに、魔力に少しでも揺らぎが出ると、魔石は簡単に砕けてしまう。
それを応用しているのがガラス化の魔術なのだが、魔石生成において魔力の揺らぎは致命傷だ。
彼の手の中で赤い炎がなめるように踊り、魔力と溶け合わさってじゅっと音をたてる。
マグマのようなふつふつとした球が、かざした手のひらから少し下に出現した。
魔力をさらに送ると、どろどろとしていた珠は次第に大きさを増し、光り輝きはじめる。
純度が高まっている印だ。
やがて、彼が静かに炎の中でそれを握りしめ、暖炉の中から取り出すと、それは美しい半透明の火の魔石となって彼の手のひらを転がった。
セトはふっと息を吹きかけて、赤い魔石の中に小さな輝きがちらちらと踊っているのを確認すると、それを脇に置いた。
「いくつ作るの?」
暖炉の後ろにある長椅子に腹這いになって、ずっと見ているロゼが心配そうに尋ねる。
「いるだけ。冬の旅には必需品だからな。
今日は真夜中にたつから、今寝ておいた方がいいぞ」
「ううん。セトの見てる」
「別に見ていなくてもいい」
セトがそう言うと、彼女はぶんぶんと首を振った。
「火傷しそうだもん」
「お前が見てなくてもする時はするし、しない時はしない」
「いやー」
何が嫌なのかセトには分からなかった。
が、セトはロゼのしたいようにさせておくことにし、また暖炉の方を向いて手に魔力を集中させた。
午後いっぱいかけて、セトは魔石作りに精を出した。
夕方になる頃には宿の床に、美しい赤い魔石がいくつも転がった。
ガラス玉のようだが、よく見ると魔石の奥に本来の姿である炎が燃えている。
魔術師でない者が不用意に触れたり、落としたりするとすぐに牙をむく魔法の石だ。
強力な魔力を封じ込めた発動前の魔石を普通の人間が触ると、その魔石に含まれた魔力が襲いかかる。
装飾用にはコーティングを施すという手もあるが、彼はそれが好きではなかった。
魔力を閉じ込めて輝きだけを残すというのは、魔石の存在意義がなくなると常々思っていたからだ。
彼は丁寧に魔石を拾い集めると、いつもの古びた鞄の中にしまった。
振り返ると、ロゼは長椅子に横になってすやすやと寝息をたてていた。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
セトはロゼを軽々と抱えてベッドへ運び、毛布をかけてやると、自分も隣のベッドに入り、毛布にくるまって寝る体勢を整えた。
土でないものの上に寝るのは久々で、彼は泥のように眠りに落ちた。
二人が起きたのは、真夜中を少し過ぎた頃だった。
銀の三日月が中天にかかり、メルフイン座はもう西の空に沈もうとしている。
目をこすって眠たそうにしているロゼに、静かにするよう言い聞かせると、二人は手早く夜食をすませ、身支度を調えた。
「行こう」
「やどやさんのお金は?」
こそこそとロゼが尋ねた。セトは声を潜めて答えた。
「枕元に置いてきた。こういうのを夜逃げという」
「よにげー」
彼らは、二階の窓からツタを伝って降りた。
街外れの道は暗く、セトは炎の魔石とランプを鞄から取り出して呪文を唱えた。
すぐに、魔石から出る明るい光が手元を照らしだした。
片手に魔石を入れたランプを持ち、空いた手でロゼの手を引きながら、出来るだけにぎやかな通りを避けて彼は歩き続けた。
街の中心部では遅い時間まで客を取る店があるらしく、一人二人、よとよとと千鳥足の男たちとすれ違った。
だが、赤ら顔で陽気な彼らは、黒い魔術師に手を引かれている男の子が、王女だということに気付くはずもなかった。
ふと、彼はあまりにもロゼが静かなことに気付き、後ろを振り返った。
「ロゼ?」
「ふぁー」
ロゼは半分眠りながら歩いていたようで、気の抜けた返事をしてぼんやりとした目で見上げてきた。
そのまま立ち止まっていると、ロゼはこっくりこっくりと首を動かしはじめた。
「しょうがないな」
セトは、ランプの明かりが消えないように注意してロゼを抱え上げると、敷石に靴音を響かせて背の高い建物の間を駆けて行った。
朝日が昇る二時間ほど前、彼はそこにたどりついた。
政治犯を収容する建物のことは、午前中の買い出しのときにそれとなく商人から情報を得ておいた。
街の北の城門からほど近くには、元役所の建物が立ち並んでいる。
その中に、ぼろぼろの四階建ての煉瓦の建物があった。
元は衛兵隊の詰め所だった建物は革命時にひどく打撃を受けたらしく、詰め所を取り囲む頑丈な石組みは崩れかかっているところや、焦げた跡がそこかしこにある。
宿所の裏門が見える一つ手前の通りから、セトは隙をうかがった。
裏の通用門には、長い槍を持った二人の市民兵が両脇に立っていて、不動の姿勢で松明に照らされている。
「飛ぶのは?」
ロゼが耳元でささやいた。
「起きてたのか」
「うん」
ロゼは目的地に着いたのに気付いたらしく、緊張のためか目をぱっちりと開けていた。
「あんまり魔気が散るものはだめだ。街の魔術師連中に気付かれる」
セトはフェルディの顔を思い浮かべながら言った。
彼は明後日まで待つとは言ったが、街中で飛行術などの強力な魔術を出された以上、出てこざるをえないだろう。
なるべく彼と事を構えたくなかった。
「よし」
セトはロゼを下ろすと、左手で鞄を探り、美しい魔石をいくつか取り出した。
魔石なら、それに含まれる以上の魔気は出ない。
魔術師がよほど近くに住んでいるのでもなければ、感づかれないはずだった。
何の魔石かをよく確認してから、彼は男物の服を着たロゼを見下ろし、尋ねた。
「ロゼ、お前どこかに隠れてるか?」
「ううん。セトと行く」
ロゼは寒さからか、それとも恐さからか、小さく震えていたが、瞳に決意の色が浮かべてきっぱりと言った。
セトは、心の中で笑んだ。
やはり、あの親にしてこの子ありだ、と。
ランプに呪文を唱え、炎を消して鞄にしまった。
あたりは暗闇に包まれる。
そして彼は左手で震える小さな手をしっかり握った。
「ロゼ、ちゃんとついて来いよ」
「うん」
ロゼの震えが止まった。
彼は、彼女の手を引いて、通用門へと走り出した。
市民兵がこちらに気付き、急いで門を塞ぐために槍を交差させる。
セトは、走りながら凝結解除の呪文を唱え、一気に四つの魔石をうろたえる市民兵に向かって放り投げた。
地に響くような轟音。
風の魔石と火の魔石を二つずつ使ったその威力は凄まじかった。
紅蓮の炎が人の二倍くらいの高さに吹き上げ、爆風だけで裏門の市民兵は吹き飛ばされた。
それだけではなく、小さな竜巻き状になったその炎風は、石壁を派手に壊しながら宿所の庭を横切って行く。
一つずつでよかったかもしれない。
セトはそう思いながら、壊れた石壁の隙間からするりと入った。
途端に、槍や矢が彼目掛けて飛んでくる。
彼はまた、凝結解除の呪文を唱え、風の魔石を解き放つ。
槍や矢は風にあおられて方向を変え、ばらばらと二人の周りに落ちた。
「こっちだ」
彼はロゼを引っぱり、矢の当たらない建物の陰に隠れた。
その建物には半地下室があるらしく、地面すれすれに作られた小さな窓には鉄格子が嵌り、中から人の声が聞こえる。
「シャンリー」
ロゼが鉄格子の外から呼びかけたが、周りがうるさくて何も聞こえなかった。
「いたぞ! こっちだ!」
市民兵達がばらばらと集まってくる音が聞こえる。
セトは鞄を探り、新たな魔石を取り出し、自問自答した。
「これくらいでは、死なないだろう。多分」
彼は建物の角から、集まって来た兵士たちにいくつかの魔石を投げ付けた。水の魔石は彼の呪文に応え、空中で冷水となって兵士たちにざぶりとかぶさった。
松明は消え、真っ暗な中でずぶぬれになった彼らは、右往左往して魔術師を見つけだそうとした。
その様子を見て非情にもセトは、さっき水の魔石と一緒に地面に投げておいた別の魔石を解除した。
耳も張り裂けんばかりの音と、目も眩むような閃光が走り、市民兵たちは思い思いの悲鳴を上げ、彼のもくろみ通り文字どおり雷に撃たれて倒れた。
水に濡れ、金属の武器や鎧を身に付けていた兵たちは、誰一人この魔石の威力から逃れられなかった。
髪の毛の焼ける嫌な臭いが立ちこめる。
「威力は普通の雷より弱い。軽い火傷程度だ」
誰一人動かなくなった庭で、彼は残りの魔石を鞄にしまいながら言った。
「シャーンリー、どこー」
ロゼはまだ鉄格子に向かって呼びかけていた。
「まどろっこしい。中に入ろう」
セトは、ロゼの手を引いて裏口を探した。
すぐに、牢屋へと続くであろう入り口が見つかった。
簡素な扉だが、幾重にも鎖が巻かれ、南京錠で止め付けてある。
彼は魔気を散らさないように気を付けて、杖を取り出すと手早く十八番の呪文を唱えた。
杖が触れた途端、鎖と南京錠は透明な欠片となって地面に落ちた。
物体に魔力を叩き込んで瞬間的にガラス状にし、それを砕く魔術、アモルファスは、もともとこういうことのために作られた呪文だ。
逆にいうと、通常の魔力ではこの程度のことしか出来ない。
だが魔気があまり散らず、制御も効きやすいので、セトはこの術を愛用していた。
ロゼが不思議そうにセトの手もとを見て言った。
「べんりー」
「まあな」
彼は、魔術は便利な道具ではない、という論が好きだったが、これに関しては同意見だった。
石造りの螺旋階段を降りると、しめっぽいカビの臭いが鼻についた。
地下牢には看守がいるはずなのだが今の騒ぎで出て行ったらしく、そこには鉄の柵の列以外何もない。
柵の中から、助けを求める細い声がいくつも響いていた。
すえた臭いの漂う地下牢には、一つの部屋につき四、五人が押し込められていて、ぼろぼろの毛布をかぶって寒さをしのいでいた。
彼らのほとんどは二人に気付いても何が起こっているのか分からないらしく、どんよりした眼差しを二人に向けていた。
セトは呪文を唱えながら鉄の柵を杖で片っ端から触っていった。
廊下の端で折り返し、もう一方の側の柵も触っていく。
と、まるでドミノ倒しのように、鉄柵が端から順に割れ、がらがらと石壁に反響する音を立てて落ちた。
途端に、なにが行われたかに気づいた受刑者達が、歓呼の声を上げて入り口に突進した。
その列に引っくり返されないように、彼は慌ててロゼをかばった。
「ありがとうな、坊主!」
「それは王女に言え」
すれ違いざま、牢から出た男に前髪をぐしゃぐしゃとかき回され、セトは多少気分を害した。
王党派でありながら、ここに王女がいることに気付きもせず、ただ自分の身だけを案じ逃げだそうとしている人々。
セトは自分が宿でロゼに言ったことを棚に上げ、彼らを軽蔑の眼差しで見つめていた。
受刑者たちはあらかた外に出てしまったが、あの気弱そうな青年は群衆の中に見あたらなかった。
「いないね」
ロゼがぽつりと寂しそうにこぼした。
「シャンリー、ここにはいないのかも」
「いや」
セトは、耳を澄ませた。どこからか、弱々しい声が聞こえてくる。
「まだ、奥に誰かいる」
松明の明かりのともる廊下の、一番奥の牢屋。
そこには、茶色い毛布を首まで被った金髪の青年が横たわっていた。
あれだけの人数が出ていき、ずいぶんな騒ぎだったはずだが、彼は目を閉じたままだった。
セトはいぶかしげにその様子を見た。
そして、ぎくりと歩みを止めた。
「シャンリー」
無邪気にロゼが語りかけると、彼は目を開け、大儀そうに首を傾けてこちらを向いた。
そのうつろな茶色の目は真っ赤に充血し、頬には切り傷の跡が幾筋もついている。
彼はぼんやりとロゼの顔を見ていたが、急にその目が大きく見開かれた。
「そんな、まさか王女様が……」
走りよろうとしたロゼを、セトは思わず引き止めた。
「ここにいろ」
ガラスを踏み締めて牢の奥へと入り、彼は毛布をはねのけた。
最初、茶色い毛布に見えたのは、血が飛び散って地の色を変えていたからだ。
裾がちぎれて膝までむき出しになった脚には、生々しい切り傷が付けられていた。
腹にも撫で斬りされたような大きな傷がついているが、かろうじて生きている。
それを示すように、血の色に染まった胸が僅かに上下していた。
「あんたがシャンリーか」
「……私はシェンリー・バルカです」
セトが噛み締めた歯の内側から声を出すと、シェンリーは苦しそうな声ながら、自身の名前を訂正した。
そのとき彼が怪我をしていることに気が付いたらしく、ロゼは引きつったような叫び声を上げた。
「そこにいろ、ロゼ」
ロゼが来る気配を感じたセトはもう一度制すると、シェンリーのそばにひざまずいた。
「シェンリー、どうしてこんなことになった?」
「……王女様も捕らえられたのですか」
「いや」
彼の傷だらけの口の端が少し持ち上がった。
「そうですか……安心しました。
私は少々失敗しましてね。
隙を見て脱出しようとしたらこの始末ですよ。
……慣れないことはするものじゃないですね」
しばらくの間、セトは黙ってシェンリーの傷口を眺めていた。
そして、意を決して膝を折った。
「いいか、怪我が治ったらロゼを連れて城門まで必死で逃げろ。全速力だ」
「治ったら? ……私にはわかります。
私はもう助からないんだ。王女様を頼みましたよ……」
彼は、途方に暮れたような声で呟いた。
セトはぶっきらぼうに言った。
「返事は、『はい』だ。それ以外は許さない」
「セトはどうするの?」
心配そうな声でロゼが尋ねる。
「用事ができた」
そう言うと、彼は今まで極力使ってこなかった魔力を解放した。
渦巻く魔気が立ち上ると、小さなガラス片が舞い散り、地下室全体はごうごうと音をたて、不思議な旋律があたりに満ちあふれた。
セトの手から金色の光の帯が出て、ぐにゃりと揺れると、その手に杖が収まった。
彼はそれをふりかざし、シェンリーの体の上で止めると、呪文の詠唱に入った。
シェンリーはセトが何をやろうとしているか気付いたようだった。
彼は不思議そうに呟いた。
「はて……傷を治す魔術など、ないはずだが」
セトが杖をシェンリーの身体にかざすと、ロゼが息を飲む音が聞こえた。
彼の傷が音もなく消えていく。
杖をかざしたところを起点に、四肢の切り傷が閉じ、じくじくと皮膚が再生していく様は、まるで時が戻されているかのようだ。
やがて、セトの呪文が終ったとき。
服こそ血まみれだったものの、シェンリーの体のどこにも、傷一つ残っていなかった。
彼は閉じていた目をゆっくりと開いた。
そして、痛みが引いたのに気付いたらしく、自分の手をひどい傷のあった腹に当てた。
「これは、奇跡なのか?」
「いいや魔術だ。それより、立てるか」
シェンリーはセトに手を借りながら、それでもきちんと自分の足で立った。
彼は、立っている自分の姿が信じられないように、自分の足下とセトの顔を見比べてた。
「今のは、本当に魔術なのか?
私は詳しくはないが、それでも傷を治す魔術などないのは知っている」
「説明したいところだが」
セトはそこまで言うと、微かな大気の揺らぎを感じ、出口の方へその爛々と光る青い瞳を向けた。
彼の魔気を読み取って、追っ手が来たのだろう。
魔気は全部で三つ、いや、四つ。
「もう客が来たようだ。私が連中を引きつける間に、城門を目指してくれ」
「ロゼもセトと一緒に行く!」
ロゼがセトの足にしがみついたが、彼は帽子の上からロゼの髪をくしゃっと撫でて、足から引きはがした。
「だめだ。ロゼはシェンリーを見ててやれ」
何か言いかけたシェンリーを目で制し、彼は感情のこもらない声でそう言った。
ロゼは首をひねり、眉を寄せて聞いた。
「セト?」
「城門前で落ち会おう」
シェンリーがまた会話に割り入った。
「だが、城門前には市民兵が……」
「いいか。出口まで走るんだ」
四つの魔気がますます迫ってくるのを感じ、彼はそう言うなりロッドを真上にかざし、呪文を唱えた。
閃光がきらめき、天井がつららのように硬質な音を立てて落ちてくる。
シェンリーは悲鳴を上げて後ずさり、ロゼはその足に引っ付くようにして出口へと走り始めた。
大量の魔石のなり損ないは、魔気に押されるように、セトをよける形で円を描いて砕け散った。
ロッドの増幅力を最大限に使ったガラス化の魔術は四階建ての建物の最上部まで達し、四階分の天井がガラスとなって、百人分の皿をいっぺんに割ったような耳の痛くなる音を立てて彼の周りに雨のように降り注ぐ。
半地下から屋根を突き抜けて無気味な吹き抜けが出来上がり、天井から柔らかな月光が差し込んでくる。
ガラスがあらかた落ちると、彼は飛行術の呪文を唱えた。
透明な破片の舞う狭い通路一杯に翼を広げると、彼は半地下から一気に四階の屋根の穴へと飛び立ち、そのまま暗い空へと抜けた。




