第5話 城門
二人の旅は順調だった。
夜明け前に起き、二、三時間空を飛ぶ。
針のように刺さる冷たい空気を火の魔石や魔気で防ぎながら、二人は鷲のようにゆったりと滑空した。
そして、朝もやが白く霞みだす頃、また林に降り立って歩きはじめるのだった。
最初は首にしがみついていたロゼも慣れてきて、たまに空で寝てしまったり、片手でしか掴まっていない時もあり、セトはひやひやすることもあった。
針葉樹の黒い森は、彼らの姿を隠すのには格好の場所だった。
だが、二日ほど森を歩くと、次第に木々が少なくなってくるのが目に見えて分かった。
森が途切れたときには、右手に黄色い街道がうねっているのが見えた。北街道だ。
街道を往く馬車や人も、日ごとに多くなっていく。
二人はなるべく森に隠れるように移動をしていたものの、かなりの大きな街に近づいていた。
ティルキアの第二都市、エルケームだ。
「突っ切ろう」
相変わらず硬いパンの昼食を食べ終えた後、セトはしわやシミ、羽ペンの線だらけの使い込まれた地図を広げてそう言った。
「エルケームは東西南北に城門がある城壁都市だ。
このまま街を迂回しても、どうせ森はなくなって、元貴族の私有地や田園地帯が続く。
きっと荒らされているだろう。
迂回するには二、三日、よけいにかかってしまうし、人が多ければ多いほど案外見つかりにくいかもしれない。
それに、食料も調達しなければ」
「セト、わかんないよ!」
ロゼからの不満そうな訴えを聞いて、彼は今言ったことをロゼに分かるように訳した。
「飯のために街へ行く」
「わかった! めしのために、まちへ行く!」
ロゼがにこにこして復唱した。
二人で旅をはじめて三日ほどしか経っていないのに、随分セトの言葉が移っていた。
元王女として飯という単語を使うことはどうなのか、セトはしばし考えたが、まあいいという結論に達した。
彼は別にかまわなかったし、ヴェルナースに着いて問題があるのであれば直されるだろう。
それより、今はどうすればより安全に街を通り抜けられるかだ。
いざとなったら魔術を使うつもりだったが、マリアンとの約束は守りたかった。
彼は目の端でロゼを見た。
真っ赤な長い髪。青い瞳。そして派手なピンク色で金色の縁の付いたいかにも豪華な服。
何もかもが目立ち過ぎている。
「やはり変装だな」
セトは少し首を傾げて、つらつらロゼを眺めた。
出会ってすぐは、その髪の色のせいでよくマリアンと重ね合わせていたが、日が経つにつれて、ロゼはロゼであり、マリアンではないのだと思うことが多くなった。
ロゼは、マリアンよりもよく話し、よく笑う。
まだ幼いからか甘えたがりのところもあり、いい意味で母親の持っていなかった女らしさを持ち合わせていた。
特に、マリアンはいつも男物の服を着ては、城下に繰出して暴れていた。
ピンクが好きなロゼとは大違いだ。
そこまで考えた時、彼の頭に当然の結論が浮かんだ。
「ロゼ、男になれ」
その日の夜、森の近くの民家から干していた子供の服が消えるという事件がおきた。
だが、風にでも飛ばされたのだろうということで、問題にもならなかった。
「ピンクがいいー」
ロゼは、少しぶかぶかな緑色の上着に袖を通しながら、口を尖らせた。
「どこの世界にピンクの好きな男がいる」
セトは嘆息しながらロゼの髪を苦労して縛り、男物の帽子の中へ入れこんだ。
本当は切る方がいいのだが、ティルキアの女性は長髪が美人の証になっている。
それを思い出し、結局切るのは止めることにした。
ロゼの身支度を終わらせると、セトは二、三歩下がってその出来映えを確認した。
どことなく女顔だが、男ですと言って通せば何とかなりそうな六歳児が出来上がっていた。
子供なので、声は出してもかまわないだろう。
だが、あまり変なことを言わないようにしむけなければならない。
なにより彼女には自分を名前で呼ぶ癖があった。
「自分のことをロゼと呼ぶのはまずいな……ロウでどうだ?」
「ロゥ」
ロゼは小さい声で言いにくそうに答えた。
それから、不安そうにくるりと回って尋ねた。
「ねえ、変じゃない?」
「変じゃない」
「本当に変じゃない?」
「本当に変じゃない」
それからしばらくロゼは居心地悪そうに帽子を引っ張ったりしていたが、その日の夜を迎える頃にはそんなに気にはならなくなっていたようだった。
ただ、やはり自分のことをロゼと言ってしまい、その度に注意されてはしょげていた。
セトはロゼに最後の秘策を授けた。
「とにかく、話すな。王女だとばれたら大変だ」
「うん。ロゼ……ロウ、がんばる」
翌日の早朝。二人はエルケームの南城門前に立っていた。
薄墨色のマントを纏った兄と、少し大きめの服と帽子を被った弟の二人連れ——周囲にはそう映っていただろう。
ロゼはセトも一緒に変装しようとごねたが、結局彼は変装しなかった。
一つには、ロゼほど顔を知られてはいなかったし、もう一つの理由は、ロゼには言えなかったが、いつもの黒服を喪服替わりにしていたからだ。
エルケームの城門は朝日と共に開けられる。それは王政時代から変わっていない。
ただ、城門の上に彫り込まれていたはずの碇とブドウが描かれた王家の紋章は削り取られ、白い漆喰の跡だけが残っていた。
商人や旅芸人の列に混じって、彼らは開門を待っていた。
やがて白んだ空に一筋の光が差すと、城門の大きな両扉がきしんだ音を立ててしずしずと開かれる。
昔、そこにいたのは、華やかな衛兵服を纏った王国の兵士だった。
だが、今開けられた城門の脇に立っているのは、油染みた服を着た市民兵たちである。
ティルキア共和国の自由都市。
セトは小馬鹿にしたように、心の中でその名称を繰り返した。
以前の王国では、城塞都市に入るためには旅券の確認が義務づけられていた。
革命以降、その掟は変わったらしい。
自由を語る市民のもと、旅券は必要なくなったようで、旅券の確認所には誰の姿もない。
だが、彼ら市民兵は目を皿のようにして、城門を次々と通りぬける人々の中から不審な人物を探している。
一体、何が変わったというのだろうか。
「行くぞ」
セトは自分でもほとんど聞き取れないほど小さな声でそう言うと、ロゼの手をしっかりとつかんだ。
そして、ごく自然な足取りで城門へと向かった。
うつむきかげんのロゼを引っ張るようにして、彼は門番の脇を通り過ぎた。
門番は二人をちらりと見たが、無関心に視線を他の者たちに移した。
「おい、待て!」
ロゼの体がびくっと震える。背後からかかる声には一向にかまわず、セトは顔色も歩調も変えずに歩いた。
そのまま歩き続けて城門を通り抜けてから、彼は体をひねって後ろを振り返った。
「お前、貴族だな!」
みすぼらしい格好をした、二十歳過ぎぐらいの男が、市民兵に取り押さえられていた。
ぼろぼろのシャツを着ていたが、そのよく手入れされた金髪と、育ちのよさそうな顔つきは隠しきれていなかった。
市民兵に無理矢理ポケットから取り出されたハンカチには、豪奢なレースがついている。
「ち、違う……私はただの卑賎の者だ」
情けない声で、その男は答えた。
彼の腕を捕らえた市民兵は悪意に満ちた声で嘲った。
「ただの平民が、『卑賎の者』なんて言葉を使うかよ。牢に入れておけ!」
やじ馬が集まる中、平民の格好をしたその男は抗議の声を上げながら、体格の良い市民兵二人に両腕を捕まえられ、運ばれて行った。
それまでこの逮捕劇を、固唾を呑んで見守っていた人々が一斉にがやがやと話しはじめる。
「まだ王党派の残りがいたんだねえ」
「噂じゃ、王女も逃げ出したと言う話じゃないか」
「ものすごい賞金がかかっとるんだとよ」
ますますうつむくロゼの手をいっそう強く握って、セトはその場から急いで離れた。
エルケームは各街道の交差する一大商業都市だ。
政権が変わってからも、背の高い建物が両脇に並び立つ大通りには色とりどりのテントが花のように広げられ、その下には異国の商人がさまざまな品物を並べていた。
そのせいか、この街にはいつも雑然とした空気が漂っている。
街を行く人々は皆自然と歩みを遅くして、珍しい舶来の品物を見つけると、商人と値切りの交渉に入る。
その活気と喧噪の中を、セトとロゼは商品を見ることもせず、声を交わすこともなく通り抜けた。
人ごみでごった返しているのが逆によかったのか、誰も気付く気配はない。
セトは昔この街に来たかすかな記憶を頼りに、街の隅にあった、ぼろぼろの宿屋へと足を向けた。
彼の記憶は正しく、その宿は全面をツタで覆われて陰気な雰囲気をかもし出していた。
十何年の時を隔てても、少しも変わらない汚い宿というのはある意味貴重である。
日が高かったからか、それとも宿が古かったからか、一階の食堂にすら客はいなかった。
二人が宿屋に入ると、隅から赤ら顔の主人が出てきてめんどくさそうに挨拶をし、二人の名を宿帳に記載した。もちろん、変名だ。
「セト・フェニックスと、ロウ・フェニックス。二人だけかね?」
「ああ」
宿屋の主人はセトとロゼを気の毒そうに見た。
「その歳での旅は、大変だろうな……小さい弟もいることだし」
「そうでもない」
セトはそっけなく言って、部屋の鍵を受け取ると、ロゼの手を引っ張り宿の階段を上がった。
ここ数年ほど、子供扱いされるのにはうんざりしていた。
外装よりも多少は奇麗な部屋にたどり着くと、彼はすぐに内側から鍵をかけた。
そうしてやっと安堵のため息をついた。
とりあえず、王女のことは誰にも見破られなかったようだ。
「セト」
ずっと黙っていたロゼが、沈痛な面持ちで言った。
「門でシャンリーが捕まえられてたの。シャンリーは、死んじゃうの?」
セトは少し考えて、城門で捕らえられていた男のことを思い出した。
「さあ」
当たり障りのない返事を返すと、ロゼの目が潤んだ。
「助けられないの? シャンリーは悪くないよ?」
「知り合いか?」
ロゼはこくこくと何度も頷いた。
「ロゼの先生だったの。修道院へ行くときに、お別れだって言われたの。
でも、あの門のところで捕まっちゃってた!」
王女様付きの家庭教師といったところか。
彼は城門でちらっと見た育ちのよさそうな男の顔を思い浮かべた。
「いいか」
セトはロゼの目線の高さまでしゃがみこみ、両肩に手を置いた。
「自分の身をまず第一に考えろ。人のことは人のこと。分かったな」
「分かんない!」
ロゼが突然金切り声を上げたので、セトは思わず彼女の口を塞いだ。
「外に聞こえるだろ!」
「だって、ママ言ってた! 王女なら、人のことを考えなきゃって!」
さっきよりひそひそ声になったものの、相変わらず頑固にロゼは言い張った。
セトは幽霊でも見ているかのような眼差しをロゼに向けた。
涙と一緒に、強固な意思がちらちらと見えかくれするロゼの目に、久しぶりに彼は既視感を覚える。
しばし睨み合いが続き、ついにセトは折れた。
「わかった。シャンリーとかいう男を牢から出すだけだからな。街を出る手伝いはしない」
「ありがとう!」
ロゼは手を叩かんばかりにして飛び跳ねた。
「ただし、夜中まで待つ。それまでに買い物だ」
「うん!」
元気よく返事をして、彼女はいそいそと鞄をかけ直した。
「ロゼはここで留守番」
セトのその一言にロゼはぺしゃんとへこんだ。
「ええー」
「ええー、じゃない。いいか、外に出るな。窓に近づくな。もし、兵が来たら戸棚に身を隠せ。
私が出たら内側から鍵をかけろ。ノックは5回、それ以外は鍵を開けるな」
彼は一方的に自分の言いたいことを言い終えると、ロゼの頭を男物の帽子の上からくしゃっとなで、身を翻した。
「つまんない!」
そんな声が後ろから追いかけてきたが、彼はばたんとドアを閉めた。
そしてもう一度、深いため息をついた。
このまま部屋の中にいたら、ロゼに国中の王党派を救うことを約束させられたかもしれない。
セトはあの眼差しに勝つ自信はなかった。




