第3話 出会い
クローディスはすぐに冷静さを取り戻し、修道女に民衆を刺激しないようにと言い付けた。
修道女は引きつった顔でお辞儀をすると、入ってきたときと同じようにばたばたと出ていく。
彼女はさっと立ち上がり、セトに言った。
「では、すぐに王女様の元へ参りましょう」
修道院はそこかしこに改修のあとがあり、石造りの廊下はまるで迷宮のように入り組んでいた。
ここに王女を隠した理由の一つがこの修道院の造りだろう。
隠されたように存在するオルガン横の螺旋階段をのぼり、また延々と廊下を進む。
二階の一番奥にある小さな扉の前でクローディスは止まった。
「王女様、入りますよ」
「どーぞ」
その声を待つ間も惜しんで、クローディスはつかつかとその部屋に入った。
「さあ、旅立ちのお支度を」
彼女はそう言うなり、ベッドの下から小さな子供でも持てるような鞄を取り出すと、隣の引き出しを引き開けて、入り用なものを詰め始めた。
だが、セトはその部屋の入り口で、根が生えたように立ち尽くした。
五歳ぐらいだろうか。あどけない顔に、きらきら光る二つの青い目。
小さな鼻に不釣り合いな大きめの口は、きゅっと口角が持ち上がっている。
美人と言うわけではないが、愛嬌のある顔だった。
だが、目を惹くのは、何よりその髪だ。
二日前、切りとられた英雄赤騎士のものと全く同じの、見事な赤褐色の長い髪は、ふっくらした頬を覆って腰にまで達している。
治らない傷口を、さらに突かれたような感覚が彼を襲っていた。
彼女は小首を僅かに傾げ、興味津々といった様子でセトを見ていた。
そして、かわいらしい声で、すこし舌足らずに言った。
「だーれ?」
「セトだ」
言った途端、体が呪縛からとけたかのように自由に動けるようになった。
彼はそのまま部屋に入った。
王女はその大きな目でセトの動きを追っていたが、急に思い出したかのように叫んだ。
「セトさん、さっきの、昔話の魔術師さんだ!
ねえ、どうやって空を飛べるようになったの?
羽って、いらないときはどこへいっちゃうの?」
セトがその質問に答えないうちに、クローディスが無理矢理王女を捕まえ、つばの広いピンクの帽子をかぶせながら言った。
「さあ、王様の元に行くのですよ」
「パパのところ? ほんと?」
ロゼの声は弾んでいた。
きっと遊びに行くとでも思っているに違いない。
「ええ」
「どのくらい? いつパパに会えるの?」
王女の襟にマフラーを巻き付けながらクローディスは答えた。
「三ヶ月ほど旅したらですわ。大丈夫、すぐですよ」
「一月だ」
横からセトが口を出した。
「一月? どうやって」
言ったそばからクローディスの顔つきが変わる。
「そんな! この季節に白山を越えると言うのですか!」
セトは頷いたが、クローディスはますます心配そうな顔をして王女をちらりと見た。
「いくら魔術師様でも、この小さな子を連れて白山を越えるなんて……」
白山。
本当はヴィエタスジーラという名だが、皆その名を出すことはめったにない。
それはこの大陸で最も高い山だ。
ティルキアとヴェルナースの国境にあるその山は、万年雪をかぶっていて、夏でさえ登る者などほとんどいない。
まして、冬の白山には近づくことすらしなかった。
クローディスが狼狽するのも当然だった。
だが、セトは意見を変えるつもりはなかった。
「北街道は見張られているし、港も全て閉鎖されている。
ヴェルナースに行くならその方法が一番近いし確実だ」
クローディスはじっとセトを見つめると、ほうっとため息をついた。
「わかりました。あなたを信用するしかないでしょう。
ですが、危険だと思ったらすぐに引き返してくださいね。
あの山は……人を食らう魔の山なのですから」
「ねえねえ、ロゼはセトさんと一緒に行くの?」
王女が無邪気にクローディスに尋ねた。
彼女がそうだと言うと、王女は飛び跳ねるようにセトの方へやってきて、彼の手をつかんだ。
「わーい、よろしくね!」
暖かい小さな手に、腕をぶんぶん振られながら、これまで子供に縁がなかった彼は、どう扱ったものか戸惑っていた。
その沈黙を勘違いしたらしく、彼女はぱんと手を叩いて言った。
「あ、お名前言ってない!
ええとね、ロゼは、ロゼッタ・マリアン・グレーフォン・ティルキャーなの。
でもね、長いから、パパやママはロゼって呼ぶの!
セトさんも、ロゼって呼んでね!」
「ロゼッタ・マリアン・グレイフォン・ティルキアですわ」
クローディスが小さな声で訂正した。
最後のティルキアが悲しく響いた。
「さあ、できましたわ」
ようやっと、小さな鞄をパンパンに詰め終え、クローディスはほっと息をついた。
防寒着で膨れあがったロゼの小さな体に、その鞄を肩からかけると、赤い髪がゆらゆらと揺れた。
「ねえ、似合う?」
ロゼは自慢げに鞄を持ち、マフラーと髪をなびかせてくるくると回った。
そして、反動を付け過ぎて重い鞄の方へよたよたとよろけた。
「ふふふ。ええ、とってもお似合いですわ」
クローディスが笑った。
だが、その目は笑っているようには見えなかった。
「寂しくなりますわ……王女様がいなくなると」
そう言うと、彼女は膝をついたまま、王女をぎゅっと抱きしめた。
「クローデスも一緒に行こうよ!」
無邪気にそう言うロゼに、クローディスは目をしばたたきながら、静かに微笑んだ。
「私は一緒には参れません。この教会を守らねばなりませんから。
でも、いつだって王女様のご無事を祈っておりますわ」
ロゼは寂しそうな顔をしたが、それ以上文句を言わなかった。
クローディスは帽子越しにその頭をやさしく撫でた。
「王女様、どうか、大神タクトの御加護がありますよう」
二人のやりとりを黙って見ていたセトだったが、そこでこほんとせき払いをした。
「さて、どうやってここから出るかの相談なんだが……」
「……外の人たちは帰ってくれないようですね」
クローディスは窓の外を眺めてそう言った。
セトも後ろから覗いてみたが、民の数は増えるばかりでいっこうに減る気配がない。
しかも、先ほどよりも殺気立っているようで、修道院の鉄柵を武器で叩いている者もいる。
彼女は決心したように白いスカートを翻すと、セトの方に向き直った。
「私は後ろを向いています……そして約束していただきたいですわ。
神の御前で二度と魔術を使わないと」
「話が分かる人だ。修道女にしては」
彼は、彼なりの最高の賛辞を送った。
「光栄です」
彼女は悲しそうな微笑みを浮かべると、セトに背を向け、大きな暖炉の前に立った。
暖炉には暖かな火がパチパチと軽快な音をたてている。
その少し震えている背中を数秒見つめてから、彼はロゼに視線を移した。
「おいで」
ロゼがとことことセトの前にやってくる。
何も言わず、セトはその体を片手ですくいとるように抱き上げた。
彼女は今のやりとりで何がどうなったのか、全く分かっていないようで、声を上げてセトの首にしがみついた。
「わっ」
「しっかり掴まって」
それだけ言うと、セトは呪文を唱え、ロゼを抱えているのとは反対の手で、粒子から取り出した杖を握った。
そして、自らの体に眠る魔力を、十分注意しながら解き放った。
部屋には息苦しいほどの魔気が立ちこめ、窓ががたがたと鳴り、端から順番にものすごい音を立てて開いた。
彼はそのまま窓枠に足をかけた。
下では、人々がこちらを指差し、怒号ているのが見えた。
あまりに声が混じりすぎ、何を言っているのか見当もつかない。
「恐かったら目を閉じろ」
言う前に、ロゼの目はぎゅっと閉じられていた。
その両腕はいっそうきつく首をしめつけてきた。
セトは吸いにくい空気を精一杯吸うと、窓からふらりと身を躍らせた。
今まで叫んでいた人々が息をのんだように沈黙した。
その落ちているとも浮いているともつかない瞬間、セトは古代飛行術の呪文を発動させた。
魔気がさらに濃くなり、背中がかっと熱くなると、見なれた黒い羽が左右の目の端に出現した。
飛行魔術による強風が眼下の人々を襲い、彼らは思い思いの格好で、吹き飛ばされまいと堪えた。
その真上を、王女を抱えたセトは、大きな翼をはためかせて悠々と北へ飛んでいった。




