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ガラスの魔王  作者: 久陽灯
第二章 ガラスの魔王
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第3話 出会い

 クローディスはすぐに冷静さを取り戻し、修道女に民衆を刺激しないようにと言い付けた。

 修道女は引きつった顔でお辞儀をすると、入ってきたときと同じようにばたばたと出ていく。

 彼女はさっと立ち上がり、セトに言った。


「では、すぐに王女様の元へ参りましょう」


 修道院はそこかしこに改修のあとがあり、石造りの廊下はまるで迷宮のように入り組んでいた。

 ここに王女を隠した理由の一つがこの修道院の造りだろう。

 隠されたように存在するオルガン横の螺旋階段をのぼり、また延々と廊下を進む。

 二階の一番奥にある小さな扉の前でクローディスは止まった。


「王女様、入りますよ」

「どーぞ」


 その声を待つ間も惜しんで、クローディスはつかつかとその部屋に入った。


「さあ、旅立ちのお支度を」


 彼女はそう言うなり、ベッドの下から小さな子供でも持てるような鞄を取り出すと、隣の引き出しを引き開けて、入り用なものを詰め始めた。

 だが、セトはその部屋の入り口で、根が生えたように立ち尽くした。


 五歳ぐらいだろうか。あどけない顔に、きらきら光る二つの青い目。

 小さな鼻に不釣り合いな大きめの口は、きゅっと口角が持ち上がっている。

 美人と言うわけではないが、愛嬌のある顔だった。

 だが、目を惹くのは、何よりその髪だ。

 二日前、切りとられた英雄赤騎士のものと全く同じの、見事な赤褐色の長い髪は、ふっくらした頬を覆って腰にまで達している。

 治らない傷口を、さらに突かれたような感覚が彼を襲っていた。


 彼女は小首を僅かに傾げ、興味津々といった様子でセトを見ていた。

 そして、かわいらしい声で、すこし舌足らずに言った。


「だーれ?」

「セトだ」


 言った途端、体が呪縛からとけたかのように自由に動けるようになった。

 彼はそのまま部屋に入った。

 王女はその大きな目でセトの動きを追っていたが、急に思い出したかのように叫んだ。


「セトさん、さっきの、昔話の魔術師さんだ!

 ねえ、どうやって空を飛べるようになったの?

 羽って、いらないときはどこへいっちゃうの?」


 セトがその質問に答えないうちに、クローディスが無理矢理王女を捕まえ、つばの広いピンクの帽子をかぶせながら言った。


「さあ、王様の元に行くのですよ」

「パパのところ? ほんと?」


 ロゼの声は弾んでいた。

 きっと遊びに行くとでも思っているに違いない。


「ええ」

「どのくらい? いつパパに会えるの?」


 王女の襟にマフラーを巻き付けながらクローディスは答えた。


「三ヶ月ほど旅したらですわ。大丈夫、すぐですよ」

「一月だ」


 横からセトが口を出した。


「一月? どうやって」


 言ったそばからクローディスの顔つきが変わる。


「そんな! この季節に白山を越えると言うのですか!」


 セトは頷いたが、クローディスはますます心配そうな顔をして王女をちらりと見た。


「いくら魔術師様でも、この小さな子を連れて白山を越えるなんて……」


 白山(はくさん)

 本当はヴィエタスジーラという名だが、皆その名を出すことはめったにない。

 それはこの大陸で最も高い山だ。

 ティルキアとヴェルナースの国境にあるその山は、万年雪をかぶっていて、夏でさえ登る者などほとんどいない。

 まして、冬の白山には近づくことすらしなかった。

 クローディスが狼狽するのも当然だった。

 だが、セトは意見を変えるつもりはなかった。


「北街道は見張られているし、港も全て閉鎖されている。

 ヴェルナースに行くならその方法が一番近いし確実だ」


 クローディスはじっとセトを見つめると、ほうっとため息をついた。


「わかりました。あなたを信用するしかないでしょう。

 ですが、危険だと思ったらすぐに引き返してくださいね。

 あの山は……人を食らう魔の山なのですから」

「ねえねえ、ロゼはセトさんと一緒に行くの?」


 王女が無邪気にクローディスに尋ねた。

 彼女がそうだと言うと、王女は飛び跳ねるようにセトの方へやってきて、彼の手をつかんだ。


「わーい、よろしくね!」


 暖かい小さな手に、腕をぶんぶん振られながら、これまで子供に縁がなかった彼は、どう扱ったものか戸惑っていた。

 その沈黙を勘違いしたらしく、彼女はぱんと手を叩いて言った。


「あ、お名前言ってない!

 ええとね、ロゼは、ロゼッタ・マリアン・グレーフォン・ティルキャーなの。

 でもね、長いから、パパやママはロゼって呼ぶの!

 セトさんも、ロゼって呼んでね!」

「ロゼッタ・マリアン・グレイフォン・ティルキアですわ」


 クローディスが小さな声で訂正した。

 最後のティルキアが悲しく響いた。






「さあ、できましたわ」


 ようやっと、小さな鞄をパンパンに詰め終え、クローディスはほっと息をついた。

 防寒着で膨れあがったロゼの小さな体に、その鞄を肩からかけると、赤い髪がゆらゆらと揺れた。


「ねえ、似合う?」


 ロゼは自慢げに鞄を持ち、マフラーと髪をなびかせてくるくると回った。

 そして、反動を付け過ぎて重い鞄の方へよたよたとよろけた。


「ふふふ。ええ、とってもお似合いですわ」


 クローディスが笑った。

 だが、その目は笑っているようには見えなかった。


「寂しくなりますわ……王女様がいなくなると」


 そう言うと、彼女は膝をついたまま、王女をぎゅっと抱きしめた。


「クローデスも一緒に行こうよ!」


 無邪気にそう言うロゼに、クローディスは目をしばたたきながら、静かに微笑んだ。


「私は一緒には参れません。この教会を守らねばなりませんから。

 でも、いつだって王女様のご無事を祈っておりますわ」


 ロゼは寂しそうな顔をしたが、それ以上文句を言わなかった。

 クローディスは帽子越しにその頭をやさしく撫でた。


「王女様、どうか、大神タクトの御加護がありますよう」


 二人のやりとりを黙って見ていたセトだったが、そこでこほんとせき払いをした。


「さて、どうやってここから出るかの相談なんだが……」

「……外の人たちは帰ってくれないようですね」


 クローディスは窓の外を眺めてそう言った。

 セトも後ろから覗いてみたが、民の数は増えるばかりでいっこうに減る気配がない。

 しかも、先ほどよりも殺気立っているようで、修道院の鉄柵を武器で叩いている者もいる。

 彼女は決心したように白いスカートを翻すと、セトの方に向き直った。


「私は後ろを向いています……そして約束していただきたいですわ。

 神の御前で二度と魔術を使わないと」

「話が分かる人だ。修道女にしては」


 彼は、彼なりの最高の賛辞を送った。


「光栄です」


 彼女は悲しそうな微笑みを浮かべると、セトに背を向け、大きな暖炉の前に立った。

 暖炉には暖かな火がパチパチと軽快な音をたてている。

 その少し震えている背中を数秒見つめてから、彼はロゼに視線を移した。


「おいで」


 ロゼがとことことセトの前にやってくる。

 何も言わず、セトはその体を片手ですくいとるように抱き上げた。

 彼女は今のやりとりで何がどうなったのか、全く分かっていないようで、声を上げてセトの首にしがみついた。


「わっ」

「しっかり掴まって」


 それだけ言うと、セトは呪文を唱え、ロゼを抱えているのとは反対の手で、粒子から取り出した杖を握った。

 そして、自らの体に眠る魔力を、十分注意しながら解き放った。

 部屋には息苦しいほどの魔気が立ちこめ、窓ががたがたと鳴り、端から順番にものすごい音を立てて開いた。

 彼はそのまま窓枠に足をかけた。

 下では、人々がこちらを指差し、怒号ているのが見えた。

 あまりに声が混じりすぎ、何を言っているのか見当もつかない。


「恐かったら目を閉じろ」


 言う前に、ロゼの目はぎゅっと閉じられていた。

 その両腕はいっそうきつく首をしめつけてきた。

 セトは吸いにくい空気を精一杯吸うと、窓からふらりと身を躍らせた。

 今まで叫んでいた人々が息をのんだように沈黙した。

 その落ちているとも浮いているともつかない瞬間、セトは古代飛行術の呪文を発動させた。

 魔気がさらに濃くなり、背中がかっと熱くなると、見なれた黒い羽が左右の目の端に出現した。

 飛行魔術による強風が眼下の人々を襲い、彼らは思い思いの格好で、吹き飛ばされまいと堪えた。

 その真上を、王女を抱えたセトは、大きな翼をはためかせて悠々と北へ飛んでいった。

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