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ガラスの魔王  作者: 久陽灯
第一章 魔術師とバキールの怪物
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第19話 飛竜戦と第二の文書

 セト達が単騎で動きだしたのに気付いたのだろう。

 飛竜部隊同士で戦っていた群れから、数匹の飛竜が集団から離脱してこちらへ向かってきた。

 背に乗っているのは黒いフードを被った魔術師。

 敵である『竜の牙』の連中だ。


「正面から突っ込む気?」


 セトの問いにキースが無言で頷き、飛竜は速度をあげて峡谷の上を突き進んだ。

 敵の飛竜は三匹。やはり二人乗りだ。

 先の魔術師が飛竜を御し、後の魔術師が何かしら魔術を唱えて杖を振る。

 こちらよりは統率がとれているのか、三匹きっちりと横列に並び、後ろの魔術師の杖の先には同時に光が生まれた。

 ついで、三つの熱線が正面から空を貫いて迫ってきた。


 ギリギリで地平線が反転した。胃が持ち上がるような浮遊感。

 キースが飛竜を操って、いきなり高度を落とさせたのだ。

 そのまま一回転し、一気に下方から上昇に転ずる。


「しっかり掴まって!」


 キースの言葉とともに耳元を突風が通り過ぎ、空が数回反転して地になった。

 竜の脇につけられた紐をきつく握りしめていないと確実に吹き飛ばされていただろう。

 飛竜の翼すれすれを、敵の魔術の光線がいくつも通り過ぎていく。

 反撃したいが、この頭がふらふらするほどの速さでは呪文を唱えることもままならない。


 ようやっと飛竜が水平を取り戻したとき、目の前に敵の飛竜はいなかった。

 セトは片手を離して振り向いた。

 さっきまで攻撃を仕掛けていた魔術師を乗せた飛竜たちが、こちらを見失い、ちょうど方向転換をしているところだ。


 セトは杖を掲げ、力ある言葉を唱えた。

 幾つもの白い光球が彼の回りに出現する。

 そして、次の瞬間、一つ一つの光球から真っ直ぐな熱線が放たれた。

 熱線は針金のように伸びていき、後ろから追う形になって敵の飛竜部隊に突き刺さる。

 三匹の飛竜たちはあっけなく焼け焦げ、人の悲鳴だか竜の悲鳴だかわからないものを残して遠い地面に落ちていった。

 相変わらずすごい速さで飛びながら、キースが言った。


「君を巻き込んで悪いとは思っている。

 でも、それが正しかろうと間違っていようと、僕はそうしたいんだ。

 南へ逃げたあの二人のように」


 向かい風が強いこともあり、セトは大声で言い返した。


「一つ聞くけど、あの子のどこがそんなにいいんだ? 敵の首謀者の娘だぞ」

「一つ聞くけど、好きに理由がいるのか?」


 なるほど、一理ある。

 しかしこれだけは釘を刺しておくべきだろう。


「後でラインツに怒られる覚悟だけはしておけよ!」

「元からそのつもりだよ!」


 キースが元気よく言い返した。

 しかし、そのとき。

 全身にびりっとした激痛が走り、飛竜がけたたましく鳴いた。

 がくっと翼を垂らし、バランスを崩して真っ逆さまに落ちていく。

 胃が落ちるような感覚が再び襲ってきた。

 何が起こったかわからないキースが、懸命に手綱を引いて体勢を立て直そうとするが、飛竜はパニックを起こしているのか、なかなかいうことをきかない。

 地面が迫る。木々が大きくなり、一本線に見えていた峡谷も次第に二本線に——。

 そんな中、セトは妙に冷静になっていた。

 緑の森に囲まれた場所に、一カ所不思議な建物があることに気付いた。

 大きな木に遮られているが、なにか石の建造物が見えたような気がする。


 そのとき、やっとキースが飛竜を水平に戻した。

 はあ、と安堵のため息をついてセトのほうを振り返る。


「セト、今のは何だったんだ?」

「結界だよ」


 キースがいまいましそうに呟いた。


「『竜の牙』め、こんな高さまで結界を張っているのか」


 しかし、セトにはわかった。

 これは『竜の牙』のものではない。

 跳ね返されるだけならともかく、飛竜が引っかかっただけで傷みをもたらすような、圧倒的な魔力でできた防御壁。


「この結界は……おそらく古代竜たちが作ったものだろう」


 セトは前方に手をかざし、魔気を薄く伸ばした。

 手が痺れるような感覚がする。異質な魔力を結界がはじいているのだ。

 どうにか入り込める隙間を探そうとしたが、透明な壁は延々と続いていたのでセトは途中で諦めて手を下ろした。

 峡谷の下、敵の飛竜が出てきた僅かな隙間を除き、周囲は全て結界で取り囲まれているに違いない。

 キースが緑の茂る壁の内部を見下ろしながら、切羽詰まったように言った。


「セト、君の魔力でどうにかできない?」


 セトは顔をしかめて、キースのとんでもない提案をはねのけた。


「いいか、古代竜の巣の近くで戦争していても彼らが無視を決め込んでいるのは、奇跡みたいなものなんだ。

 ここで結界を壊してみろ。

 何匹いるのかわからないが、怒り狂って全員出てきたら取り返しがつかないことになるぞ」






 『竜の牙』の中で戦える魔術師たちのほとんどは、唯一の結界の出入り口である峡谷を守るために、早朝から出払っている。

 だから今、ひんやりした石畳の廊下にほとんど人影がなかった。

 小間使いのメーシェは、パンとスープといくつかの果物を木の盆に乗せ、廊下を歩いていた。

 かわいそうに、と思いながら、メーシェは炒めたタマネギスープの香ばしい匂いをかいだ。

 スープには、魔力を減退させる薬が数滴入れられている。

 これは彼女の女主人、アリーの朝食だ。


 アリー様はまだカサン王国の洗脳が解けていないらしい。

 ここはもはや魔術師の国だというのに、それを信じようとしないのだ。

 だから、ここの素晴らしさに気付く前に逃げ出したりしないよう、しばらくは薬入りの食事を運んでほしいと幹部に言われ、メーシェは忠実に従っていた。

 彼女は昨日になって自分の魔力がなくなっていることに気付いたらしく、随分と暴れて扉を叩いては叫んでいた。

 鍵をかけておけばそのうち収まる、とガンドア卿はおっしゃっていたが、あれからどうなったのだろう。


 そんなことを考えながら、メーシェは頑丈な木の扉の前にたどり着いた。

 一晩寝てすっきりしたのか、それとも扉を叩き疲れたのか、部屋の向こうは静かだ。

 メーシェは食事を扉の横にある石の飾り棚に置き、ノックをしてなるべくやさしく声をかけた。


「アリー様、朝食ですよ」


 部屋の中からは何の音もしなかった。

 もう一度軽くノックしたが、返事はない。

 普段の彼女なら、もうとっくに起きている時間だ。

 ふいに胸騒ぎがして、メーシェは鍵穴から覗き——そして、ひっと声を上げて仰け反った。

 陶器の水瓶が粉々に割れていて、白い敷物の上には真っ赤な血の染みが広がっている。

 その上に、黒髪を散らばらせたアリーが白く長いガウンを羽織って、俯せに横たわっていた。

 彼女の背中も、赤く染まっている。


「なんてことを!」


 そう言いながら、メーシェは震える手で鍵束を取り出し、がたがたと音をさせながら扉を開けた。

 メーシェが駆け寄った途端、アリーの手が素早く動いた。

 視界を血染めの布が視界を覆う。

 アリーが羽織っていたガウンをいきなり投げつけたのだ。

 やっとのことで顔に絡みついたガウンを引きはがすと、彼女の姿は既にそこにはなかった。

 メーシェは廊下にいるであろう、警備の魔術師たちに向かってあらんかぎりの声で叫んだ。


「アリー様が逃げました! 早く、早く捕まえて!」






 捕まえる? 冗談じゃない、とアリーはサンダルで石畳の廊下を全力疾走しながら思った。

 止血はしたが、腕をふるたびに傷が痛む。

 死んだふりをして小間使いをおびき寄せる策は成功した。

 怒りにまかせて水差しをたたき割った後、鋭い破片を見つけて思いついたことだ。

 陶器の破片で腕を切って白い布やガウンになすりつけ、あたかも死んだかのように横たわって、誰かが驚いて助けに来るのを待っていたのである。

 しかし、うまくはいったものの、少し血を流しすぎたようだ。

 頭がくらくらしていて、とても長くは走っていられそうもない。

 だが、ここから脱出しなければという使命感だけが彼女を突き動かしていた。

 警備の魔術師たちは少なく、声を上げて追ってはくるものの、魔術を使う気配は感じない。

 こちらの立場に遠慮しているのか、それとも薬を飲まされているアリーなら簡単に捕まえられると思っているのだろう。

 がむしゃらに足を動かすが、冷たい石の廊下は延々と続く。

 何回か角を曲がったところで、やっと大きな長方形の光が見えた。

 出口だ。外へ出て森へ逃げ込めば、父親の作ったこの巨大な牢獄からは抜け出せる。

 壁の外側の連合軍と合流できれば一番だが、後は、じっくり考えればいい。


 と、光の当たる場所に出て、彼女は立ち止まった。

 出口ではなかった。

 そこは、古代遺跡のちょうど真ん中のあたりに作られている、不自然に張り出した橋だった。

 いや、橋の先は何もない。途中で崩れ落ち、途切れている。

 かつては古代遺跡同士を結んでいたのかもしれないが、今では完全に用をなさない。

 下は石の絶壁で、緑色の木々が小さく見える。

 別の道を探そうと思い、後ろを振り向いたときには、既に遅かった。

 魔術師たちが、じりじりとアリーのそばへ迫ってきていた。


「そこは行き止まりです!」

「戻ってきて下さい、アリー様!」


 魔術師たちが口々に叫ぶが、アリーは崩れかけの橋をできる限り前に進んだ。

 そして鋭く口笛を吹き、威嚇するように怒鳴った。


「それ以上近付いたら、ここから落ちて死んでやるから!」

「アリー様、あなたは騙されているのです!

 『竜の牙』の王国にいれば、なにも心配することはありません!

 貴族もタクト神教徒たちもいない、本当の平穏がここにはあるのです!」

 

 小間使いのメーシェが、魔術師たちの合間から心配そうに叫んでいる。

 彼女たちは、いや、彼らは本気で父親の言葉を信じているのだ。

 この壁に囲まれた小さな世界が理想郷だと。

 魔術師以外を排除しているこの『竜の牙』は、外の世界と何が違うというのだろう。

 貴族と魔術師という立場が違うだけで、排斥しているのは自分たちも同じとは気付かずに。


「アリー様! アリー様!」


 魔術師たちが半狂乱になって叫ぶ中、アリーは、橋から身をおどらせた。


 魔術師たちが息を呑む。

 彼女の身体は宙を舞い——銀色の鱗の上に着地した。

 使者として乗ってきた飛竜は、小屋に繋がれていなかった。

 口笛の合図で飛竜が飛び出してきたのを確認して、魔術師たちから見えない橋の真下で乗り移ったのだ。

 飛竜に乗って空へ舞い上がったアリーは、ポケットからくしゃくしゃに丸めた羊皮紙を取り出した。あまりに意味不明だったが、一応持ってきておいた第二の講和文書だ。

 後は、竜の巣を探し出さねばならない。

 そう思った矢先、眼前に立ちはだかる土壁に、たくさんの洞穴が空いているのを見つけて、アリーは思わず怒鳴った。


「一体どれが『竜の巣』なのよ!」


 古代竜が洞窟をねぐらにしていることは知っている。

 しかし、あの洞窟の一つが竜の巣だとするならば、しらみつぶしにあたっても一日はかかる。

 もはや、どれが竜の巣かを調べている時間はない。


『真の心よ、来たれ我が手に!』


 アリーは竜の頭がついた深紅の杖を手に携えた。

 昨日の夕飯を窓から投げ捨てたおかげで、わずかだが魔力が戻っている。


『風よ、届かせよ、音なき世界に我らの声を!』


 ついで、声の増幅の魔術を唱える。


 そして、彼女にとっては未知の言葉を音読し始めた。

 回りが巨大な壁となっているからか、単純な声の増幅だけではなく木霊まで聞こえる。

 何かの呪文だと思っていたのだが、杖は光りもせず、ただわんわんと音だけが森を渡って響いている。

 最後まで読み上げたものの、何も起こらなかった。

 やはり効果はなかった。竜の巣で読み上げなければならなかったのだ。

 下を見れば、橋のたもとでまいた護衛の魔術師たちが、飛竜にのってこちらへ向かってきていた。


 できることはした。

 もう、終わりだ。

 アリーは、文言が書かれた羊皮紙を手放した。

 二通目の講和文書は、風に吹かれてひらひらと飛んでいった。


 と、そのとき。

 台地を揺るがす唸り声とともに、一つの大きな洞窟の奥から、にゅっと竜の頭が突き出された。

 飛竜よりも数段大きく、黄色い角を持ち、光のかげんによって七色にも見える銀の鱗を持ち、ふさふさとしたたてがみがある竜の頭。

 古代竜だ。


 ルオォォォッ——。


 太い笛の音のような声で、一匹の古代竜が鳴く。

 そして、その声は次第に大きくなり、まるで合唱のように壁の中全体に響いた。

 壁のこちら側に空いているたくさんの洞窟一つ一つから、古代竜の顔が続々と覗く。

 古代竜たちは、穴から全身を抜き出すと、翼を広げて空へ次々と浮かび上がった。

 アリーは、あまりのことにぽかんとしたまま、古代竜の群れが空へ飛び立つのを見ていた。

 竜の巣は、この大きな土壁そのものだった。

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