表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ガラスの魔王  作者: 久陽灯
第一章 魔術師とバキールの怪物
2/46

第1話 酒場と張り紙の罠

 古びた酒場の前でセトは立ち止まった。

 酒場の扉を開けるという行為にはいまだに慣れない。

 少なくとも深呼吸する時間が必要だ。

 その扉が汚ければ汚いほど、勇気の量は比例する。

 この酒場は難敵だ。

 間口は狭く、扉ごしでも品のない笑い声や手拍子が聞こえる。

 大きな街では魔物討伐専門のギルドがあるものの、小さな町や村では酒場や飯屋がその役目を果たす。

 そしてしばしば冒険者というよりも盗賊に近い無法者達のたまり場となる。


 意を決して開けた瞬間、酒の匂いと、なにやら酸っぱいものが混じり合ったむっとした空気に包まれた。

 やはりそこは場末らしく、常連であろう柄の悪そうな男達が一斉にこちらを振り向いた。

 セトはなるべく周囲を見ないようにしながらカウンターへ近づく。

 笑い声やひそひそ話を聞く必要はない。

「ガキが来ていい場所じゃねーよ」と大声で野次っている輩にも用はない。

 用があるのは酒場の主人だ。

 上半身裸に肩鎧を付け、角の映えた兜を被っている大男がカウンターの中に収まっている。

 おまけに眼帯つきで、額には刀傷。

 酒場のマスターとは言い難い格好だが、おそらく彼がそうなのだろう。

 はたして男は近づいてきたセトに対して無愛想に言った。


「ここにゃ酒以外は置いてない。晩飯が食べたきゃ三軒隣の飯屋に行け」

「そこから来たんだ。魔物討伐要請の受付と支払いはここだと聞いたから」


 言ったとたん、店内は爆笑の渦に包まれた。


「魔物討伐? 小僧にゃ酒以上に早ええよ!」

「野良犬でもやっつける気か?」

「やめとけ、ここじゃ最低でも人狼退治からだ。怪我するのがオチだぜ」


 聞き飽きた。何年同じ言葉を聞かされなければいけないのだろう。

 ふいに、セトは全てに対してうんざりした。

 酒場の主人の言葉、人々の反応、そして彼自身に対しても。

 一刻も早く帰りたい彼はもろもろを省略することにし、黙って肩にかけた鞄を開け、重い塊をカウンターにごろっと転がす。


「カルナク山の悪鬼、二十匹全部。賞金の金貨五枚を受け取りに来た」


 店主は素っ頓狂な声を出してのけぞった。

 下半分がガラスに変わりかけの悪鬼の首が、恨みがましくかっと目を開いて中空を睨んでいた。

 店内は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。




 話は本当だった、と男達が洞窟から帰って告げたのは、夜も更けたころだった。

 待ちぼうけを食わされたセトはいらいらと足を組み替えながら、その報告を聞いた。

 いくら証拠の品を持ってきたとしても、他人の目で確認するまで金は払わないと店主がごね、有志の酔っぱらい達が小銭欲しさにカルナク山まで走ったのだ。

 店主が言い訳がましくセトに言う。


「魔術師だって最初から名乗ればいいじゃねえか。ならまだ信じた」

「首を偽物だと決めつけて勝手に見に行ったのはそっちだろう」

「あの悪鬼共には皆が手を焼いてた。

 東部の反乱が激しくなっていなきゃ、騎士団を要請するかもしれねえって噂だったんだ。

 それを初対面のひょろひょろしたガキが根こそぎやっつけたなんて、信じられないとしか言えねえよ」


 頭がかっと熱くなり、思わず椅子をけって立ち上がった。

 が、店主は悪いことを言ったとも思っていないようで「今、金を用意するからちょっと待ってくれ」と言うと背を向けた。

 言い返す機会を失い、セトは鞄を荒っぽく肩にかけ直して息を整えた。

 落ち着け。こんな酒場、もう絶対に足を踏み入れないのだから。

 少なくとも、この山賊のような格好の店主がやっと金を払う気になったのだ。

 そこだけは褒めてやってもいい。


「魔術師に金なんて払うな!」


 突然後ろからわめき声が聞こえ、セトは思わず振り向いた。

 酒瓶を握りしめ、油染みた皮鎧を着込んだ男が凶暴な目でこちらを見つめている。

 どう考えても初対面だ。


「どうして?」


 あまりに理不尽すぎて、セトは素直に理由を聞いてしまった。

 男は酒瓶を振り回して叫ぶ。


「お前達の仲間が、東部の荒れ地で俺達の仲間を殺しているからに決まってるだろ!

 その金も東部の『竜の牙』の資金にするつもりだな?」


 そんな無茶な道理が通ってたまるか、とセトは唇を噛みしめた。

 最近このカサン王国東部で大きな反乱が起こっているという話は、他の街でも散々聞いた。

 『竜の牙』と呼ばれる派閥の魔術師達が首謀者だということも知っている。

 しかしセトは元々この国の生まれでもないし、もっと言えば正式な魔術師でもなかった。

 随分昔に魔術教を破門になっている。


「東部の反乱と私とは、何の関係もない」

「誰だってそう言うさ。本当のことは言えねえからな!」


 男が怒りを押さえきれないようにじりじりと近づいてくる。

 セトの後ろから、店主が低い声でなだめた。


「まあ待て、ドードリオン。

 俺たちは俺達なりの筋ってもんがあらあな。

 魔物を片づけたのなら、誰にだって報酬を払わなくちゃならねえ。

 たとえそいつがコソ泥だろうと、殺人鬼だろうと関係ねえ。

 だから皆ここの稼ぎで喰っていけるんだ。違うかい?」


 そうだそうだ、と外野からも声がかかり、ドードリオンと呼ばれた男はもう一度セトをじろりと睨んだ後、息をついて荒々しく椅子に腰掛けた。

 騒ぎは収まったように見えたものの、セトはまだ不快な気分が消えなかった。

 彼らは魔術師をコソ泥や殺人鬼と同列に捉えているらしい。


 しかし強く抗議できないのも事実だった。

 カサン王国の制度として、魔物退治は一級国際冒険者免許を取得している者だけに許可されている。

 持っていない者はたとえ魔物を倒したとしても賞金が支払われることはない。

 だがいつの世も抜け道は作り出される。

 免許を持っている者が正規の職業紹介所から実入りのよい魔物退治の仕事を請負い、こういった地元の評判のよろしくない酒場に仕事の権利を売り飛ばすのだ。

 そうなった仕事はもう免許など関係なく、早い者勝ちで死人が出ようがお構いなしとなる。

 もちろん正規で受けた額から中抜きされるのだが、それでも賞金が出ないよりはましだ。

 身辺を探られたくなく、従って免許取得など考えたこともないセトでも賞金がもらえるのは、そのからくりを利用しているからだ。

 つまり、ここにいるのはさっき突っかかってきた男も含め、誰もが後ろめたい連中なのである。


 主人がしぶしぶといった調子で金貨五枚をきっちり数えて手渡してきた。

 これでこのいまいましい酒場から立ち去ることができる。

 セトはほっとして金を革袋に入れ、身を翻した。


 そのとき、扉が荒々しい音を立てて開いた。

 ぼろの皮鎧を纏った兵士がずかずかと入ってくる。

 兵士が付けている緑の腕章には見覚えがあった。

 あれはこの国の正規『触れ役』の印だ。

 男は酒場の顔なじみのようで、一斉に全員が色めき立った。


「新しい戦況速報が出たのか? 『竜の牙』の連中をやっつけたんだろうな?」

「いや、違う。今回は競売の知らせだ。どうも貴族様が値打ちものの本を売りに出すとかで」


 兵士の言葉に、皆が意気消沈した。

 紙を壁に押しつけ、慣れた手つきで小さな釘を金槌で打ち込んでいく男に、店主が不思議そうに尋ねた。


「なんでこんな酒場に貼る? 金も学もねえ連中しかいないぜ」

「知らんが上からのお達しだ。

 競売にかける本は魔術書だから、魔物の賞金引替場所になってる酒場全部に貼れってさ。

 おかげで今の時間から隣町まで遠出だ」


 兵士は愚痴を言いながら釘を打ち終えると、ひょいとお辞儀をしてまた酒場から出ていった。

 セトは場違いと言われた銅版刷りのビラをしげしげと眺めた。




〜稀書・魔術書競売のお知らせ 豊穣の月第二水の日、正午より開催〜


 シーラ領、ファルンの街にて、バキール内戦で戦う連合軍を経済支援するため、さる旧家が個人所蔵していた稀書・魔術書を競売にて売却予定。購入希望者は上記日時、正午までにファルン中央広場に集合のこと。


〜以下売却予定作品〜

『トトメスの書』 全章写本 カサン歴500年頃 レスター著

『赤の竜』 十二章〜十四章模写本 カサン歴500年頃 著者不明

『エメラルドの民の書』 断片写本 カサン歴630年頃 著者不明

『竜の全て』 全章写本 カサン歴650年頃 ワルト・ミアリ著……





 見たところ、稀書と銘打つだけあってなかなかの品揃えだ。

 カサン歴一年から七百年までの、魔術教で言う暗黒時代の魔術書写本は貴重だ。

 有名どころの『赤の竜』も時代や場所によって一部内容が異なっており、この時代の本であれば相当な金を積んでも手に入れたいという者はいるだろう。

 そう思いながら、セトはつらつらと最後まで書名を追った。

 そして、最後の作品に目が釘付けになった。


『初代魔王の杖に告ぐ』 現代 アレクサンダー・リュシオン著


 まるで亡霊でもみているかのようだった。

 しかし何度目を瞬かせても、その文字は消えてなくなりはしない。


 アレクサンダー・リュシオン。彼の亡き師匠の名前だ。


 確かに、先生は初代魔王の杖に関する研究をし、論文も発表したことがある。

 しかし、その論文は幹部達に『おとぎ話を信じるような子供向けの稚拙な内容』だと散々な評価を浴びて闇に葬られた。

 もちろん、セトは先生を信じていたし、初代魔王の杖を手にしたことで、その内容が正しかったと証明もした。

 だがあの頭の固い連盟上層部がそれを拾い上げて本にするとは考えがたい。

 これは手の込んだいたずらなのではないか。

 気付いたら、セトは紙を壁からひき剥がしていた。


「おい、勝手に剥がすな」


 酒場の主人が咎めたが、セトが銀貨を一枚放ると笑顔になった。


「……まあ、戦況速報ならいざしらず、ただの競売の知らせだしな。

 ここらじゃ魔術師なんてほとんど見かけねえから、そんなに欲しいんなら持っていってもいいぜ」




 やっと酒場から抜け出し、セトは冷たく新鮮な外の空気を思う存分吸った。

 月明かりに照らされた道を辿って、三軒隣の定宿へと足を向ける。

 宿では主人だけが揺り椅子に腰掛けて寝ぼけ眼で起きていた。

 随分遅いお帰りでと言いざま玄関の鍵をかけて寝室に戻ったところを見ると、セトのために起きて待っていてくれたらしい。

 一抹の申し訳なさを抱えて階段を上る。

 並んだ扉から自分の部屋を見つけると、真鍮の鍵をねじ込んで、がたついた扉を開けた。


「きゃんっ! 入ってこないでっ! 水浴び中よぉ! ハレンチ! スケベ! 信じらんない!」


 かん高い裏声とともに水しぶきがとんでくる。

 セトは不機嫌な顔のまま、つかつかと部屋に入り床に置かれた水桶から真っ赤なインコの両足を掴み上げた。


「ロッド、妙な小芝居はやめろ」

「ちぇっ、ちょっとは乗れよこの根暗が」

「隣り近所に聞こえたら言い訳するのは私だぞ」


 逆さまのまま低い声で毒づく鳥を、開いた窓から外に突き出す。

 鳥はぶるぶると身を震わせてしぶきを飛ばすと、セトの手から足を抜き出し、羽ばたいて部屋へ戻ってきた。


「ぷはーっ、さっぱりした。身体があるのは嬉しい反面厄介だ」


 哲学めいたことを、と思ったがセトは黙って水桶を持ち、窓から水桶の中身を撒く。

 水はうろこ模様の瓦屋根を伝って闇に落ちていった。

 ベッドの木枠につかまり、丹念に羽繕いをしながらロッドが言った。


「羽根の中に砂が入るし、たまに虫まで入りこんできやがる。参ったぜ」


 やはりこの鳥は俗人のようだ。

 セトは少し安心しながら、鞄へと手を伸ばした。

 小さな革袋を開け、親指の先程度の赤い玉を取り出す。

 火の魔石だ。

 呪文を唱えてふっと息を吹きかけると、魔石は明るく輝いた。

 魔石をランプに放り込み、テーブルへ置くと、彼はベッドへ腰掛けて例の張り紙を取り出した。


「ともかく、これを見てくれ。リストの一番下だ」


 一読した途端、鳥は断言した。


「罠だろ」

「やっぱり?」

「お前の師匠の名前、そして俺こと『初代魔王の杖』の名前。

 この二つの餌に食いつくのは誰だ? お前しかいねえ」

「それはわかってる。問題は、誰が狩人かということだ」


 インコは足で頬を掻き、面倒臭そうにあくびをした。


「国際魔術師連盟じゃねえの?

 お前を野放しにしてることにとうとう良心がうずいたんじゃねえ?」

「人を悪人みたいに」


 セトは眠そうなロッドを横目で睨んだ。


「いいか、私が連盟に嫌われている理由の一つは『初代魔王の杖』の引き渡しを拒んでいるからだ。

 いっそ奴らに引き渡してやろうか?」

「あらやだ! あたいを捨てるっていうの! 男なんていつもそう!

 いつだってあたいを一人置いて去って行くの!」

「気色悪い芝居をやめろと何度言えば分かる」


 けっ、と鳥が不満そうに鳴いて、裏声からいつものしゃがれ声に変えた。


「で、どうするよ? わざわざ罠に飛び込むか?」

「……そうだな」


 セトは張り紙を両手で持ちながら、ひどく固いベッドに仰向けに倒れた。

 放っておいても問題はない。

 だが、この先ずっと真相がわからないまま過ごすのもしゃくだ。

 彼はため息をつき、張り紙を畳んだ。


「とりあえず、狩人の顔を見に行く」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ