第10話 天使の治療
天幕の中のベッドは、粗末な頭陀袋に砂をつめたものだ。
寝心地の悪い代物だが、今は羽布団つきのベッドと同じくらい魅力的に思える。
セトは服を着たままベッドに入り、シーツを引っ張り上げた。
天井に組まれた木々をぼんやり見ていると、入り口から女性の声が聞こえた。
「セト様、どうかされましたたか?」
「エディス様?」
セトは起き上がり、扉代わりの分厚い布に向かって声をかけた。
はたして、修道女の格好をしたエディスが天幕へと入ってきた。
テントへ入るときにふらふらしていましたので、と金髪をかき上げながら彼女は言った。
「もしかして、身体の具合が悪いのでは?」
「これは魔力増減症。魔術師がよくかかる風邪みたいなものだ。
体内で大きな魔力変動があったとき、気分が悪くなったり眠くなったりするんだよ」
眠気を我慢しながら説明すると、彼女は目を丸くして驚いていたが、すぐに持っている小さな鞄をあさりだした。
「まあ、大変。早く治療をしなければ。
さあ、腕を出して。瀉血して、悪い血を流し出しましょう」
変に目がぎらついている彼女の手には、小さなナイフが握られていた。
セトは不穏な気配を感じて、変な汗が出てきた。
血を流して健康を保つという荒療治は、タクト神教会ではまだまだ現役なものの、魔術教界隈では既に時代遅れでほぼ行われていない。
瀉血よりも、魔術師が作る薬のほうが効果が大きいと思われているからだ。
それに何より、血を取る必要などないとわかっているのに痛い思いをするのは避けたい。
彼は焦り気味に断った。
「いや、治療は必要ない。魔力増減症には個人差がある。
私は失う魔力も多いから症状も重くなりがちなんだ。
寝ていれば治るから、放っておいて」
「まさか……セト様」
心配そうに眉を潜めていたエディスが、不意におかしそうに微笑んだ。
「魔王を倒した英雄なのに、瀉血が怖いのですか?」
「どうしてそんな結論に?」
彼女の思考がわからず、セトは思わず目をしばたたかせた。
大丈夫ですよ、と彼女は子供にさとすように言う。
「ちょっと切って血を流すだけです。そこまで痛くないですから!」
「だから必要ないんだよ!」
しかし、彼女は頑固に言い返した。
「いいえ、魔術を使ってそんなにふらふらになるなんて、きっと身体がか弱いのです!
悪い血を出さねば、治るものも治りませんよ!
……わかりました。瀉血が嫌ならこれを」
エディスは鞄をごそごそとあさり、黒い小瓶とピンセットを取り出した。
蓋を開け、笑顔で中のものをつまみ出す。
今度こそセトの顔中の血の気が引いた。
茶色くぶよぶよしたヒルが、ピンセットの先で必死に蠢いている。
こんなものを身体に這わせると考えただけで気絶しそうだ。
「さあ、これで悪い血を吸い出しましょう!」
「……やっぱり、ナイフのほうがいい」
笑顔でヒルを差し出すエディスに気圧され、セトはおとなしく瀉血を選んだ。
「それでこの有様か」
半刻後、天幕へ様子を見に来たラインツが木箱に腰掛け、面白そうに言った。
「さっきより顔が真っ白だぞ」
「笑いごとじゃない」
片腕に包帯を巻いてベッドに座ったまま、セトは憮然とした面持ちで訴えた。
「本当に『癒やしの天使様』なのか? 腕を切り落とされるかと思った」
実際、彼女はひどく不器用だった。
瀉血は普通、あまり血の出ない箇所を切り、時間を置いて自然に血が止まるのを待つものだ。
しかし彼女はセトの腕を切り損ない、鮮血が勢いよく吹き出した。
セトが途中で止めなければもっと大惨事になっていたことだろう。
結果、包帯で止血までしなければならなかった。
「たまたまだろう。他の患者からは感謝の声しか聞いていないからな」
ラインツはそう言うが疑わしい。
伯爵家の令嬢が御手自ら看病してくれるのだ。
一兵卒としては感謝の声以外、押し殺すしかないだろう。
「ところでだ。今日の来襲についてどう思う?」
ふと真面目な顔をしてラインツが尋ねた。
セトは両手を合わせて考えこんだ。
「……偵察、といったところかな。
ミラージュで二倍の勢力に見せかけていたところからみると」
「だろうな」
ラインツは腕を組んで天井を見上げた。
「だが、こちらに単独でバベルが使える相手がいるということがわかったんだ。
次は彼らも必死で策を練ってくるだろう。
しかし、古代竜はバベルでも死なないんだな。実に厄介だ。
……裏をかかねば、やられかねない」
ラインツがため息をついたそのとき、入り口の布が乱暴にまくられた。
こちらも蒼白の顔をした青年が返事も待たず駆け込んできた。
「ラインツ総指揮官殿! ここにいらっしゃいましたか!」
「キースじゃないか。どうした?」
先ほど飛竜に乗っていたキースだ。
ひどく狼狽しているようで、彼はラインツに向かって早口にまくし立てた。
「助けてください! アリーが、舌切り刑にされてしまいます!」
セトは驚いて立ち上がった。
そういえば、奇襲があったとき、飛竜隊に彼女の姿はなかったことを思い出す。
ラインツが厳しい調子で問い詰めた。
「なぜだ? 『竜の牙』首謀者の娘とはいえ、あの子は連合軍側にいる。
潜在的な人質にもなっているんだ。
それに、いくら魔術師連盟に大きな権限があるとはいえ、勝手な私刑は禁止だぞ」
「僕だってそう抗議したんです!
でも……『古代竜と戦って勝てるわけがない』と噂していることが上に伝わったらしくて……」
そういえば、とセトは思い出す。
集会の後で出くわしたとき、彼女は父が古代竜とある程度話せると言っていた。
だからこそ、この戦が簡単に終わるわけではないということを知っている。
しかしそれを吹聴してまわっているのはいただけない。
せっかく高めた士気を下げられては今後の戦況に響く。
「このままじゃ、アリーは……!」
真っ青な顔のまま、キースはラインツに向かって泣きそうな瞳で訴えた。
ラインツが頷き、素早く木箱から立ち上がった。
「わかった。もめごとをおさめるのも俺の仕事だからな」
「ありがとうございます、ラインツ総指揮官!」
そう言って、キースはさっと天幕の外に出ていった。
ラインツもそれに続く。セトもついて行こうとしたが、ラインツの腕に阻まれた。
「おまえはもめごとの元だ。魔術師連盟とは距離をおいてくれ」
こうもあからさまに言われて少し腹が立つ。しかし完全な事実だったのでセトはまたベッドに腰掛けた。
例の瀉血のせいか、立ったときに多少目まいがしたので、これでよかったのかもしれない。
しばらく座ってぼんやりしていると、外からとげとげしい声が聞こえてきた。アリーの声だ。
あの剣幕で話せるならば、舌を切られる前にラインツが何とかしたにちがいない。
気になったので、入り口の布をはねのけて外に出た。
太陽の強い日差しが目を焼く。
白い天幕に囲まれた通路で、アリーとキースが言い争っていた。
その後ろに、複雑そうな顔をしたラインツがゆっくり歩いている。
「なによ、私が舌切り刑になって誰が悲しむっていうのよ! 皆喜ぶわよ!」
キースがまあまあ、となだめたが、アリーは聞きもしなかった。
「キース、あんただって私がレーサーの資格を剥奪されて嬉しかったでしょ?
私がいなければ、一着になったレースだってたくさんあったものね!」
「僕も引退だよ」
アリーが息を飲んだのがわかった。彼女にとってキースの引退はショックだったらしい。
噛みつかんばかりにキースに詰め寄っている。
「どうしてよ! 万年二位が、一位になれるいい機会でしょ!」
「記録が伸びないわりに、身長だけが変に伸びたからだよ。
どうせ身体も重くなるんだから、レースは今年で最後にするんだ」
「……そんなこと、私、許さないから!
私は嫌で辞めるんじゃない、父親のせいで出場資格剥奪よ!
あんたは違うでしょ? まだ戦えるんでしょ!
だったら身長のせいになんかしないで、戦いなさいよ!」
困り果てたような顔つきで、ラインツがセトのほうへ寄ってきた。
大体の想像はつきながらも、セトは一応尋ねてみた。
「……何があった」
「端的に言おう。俺直属の魔術師が二名増えた」
ラインツは、はは、と短く笑ってから言った。
「連盟は、噂を流布したアリーにも、おまえを独断で飛竜に乗せたキースにも激怒していてな。
ことを収めるには、俺が引き取るしかなかった。
俺直属の魔術師は、魔術師連盟の言うことを聞かない者の吹きだまりというわけだ」
「筆頭が私で悪かったな」
「わかっているじゃないか、セト」
その会話でアリーとキースは、やっとこちらが苦笑いで喧嘩を見ているのに気付いたようだ。
キースが落ち着いた様子で言った。
「アリー。とにかく、ラインツ総指揮官にお礼を……」
が、アリーはまた形のよい眉をつり上げた。
「ラインツ総指揮官、私は感謝なんかしないわ!
舌切り刑にされても、全然構わないんだから!
二週間で戦争が終わる?
あなたの言うことは嘘ばっかりよ!
古代竜の群れに私たち人間が敵うはずないでしょ!」
古代竜の群れに人間が敵うはずがない。
その言葉に、セトの中にある一つの考えが突然浮かんできた。
今までもやもやとしていた思惑が、一気にまとまったような気がする。
「アリー、君は拘束されていたから知らなかったかもしれないが、セトなら古代竜も倒せるよ。
僕はとんでもない魔術をこの目で見たんだから」
キースがのんびりとした調子でアリーを落ち着かせる。
だがアリーは納得していないようで、まだ言いつのった。
「でも……」
「確かに、全面戦争になれば古代竜のいる『竜の牙』と互角に戦うのは難しい」
セトがいきなり会話に割り込んだので、アリーとキースは驚いたようにこちらを眺めた。
「が、全面戦争の前に、一つだけ提案がある。使者を送るんだ」
その言葉に、ラインツが首を捻った。
「……使者は既に前任者が送った。そして交渉は決裂したんだ。
戦況はもうそんな段階じゃない」
いいや、とセトは首を振って、さっきまでの剣幕も忘れてぽかんとしているアリーをまっすぐ指さした。
「私が送る、と言ったのはそこにいる『平和の使者』だ」




