泥沼の決意
ただ走っていただけだが、どうやら家に着いたようだ。
激しい後悔と共に楓さんのあの悲しそうな顔がフラッシュバックする。
認めたくないことから目をそらす自分がどうしようもなく惨めで、情けなくて、そのことから逃げてしまったのだと思う胸が張り裂けそうになる。
暗い顔をしながら家のドアを開ける。
「おかえり!!もぉ~遅いよ!」
アカリがプリプリと怒っている。
「・・・ごめんよ」
俺のこの謝罪は、アカリに向けて言ったのだろうか。
「どうしたの?元気ないよ?」
心配そうに声をかけてくれるアカリ。
心配なんてしないでくれ、これは自業自得なんだ。痛みから逃げた自分への報いなんだ。
自分の醜さが際立つようで、俺は顔をしかめるのだった。
夕飯を食べ終えた俺は、置いてきたものを取りにあの公園へ戻った。
どうしてもあの事を思い出してしまう。
もう自分には関係のないことだ。忘れてしまえば楽なのに、楽なはずなのに・・
楓さんのあの顔が頭から離れない。
あんな顔をしないでくれよ、そしたら俺もすぐに忘れられたかもしれないのに。
俺は、こんな時でも人のせいにしようとする自分が憎かった。
さっさと取るものとって帰ろう。
あのことは考えないようにと、別のことを考える。
だが、結局タイチは一日中このことを悩み続けるのだった。
「えー、社会は63ページ、憲法を開いてください」
今日もいつも通り学校へ来た。
登校中もあのことが頭が離れず、ずっと上の空状態だった。
今はもう既に2時間目だが、いまだに頭の中にとどまりつづけている。
俺はどうすればよかったんだ・・戦うって、なんなんだよ。
考えれば考えるほど深みにはまっていく。
まさに泥沼。タイチは今、後悔という沼へ沈みかかっている。
もういっそのこと男の提案に乗ってしまおうか、楓さん達を男が倒してくれれば、もう俺はあの人たちに会うことはなくなる。むかつく奴だが、仲間になれば良いところの一つや二つは見つかるかもしれない。
「では①を読んでもらいましょう、暁さん」
「え?は、はい!」
ボー、としてたのか呼ばれて戸惑うサエ。
タイチのことを考えていた、ということは誰にもわからないだろう。
サエが文章を読み始めても、タイチは顔をしかめながらうつむいていた。
でも、楓さんが殺されるのを想像しただけで自分でも分からない感情に襲われる。
俺は一体どうすればいいんだ・・・
少ししてサエが文章を読み終わり、先生がみんなに質問する。
「えー文章にも書いてある通り日本には3つの義務が」
「!?」
ここでもその単語が出てくるのか!
俺はいま世界に嫌われているのではないのだろうか。そんな気さえしてきた。
義務、たった二文字のこの言葉が俺の心を泥沼へと引きずり込む。
「では3つ言ってもらいます。そうですねぇ・・村雨さん、お願いします」
「は、はい」
何とか返事をする。
大丈夫だ落ち着け、ただ答えを言うだけだ。
———————能力を持った以上戦うのが義務よ
「ッ!」
頭が痛む。
その場に立っていられないような頭痛にその場でよろけてしまう。
俺は、俺は・・・!
気が付くと保健室にいた。
いつ移動したのかよく覚えていない。
早退はしたくなかったので、保健室にいた先生にお礼を言って教室へ戻った。
教室へ戻るとリュウジ達が俺に気づき近寄ってくる。
「おい、大丈夫か?」
何も言えず、ただうなずく。
俺はこんな自分が情けなかった。
だめだな、せめてみんなの前だけでも普通にしなきゃ。
「たいち君どうしたの?」
「いや、ちょっと疲れただけだよ」
そう言って俺はサエに笑ってみせる。
今の俺はしっかり笑えているだろうか。
「また明日—」
「じゃなー」
リュウジとサエの家は逆方向なので校門で別れる。
「・・・・・」
俺と神楽は坂道まで帰り道は一緒だ。
二人でいるにもかかわらず、何もしゃべれない自分が嫌になってくる。
「たいち・・・元気ない」
やっぱり言われるか。
これでも午後は頑張って隠そうとしてたんだけどな。
「・・・疲れただけだよ」
「心が?」
そこまでバレてたか。
他人に心配ばかりかけて、俺は一体何をしてるんだ。
自己嫌悪に飲まれていく。
「・・・・・・・・俺は逃げてしまったんだ・・・」
意図せずして口が語りだす。
「逃げちゃいけないことなのに、目を背けちゃいけないはずなのに、俺は言い訳ばかり言って逃げてしまった」
話していながら自分の醜さを感じて、
「その結果ある人を悲しませてしまった・・・」
どうしようもなく情けなくなった。
神楽が俺の独り言に答える素振りはない。
そうだよな、こんなくだらない話、興味もないよな。
静寂の中、靴の音だけが響く。
「逃げるって・・・・悪いことなの?」
この静寂を破ったのは神楽。
か細い声だったが、この静寂の中ではよく聞こえた。
俺だって分かってる。逃げること自体は悪いことじゃないって。
じゃあなぜ俺が悩んでいるのかというと、
「逃げると後悔するんだ」
そして自分が惨めに思える。
「それなら・・・向かい合う」
分かってる。でも、それが出来ないから辛くて苦しんでるんだ。
「出来ないなら、逃げる・・・でも、逃げるには・・・覚悟が必要」
そうか、俺にはそれが足りなかったのか。
逃げる覚悟が、逃げ続ける覚悟がなかったのか。
俺に覚悟があったなら、こんなに悩むことなんて無かったのかもな。
「向かい合うには・・・決意がいる」
決意・・それも俺には足りないものだ。
俺には足りないものが多いな・・。
そのことを神楽は気づかせてくれた。
「もう一つだけ聞いていいか」
「いいよ」
これが分かれば、きっと俺は戦う決意を持てる。
何かしらの答えが見つかるはずだ。
何故かそんな確信があった。
「義務って何なんだ」
「?義務は義務・・・そのままの意味」
答えは、見つからなかった。
逃げる覚悟も、立ち向かう決意も、俺には欠如したままだった。
もしかしたら俺は楓さんに抱いたこの憧れは、俺には無いものを感じたからなのかもしれない。
逃げる覚悟、戦う決意、義務、俺には分からないことだらけだ。
夕飯のカレーを無言で食べている。
いつもなら、嬉しそうに学校の話をするアカリも今日は大人しい。
「お兄ちゃん・・昨日から元気ないけど、どうしたの?」
妹に心配されるとは、俺は兄失格だな。
「いや、何でもないよ」
笑って見せるが、アカリはそんなウソをすぐ見破る。
「話してよ」
自分の情けなさに腹が立つ。
友達や妹に迷惑をかけるなんて・・俺はダメな奴だ。
それでも、アカリのやさしさに甘えるように、
「義務って何だと思う」
この質問をする。
答えが分かれば何かがわかる気がするんだ。
俺にまだ足りない何かが。
覚悟と決意以外の何かが。
楓さんの言葉とあの顔が思い出される。
—————「戦う理由を見つけなさい」「能力を持った以上戦うのが義務だからよ」
戦う理由を見つけろと言っておいて、戦うのは義務だという。
おかしな話だ。
「義務って・・・」
たぶん答えは出ない。
これは自分の問題だ。自分でカタをつけなきゃならないだろう。
「やらなきゃいけないことだと思う。」
辞書みたいな答えだ。
だが俺はそんな答えに、パズルのピースが当てはまるような感覚がした。
きっとこれが俺が求めていた答え。
「やらなきゃいけないこと・・・」
簡単な答えだった。そのままの意味なのだから。
神楽の「義務は義務」これもきっと答えだった。
俺はただそれに気づかなかっただけ。
「アカリ、俺少し出かけてくる!留守番頼んだ!」
そう言い残して家を飛び出していく。
やっと見つかった、俺の戦う理由。
見つけなければならなかった、俺の「やらなきゃいけないこと」。
楓さんのあの顔がフラッシュバックされるなか公園へと向かっていった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
公園についた。
なんか胸の奥がざわめく感覚がする。
それと同時にここで楓さん達が戦っている。そんな確信も。
きっとここに楓さん達がいる。
俺は楓さんに、もうあんな顔をしてほしくないから戦うんだ。
それが俺の戦う理由であり義務。
もう一度あの痛みを味わうのかと思うと足がすくむ。
だが、それが俺の戦う代償。それが俺の能力。
覚悟はないが、戦う理由は、戦う決意は定まった。
だから、もう一度行くんだ、あの世界に!
「反転!!!」
俺は、復讐者。
俺の能力は
———————————「リベンジ」だ。