来客
雨の日は嫌いじゃない。しかし、じめじめとしたこの空気は好きじゃない。
朔夜は頬杖をつきながら目の前に置いてあるオルゴールのネジを回した。強い反動が伝わってくると同時に手を離せば、穏やかな音色が心地よく響く。ときたま耳を澄ませば聞こえる雨音も気分が良い。
些か機嫌を直した朔夜は人知れず微笑みをこぼす。部屋の突当りにあるドアを見れば、こちらからも微かにカチャカチャという音が聞こえた。朝食を食べてティータイムが終了すれば、同居人兼家主はこうしてまた工房に篭る。いつものことだが、なにぶん暇であった。
やることもなく、音の途切れたオルゴールのネジを巻きなおす。先程から、これの繰り返し。
こちらで家事以外のやることを見つけたほうがいいかもしれないと溜息を零した時、コンコンと玄関のドアがノックされた。思わず工房に続く扉を見やるが、気づかないのか部屋からは相変わらずカチャカチャと音がするのみ。
再び、ドアがノックされた。外は雨だ、フランを待っている暇はない。急いで椅子から立ち上がりドアを開けた。目の前に現れた人物は、朔夜を視界に入れた途端ぎょっとしたように目を見開く。「どうぞ」と促すも、相手は一向に家に入ろうとしない。そうすると朔夜自身も動けなくなる。もう一度相手を促すべきか、相手が動くまで少し待っているべきか悩んだ。しかし、もう一度言うと今日は雨だ。この家の玄関には雨を凌ぐようなものはない。家の中に入らなければ、さした傘を閉じることはできない。そして家の中にも必然的に雨は入ってくる。濡れた床を見て後で拭かなくてはと考えていると、やっと男性は家の中に入った。どうやら、家の床を濡らす雨に気付いたらしい。
「すまない…床が」
申し訳なさそうに謝る相手に、朔夜はいいえと首を横に振る。パタンと閉められた扉の音と音に重たい沈黙が辺りを埋め尽くす。前髪の長い目の前の男性からは表情が読み取れない。そもそも人と会話することがそこまで得意でない朔夜にとってはこれ以上ない難敵だった。しかし、重たい沈黙を破る明るい声が唐突に響いた。
「ジュドさんったらもう!挨拶くらいしたらどうなんです!?」
少し高めの女性の声に辺りを見回す。しかし、先程からこの部屋にいるのは朔夜と沈黙を守る男性一人。朔夜が混乱し始めた頃に、やっと声の人物はひょっこりと姿を現した。…男のポケットの中から。
「…小人?」
「ええ、そうです!可愛いお嬢さん。ワタシはルシィと申します。この大男はジュドさん」
ようやく男の名前を知ることができたところで、奥の工房の扉が開いた。出てきた人物といえば、呑気に来客がいることに目を丸くしていた。どうやら出てくるまで気づいていなかったらしい。出てきた人物…フランはといえば、この場にいる顔を順繰りに眺めた。朔夜、ジュド、ルシィ。そうしてやっと今の状況が読込めたのか、ジュドに歩み寄った。
「すまない。まだできていない」
「構わない」
鷹揚に頷いたジュドの肩にルシィが飛び乗れば、腰に手を当てながらジュドの耳を引っ張った。
「何を言っているのです。一日早く来たのはジュドさんじゃないですか。フランさんに咎はありませんよ」
耳を引っ張られても対して文句を言わず、これにもジュドは頷いた。一見背が高いせいで高圧的にみられるが、本人は至って温厚らしい。だからだろう、ルシィのジュドに対する態度には遠慮がない。今度は少し長めの赤茶色の髪を蔦代わりに頭に上り始めている。必然的に髪を引っ張られている本人といえば、彼女が落ちないように手を添えている始末。朔夜のジュドに対する警戒はこれによって完全に溶けた。とは言っても、これで話しかけられるかというと話は別だ。
フランの正式な客人であるならなんら問題はない。紅茶を用意するためにいったんその場を離れた。二つのティーカップを取ったところで手を止めた。
…ルシィのティーカップはあるのだろうか?
食器棚を大探しした末にルシィサイズのティーカップが見つかり、ほっと息をついた。