安堵
茶色い。部屋の第一印象がそれだった。玄関の扉を開けてすぐ近くの丸いテーブルも、壁も床も濃さは違うが茶色だった。
丸テーブルの上には、手のひらに乗るくらいの大きさの木箱が五つか六つくらい無造作に置いてあった。びしょ濡れの手で触るわけにはいかず、けれど気になって木箱を注視しているとその木箱が物入れのように蓋が付いていることが分かった。蓋の縁の部分に金色の装飾が施されていたからだ。
もう少し近づいてみようかと思ったところで、視界が白に染まった。柔らかいふわふわの布の感触が顔を覆う。手に取ってみれば、なんてことはない。ただのタオルだ。しかし、なぜかそのふわふわのタオルに好感を覚えた。優しい香りがしたからかもしれない。昔はよく嗅いでいた香りだ。母が取り込んだ洗濯物にダイブした時に香ったにおい。
タオルをじっと見ていたのが気になったのだろうか、タオルを投げた張本人はそれを再び朔夜の頭に乗せ、慣れない手つきで不器用に頭を拭き始めた。朔夜にとっては力が強くて痛みが伴うものだったが、相手の真剣な表情を見て肩の力を拭いていた。少しだけ、冷えていた心が温かくなった気がしたのか、その表情は安堵しているように見えた。
頭を拭き終えたのか、青年に着替えを渡されて朔夜が戸惑っていると、部屋の奥にある扉を示された。どうやら、あそこで着替えて来いといっているらしい。男物のシャツとズボンは裾や袖が長いので、何重にも折り曲げズボンはベルトで固定しないといけない。
着替え終わり朔夜が元の部屋に戻ってくると、そうと気づいてない青年は、二人分の紅茶を淹れたところでやっと朔夜に気が付いた。口を開いたところで、なぜか止まった。
「…名前」
ぽつりとつぶやかれた言葉は小さくて、朔夜の耳にまでは届かない。首を傾げれば、先程と同じことを大きめな声で繰り返した。
「俺はフランだ。お前は」
「朔夜です」
「サク、ヤ」
少し言いにくそうに何度か口の中で反芻する。朔夜の発音は、フランにとっては聞きなれないものであったらしい。そのことが、朔夜の今まで感じでいた疑問を大きくした。見知らぬ森になぜいきなり座り込んでいたのか、言葉は通じるが、発音の有無が微妙にずれているのは何故なのか。最初に強く印象付けられたのはフランの蒼い目だが、髪も銀髪という日本という国では見ない色、そしておそらくこれは地毛だろう。灰色でもなく、白でもない銀という色は染めたくらいでは綺麗に出せない。雨の空でも綺麗に輝くこの色が、地毛でないはずがないだろう。
「…サクヤ」
いつの間にか、フランをじっと見すぎていたらしく居心地わるそうな視線を向けられて、はっとした。
長い間思考に浸っていたのに朔夜はやっと気づいたようで、その間にフランは問題なく発音できるようになっていた。
丸テーブルの近くにあった椅子に座るよう促され、大人しく座れば朔夜の前にコトリと紅茶が注がれたカップが置かれた。一口飲むと、芳醇な香りと共に癖のない甘さが口の中に広がった。
「おいしい」
思わずというようにつぶやけば、満足そうにフランが笑った。会って初めて見たフランの笑みに驚きと安堵が胸に広がる。安心したはずなのに、驚きとは違った高鳴りを覚えて心臓のあたりの服をぎゅっとつかんだ。高鳴りの意味が分からないまま、それでもかすかに朔夜の頬は微笑むように上がっていた。