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貴族的な彼  作者: 柚木
3/6

貴族的な彼と庶民的な彼ら

 ディーセン=ヒュウ=バークヘルツという男は、まったくもって貴族的な男である。



 そんな彼は、舌も十分に肥えていた。そしてその舌は大変素晴らしく回った。それが遺憾なく発揮されるのは女性を口説くときだが、もちろん他でもよく働く舌であった。女性をたらしこむだけの男ではないのだ。


「エレノア、君の瞳の輝きを前にしてはダイヤモンドも霞んでしまうよ。その眼差しを一心に受ける男への嫉妬で気が狂いそうだ」


 違った。すまない、彼が舌鋒の鋭さを披露する場を堪能するのは別の機会にしよう。


 ……しかしこれでは羊皮紙のスペースが余る。余りすぎる。

 仕方ないので、彼の領地視察時の貴族的振る舞いを見ることにしよう。



 伯爵家の跡取りである彼は、しばしば勉強も兼ねて父であるヒュウリア=ダリ=バークヘルツ伯爵の視察にお供していた。


「ああ親愛なる父上申し訳ない。叶うならお供させていただきたいのですが、私はアナスタシアとの約束がありまして誠に残念ですが」

「おお親愛なる息子よ案ずるな。アナスタシア嬢にはセルマから断りの文を送ってある」

「……セルマ!」

「どうぞ心置きなく行ってらっしゃいませディーセンさま」


 大変優秀な跡取りであるディーセンはもちろん、常に積極的に真剣に進んで喜んで、視察についていっている。そういうことになっている。



「あー、伯爵さまだ」

「あら伯爵さま。それにディーセンさまも」

「どうも。雨季が短かったが、今年の麦はどうだろう」

「お久しぶりですマダム。貴女のブロンドは一面の麦畑の中でも一層輝いて見えます」


 にこやかに伯爵の後ろにつく彼は、そんな経緯を感じさせない。会話が聞こえないほど遠くから眺めていれば、なるほど跡取りにふさわしい雰囲気を備えていた。

 なお、どの発言が誰のものかは羊皮紙の都合もあるので省略する。問題ないだろうし。


 ついでだ。ここでこの国の貴族に関して補足しておこう。

 この国の貴族には自分の領土が与えられる。後継は長男が主流だが、次男のディーセンが後継者であることからも分かるとおり、厳密な決まりはない。


 ああディーセンの兄上?

 あの御方は、まあその、なんだ、なあセディ? ………………うんまあ、元気にやっておられるよ。それはもうとっても。


 話を戻そう。

 貴族は自領を治め、領民から税を徴収。皇家への税は各領地の貴族が集めた税から納め、残りが自分の収入になる。多くの部族が集まってできた多民族国家の名残がうかがえるシステムである。



 さて我らがディーセン=ヒュウ=バークヘルツは、貴族らしく自分が貴族であることに誇りを持っている。そして貴族階級の人間とそれ以外、つまり商人以下の平民たちは違う人種と思っている。

 これだけなら何て高慢な暴君だろうかと思うだろう。実際そうなのだが、そこは無駄に優雅でのんびりした貴族的なディーセン。彼は確かに偉そうだった。が。


「何で子どもが五人もいるのに一つしかリンゴを買わないんだ? 後ろの子たちは皆、キミの子だろう?」


 市場に出たディーセン、見ず知らずの男に話しかける。


「はあ」

「子どもにたらふく食わせてやるのは親の務めだと思わないかい?」

「ええまあそうですね」


 余計なお世話だ、と言わないのが大人の良識。


「なら何故? お前たちも食べたいだろう?」


 いと高貴な方に話しかけられ戸惑いつつ頷く小坊主ら。


「……貴族さま、私はしがない農夫でして」

「ふむ、それが?」

「…………………ですから、人数分のリンゴを買ってやるなんてのはとても」

「何と、農夫というのはそんなに儲からないのか。着ているものも見たことがないほどみずぼらしいしな」


 天を仰いで嘆くが、農夫の方がよっぽど天を仰ぎたいに違いない。


「御目汚しして申し訳ありませんで」

「それにしてもリンゴすら買えないとは……店主」

「へえ」

「何か買わねばせっかく市場に来た甲斐がない。この店のリンゴ全部くれ」

「は? 全部?」

「そうだ、聞こえなかったのか? 面倒だから移動はさせなくていい」


 そんなこんなで馬車一台分のリンゴを買い占め、そのまま周りにいた――ディーセンから見て「なんかみずぼらしい服を着ている」――子どもたちに配るなんてのはよくある風景だった。もちろん渡す際に


「本当にみずぼらしいな。そんな格好でレディを口説くなぞ、紳士として恥ずかしくないのか?」


 余計な一言を加えるのも忘れない。鼻水垂らした少年に対して。



 万事が万事そんな調子で、その天然記念物並みの振る舞いはそんなに反感を買ってはいなかった。というより「ほらディーセンさまだし」と放置されていたし、そこそこの人気者だったりする。

 なお商人たちからはネギを背負って歩く某水鳥として絶大なる人気を誇っていたが、それをディーセンが知ることはない。



 そんなディーセンが金魚のふ……失敬。補佐的にとは言え視察に回って何もないと思ったなら、それは甘い考えである。


 そもそも視察とは、領民との情報交換も兼ねたコミュニケーションの一環に過ぎない。無論脱税の疑いや密輸の取り締まりが目的なら大事だろう。

 しかしことバークヘルツが治める地は平和だった。決算で表記ミスや帳記漏れがちらほら見つかるくらいで、資産流用も隠ぺいも滅多にない。


 視察は完全にバークヘルツ伯の散歩と化していた。



「あ、こら、ミザリー!」


 ああ、何か始まったな。それでこそ観察のしがいがあるというもの。


 場所は街を挟んでバークヘルツ宅と反対の郊外、とある果樹園の入り口。

 ここは夫を事故で亡くし、女手のみで切り盛りしていながらもトップクラスの売り上げを誇る農家である。しかし数日前から盗難の被害に遭っているとの報せを受け、伯爵が話を聞きに来たのが今回の視察のメインらしい。


「ああびっくりした。猫ですか」

「娘が飼っているミザリーです。……ほらちゃんと抱いてなさい」

「それにしても素晴らしい。他は不作と聞いてましたが……」

「ええ。肥料にもこだわってますし、娘たちもよく働いてくれて……」


 果樹園を柵に沿って歩きつつ被害損失や悩みを聞く。実際に現場で動くのは警羅の者たちだが、ちょっとした会話で領民に気晴らしをさせてやるのは領主の役目。



 ぐるりと果樹園を回っても侵入の痕跡が見つからなかった。そこが困ったところで、また一度の被害量は可愛いくても回数が多い。厄介なパターンだった。

 木の下で大人たちがうんうん悩んでいたら、鈴を転がすが如く愛らしい声が果樹園に響いた。この家の娘の一人で、愛猫ミザリーの飼い主と推測。


「だから! 落とし穴をいっぱい作って泥棒さん捕まえちゃえばいいのよ!」


 大人たちが視線を落とすと、猫を抱きつつ誇らしげに胸を張る少女が一名。どうだ参ったかとその胡桃のように丸い瞳が雄弁に語っていた。

 伯爵は可愛いなあと頬を緩め、母親は何言ってるのかこの子はと呆れつつ静かにするよう注意しようと口を開く。


「ほう」


 しかし幸か不幸かそれより先に口を開いた人間がいた。


「小さなお嬢さん、詳しく聞かせてくれないかい?」

 言わずもがな、ディーセンである。詳しくも何も落とし穴に関して何を語れというのだこの男。

 しかし少女はよくぞ聞いてくれたと頷いた。ああ子どもだからディーセンと同レベルなのか。


「果樹園中に落とし穴を作るのよ。そうすれば私たちが寝ている間に泥棒さんは捕まるし、朝のトーストを焼いている間におじさんたちが来てくれるわ」


 おじさんたち、とは警羅の人間のことだろう。いろいろ飛ばして都合よく解決するらしいその計画は、子どもの考えることと微笑ましく終わるはずだった。否、終えるべきだった。


「落とし穴か。いいな」


 かくして果樹園泥棒を落とし穴で捕獲作戦が、付近の農家まで巻き込んで実行されることとなった。



***



 ――昼食時に農民が召集され、煙突から夕食の香りが漂い始めた頃。野良仕事の『の』の字も知らないディーセン指揮の元、両手でぎりぎり数えきれるくらいの落とし穴が完成した。

 ディーセンが銀貨一枚ずつ握らせてあるので、農民たちはそれはもう精力的に働いてくれた。伯爵は彼に金銭感覚とか相場という言葉を教えなかったのだろうか。



 作る場所の決定に一役買って出たのはミザリーである。ディーセンはミザリーの跡を付いて回り、ミザリーが出入りする箇所を片っ端から掘らせたのだ。


「素晴らしい、ミザリー。君のおかげできっと上手くいく」


 やや熱っぽい眼差しを猫に送っていた気がしなくもない、が、流すことにしよう。大人になればなるほど、見たくないものは見えなくなるものである。そもそもあの猫はたぶんオスだ。



 こうして思いの外つつがなく作戦第一段階は終了した。


 結果ばかりは気長に待つしかない。まあ頻度を鑑みるにそう待たずに泥棒は盗みに入るだろう。

 しかしどうしても自分の目で結果を見たいディーセンは、どこかに泊めてもらおうかと思案して諦めた。建ち並ぶ農家の家々を眺めて首を振る。


「この近くは納屋や馬小屋ばかりだな。民家はないのか」


 彼の認識では木製で二階建ての建物は納屋か馬小屋のようだ。上記の台詞を誰も聞いてないことを祈る。




 ――後日。バークヘルツ宅に肉球で押印された感謝の手紙が届くことになるが、それはまた別の話。

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