第八話「巫女さんのお説教」
赤い鳥居を通過して、名も知らぬ稲荷大社へ足を踏み入れた。
参拝客はあんまりいない。
困った時の神頼みというが、この戦乱の世では神にすら頼れない程困窮しているらしい。
本殿は至る所に老朽化が見られる。
歴史はそこそこ古いようだが、信仰の集まりは芳しくないのかもしれない。
さすがに神社であれば、男だからといって不都合なことはないだろう。
もちろん顔を隠しておくのが最善なのだが、この天蓋をかぶって屋内に入るのは避けたい。
確実に蒸れ死んでしまう。
天蓋を脱ぎ、滴る汗を拭いながら近づくと、本殿の手前に巫女さんがいるのを見つけた。
せっせと箒で落ち葉を掃いている。
俺は一つ咳払いをして、巫女さんに話しかけてみた。
「あー、つかぬ事を伺うが」
「はい、つかぬ事をお伺いされます。
お賽銭の投入口はそちらになりますのでどうぞ」
「…………」
あいさつをしただけなのに金をせびられた。
あまりにも自然な流れだったから思わず入れてしまう所だった。
何という洗練されたお賽銭詐欺だ。
いや、詐欺じゃないんだけれども。
「この神社に未来視が出来る巫女がいると聞いてきたんだけど……」
「あや、そちらのお客さんですか。それも男性なんて珍しい。何かお困りなことでも?」
落ち葉を掃く手を止めて、巫女さんはずずいと近づいてくる。
……近い、顔が近いよお姉さん。
凄い可愛いから別に嫌じゃないけどさ。
巫女の身長は俺より幾らか下。
控えめな巫女装束の上からでも分かる豊かで形の良い胸。
長く艶のある黒髪を首の後で束ねている所が何とも妖美である。
しかも表情は常時笑顔で固定。
ニコニコと素晴らしい微笑みを向けて来ている。
この分だと、この巫女さん目当てに参拝する客もいそうだな。
「ちょっと切実に困ってるんだ。どうにかして願いを成就する方法を教えてくれないか?」
「うーん、未来視は所詮未来視だから、お客さんの希望通りの未来が見れるとは限らないですよ? それでも良ければ案内しますが」
「じゃあお願いするよ。手掛かりの一つでも手に入るだけで重畳だ」
「そうですかぁー」
間の抜けた返事をして、巫女さんはこちらへどうぞと言わんばかりに手招きしてくる。
「こちらで行いますので付いてきて下さい」
そう言って本殿の中に姿を消す巫女さん。
俺もそそくさと後ろを追っていき、靴を脱いで本殿にお邪魔した。
芳しい白木の匂いが鼻孔をくすぐる。
薄暗い本殿はどこまでも妖しく神秘的だった。
「ここに座って下さい」
巫女さんは獣の皮を積んだと思われるクッションを指さし、俺に座るよう指示した。
やはり神道、結構動物には厳しいらしい。
心地よいクッションに腰を下ろし、未来視が出来る巫女の到着を待つ。
天上の染みの数でも数えて待っていようかと思ったのだが、案内してくれた巫女さんがそのまま目の前に座った。
「あれ、あんたも未来視が出来るのか?」
「はい。というよりもむしろ、私しか出来ません。未来視というのはその性質上、血縁の類ある者に宿りますからね」
……ああ、あんたが未来視が出来る巫女だったのね。
てっきり他の人が担当なのかと。
しかしまあ、本殿の前で掃除に励む巫女がまさか未来視能力を持っていようとは、釈迦ですらも思うまいよ。
「では、可視する未来を限定しますので、何かご希望の条件をどうぞ」
未来視――この様子だと、未来を予知すると言うよりも、自分の都合の良い未来を引き寄せるための手助けするものなのかもしれない。
正直、魔術だろうが霊術だろうが陰陽術だろうが、胡散臭いものに代わりはない。
存在しているのなら勝手に存在していればいいし、インチキであるのならばそれはそれで良い。
俺にとっては食指がピクリとも動かない、どうでも良い事なのだ。
そういえば、甘屋は友人に陰陽師がいるとか自慢していたな。
真偽の程は知らないが。
「ああ、じゃあ。……俺が元いた世界に帰るには、どうすれば良い?」
焦らしても仕方がないので、率直に問う。
「元いた世界、ですか。その話で行くと、あなたはこの世界の人間ではないのですね」
「……あっさり信じるのかよ」
「ええ、疫病が流行りだしてからはもう、何が起きても大して驚きませんよ。それに、視えてますしね」
「……ほお、そりゃ楽しみだ」
何らかの不思議な力でも秘めているのだろうか。
巫女から溢れ出る底なしの自信。この分だとすぐに結論が出そうだな。
そう、例えばこうして下らない問答を脳裏で繰り広げている内に――
「あ、出ました」
この通り。
巫女さんは照れたように頬をかく。どうやら未来視が終わったようだ。
しかしまあ、手際の良いスピーディーな仕事だな。
快刀乱麻とはこの事を言うのだろう。
さすが水仙さんの推薦。腕は確かのようだ。掛け詞は伊達じゃないな。
「そ、それで。俺は一体どうすれば?」
「視えません」
「………………………………は?」
俺は思わず前につんのめる。
こんなフェイントを仕掛けるとは。こやつ、出来る……。
何かの聞き間違いかと思い、巫女さんを見つめて説明の要求をする。
しかし、彼女は頬を赤くして首を振るばかり。
……だんだん腹が立って来た。
「……視えない?」
「はいっ、視えません」
強い確信を持って言い切る巫女さん。
いや、そんなところで力込められても。
「……お前さっきドヤ顔で『視えてますしね』とか言ってたじゃん。
どこに行ったんだよさっきの余裕は」
俺が非難を繰り出すと、巫女さん照れたように頭をかく。
「途中までは視えてるんですけどねー。ある所を境に、完全に見失っちゃいました」
あははー、と屈託なく巫女さんは笑う
文句を矢の如く浴びせてやろうと思ったのだけれど。
そのほわほわとした雰囲気を前にしては怒りも霧散してしまう。
「いやー、私も京都では一位二位を争うくらいの霊力を持ってるんですけどね。
相手が賛同してくれないと、さすがに視えないですよ」
そう言って、意地悪げに微笑んでくる。
相手が賛同してくれないと――その言い回しがどうにも気に掛かる。
「どういう意味だよ」
「あなたが自分の心を見られるのを拒否しているという事です。
未来視は内面、外面両方の情報がそろった上で構築される物なんです。
心を閉ざされていたら視えるものも視えませんよ。それにしても、必死ですねー。
そんなに見られたくない内面があるんですか?」
「………………」
言い方が気に障る。
分かっていてなお、外堀から埋めて行こうとする。
こういう手段を用いる奴は、性格が良かった試しがない。
「そりゃあ見られたくない内面情報もあるでしょう、人間ですからね。
でも、人に物を頼んでおいて自分の手の内を晒さないというのは、礼節に欠けていますよ」
内面を、人に晒さない。
それは詐欺師であれば当然のこと。
しかし俺の場合、加えて他の理由も参入している。
絶対に、内面を出さないようにしている。
いや、この言い方は間違いだ。
なぜなら、心を閉鎖している本当の理由は――
「晒さないんじゃない。……晒せないんだ。
いくら人を信用しようと心で思っても、全身が拒否しようとする。
おかげで人には気味悪がられるばかり。俺に友人がいない、一番の原因だよ」
はっきり言って、俺の心中を読める者はいない――恐らくサトリの妖怪を持ってしても不可能だろう。 なるほど、確かにそれは詐欺師にとって一番の武器になる。
しかし同時に、人間との親交を否定する棘となってしまう。
孤独を強いられることが決められているかのような――精神。
これを許容してくれた女性は、元の世界ににただ一人だったな。
俺が回想に浸っていると、巫女は間断を挟まずに畳み掛けてきた。
「知っていますよ。視えてますから。
どうやら、あなたは他人からは窺い知れない葛藤を抱えていらっしゃるみたいですね」
「葛藤なんて、そんな大層なもんじゃないよ。
ただ単に、人との付き合い方を知らないだけだ」
すると、巫女は先程とは違い、包容力のある慈悲の笑みを浮かべた。
そして、諭すようにしてすらすらと語る。
「確かに、自分を分析するのは大事なことです。
しかしその視点は、同時に冷めて哀しいものでもあります。
あなたはもう少し、人に甘えることを覚えたほうがいいですよ」
親切な御忠告。
ここまで気を遣ってくれる相手には、感謝の心を持って接するべきなのだろう。
だが、残念ながら俺にそんな事は不可能だ。
「……甘えないよ。人を信じたら、騙されるからな」
俺の言葉に、巫女は悲しそうに首を横に振る。
失望したという訳ではないだろう。
しかし、俺が簡単な説法で改心するような人間でないと悟ったようである。
「分かりました。あなたの自尊に踏み入るようなことはしません。
しかし、拒み続ける限り、あなたは未来視の恩恵は受けられませんよ?」
「結構だ。感情を外に出すことは、俺にとっては拷問に等しい。
それに、俺は人を信じるには騙され過ぎた。今更この信条を変える事は出来ない」
俺は最後に完全な拒絶を示した。
すると、少女は諦めたように脚を投げ出す。ついでに大きく溜息を吐いた。
……裾が短いことが分かっているのだろうか。
見えそうでヒヤヒヤする。
話すことはもうない。せっかくの有力情報は、役に立たなかったようだ。
俺は話は終わりとばかりに立ち上がり、巫女に背を向ける。
あまりにも中途半端な所で終わったが、彼女はさして気にしていないみたいだ。
「尽力ありがとう。久し振りに自分と向き合うことが出来そうだ。
どれだけ自分を懐柔しても、最後には拒絶しちゃうんだろうけどさ。
一応頑張ってみるよ。礼はこっちに入れとく」
右胸ポケットから財布を取り出し、中から1貫銭を5枚出した。
それを無造作に賽銭箱に放り入れる。
虚しい金属音が響いて、大金は箱の中へ消えた。
俺は靴を履き直し、本殿の外へ。
すると、巫女が後ろから走ってきた。
裸足で、必死の快走で。
そんな無茶な走りをしたからか、巫女は俺の足元ですっ転んだ。
「あいたぁっ!」
「……何をしているんだお前は」
呆れていると、巫女は立ち上がって俺の手を握ってきた。
すると妙な感覚が手に走った。
しばらくの間、俺の眼を見つめてくる。
新手の客引きかと思って冷や汗をかいたものの、少女は優しげに微笑んで一歩後ろへ引いた。
その折、さよならのあいさつの代わりか、耳元で二言三言呟いてきた。
「あなたの素直じゃない所はとても素敵ですよ。
でも、このまま帰ったんじゃ、あなたが余りにも哀れです。
もう少しこの世界で、人との付き合いを学ぶと良いです。
……その紙を、後で開いてみてくださいね」
小声で言って、巫女は本殿へ再び走り出す。
一度も振り向かない姿は、言うまでもなくいさぎよかった。
俺は怪訝に感じながらも、右手を開いてみる。
するとそこには、純白の紙が鎮座していた。
……言うことがあるのなら、直接言えばいいのに。
納得し難い行動だったが、とりあえず言われた通りに開いてみる。
『巫女から伏見春虎君へ
この神社を降りたら、右手に繁華街が見えます。
そこを右手に沿って進んで下さい。
着いた場所で事が終わったら、出雲大社へ行ってみて下さい。
きっとあなたの内面を見通し、元の世界の帰り方を教えてくれるでしょう。
最後に、この手紙を見て私の嘘に気付くかも知れませんが、
戻って来ても何も教えませんので悪しからず。
騙されたと思って諦めて下さい。詐欺師らしくね』
綺麗な文字である。
全く批判するところがない見事な達筆だ。
いつの間に書いたのかは知らないが、この手紙を読んだ結果、一つ分かったことがある。
あの巫女は、やはり性悪だ。
俺は一度たりとも自分の名前を名乗ってはいないし、詐欺師であることにも一切触れていない。
にも関わらず、あの巫女は見事に言い当てている。
その上これからの俺の行動を指示している辺りで、もう疑う余地はない。
あの巫女――未来視出来るじゃん。
こっちの信条云々を理由にして未来視が出来ない等と嘯いていたが。
あれはこじつけか。
いや、確かに俺の内面の弱点を完膚なきまでに言い当てていた。
嫌がらせとカモフラージュ――そんな所だろう。
つまり、まんまと騙されたわけだ。
今になって腹が立ったが、こんな事すら見抜けなかった俺が悪いので、諦めるとしよう。
何も教えないと明記している以上、今更食い下がった所で無意味のはず。
あの巫女に一杯食わされた結果となったが、不思議と禍々しい嫌悪は湧いてこない。
とりあえず、空腹と用心棒の険が未解決なので、繁華街に行くというのは望むところだ。
俺は指示通り、神社の階段を駆け下りていく。
そこで何が起きるのか物凄く不安である。
なまじ予言されているだけに、生半可でない異常事態が起きてもおかしくない。
しかしまあ、なるようになるだろう。
たまには楽天的に行動するのも悪くない。
ここに来る時よりも軽快に、俺は階段を足で叩いていた。