第六十七話「最終話・俺たちのゴール」
ふと目が覚めた。
長い長い夢の中から、這い出てきたような錯覚がする。
一週間くらい寝込んでいたら、きっとこれに似た感触を味わうんだろうな。
とは言え、別に寝ていたわけではないらしい。
垂直に立ったまま寝るという芸当が俺にできるはずがないからな。
どんな体勢で帰って来てるんだよ俺。
服をめくって自分の身体を見てみる。
別にナルシシズムに目覚めたわけではない。
ただ、一つ確認したかったことがあったのだ。
「……やっぱり、夢じゃなかったんだな」
俺の腹部には、5本の細長い傷が刻まれていた。
これは、山中でアヤメに引き裂かれた時に出来たものだ。
足利との戦いの時には、まだありありと残っていたのだが。
よく見れば、他の生々しい傷跡も、全て古傷のように目立たなくなっていた。
不思議なものだ。
まあ、夢か確認するのなら、まず俺が和服を着てる時点で済んでいるのだけど。
それより俺は、一人の来客に目が釘付けになっていた。
いきなり現れた俺を見て、眼を丸くしている少女。
それは、ちょうどマンションを訪ねてきていた甘屋茜だった。
玄関のドアを開けて(鍵はしていたはずなんだが)、部屋をのぞき込んでいる。
そこに俺が現れて硬直状態、と言ったところだろうか。
「……先輩」
「い、いやこれは違うんだぞ。
ほらアレだ、今流行りの出現マジックだ。
決して鎧に触って光りに包まれて飛んで来たなんて破天荒なことはありえないわけで――」
いきなり人間が出現する非科学的な光景を見せてしまった。
だが、それについての言い訳をする俺の邪魔をするように、甘屋が俺に抱きついてきた。
思わず壁に背中を打ち付ける。
すると背後からお返しのようにドンという音がした。
なんだ、今まさか隣人が壁ドンでもしやがったのか。
くだらないことを考える暇もなく、甘屋が胸に顔をうずめてくる。
「……先輩ぃ。
も、もし帰って来なかったら、ひぅ……ひぐっ、どうしようかと」
「何で泣いてるんだよ。俺はアレだぞ。
天井から一瞬にして飛び降り、人の目の前に姿を現すマジックをしていただけだぞ」
「嘘でしょう……知ってるんですよ。てか聞きましたよ。
先輩、えっと……あ、危ないところに行ってたんですよね」
「……う、バレてるのか」
その一言で、俺は一人の人間の影を感じた。
まさか、行方不明だったのに帰ってきやがったのか。
甘屋の頭を撫でながら玄関を見ると、無気力なおっさんが土足で踏み入ってきた。
何この人、取り立て屋?
「やっぱりあんたか。
俺が必死で隠そうとしてたのに、余計な真似をするなよ」
「素直にありがとうって言えねえのか。
俺が言ってやったお陰で大好きな茜ちゃんに抱きついてもらってんだろ。感謝くらいしやがれ」
「未来永劫あんたに感謝することはないだろうが、今だけは別だ。
一つだけ言いたいことがある」
「ほぉ?」
ニタニタと笑う不愉快なおっさんの顔から視線を引き剥がし、俺は片手で発明品を取り出す。
それは、全ての内容ガスを使いきり、空になった缶だった。
すっかり軽くなった缶を前に突き出す。
「これに関しては、その……助かった」
「ああ、そういえばそんなのもあったっけな。
特別に出世払いにしてやる。
妙に脱皮したような面してやがるから、何かしら心境に変化があったんだろ。
まともに働いて返しやがれ」
「……できるかぎりな」
俺は缶を放り投げる。
すると、甘屋草一は小さく笑ってそれを受け取った。
俺は茜に視線を戻す。
もう泣いてはいないようだが、泣き腫らしている顔を見ると胸が痛くなってしまう。
本当に心配させてしまってたんだな。
頭をポンポンと叩いた後、甘屋の状態を俺から引き剥がす。
そしてその上で、改まって話しかけた。
不意打ちを狙って、あえて前置きをすっ飛ばす。
「……甘屋。いや、茜」
「はい?」
「――結婚しよう」
「…………え、えええええ、え? 今なんて言いました先輩」
「いや、だから結婚しようって」
「…………」
甘屋が固まってしまった。
何たることだ、オイル切れのカラクリ兵みたいになるとは。
赤面してしまって、喉からうまく声が出てこないようだ。
しどろもどろになって、甘屋は困惑の声を出す。
「い、い、いきなりなんですね。
わ、私はもちろん嬉しいですけど……その、お父さんたちが」
ああ、そうだった。
そういえば、甘屋の親父さんが結婚に反対してるんだっけな。
詐欺師なんて職業をやってる馬鹿と結婚なんてさせるかと。
今思えば、もっともな反応だ。
「ああ、詐欺師なら卒業した」
「そ、卒業!?」
「平たく言えば辞めた。これで文句はないはずだ」
「……や、辞めたんですね」
そこで、甘屋が安堵するように柔らかい吐息を吐いた。
やっぱり、俺が詐欺師をやってたことを快く思っていなかったんだな。
当然か。詐欺師なんて職業は割に合わない。
運良く大金を稼いでも、その途中で注いだ努力は偽物にすぎないのだから。
空虚な偶像で成り立った地位ほど悲しいものはない。
甘屋は俺の辞めちゃった宣言を聞いて、少し安心したようだ。
彼女は顔を上気させながら、ポツリと告白した。
「私も、先輩と……その、結婚――したいです」
「ああ、一緒にいような。茜」
そう言って、俺は再び茜を抱きしめた。
甘屋の身体はとても華奢で、強く抱きしめると壊れてしまいそうだった。
柔らかい匂いで鼻孔をくすぐる。
眼の前でプロポーズを垣間見ることになってしまった甘屋草一。
伯父として、彼の反応やいかに。
「……タールが重すぎんだよな、これ」
何かタバコに文句言ってた。
しかも少し吸っただけで床に投げ捨て、足先でグリグリと消火する。
どうやら、気を利かせてくれていたようだ。
わざとらしく咳をしている時点で失敗感が否めないが。
しばらく抱擁を交わした後、どちらが先か、そそくさと離れた。
多分照れに耐え切れなくなった俺が先なんだと思う。
人とこんなことをした経験がないから、どういう風に構えたらいいのか分かんないんだって。
俺と甘屋が少し視線を合わせられないくらいに照れ合っていると、タバコを消費し終わった甘屋草一が話しかけてきた。
「坊主、灰皿よこせ」
「ねえよ。肺炎引き起こして死ね」
「ああそうか。仕方ねえな。
しかし最近手の震えが止まらなくてな、こうポトッと落としちゃうんだよ」
「床で消火すんなや!」
急いで雑巾で拭き取る。
よく見てみれば、数十本単位でシケモクを床に落としていた。
さっきの会話の中だけでどんだけ吸ってたんだよ。
「それより坊主、お前を妙な世界に送った鎧があるだろ。
修理したいからアレをよこせ」
「ああ、鎧なら部屋の角に――」
俺が指をさした先にあったのは、鎧――であったものだった。
そういえば、俺がこの世界に戻ってきた瞬間に派手な爆音がしたけど、これが破砕した音だったのか。
多分、次元を無理やりつないで人間一人を強制送還した結果、耐え切れなくなって壊れてしまったのだろう。
相当な価値のある発明品だったに違いない。
なんたって異世界への道を切り開くものだからな。
とはいえ、この壊れ具合を見るに、二度と人を飛ばすなんてできそうにないが。
探していた鎧がオシャカになった光景を見た甘屋草一。
彼は完全に硬直していた。
「…………」
何も喋らない。
恐らく、己の発明品の末路を見て熟考しているのだろう。
不審に思った甘屋が伯父の前で手を振る。
しかし、何の反応もない。
しばらくぺちぺちと顔を叩いていた甘屋は、ゆっくりと首を横に振って俺に声をかけてきた。
「……失神してる」
「俺の予想の斜め上だったよ」
なるほど。よく見てみると、白目をむいて気を失ってらっしゃる。
この気絶中なら俺に勝ち目があるな。密かに計画を立ててみる。
「今のうちにこいつの指紋で血判状を作っておくか。
『春虎殿に永劫の忠誠を誓う』って文面で」
「誰がそんな真似させるかぁ!」
「うぉあ、起きてるじゃねえか! てか気絶から覚めるの早っ!」
いきなり正気を取り戻した甘屋草一は、いざ指紋を取ろうとしていた俺に飛びかかってきた。
その手には禍々しい銃が握られている。
どう見ても実銃にしか見えない。おまわりさん、銃刀法違反者はここにいます。
「こいつはなぁ、ドタマに撃ち込むと、一日の間ずっと脳神経が土下座をする指令しか出さなくなるんだ。丸一日掛けて俺に謝罪をしてもらおうか!」
「お前、何てものを開発してやがるんだ!」
必死に暴れながら、銃口から頭部を逸らしていく。
一度銃が発射されたが、その弾は床に深くめり込んでその動きを止めた。
おそらく、頭に打ち込まれたら脳の神経がどうこう言う前に、即死するんじゃないかな。
生命の危機を感じて、スタンガンを取り出す。
致死性を極限まで抑えて、おっさんの胸元で放電した。
――しかし
「甘い、甘いんだよ! 甘屋だけになぁ!
その発明品を茜に教えたのは誰だと思ってやがる!
絶縁体を組み込んだこのコートを舐めるんじゃねえ!」
「つ、強すぎる……!」
無効だった。俺の武器は完膚なきまでに無力化されてしまった。
さすが天才発明家。前半のシャレは微塵も評価できないが、こっちの攻撃を見越した発明品の配備は尋常じゃない。
ついに抑えこまれた俺の頭に、銃口が付きつけられる。
「……チェックメイトだ、坊主!」
「……ぐっ」
やっと帰還を果たしたというのに。
感動をぶち壊しにするために出てきたのかこの男は。
はとこの婿を病院送りにするつもりか。
思わず目をつぶりかけたその時、おっさんの全身が一瞬凄まじく揺らいだ。
そして、そのまま倒れこむ。
奴の背後にいたのは、俺と同じスタンガンを持った茜だった。
荒い息をつきながら、コートの中に手を突っ込んでいる。
どうやら、弟の娘の反逆によってこのおっさんは地に伏したらしい。
気絶したかと思いきや、なんと甘屋草一はむくりと起き上がった。
あれほどの電流を受けて、動いていられるだと……?
甘屋の手元にあるスタンガンを見てみると、レバーが最強近くまで振り切られていた。
このおっさんの耐久力は化け物か。
俺がゾッとしていると、当の本人は親指を突き出して微笑んだ。
「……夫が注意を引き、妻が本命の攻撃で仕留める。夫婦初めての共同作業だな」
上手いことを言ったつもりなのか、中々の得意顔になっている、
だが、それを言い残した後、ガクリとうなだれた。
再び失神したらしい。そりゃあ、あの一撃を受けたらな。
とはいえ、この後わずか5分で起き上がったおっさんを見て、恐ろしさを再認識したんだけども。
その時俺と甘屋は、一緒に笑っていた。
俺は引きつった笑い。
甘屋は心からの優しい笑い。
かなり遠回りをしたように思えるが、俺たちは最高の到達点を迎えたんだと思う。
数日後、この地の役所に、一つ婚姻届が届いた。
これが、俺のたどり着いた、俺たちの偽りのないゴールだった――
◇◇◇
今日は全国的に日曜日だ。
そこそこ多くの人々が、働き詰めの中でささやかな休息を得る。
少し前の俺であれば、この日はひっきりなしに電話が鳴り、届いたポストの依頼書を吟味していたことだろう。
しかし、今日は電話がかかってくる度に、一言二言返事を返して即切りをしていた。
今日も今日とて、健全とはいえない黒い封筒がポストに届いてくる。
もちろんまともに読む気はない。
しかし、冷めた心で読む依頼書はどんなものなのか。
少し興味が湧き、その内の一通を開帳した。
『拝啓、地方都市に根を張る詐欺師殿。今回は貴殿に巨悪である――』
その時点で、俺は文書を破り捨てた。
今思えば、よくこんな文章を今までまともに読んでいたものだ。
内心で苦笑いし、紙をぐしゃぐしゃに丸める。
他にも似たような手紙があったので、シュレッダーに叩きこんで紙片に変身させておいた。
封書さんもダイエットすることが出来て嬉しいことだろう。
一息ついていると、また電話が鳴った。
もちろん携帯電話なのだけれども。
プライベートコールの方は電源を切って充電している最中なので、鳴っているとすれば仕事用の方だ。
とりあえず電話に出る。
すると、ご丁寧に変声機で声を変えた男の声が聞こえてきた。
「もしもし、依頼者だ」
「ああ、左様で」
「あなたを強気を挫き、弱気を助く詐欺師と見込んで――」
「見込まないでくれ。俺は詐欺師じゃない」
「……詐欺師でない? とすると、あなたは誰だ」
「誰でもないよ。
ただのどこにでもいる、普通で不変の一般人だ――」
そう言って、俺は電話を切った。
今のは確か、かなりの頻度で依頼を請け負っていたお得意様だったか。こ
れで二度と頼ってこないだろうな。後悔は微塵もないけど。
もう少しやんわり切るべきだったかなと少し考えていると、電話が鳴り響いた。
またしても仕事用の方だ。
「……はぁ」
面倒くさい。
掛かってくる度さっきみたいな茶番をしないといけないのか。
そう思うと嫌になるな。そこまで思い至った時、妙案を思いつく。
そうだ、最初からこうしていれば良かった。
電話をぱかりと開き、ゆっくりと顔の高さに掲げる。
俺は全体重を掛けて振り下ろすと同時に、膝を振り上げた。
「……ていっ!」
すると、21世紀において重要な発明品は真っ二つになった。
中のチップも取り出し、スタンガンの放電を浴びせる。
ついでにレンジでチンをし、バーナーで炙ってみる。
最後にトンカチで物理的に砕いて、破壊作業を終えた。
これで二度と復旧はできまい。
一人でうなずき、黙考に沈んでいく。
高校の授業をサボりにサボっていたから、今とても忙しい。
甘屋の助けを借りようにも、文系である俺の古典などはカバーできない。
必死に自分のために頑張りながら、今日を生きている。
甘屋と籍は入れたものの、まだ別居で暮らしている。
早く高校を卒業し、真面目に働いて賃貸住宅で一緒に住もうと提案したのだが、周囲から俺は進学すべきだと鬼気迫る勢いで勧められた。
なんだ、俺がそんなに勉強しないとダメな社会不適格者だってのか。
その通りすぎるから否定出来ないけど。
目前に控えたセンターに少しでも間に合わせようと、俺は必死に頑張っている。
少しづつ脱線した道から、まともな軌道に戻りつつある俺の人生。
このきっかけは、一つの不思議な出来事から始まった。
苦しいこともあったけれど、死にそうになったこともあったけれど。
それらが重なったから、今の俺があるんだと思う。
あの少女たちとの出会いが、俺が俺であることを気づかせてくれた。
感謝しても感謝しきれないほどの大恩だ。
だから、必死に俺が生きることが、彼女たちに対する最大限の恩返しになるんだと思う。
詐欺師として咆哮したあの時の俺は、一般人となって勉学に打ち込む今の俺になった。
今思えば、俺は色んな人にねぎらいの言葉と感謝の言葉を伝えてきた。
しかし、一人だけ伝えていなかった奴がいる。
それは、他ならぬ俺自身だ。
クリスマスが近づき、雪がちらつき始めるこの世界。
そんな普通で不変な世界で、俺は生きて行く。
ここまで来るのに、とんでもない遠回りをしたような気もするが、最後が良ければ全て良しだ。
そんな最後を飾るために、この一言で区切りをつけたいと思う。
それは今までの人生で、きっと初めての意味を持つ言葉。
「――お疲れさま」
俺が幸せになっていい人間なのか分からない。
だけど、あいつを幸せにするためなら、俺も一緒に幸せになっていいのかな。
答えが出るはずもないことを考え、思わず笑みをこぼしてしまう。
十八歳の冬、俺は不思議な体験をした。
その時に得た大切なものを胸に仕舞い、俺は今を生きて行く。
一人だけの道ではない。
誰かと支え合える、そんな幸せな道なんだ。
これは、詐欺師の伏見春虎が、伏見春虎になった物語だ――
fin.
一貫して書きたかったのは(多分)更生。
最終話までお読み頂き、ありがとうございます。
連載期間としては、半年くらいでしたでしょうか。
皆様のご声援やご感想があって、ここまで来ることが出来ました。
ゴールを迎えられて、本当に良かったです。
基本的に、この作品を一言でまとめますと、高校生が詐欺師を辞めるだけのお話です。
人との接し方が分からなかった主人公が、何とかもがいて成長し、更生していく。
そんな物語を書きたくて筆を執った次第だったり違う次第だったり。
それはともかく、完結まで走り切れて、まずは安堵しています。
エンドの仕方は、一応ハッピーエンドらしきものになりました。
戦国キャラとの別れなどもあったので、上手く大団円になっているか、結構ドキドキしています。
春虎の成長物語にお付き合い頂き、本当に感謝感激です。
『更』『生』すると書いて『甦』る。
そんなこんなで『戦国の詐欺師~異世界からの脱却譚~』でした。
とりあえず、次回作へ意識を向けていきたいと思っております。
次の物語は、近々公開するかな、ってところでしょうか。
次回作が形になり次第、また小説家になろう様を利用させて頂きたいと思っております。
その際はまた、物語にお付き合い頂けると嬉しいです。
完結したらやってみたいことがあったので、今回はその一言で締めたいと思います。
それでは、”赤巻たるとの次回作にご期待下さい!”
ご一読、ありがとうございました。




