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戦国の詐欺師~異世界からの脱却譚~  作者: 赤巻たると
第三章 打倒、将軍家
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第六十三話「傭兵男が遺した傷跡」

 

 先手必勝とばかりに、俺は氷華に向かって一直線に走りこむ。

 火縄銃を使われたら厄介なので、弾込めの前にカタをつけてやる。

 だが、氷華まで後数メートルというところで、眼前に槍の穂先が見えた。


「……うぉっ!」


 とっさに腕を組んでガードする。

 不滅の両椀をつけているので切断されることはないが、衝撃を殺し切れずに倒れこんでしまう。

 そこに、さらなる追撃。

 三好凱菜が、俺に槍を突き立てようと思い切り振りかぶっていた。

 だがその瞬間、目の前に短刀が割り込んでくる。思

 わず槍を引っ込め、凱菜は後ずさる。

 面白いものでも見つけたのか、彼女は楽しそうに笑っている。


「おや、よく見てみれば。

 お前は足利家に仕官拒否された竹中の令嬢じゃないか。

 違う勢力に仕えたとは聞いていたが。本当だったのか。

 しかしまあ、節操無しに主を変えるんだな。今度は男に尻尾を振ったか?」


「ご主人様に仕えるまでは、確かに勢力を転々としていました。

 それは否定しません。ですが、私はもう二度と勢力を変えません」


「……なに?」


「私のこの身は、血の一滴までご主人様に捧げます。

 そして、ご主人様の仕える宇喜多家へと。

 将軍に叛意を持っているあなたに、今の私を侮辱することは許しません」


 風薫は自信を持ってそう言った。

 そう言えば、この二人は面識があったんだったか。

 一度は風薫を殺そうとした武将――三好凱菜。

 その因縁がこんな所でつながるのか。

 槍を構える凱菜は、風薫を見定めて冷笑した。


「ほぉ、どうやらそこの冴えない男に、いたくご執心らしい。

 でも、私は侮辱をやめないよ。私の人生は、常に弱者を踏み砕いて成り立ってきた。

 お前に許さないと言われても、この生き方を変えるつもりはない」


「そうですか。ならば――」


「戦う、か? 一度私に完全敗北しておいて。

 身の程をわきまえろよ負け犬。とはいえ、私にだって慈悲はある」

 お前の不屈の精神に免じて、ここでその薄幸な一生にとどめを刺してやる」


「だから、勝手に私を薄幸扱いしないでください。

 私は、ご主人様に会えたことが、本当に幸せなのですから」


 そう言って、風薫は短刀を腰に差し直す。

 実戦で使うのかと思ったのだが、どうやらお守りとして持っているだけのようだ。

 短刀の上にぶら下げている日本刀を抜き、頭上に掲げる。

 それは撃剣における『天の構え』。

 一撃必殺を繰り出すための攻めの構えだ。


 風薫は凱菜を睨みつける。

 その眼は、俺が見てもぞっとするほど、殺意に満ちていた。

 いつもは小出しに放出しているものの、風薫はその身に尋常でない衝動を秘めている。

 それが、この場面で解禁されたのだろう。


「ご主人様、眼を瞑っていたほうがいいかと」


「いいや、瞑らない。敵は一人だけじゃないからな。油断は禁物だ」


 俺は凱菜の後ろで火縄銃を構えている氷華を見据える。

 俺の視線が不愉快なのか、すぐに凱菜の背に隠れてしまった。


「俺は残酷なことから目をそらさない。

 それらを全部受け止めてこそ、今の伏見春虎だろ」


「確かに、そうですね」


 風薫は苦笑する。

 陣の外では死闘が繰り広げられていて、この二人を守る側近は出払っているようだ。

 つまり、純粋に2対2の戦い。

 だが、俺と氷華は直接の戦闘力がないので、実質的には一対一での戦いか。

 凱菜は挑発するように声をかけた。


「剣と槍では勝負が見えているが?」


「同感ですね。時間がありませんので、早めに終わらせましょうか」




「……チッ、行くぞ――」



「参ります――」




 二人は声を合わせると、正面から激突した。

 風薫が身をかがめ、比較的大柄な凱菜の懐に潜り込もうとする。

 しかし、先手を取ったのはリーチの長い凱菜だった。

 全身から闘気を発散させ、鋭い眼光を飛ばす。


「三好槍術――」


 槍の切っ先を地面スレスレまで下げる。

 すると槍の柄を思い切り押し込み、強烈な刺突を放った。


「奥義の一・蛇蝎ッ!」


 まさしく、蛇のようにうねりながら風薫の心臓を狙う。

 ひねりを加えたその突きは、粗末な鎧の上からでも十分に致死傷を与えることだろう。

 腰を深く落としていた風薫は、とっさに反応する。

 刺突を避けようと、一気に横ステップで距離を取ろうとした。

 その動きを見て凱菜が嘲る。



「槍を相手に初手を取れなかった時点で、お前の負けだよ。

 三好槍術――奥義のニ・燕雀殺しッ!」



 柄を支えていた両手を一瞬手放す。

 刹那の間、槍が空中に浮き、見当違いの方向を穿とうとする。

 しかし、一瞬で反転した凱菜は、凄まじい体のひねりを加えた。

 そのまま、あろうことか槍を再び空中で掴み直す。


 照準を瞬時に風薫へと修正した槍は、大気を裂きながら空中を駆る。

 避け切ったと思っていた風薫は、少し焦った顔をする。

 しかし、目線を一瞬己の服に落とし、覚悟を決めたように走りこんだ。

 今まさに少女の体を穿とうとしている、凱菜の懐へ。


 回避行動をしなかった風薫の動きは、先読みするまでもなく追撃可能なものだった。すぐ

 に遠心力を掛け、凱菜は切っ先を風薫の心臓に定める。




「死ぬべくして死ね。孤独策士――」




 鎧に包まれていない少女の胸を、穂先が貫通しようとしている。

 反射的に、眼を背けてしまいそうになる俺。

 だが、俺はあの奇人発明家を一応信頼している。

 そしてそれと同じくらい、風薫を信じている。

 だから――



「行け、風薫」



 俺のつぶやきが、風に乗って風薫の耳に届く。

 今まさに命を削り取られようとしている少女。

 ここに至って風薫は、



「もちろんです、ご主人様」



 ふっと、場にそぐわない笑みをこぼしていた。

 その光景に、凱菜は戦慄する。

 恐らく、今まで殺してきた人間は、誰一人としてそんな表情をしなかったのだろう。

 それも当然だ。

 だって、そいつらは死を覚悟したり、死を恐れていた。

 つまり、『絶望』しかなかったんだ。

 でも、風薫は違う。

 生きる希望がある少女は、誰よりも明るく笑い、道を進んでいく。



「せぇあああああああああああ!」



 裂帛の気合を込めて、風薫が突進した。

 その細い身体を、凶刃が破壊しようとする。

 全てを穿とうと、穂先が服に触れた瞬間――



 鉄板が砕けたような、重々しくも爽快な音がした。

 槍の穂先が折れたのだ。

 それと同時に、鮮血が飛び散る。

 俺のところまで飛んできた液体は、消えかけている身体に赤い刻印を焼き付けた。

 思わず顔を拭う。俺の頬に付着したこの血液は、間違いなく風薫のもの。

 あんな槍を相手に、正面から突っ切れば、こうなることは目に見えていた。



 だが――




「竹中撃剣術――奥義・不死太刀しなずのたち



 痛みをこらえた風薫は、今まさに技を放とうとしていた。

 身体を捻って衝撃を受け流したため、出血箇所は深刻な位置ではない。

 そして何より、ただの布であるはずの服が、凶刃な槍を弾き返したことにより、ほとんどのダメージを無効化した。

 確かに槍が刺さったはず。

 白昼夢でも見た気分になったのか、凱菜は汗を流して驚愕した。



「な、なんだその服はッ――」



 しかし、その言葉は途中で止まった。

 真っ赤に染まった日本刀が、凱菜の身体から生えている。

 明らかな致命傷。いつの間に攻撃を当てたのかも分からなかった、神速の剣。


 刀で心臓を貫かれたことに気づいていない凱菜は、立ったまま絶命していた。

 とはいえ、すぐに体幹のバランスが崩れる。

 勇猛な眼をした姫武将は、この石山城の近郊で果てた。

 綺麗な軌道で突き刺したため、出血もほとんど無い。

 最後まで己の欲望のままに外道を貫いた彼女。

 それを見下ろしながら、風薫は静かにつぶやく。


「……極限まで刀を細く削りだし、敵の攻撃に呼応して刺し違え、敵が気づく前に絶命へと至らしめる究極の剣技。今の奥義は、本来ならば合戦で他人に見せて良いものではありません」


「……前から撃剣を使ってたのは知ってたけど、一子相伝なのか?」


「いいえ、というよりもこれは私の我流です。

 同時に父でも扱えなかった外法の技でもあります。

 武士の魂である刀をいじる時点で、少し汚いものですね。

 どっちにせよ、この技は後世には残しません」


 近畿を駆け巡った風薫が、近畿の覇者に刃を突きつける。

 何とも皮肉な結果だ。とは言え、これが定められた運命だったのかもしれない。

 もはや何も悩むことがなくなったのか、風薫は清々しい顔をしていた。

 出雲での会話が、彼女の心境に変化をもたらしたのかもしれない。



「――ここまで来て」



 その時、とても正常な人間が発するとは思えない声が聞こえてきた。

 呪詛の文言で塗り固められた、謀略家の焦り。


「……ここまで来て、ここまで来て」


 己を守る最後の壁だった相棒が死んだ今、松永氷華は動揺を見せていた。

 それもそうだろう。まさか、豪傑である三好凱菜が、策を立てることが本業の策士に負けるなんて、夢にも思わない。

 恐らく、凱菜は槍を使わせたら凄まじい熟練者だった。

 万能である風薫の虚を突き、必殺の刺突を決めるところまで持ち込んだ、

 その上、奇人発明家からもらったアイテムで超強化した服を破き、風薫に手傷を負わせた。

 おそらく純粋な戦闘力で言えば、あの吉川元春よりも上だっただろう。


 それほどまでに、洗練された槍術だった。

 天下の足利家で実験を握るだけの武力を、彼女は有していたのだ。

 でも、その武力を使うベクトルは、本当にその方向で良かったのか。

 少し思うところがないでもないが、あまり気にしない。

 他人の人生の積み重ねは、どのような形であれ他人が否定してはいけない。

 人生は――重いのだから。



「そう、人生は重い。つまり、人の命は重いってことだ。

 松永氷華――お前は人の命を、いったい何だと思っていたんだ?」



 俺は詰問するように見据える。

 彼女は震えながら、銃を堅く握っていた。

 そのまま想定外以外の何物でもない俺を睨んでくる。


「貴様のせいで……私の破壊は完全な形にならなくなった」


「破壊は虚しい。やめとけ」


「混沌の魅力を解さぬ俗物が……。

 貴様のような人間のせいで、私の夢は潰えるのか?

 ふざけるな、ふざけるなよ。私は認めない」


「この程度で潰えるんなら、最初から大したものではなかったんだろ」



「黙れ!」



 俺が言葉を発すると、錯乱気味の氷華は半狂乱状態で沈黙を要求してきた。

 爪を血が出るまで噛みちぎっていき、「ありえない」を連呼していく。


「……ありえない、ありえないありえないありえないありえないありえない。

 ありえないありえないありえない!

 私の計画は完璧だったんだ!

 綿密に兵を配備して、ゴミのような傭兵までを捨て駒とした!

 そこまでして、この戦いに臨んだんだ!

 貴様のような、口先だけの若造に負けるはずがないんだ!」


「そうだな。お前は俺には負けてないよ」


「……なに?」


 口から涎をこぼしながら、氷華は俺を睨めてくる。

 カタカタと震えた身体は、怒りと狂気で満ちていた。

 今にも手に持った鉄砲で射撃してきそうだ。

 それを防ぐためか、風薫が俺の前に出て身体を密着させてくる。

 どうやら盾になってくれているようだ。

 だけど、これ以上風薫に苦痛を強いるのは心苦しい。


 少なくとも、俺は現時点では詐欺師なんだ。

 この戦争は、俺の言葉によって片付けるのが理に適っている。

 詐欺師としての、最期の搾取。

 数多の人間を破滅に導いてきた、この職業で、この戦闘に幕を下ろそう。

 俺は松永氷華を壊すため――冷徹な口調で言った。



「だから、お前は別に俺に負けてないよ。

 お前を敗北に至らしめることになるのは、宇喜多と鈴木善條だ」


「……な、なに!? あのゴミが、私を負けさせるだと?

 馬鹿馬鹿しい、あんな捨て駒ごとき、何の関係がある!」


「大有りだよ。少なくとも、お前が人としての良識を持っていたら、おそらくこの戦いはお前が勝ってたよ。橋をかける策を、事前に見破るチャンスがあったんだから」


 そう。鈴木善條に与えた仕打ちが、結果的に氷華を滅ぼすんだ。

 あんな血も涙もない処刑を実行しなければ、天運は彼女に吹いていたことだろう。

 それだけに、善條がこの戦い与えた影響は大きい。

 俺は懐からある発明品を取り出す。橋にほぼ全てを使い、風薫の服の強化で使い切ったこの発明品。

 名前を、『終末硬化インヴァイト・エンド』という。


「これはさ、かけた物体に凄まじい硬度と耐久度を持たせるんだ。

 俺はこれを、まず最前線に出向いたアヤメの鎧に掛けてたんだよ」


「……アヤメというのは、まさか鈴木善條と戦った武将か」


「そうだ。伝令によると、アヤメと結構な一騎打ちを繰り広げてたらしい。

 ということは、宇喜多側が妙な物品を持っていることを、善條は知っていたはずだったんだ」


「……そんな、馬鹿な」


「お前が忍者衆の解放をしていれば、善條も手切れ金がわりにこの情報を告げていただろうな。鈴木善條としても、恩を売っておきたかった場面だし。つまり、このスプレーの効果を、そっちは知る機会があったんだ」


 巻物の紐を解くように、少しづつ説明をしていく。

 俺がいったい何を言いたいのか。

 雰囲気で察し始めたのか、氷華は焦点の合っていない眼を動かし、危惧していた。


「だけどさ、それを最低な手段で潰したのは――松永氷華。お前なんだ」


「…………」


「遠くから見てただけだったけど、相当胸糞悪かった。

 鈴木善條も辛かったことだろうさ。

 だけどそいつは、自分の命と引き替えに――お前を破滅に導くことを選んだんだ」


「……だから、私に教えなかったのか」


「言っただろ。お前を敗北させるのは、宇喜多と鈴木善條だと」



 最後まで、妹のために怒り、暴れ、涙して死んでいった鈴木善條。

 彼は最期に、外道に対して最適な意趣返しをしたことになる。

 冥福を祈って、少し十字を切った。

 最後まで惨めに野良犬のように扱われて逝った善條は、筋の通った素晴らしい人間だった。

 何にせよ、人の身を案じることの出来る人は、無条件で最高の人間なのだ。

 本当に人のことを心配することが、どれほど難しいかを知っているから。


「……ない」


「松永氷華、お前の負けだ」


「……いやだ、諦めない」


「見苦しい。武士なら最期くらい、潔くなったらどうだ」


「潔い? はっ、そんなものを信奉するほどに脳髄が腐りきっているのか貴様は!

 私にはまだ切り札がある!

 瀬戸内から上陸させた大量の鋭兵が、そろそろ辿り着くはず――」



 その時――陣の外から、いきなり馬蹄の音が轟いてきた。

 そして、交戦中の中をすり抜け、中に入ってくる人物。

 彼女は瀬戸内に行かせていたらしい足利家の密偵だった。

 どうやら、伝令として駆けつけてきたようだ。

 それを見て、氷華は狂気を眼に宿して哄笑する。



「ふはは、悔しいだろう! しょせん、宇喜多の弱兵はここで朽ちる!

 聞こえてくるようだよ。この私を助けようと、大船団から降りてきた兵士が向かってくるのが」


 完全に自分の世界に酔っているのか、氷華は伝令の報告を今か今かと待っている。

 この隙を狙って飛び掛かることを考えたが、手に銃が握られている以上、不用意に動くべきではない。

 どれだけ小細工を弄しても、松永氷華に明るい未来はないのだから――



「で、伝令……!

 足利の輸送隊・護衛の海賊衆、及び足利の正規兵が……瀬戸内海で壊滅しました!」



「…………は?」



 思っていたのとは違う報告に、氷華の笑いが消え去る。

 だが、そんな彼女を、もはや伝令は見ていない。

 相当な深手を負った伝令は、壊れたテープレコーダーのように、簡潔に概況を述べた。


「砦から迎撃に出てきた村上水軍の奇襲で、我が軍は散り散りとなり、

 霧が出てくると更に強烈な攻撃が加えられ、全軍が潰走となりました!」



 そう。これが戦争直前、軍師と策士が笑い合っていたことの真相。

 たとえどれほどの訓練を積んだ船団を用いても、瀬戸内海を通過することはかなわない。

 海軍においては日の本において敵なしの、村上水軍がいるのだから。

 事前に毛利蓮臥を派遣して、水軍の出兵要請をしていたのだ。


 いざ出撃した村上水軍は、誰にも止められない。

 海上を通ろうとした大軍を食い散らかし、全ての流れを打ち止めたのだ。

 ただ唯一の、すがることのできた希望。

 それを完膚なきまでに打ち止められた氷華は、ついに発狂した。


 策謀を練りに練ってきた悪人は、ここで全ての足をもがれた。

 さんざん人を使って来ていた彼女は、ついに頼れるものが何もなくなったのだ。

 完全に崩壊した精神が、女を凶行へと走らせる。

 戦国の世でさんざん人を殺し、陥れ、足蹴にし、糧にしてきた松永氷華は、



「――はは、ははははは。あはははははははははッ!」

 



 完全に発狂した。



 彼女は手に持った火縄銃に、いきなり点火した。

 止める暇もなく、銃口から弾丸が射出される。

 その弾丸は、完璧な照準で伝令の頭に直撃した。

 氷華を破滅へ追い込む報告をした彼女は、上官によって生命を絶たれた。

 倒れこんだ伝令を見下し、氷華は笑う。



「はは、は。そうだ、銃は人を殺すためにある。

 私はこの世に混沌をもたらすために生まれてきた。

 この世の頂点を壊し尽くしてこそ――私が私である所以だ」



 その瞬間、俺は戦慄した。

 この女が、何をしでかそうとしているか、頭で理解してしまったからだ。

 いきなり氷華は狂った笑いを上げ、隣の離れた陣幕へ走りこんだ。


「まずい!」


 必死に追いすがろうと走りだす。だが、間に合わない。

 風薫が追撃すれば間に合うと踏んだのだが、彼女は地面でうずくまっていた。


「どうした、風薫!」


「いえ……さっきの槍に、少し痺れ薬が塗ってあったみたいで……」


「――ッ!」


 何という悪いタイミングだ。

 とりあえず、動かないようにと指示を出し、松永氷華を追いかける。

 だが、前を行く彼女は、すでに行動に移そうとしていた。

 引両紋で装飾された陣幕を脇差で切り裂き、火縄銃を握り締めている。


 間に合わない、どう考えても間に合わない。

 将軍の側近は戦死したのか、それとも出払っているのか。

 今に限って言えば、誰もある人物を守る者がいない。

 つまり、暗殺しようと思えば、誰にでもできる状況。


 ダメだ、将軍だけは殺したらダメなんだ。

 それはこの荒れた天下で、唯一の統合の象徴。

 将軍をここで殺されると、まとめてきた諸侯が、また大反乱を起こしてしまう。

 この統一しかけた天下が、血風吹き荒れる死地へと化してしまう。



「やめろぉおおおおおおおお!」



 俺は必死に叫ぶ。

 だが、もう遅い。

 幼いと聞いた将軍を発見したのか、氷華が火種に着火する。

 狂った笑いが、戦場中にこだましていた。

 まだ陣幕にすら辿りつけていない俺は、必死にスピードをあげようとする。

 でも、無理だった。



 俺の叫びも虚しく、将軍を殺す凶弾が打ち出された――

 

 

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