第五十九話「傭兵男は泣き叫ぶ」
引両紋の旗がなびく大型の陣。
そこで、三好凱菜と松永氷華は慎重に現状を確認していた。
「捨ての先鋒は散ったか。
恐らく、岩成湯月も根来衆に始末されただろうな」
「そこに詰めた兵は、足利の古参武将たちだ。
こちらとしては良い露払いになった」
今回の決戦において、兵と武将の配置権を握った二人。
彼女たちは、己の思うがままに駒を置いていた。
まずは、足利将軍を奉じる古参と過激派を先鋒に置き、特攻させる。
城を落とせれば儲けものであるし、全滅しても己たちにとって有利に働く。
だが、予想外が生じたことに、松永氷華は首をひねっていた。
「後詰が撤退しているように見えるな。
あそこに支配下の奴隷どもを置いていたのだが。なぜ退却している」
「さぁ? だが、距離を置いただけみたいだな。
すぐに陣形を組み直して攻撃を仕掛けるだろう」
まずは始末したい武将、その後に死んでも困らない将兵、最後に息の掛かった将兵を配置している。
この配置で力攻めをすれば、宇喜多の力を削ぐと同時に、足利に大打撃を与えることが出来る。
まずは土台を崩し、その後に首級を上げる。
そうすれば、将軍を奉じるこの最大勢力でさえも崩すことは難しくない。
謀反の血が流れている松永氷華は、冷徹な笑みを浮かべた。
「ところで、例の作戦の決行はいつにする。仕損じれば私達も破滅するぞ」
「そうだな、あの城に兵が流れこむのを見計らって、陣幕に襲いかかるか」
凱菜は将軍が鎮座している背後の陣を指で示した。
その挙動に神妙な顔でうなずく氷華。
大それた作戦を実行するため、二人は熟議を重ねている。
宇喜多を再起不能にした上で、足利家を乗っ取る。
これが理想である以上、はるか向こうに集中させた兵が城に入らなければ、策は成らないのだ。
「だが、膠着状態になると困るぞ。瀬戸内海からの輸送は前提としてだ。
播磨の陸路を復旧させて輸送隊を出発させるのに、恐らく3日はかかる」
「少し時勢がまずいな。仕方がない。
瀬戸内海の輸送が届いた後、士気が上がった時に攻めこませるのが上策か」
「まあ、そうなるな」
そうとなれば、瀬戸内海からの輸送を待つのみ。
二人は瀬戸内の方を眺める。
そんな折、丘に走り来る者がいた。ひどく急いでいる。
その人物は途中で力尽きた馬を乗り捨てて、一直線に本陣へと入り込んできた。
「……ハァ、辛ぇぜ。
遅ればせながら、根来衆元締め・鈴木善條、任を終えてきた」
入ってきた姿を見て、二人の顔に緊張が走った。
だが、庶民臭い表情に、背中に担いだ種子島。
その特徴を見て、入ってきた人物が鈴木善條であることを確認した。
特に、暗殺に失敗したかと思った氷華は、少しだけ冷や汗を流していた。
「ご苦労、しかし、何だその姿は」
「ああ、術を解く暇もなかったもんでね」
そう言うと、善條は指をぱちんと鳴らして術を解いた。
一瞬旋風が発生し、あたりにいる者の視界を遮る。
少しの時間を消費して術を解除し、元の姿へと戻った。
彼の術を見て、三好凱菜は不信感に満ちた表情になる。
「それにしても、なぜ本隊が一時撤退したんだ。お前は何か知らないか?」
「さあな。岩成湯月を殺すので手一杯だったんで、周りは見ちゃいねえ」
「……この狸が」
「勘弁してくれよ、俺は猫が好きなんだ。
狸なんて鍋にするくらいの愛しかねえぜ」
両手を肩のあたりで振って、善條はため息をつく。
深呼吸を一回して、眼光を鋭くする。
先程までのとぼけた眼ではなく、切実に交渉を求める真摯な眼となっていた。
彼は覚悟を決めて――本題に切り込む。
「約束だ。あの部隊にいる根来衆の女の子たちを解放しやがれ」
「ああ、そういえばそんな協定をしていたかな」
「ごまかそうとするんじゃねえ。
不戦を誓っていたこの俺を引きずり出しやがったんだ。
そっちも誠意ってもんを見せろ」
詰問するような眼で、松永氷華を見据える善條。
その頬からは、一筋の汗が流れていた。
それは、根来衆の幼い女の子たちを心配する眼。
人質となって、決死隊の中に編入されている少女たち。
そんな彼女たちを助けようとする、父親じみたものだった。
だが、その顔色を見て、氷華は嫌に笑う。
彼女は分かっているのだ。
善條がその娘たちの身を案じていることを。
それを承知の上で、彼女はどす黒い笑みを浮かべる、
「私もそのつもりだったのだがな。
しかし、だ・れ・かのせいで、本隊が一度退却するという予想外が起きたみたいでな。
少し困っているんだよ。
そういえば、あの本隊の最先鋒には、どこかの忍者衆の小娘たちがいたな。
そう思うと不思議なものだ。
まるで、その娘たちを助けようと、誰かが戦わない内に撤退させたみたいだ」
「……何が言いたい!」
「そう怒るな。それに、おかしなことはまだある。
あの本隊に言うことを聞かせられるのは、大将である岩成湯月くらい。
だが、あの猪武者の女が撤退を命じるとは考えにくい。
あやつは最後の血肉が枯れ果てるまで、上様のために戦おうとする鬼だからな。
そうとなると、一体誰が、岩成湯月を騙って指示を出したんだろうか
お前は知らないか? 鈴木善條」
「…………」
善條の肩が怒りで震える。
分かっていながら、そうやって外堀を埋めて苦しめようとする。
どこまでも冷徹で、外道な女だ。
善條は歯ぎしりをしながら、彼女たちから見えないように種子島を握った。
この二人を抹殺できれば、根来衆のみんなを戦わせずにすむ。
だが、失敗してしまえば、自分はもちろん、無垢な少女たちもが粛清されてしまう。
血涙が出そうな心持ちで、彼は息を吐いた。
「遠回しに言うのをやめろ。そうだよ、俺があの軍を引かせたんだ」
「おや? それは知らなかった。
しかし、これは酷い敵前逃亡だな」
「俺がどんな罰でも受けてやるよ。
だから、あの先鋒から根来衆を脱退させろ」
「どんな罰でも、か。二言はないな?」
「根来衆の皆を守るためなら、俺は最初から何だってするつもりなんだよ」
「くく、よく言った。
そんな正直で愚直なお前に、一つの好機をくれてやろう。
おい、アレを持って来い」
醜悪な笑みを浮かべて、松永氷華は陣幕の外にいる側近に声をかける。
すると、側近が何やら大きな木箱を持ってきた。
3つ分。人一人が余裕で入るような、大きな櫃。
それらを遠い場所に置かせると、氷華は善條に向き直った。
「あの中には重罪人が三人ほど入っている。
お前にやってもらうことは、銃殺刑の執行だ」
「……かまわんが、あの中には誰が入ってるんだ?」
「長宗我部を滅ぼした時に敵前逃亡をした臆病者たちだ。どうかしたか?」
「……いや、なんでもない。
アレを撃ちぬけば、約束は守ってもらえるんだな?」
「そうだ、ただし弾は三発のみ。一射で一人を撃ち殺せ。
三発打ち終わった後に箱を開け、中の重罪人が死に絶えていれば、お前の勝ちだ。
根来衆の脱退を認めよう。
加えて、十分な報酬・二度と死地に送らない誓約・徴兵免除権もくれてやる。
ただし、失敗すればお前はもちろん、根来衆の全員を重罪人として裁く。
――この条件で不服はないな?」
その提案は、どこまでも悪魔じみていた。
それを見て、善條は怪訝な顔になる。
上手く成功すれば、もうあの少女たちに地獄を見せずにすむ。
この辛い時代で、苦しい思いをするのは自分一人で十分。
この最終決戦に挑む前に、あの娘たちと交わした言葉を思い出す。
彼女たちは善條が戦場で拾った孤児だった。
仲の良い三姉妹で、善條によく懐いてきて困った思い出が多々ある。
『……善お兄さま、危険な仕事に行くのですね』
『善にぃ! 死んじゃ嫌だよ!』
『善兄ちゃん、私達も精一杯戦うから、死なないでくれよ』
温かい言葉だ。そして、同時に悲しいものでもある。
戦場になれば、全員が無事ですむわけがない。
大切な人を失った悲しみは、誰もが共通して持っているはずの感情。
善條とはいえ、その例外ではなかった。
だから、彼は少女たちを守るために、戦場へ出立する際にこう答えた。
『俺は死なねえよ。それに、お前らも絶対に死なせねえ。
お前らはな、戦わなくていいんだ。もっと綺麗なものを見て育ちやがれ。
こんな馬鹿げた戦で苦しむのは、俺一人でいいんだ』
善條の瞳は、本気の光に満ちていた。
絶対にこの三姉妹と、他の皆を守ってみせる。
気合を込めていた彼は、何よりも誰よりも必死だった。
『……善にぃ』
『ところで、その刺繍は何だ?』
『ああ、これ? これはね、善兄ちゃんを表してるの。
根来衆と雑賀衆。だから合わせて火縄銃と苦無。いいでしょ?』
『ああ、よく似合ってる』
『ふふ、私達がこっそり内緒で作ったのです。他の娘には内緒ですよ?』
『もちろん。てか、こんな時でも元気だなお前らは』
心配してくれて、どんな時でも励ましてくれる娘たち。
彼女たちを置いて、善條は岩成湯月の暗殺に向かった。
ここで勝負に負ければ、あの少女たちが戦場で散ってしまう。
それだけは、なんとしても避けたかった。
この女のことだ。
断れば即座に皆殺しにされてしまうだろう。
だから、ここで箱を撃ちぬいて勝つしか無い。
大きな深呼吸をして、彼は決意を顕にした。
「俺を誰だと思ってやがる。銃を扱わせれば天下無敵だ。
雑賀衆と根来衆における最後の男を、舐めてもらっちゃ困る。
あんなもん、一撃で撃ちぬいて絶命させてやるよ」
手に宿った震えを振り払い、善條は銃を握った。
気持ちを落ち着けていると、例の箱が運ばれてきた。
三つの大きな箱は台車に載せられて、土の上に設置された。
中にいる人間は女性のようで、くぐもった声が少しだけ聞こえてくる。
どうやら恐怖に打ちひしがれているようだ。
その様子を見た氷華は、善條に指示を出す。
「む、ちといいか善條殿。
もう少し下がれ。……いや、もっとだ。
――よし、その辺りならいいだろう」
唐突な位置の変更に、善條は疑念を抱いた。
なぜそんなことをする。
失敗させたいのなら、もっと離れた位置にすればいいのに。
この距離程度なら、片目を瞑っていても命中させられる。
まだ俺の銃の腕を舐めてやがるのか……。
少し不満気に口の端を吊り上げながら、善條は銃を構えた。
先ほどまで聞こえていた箱の中からの声は、距離をおいたのでもう聞こえない。
普段から絶叫の中での狙撃に慣れているので、まず失敗はないだろう。
ゆっくり照準を定めていきながら、一番左の箱に狙いをつける。
横目で二人の女を見るが、両者とも不審な挙動は見られない。
氷華はニヤニヤと笑っており、凱菜は興味無さげに星を見上げている。
このまま二人に向かってぶっ放したい衝動に駆られたが、何とかこらえる。
ついに、手のブレが治まってきた。
「……俺に力を」
その言葉とともに、点火した。
その豪炎はすぐさま火薬へと引火し、鉛玉を発射する。
狙いすまされた弾丸は左の箱の中央部に命中し、中にいる人間に直撃した。
鈍い音が響き渡る。
「……っ、ぃぅ」
箱のなかから、悲痛な嘆きが聞こえてくる。
それを聞いた瞬間、耳の奥がチリチリと痛んだ――ような気がした。
しかし、よく聞き取れなかったので分からない。
恐らく錯覚だろう。
即死に至ることができなかったようで、中の人間は苦しみながら死ぬことになるか。
ただ、手応えは十分だ。額からにじむ汗を拭う。
すると、息をつく暇もなく、氷華が催促の声を出した。
「よし、次だ」
簡単に言ってくれる。
また震え出した手を静め、善條は毒づく。
呼吸を止め、次の箱を狙い定める。
――失敗は許されない。
緊張と手に掻いた汗のヌメリで最悪の状態だが、善條の気迫は凄まじい。
箱の中にいる人間の頭を吹き飛ばす――そう念じて、死へと誘う弾丸を射出した。
乾いた音と共に撃ちだされた弾は、箱の表面を軽々と貫く。
そして、中にいる人物に命中した。
「……ひ、ぁあっ!」
またしても、楽に死なせることができなかったようだ。
絞り出した声は無念に満ちていて、善條の鼓膜を焦がした。
だがそれ以上に、善條は目を見開いて驚いていた。
今自分は、取り返しのつかないことをしているのではないか。
そんな思いが脳裏をよぎった。
だって、今の悲痛な声は、紛れもなく――
「何をしている、あと一発だ」
考えさせる間もなく、氷華が冷めた声を出す。
しかも、その手には太刀が握られている。
早く撃たなければ、この場で討ち果たすということだろうか。
横目で挙動を見つつ、善條は心中に湧き上がる疑念を無理矢理ねじ伏せた。
「……違う、よな?
そうだ、違ってくれ、頼むから。
だって、そうでないと、俺は……」
憔悴した表情で、考えが外れていることを願う。
傍から見れば、何を狂ったことを言っているのか、つべこべ言わず早く撃て、そう思うことだろう。
だが、涙が頬を伝うほどに、善條の不安は限界を迎えようとしていた。
「……そうだ、撃たないと。あいつらを、守らねえと」
自分に言い聞かせて、善條は銃を構える。
口から伝うよだれを拭う余裕もない。
今は一刻も早くこの作業を終わらせて、嘘であることを確認したかった。
だから、銃の扱いに誰よりも長けた彼は、最後の一射を放った。
荒れ狂う蜂矢のごとく飛来していくその弾丸は、楽に殺してやれる位置から大きく外れていった。
「……なっ」
ボロボロの心理状態で撃ったので、狙いが完璧に定まらなかったのだ。
中にいる人間の脳髄を狙ったその弾は、おそらくは腹部であろう位置に着弾した。
弾が肉を裂く音が、ここまで聞こえてくる。
「…………」
しかし、中からは何の声も聞こえなかった。
おかしい、確実に苦しいはずなのに。
善條は同時に、嫌な手応えを感じた。
致命傷は与えただろうが、苦しむことは間違いない。
疲れで視界が霞んでいるの善條を置いて、氷華が立ち上がった。
「さすがは銃の名手だな。中の人間が全員死んでいればお前の勝ちだ。
死亡確認をするからこっちに来い」
その声のままに、善條は箱に向かう。
その木箱は泣いたように血を垂れ流しており、中の惨状を物語っていた。
氷華は善條の前に立ち、視界を遮るようにして立つと、陣幕の外にいる側近を呼び出した。
「左の箱だ。確認しろ」
その指示を聞いて、側近は箱を開ける。
中からは濃厚な血の匂いがした。
だが、善條は中の人物が誰であるかを確認することができない。
しばらくして、側近はこちらを向いてゆっくり首を振った。
どうやら、死に至っていたらしい。
「よし、次は中央だ」
その声とともに、次の確認がなされる。
その中にいる人物も死んでいるようで、配下は首を振った。
「最後だ。つまらんが、これはお前の勝ちかも知れんな」
とても人間のものとは思えない、冷徹な笑みを浮かべる氷華。
最後の箱を開けさせると、彼女は愉快だとでも言うように乾いた笑いを上げた。
同時に、善條の顔に緊張の色が出る。
「はは、これはいい。よし、善條殿。
貴殿も見るがいい。そこにお前の夢の果てがある」
そう言って、氷華は善條の前から身体をどけた。
すると、善條の目に、その人物の全容が目に入る。
長い黒髪に、額に巻いた鉢巻。
華奢な体からは止めどなく血が流れており、その装束を濡らしていた。
「……う、ぅ、ぅぁ」
その姿を見て、善條は声にならない言葉を発した。
血に塗れた装束には、苦無と火縄銃が交差した刺繍が施されている。
それが意味するところは、『根来衆』の一員であるということ。
しかもその刺繍は、この決戦に臨むにあたって、あの三姉妹が身に着けていたもので――
「……う、ぅぅう、ち、ちがう。俺は、俺はそんな……」
もはや、壊れるのは時間の問題。
だが、そんな彼にとどめを刺すかのように、箱の中にいる少女が弱々しげに目を開けた。
やはり腹部に被弾したようで、楽に死ねなかったようだ。
喋るのも辛いらいはずなのに、少女は善條に優しく微笑みかけた。
「……大好きだよ、善にぃ。だから……生きて?」
そう言って、少女は息絶えた。
最後まで自分たちの心配をしてくれていた兄に向かって、彼女は感謝の笑みを浮かべていた。
だが、そんな彼女の顔は、もう目に入らない。
善條の視界が真っ赤に染まっていく。
守りたかった。命を捨ててでも守るつもりだった。
そのために、こんな付き合いたくもない戦いに出向いた。
この戦いが終わったら、こんな傭兵稼業は辞めて、皆で平和に暮らしたかった。
彼女たちだけが生きる希望だった。善條の全てだった。
それなのに、守るべき存在であった彼女たちを、自分の手で――
「う、う、うわぁぁぁああああああぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああぁぁぁぁああああッ!」
――その時、善條は狂った。
大切なものを守れなかった狼の咆哮は、石山城にまで轟いたという。




