第五十八話「傭兵男は嘲笑う」
血が悲しいほどに流れ出る。
貫こうとした信義は、横槍に折って邪魔をされてしまった。
喋るのも苦しいはずだが、湯月は力の残滓を振り絞って眼前の男――鈴木善條に食って掛かった。
「……傭兵の分際で! お前は……宇喜多に唆されて、将軍に、弓を引いたのか……!」
「俺が使ってるのは弓じゃなくて銃だっつの。
指摘の方も大外れだな。誰があんな魑魅魍魎な勢力から仕事を受けるかよ」
「……ならば、一体誰が……!」
「可哀想だなぁ、何も出来ず死ぬのがお前の終着点だもんな。
そんな死に絶えて終わってしまう、惨めなお前に教えてやるよ。
俺を雇ったのは、松永と三好っていう女だ。知ってるのか?」
「…………っ!」
それを聞いた湯月の顔が青ざめた。
その二人は、前々から怪しい動きをしていた連中だ。
将軍の側近を次々と左遷させ、その中枢に腰を据えた文史派の重臣と武闘派の重臣。
それがまさか、こんな暴挙に打って出るとは。
将軍の下知によって編成された先鋒部隊。
その大将である湯月を、こんな形で抹殺しようとしている。
だが、こんな事をして何になる。
自分の仕える足利家を窮地に追い込んで、いったい何がしたいのか。
まるで、足利家を自滅させ、その亡骸の上に新しい勢力を建てようとしているかのような……。
そこまで思考が至った時、湯月の様子が豹変した。
「……上様が、危ない」
今思えば、将軍のそばにいるのは、もうあの二人のみ。
恐らく、周りの護衛すらも三好と松永の息がかかった連中ばかりだろう。
将軍は一切の武力を持っていない。
先代の将軍は剣豪将軍として鳴らしていたが、彼女にその素質は全くないのだ。
だからこそ、いつも過剰なまでに護衛をつけている。
なのに、その護衛が全員、反逆者であるかもしれない。
首の神経を撃ちぬかれたのか、右半身がほとんど動かない。
だが、湯月は這いずって進む。将軍が控えている本陣まで。
善條はため息を付いて銃を構え直す。
「……はぁ、何がお前をそこまでさせるのかね。
まあいいや、とりあえず――お疲れさん」
その刹那――希望や忠義、そのすべてを打ち砕く弾丸が射出された。
その弾は今度こそ湯月の脳天を貫き、生命活動を停止させた。
最後まで、剣を握った手と具足に包んだ脚は、将軍がいる本陣に向けて動こうとしていた。
だが、善條は眉一つ動かさない。
改造して二倍の銃身を持つそれを、背中に背負い直す。
その時、彼は目の前に誰かがいることに気づいた。
「……にゃにしてるんだ、お前」
アヤメだった。
彼女は尻尾と耳の毛を逆立たせて、鈴木善條を睨んでいた。
すると、冷や汗を流しながら善條は頬を掻く。
「あー、どした? まさか怒ってる流れってか。
俺って勢力図とか確認しないタチなんだけど。
ひょっとして、俺とあんたって敵だったりする?
俺の主観で言わせてもらえば、俺にとっての敵はこの女一人だったんだが」
「そいつは、私の敵だったにゃ。
最後の闘いらしく、私と決着を付けようとしていた」
「ははっ、なら大丈夫だな。敵は片付いたぜ。感謝しろよ――お猫様」
その瞬間、アヤメは動き出していた。
大地に爪を突き刺して、不退転の構えを取ると、善條に向かって突撃した。
アヤメの行動を受け、彼は困ったような顔になる。
「マジかよ。猫は俺の一番好きな畜生だからよ。
殺したくないんだわ。だけど、向かってくるからには、無力化くらいさせてもらうぜ」
そう言った善條は、種子島を担ぎ直してアヤメに相対する。
照準を先読みして縦横無尽に走り回るアヤメを見て、少し舌打ちをした。
だが、先読みならば善條も得意だった。
狙撃によって標的を打ち砕く彼からしてみれば、その動きも捉えられないものではない。
まずは、アヤメに向かって一撃を放つ。だが、その弾丸がアヤメの鎧に弾かれてしまう。
「……う、何なんだよその鎧。
俺の銃を弾き返す鎧なんて見たことねえぞ」
「――黙れ」
軽口に付き合わず。アヤメはその爪を振るう。
それを避けようとした善條は、足元に煙幕玉を打ち付ける。
アヤメの嗅覚と視覚を封じるつもりなのだろう。
一瞬にしてアヤメの射程から逃げ切った善條は、火種を補充しつつ彼女に言葉をかける。
「どうしてそこまで激高する?
俺はお前の敵を殺してやったんだぜ?
感謝はされど、爪を振るわれる覚えはねえ」
「手応えのある奴を見つけて、全力で戦えると思った矢先――
意味の分からない男に横槍を入れられて、怒らにゃい奴がいるのかにゃ」
「俺なら怒らねえな。殺す手間が省けた、それだけのことだ」
「分かり合えるはずもにゃい……か」
アヤメも諦めたように首を振り、再び善條に突進する。
この男は、使う武器こそあの毛利両川の片割れ――小早川隆景には劣るものの、銃の使い方にかけては大きく勝っている。
不用意に空宙から飛びかかろうとすると、鎧以外の部位を撃ちぬかれてしまうだろう。
そのため、壊れた牛車のように、燃え盛る平原を駆けまわる。
燃えた死体を踏むと足が熱かったが、止まれば撃たれてしまう。
膠着状態に入る前にカタを付けたいというのが、アヤメの本音だった。
それは善條からしても同じ。
早く事を終えて撤退したい彼は、手加減抜きでアヤメを狙撃し始めた。
強靭な精神力によって昇華された一射が放たれる。
だが、その一射は見当違いな方向に飛んで行く。
アヤメの横を通過し、そのまま闇に消えていった。
アヤメは再点火の前に、善條に向かって跳躍する。
今の彼は隙だらけ。このまま爪で引き裂けば、それで終わり。
勝ちを確信しかけた瞬間、アヤメの脚に凄まじい衝撃が走った。
「――にゃっ!?」
とっさに体をねじって、弾の貫入を防ぐ。
だが、弾丸によって蹂躙された脚では、空中でバランスが取れない。
アヤメはそのまま草原の上に落下してしまう。
いつの間に銃撃されたのか。撃ちぬかれた方向を考えると、すぐに答えは出た。
「……跳弾、かにゃ」
そう、アヤメの横を通過していった弾丸は、背後の岩に跳弾して襲いかかったのだ。
偶然でなく狙ってやったのだろう。
つくづく恐ろしい射撃の腕だ。追撃を避けるために、アヤメはすぐに受け身を取る。
しかし、善條はもはやアヤメに銃を向けていなかった。
彼は岩成湯月の死体を片手で持ち上げ、冷たい目で見上げている。
その隙だらけな姿を見て、アヤメは飛びかかろうとした。
だがしかし、体が痺れてしまっていて俊敏に動けない。
どうやら、銃弾に何かが塗布されていたらしい。
そんなアヤメを一瞥し、善條は口を開いた。
「――現世は幻に劣りて、踊る影は煌く光に勝る。
発動せよ、根来忍法・『屍被りの術』ッ!」
すると、辺りに凄まじい旋風が発生した。
辺りの草や業火を渦に巻き込み、その姿を覆い隠す。
周囲に倒れ伏す死体が宙を舞い、地面に叩きつけられていく。
幾ばくかの時が経つ。
旋風が晴れていき、その中央にいる人間が出てくる。
だが、その姿を見てアヤメは眉をひそめた。
「……お前、誰にゃ」
そこにいたのは、先ほど銃殺されて死んだはずの岩成湯月だった。
しかし、どこか様子が違う。
身体の使い方に慣れていないのか、少しふらふらしている。
その人物はアヤメの視線に気づくと、その人間は醜悪な笑みを浮かべた。
それは先ほどの傭兵を思わせる、凄絶な笑みだった。
「おいおい、自己紹介はしただろ?
俺は雑賀衆の生き残りにして、根来衆の元締め。
いや、根来衆の方は言ってなかったか。ははっ、悪いな口が軽いでようで固くて」
どうやら姿形は岩成湯月のようだが、本性は鈴木善條であるらしかった。
どうやって姿を変えたのかは分からないが、岩成湯月の死体を使ったようだ。
「お前は、乱波の術を使える傭兵なのかにゃ」
「逆だな。もともと俺は、雑賀衆と火花を散らしていた根来衆の一員だった。
潜入のために雑賀衆にいたんだが、肝心の衆が例の疫病で壊滅しちまってな。
急いで故郷の里に戻って、まあ驚いたね。
俺の一族郎党はもちろん、師匠や元締めまでもが死んでやがった。
残った奴らは幼い女の子ばっかり。未練がましい俺は、両方救おうとしたよ。
その結果、根来衆の元締めを継ぎ、壊滅した雑賀衆の頭領を継承したんだ」
軽快な語り口で、今までの遍歴を語る。
だが、アヤメはそんな説明を求めていなかった。
どうやって、そしてどうして岩成湯月に姿を変えたのかが気になっていた。
「そんな忍術があるにゃんて、聞いたこと無いんだが」
「秘術だからなぁ、外に漏れちゃいけない術だよ。
――っと、そろそろか」
「何を――」
その真意を尋ねようとした所、はるか向こうの平野から大声が聞こえてきた。
破滅の足音が、徐々に近づいてくる。
引両紋の旗をなびかせるその大軍は、紛れもなく足利家のものだった。
それを見たアヤメは、冷や汗をかいて戦慄した。
先程からの個人戦で、空間結界を維持するだけの霊力が残っていない。
もちろん城門付近に大量の宇喜多兵を配置させているが、泥沼の攻城戦になれば勝ち目がない。
石山城の性質上、城の耐久度が保たないのだ。
舌打ちをして立ち上がろうとするアヤメを見て、岩成湯月――いや、鈴木善條は屈託のない笑みを浮かべた。
彼はアヤメに背を向けて、大軍に向かって歩いて行く。
意味のわからない行動に、アヤメは困惑する。
だが、善條はそんな彼女に声をかけた。
「安心しろよ、俺だってこの戦いは命懸けなんだ。
数百の命を預かってる。俺はあいつらを守るために、最善の行動をするだけだ」
そう言って、迫り来る大軍に向かって手を降り始めた。
同時に、その先鋒に声が届く距離になったところで、大声を上げる。
それは紛れもなく、岩成湯月の声だった。
「撤退しろ! 見ての通り、この城には橋が残っていない! 私たちは騙されたんだ!」
「……おい、この死体はなんだ。先鋒がやられたのか?」
「分からん。だが、岩成殿の言う通り、謀略にはまったのやも知れん」
「とりあえず指示を仰ごう」
兵士たちが足を止め、鈴木善條の方を見る。
どうやら誰一人として彼の変装を見破れないようだ。
擬態とも言える術を看破するのは不可能。
「この城は囲んでいれば落ちる!
切羽詰まって城から出てきたところを粉砕するのだ!一度撤退し、陣を敷き直すぞ!」
「で、ですが補給線の問題が……」
「瀬戸内からの輸送隊が向かってきている。兵糧で喘ぐことはあり得ん」
断言しきったその態度に、兵士たちは黙ってうなずいた。
次々と背後の兵に伝令を流していき、撤退の構えを取る。
石山城に迫っていた兵はみるみる内に退却していき、この場にいるのはアヤメと鈴木善條だけだった。
「……何のつもりにゃ? 私に情けでもかけたのか」
「そんな余裕なんざねえよ。
残念ながら、根来衆は足利の上層部に奴隷のように扱われていてな。
さっきの先鋒の中に、まだ幼い根来衆の奴らを紛れ込ませて、人質にとってやがるんだ。
全兵が精強であるはずの足利が、聞いて呆れるぜ」
肩を竦めて、辺りに転がっている馬の選別をし始める善條。
どうやら、あまり走りたがらない性分のようだ。
アヤメはその様子を見て、拍子抜けをしたような気分になった。
「足利家は一枚岩じゃにゃいのか」
「上層部が腐ってやがるんだよ。
俺たちが抵抗できない少数乱波集団だから、舐めてやがるのさ。
まあ、こいつを殺せって指示だけだったからな。
この俺を本陣に持って帰れば、文句は言わねえだろ。
ただ、まだ幼い奴らを危険に晒すようなことは――絶対にしたくねえんだ」
月の出始めた空を見上げて、鈴木善條は未練がましく呟いた。
拳は出血せんばかりに握りしめられており、その無念さが窺い知れる。
彼をただの無血な殺戮者だと思っていたアヤメは、何とも言いがたい表情になった。
「だから、お前を助けたわけじゃねえってことだ。
俺は俺のためにあいつらを騙して、直接戦闘を回避した。
だから、別にお前に対しても、友情や恋愛感情や性欲や情けや慈悲や、何の感情も持ってねえからな。次にお前を殺せという指示が出たら。迷いなく殺るぜ」
「ふん、変なところで一貫性のある奴にゃ」
「生きにくい性分なんでな。こればかりはどうしようもねえ」
諦観したように自嘲する善條。
彼は生き残っていた馬を見つけ、急いで背中に飛び乗った。
「果心アヤメ、だったっけか。
もう会うことはないかも知れんから、一応言っておくぜ。
どうやらお前は、そのことで少し悩んでるみたいだしな」
「にゃ?」
馬の腹を足で撫でながら、善條はアヤメに振り向く。
そして、彼は意地悪な質問を繰り出した。
「『正義』の反対はなんだと思う?」
「……むぅ、悪かにゃ」
「違うな、そんなに簡単だったらこの世界に合戦なんてねえよ。
正解は、『正義』の反対は『違う正義』。
ここに勝てば官軍なんて言葉が加わって、この戦乱なんて世が続いてるんだ」
「じゃあ、誰が正しいのかは、分からにゃいのか」
「そうなるな。だからこそ、自分の正しさを証明するために、人は戦う。
だからよ――敵が悪人であれ、善人であれ、誰であれ、躊躇するな。
一貫した『正義』こそが、『違う正義』を駆逐するんだ」
そう言って、アヤメの反応も伺わずに馬の腹を蹴った。
疾駆する馬の背中から、最後に嘲るような言葉をかける。
「あと、俺はこの女を殺したことを、何とも思っていないぜ。
根来衆のガキ共を守るためなら、俺は神だって殺してみせる」
決意じみた言葉だった。
善條の威圧感に怯えたのか、興奮状態にある馬は荒れ狂うように疾走した。
あっという間に、鈴木善條は目の前から姿を消す。
無理をすれば追撃もできたかもしれないが、危険性を考えてアヤメはその足を止めた。
痺れの残る状態ながら、先程言われた言葉を繰り返す。
正義というのは、非常に揺らぎやすいもの。
確固たるものにしたいのなら、迷ってはいけない。
あの男は、それを言いたかったのだろう。
少しの逡巡の後、アヤメは笑った。
先ほどの男を皮肉るように。
「分かってるんだよ、そんにゃことは。
それくらい、あいつを見てとっくに理解してる」
彼女は今、その『あいつ』のことを心配していた。
消えかけている身体で、どこまでも無茶をしようとしている。
あいつから任された仕事はなんとか達成できたが、他の任務を負った武将の補助に回れそうに無かった。
酷い疲れを表情に出しながら、足利軍の去っていった方向を見つめる。
「色々あったが――第一の奇策、成功にゃ」
これはあくまでも、仕上げに結びつけるための下準備。
あとは、他の仲間に任せよう。
アヤメは足を引きずるようにして、石山城に姿を消した。
戦果報告:足利本隊を一時撤退させることに成功。宇喜多軍に損害なし。
正門防衛隊を率いる果心アヤメが重傷を負ったが、命に別状はなし。
足利本隊を率いる大将・岩成湯月は敗死。足利軍は引き続き包囲を続行。
奇策の一はここに成れり。これを以って、第二の奇策を展開するとのこと。




