第五十二話「詐欺師の選択」
いつの間にか注がれているお茶。
嫌な笑いを浮かべる神聖の巫女・紅葉。
いきなり突拍子なことを言い始めた紅葉に、呆れながら詰め寄る。
「ちょ、ちょっと待てよ。
伝令も何も来てないってのに、何でそんな事が分かるんだよ」
「わしは巫女じゃ。
少し霊力を応用すれば、少し離れた場所のことくらい容易に覗ける」
それくらいの事すら分からんのか、と紅葉は肩をすくめる。
だけど、内容が内容だけに、できることならば嘘であって欲しかった。
だけど、こいつが言っていることは、恐らく正しい。
何よりも、俺がこうやって反駁していることよりも。
「あー、『霊力』だっけ?
その胡散臭い能力を、俺はそこまで信用出来ないんだよ」
「何を言っておる。そこの果心の娘も、霊力を使っておるじゃろうが」
「……にゃ? 私のは『幻術』にゃのだが」
「同じことよ。人の弱った心に霊力を叩きつけ、身体に害をなす。
場にある存在を依り代に、陰陽師にも似た結界を張る。
それらは全て。霊力を使って行われる仕業じゃ」
奇跡を起こす秘術・幻術。
俺がいくら考えても、その原理は全く分からなかった。
だけど、それは当たり前か。
霊力なんてものが絡んできたら、一般ピーポーの俺が理解できる領分を遥かに超えている。
しかし、アヤメは『にゃるほど』と感慨深く頷いている。
どうやら、俺と違って心当たりがあったようだ。
「まあ、わしとしても、霊力の恩恵を受けておるのじゃがな。
わしが巫女として持つ『神託』・『過去視』・『千里眼』・『不老』・『読心』。
この5つの能力は、全て霊力によって成り立っておる」
「……気味が悪い能力の根幹はそれかよ。
全部マジシャンがやるようなインチキ能力じゃねえか」
「くく、なかなか信じようとせぬの。
どうやら、汝の世界では、この能力は知られざる存在であるらしいな。
しかし、汝の過去を見てみれば、身近にも霊力を秘めた者がいたではないか」
過去視をすることが出来る童瞳で、俺の顔を見据えてくる。
こいつが誰のことを言っているのか、何となく分かった。
さんざん昼行灯を気取っておきながら、大事な所で手を差し伸べる、あの気に食わない男。
あいつの伯父である、例のおっさんのことを言っているのだろう。
「その人間は、どうやら血筋で霊力を得た訳ではないみたいじゃがな。
しかし、その身に宿した霊力を使って、『霊力注入』という離れ業をしておる」
前人未到の発明家。最高にして最終の奇才。
甘屋草一は――あのおっさんは、確かに普通じゃなかった。
そして、奴が創造した発明品もまた、常軌を逸していた。
その根底にあるのは、霊力と言う名の異常な力。
俺が観念したように茶に口をつけると、紅葉は一仕事を終えたとでも言うかのように、深い溜め息を吐いた。
「さて、これで霊力の存在は信じてくれたかの。では本題に入ろうか」
「ああ、足利家が迫ってるんだったよな」
「うむ。秘密裏に討伐軍を編成しておったらしくてな。
砦を落としながら、電撃的な速さを以って石山城に進軍しておる」
「兵力は分かるか?」
「宇喜多側の総兵力は、毛利の残党を合わせても三万。足利軍は十二万じゃ」
「なんだと!?」
――十二万。
天下の雌雄を決したあの関ヶ原における東軍の、最大動員数にも匹敵する大軍だ。
中国地方を制圧して、勢いに乗っている宇喜多家。
しかし、近畿地方を掌握した将軍家とは、根本からして格が違う。
精強な兵を選抜して、圧倒的な訓練度を持つ足利軍。
それに対して、敗残兵を集めたばかりで、統治が行き渡ってすらない宇喜多家。
このままぶつかれば、その結果は火を見るよりも明らかだ。
「俺が……俺が行って手伝わないと!」
「ダメにゃ! やめろ春虎!」
俺がフラフラと立ち上がろうとすると、アヤメが後ろから羽交い締めにして止めてきた。
力の入らない足が滑り、惨めに尻餅をついてしまう。
痛みで涙が出そうになったが、何とかアヤメに叱責の声を出す。
「おいアヤメ、何で止めるんだよ」
「ダメにゃ……! 春虎が、消えてしまうにゃ!」
「……ぁ」
そうだった。
俺の身体は、徐々に消え始めているのだ。
頭に血が上って、そのことを失念していた。
足先から始まった異変は、なおも侵食を続けている。
この透過現象が俺を覆い尽くした時、何が起こるのかは想像に難くない。
本来俺が取るべき最善の策は、神在月までを何事も無く過ごすこと。
だけど――
「大丈夫だ。今まで何とか乗り切ってきたろ。
それに、自分が所属する勢力を助けて何が悪い。
あいつらが困ってるんだ。なあ紅葉、俺が行っても大丈夫だよな」
「そうじゃな。
汝がこの世界で『消し飛ぶ』ことを望むのなら、大丈夫といえよう」
「……なんだと?」
「考えてもみよ。汝は宇喜多の人間である前に、異世界の人間。
何よりも介入を嫌う世界――神様が、そんな勝手な真似を見逃すはずがなかろうて」
「つまり、俺があいつらを助けようとしたら?」
「消えるじゃろうな。まず間違いなく」
「何だよ、そんなことって……」
こっちの兵力を圧倒的に上回る敵。
そいつらが、今まさに牙を向いている。
今すぐにでも合流しないと、人員が足りない。
今この出雲に、風薫とアヤメ――貴重な戦力が集中してしまっているのだから。
こいつらと一緒に、早く向かわなければならない。
なのに――
「ここまで来て、ここまであいつらと頑張ってきて……。
神様は、あいつらを見殺しにしろっていうのか?」
「それが神の意志ならば、文句も言えぬよ。
元の世界に帰りたいのならば、諦めてここで神在月まで大人しく過ごせ。
たとえその間に、宇喜多が滅ぼされ、全員が殺されようとな」
何でもないことであるかのように、紅葉は淡々と話す。
大切な仲間が見殺しにされても、ここで待機するべき。
元の世界に確実に帰る条件。その選択肢を選ばせようと、誰かが仕組んでいるようだ。
だが、ふざけるなよ。俺がそんな事を認めると思うのか。
この世界は、神様は、どれだけ俺を苦しめれば気が済むんだ。
まるでこれじゃあ、俺を断罪するためだけに、こんな舞台を用意したみたいじゃないか。
俺がどんな選択肢を取るのか、味方を見捨てるのか。
その様を、楽しみながら経過を観察しているかのようにも思える。
俺が犯してきた今までのことを、贖わせようと断罪させようとしているみたいな――
「…………断罪?」
「む? どうしたいきなり」
そういえば、この世界は、どこまでも俺に選択を迫ってきた。
いきなり一宮水仙に襲われ、俺が優位に立った時にどのような選択をしたか。
その時俺は、報復されることを考えもせずにあいつをそのまま逃した。
風薫と出会った時に、俺はどのような選択をしたか。
リスクを省みず、風薫を解放し、共に旅をすることを選んだ。
アヤメと正面から戦った時、殺戮を繰り返していたその娘が、実は心の弱い少女であることを知った時、俺はどのような選択をしたか。
死ぬかもしれないというのに、未知の敵である結界に挑み、アヤメと共に道を行く事を選んだ。
紫が風薫を殺そうとした時、俺はどのような選択をしたか。
危うすぎて、俺すらも殺しかねなかった風薫を、認めて慰めてやった。
それ以降も、俺は常に選択を迫られてきた。
その選択肢はすべて、俺がこの世界に来なかったならば、絶対に選ばなかった道。
心の腐りきった詐欺師ならば、絶対に選択肢なかった修羅の道だ。
今思えば、どうしようもなくこの世界は作為的で、神様の存在を匂わせてきた。
なるほど、この世界に俺を導いた存在は、最後まで俺の選択を見るつもりなのか。
地獄に落ちても文句が言えなかったこの俺を、こうして逆境に落として、断罪を試みる。
こんな偶然はありえない。
この世界に意志がある以上、そいつはこれからの俺の行動も、きっちり見てやがるのだろう。
――だったら、見せてやる。
この俺が、伏見春虎が、この世界をどう駆け抜けたのかを。
二度と忘れないように、目に焼き付けてやる。
「行くぞ、アヤメ」
「……にゃ。宿舎は向こうにあるから、案内するにゃ」
「違う。俺たちがこれから向かうのは、最後の決戦場・石山城だ」
「にゃ、にゃんだとっ!?」
「……ほぅ?」
二人とも、意外そうな表情になる。
アヤメに至っては、あわあわと慌ててしまって、錯乱のあまり畳で爪とぎを開始した。
頭をはたいてやめさせ、俺はゆっくりと立ち上がる。
よし、ここに来るまでよりは回復してる。
どうせ壊れても構わない身体だ。
無理をしてでも、後腐れのない選択をしようじゃないか。
「後悔しないのじゃな?」
「しないよ。
俺はこの世界に来て、後悔だけはしないって決めたんだ」
「その身体が消え、愛する者の元へ帰れなくなっても、良いのじゃな?」
「それは困る。俺だってあいつに会いたいしな」
「ならば――」
「だけど、ここでみんなを見捨てて帰った俺を、あいつはきっと笑顔で迎えてくれない。
――それに、俺は強欲でさ。
納得の行く最後は、『宇喜多家を守って』『元の世界に帰る』だ。
俺が最後に選ぶ選択肢は、これ以外に存在しない」
この世界に俺を飛ばした奴に見せてやる。
詐欺師が最後に暴れる様を。
そしてそれが、詐欺師である伏見春虎の、最期の選択だ。
「くく、面白き奴よ。
わしもここで、汝を最後まで見届けてやろうぞ」
茶器が完全に空になった。
これで、こいつとの話は終わりだ。
これから最終決戦、ラスボス戦が始まる。
敵は将軍率いる最強の軍。
正直言って、勝てる見込みなんてそう無いだろう。
でも、俺は――俺たちは行く。
「アヤメ。風薫を呼んで来てくれ。急いで向かうぞ」
「…………」
「ここまで来て、まさか止めたりなんかしないよな」
「お前は、本当の大バカ者にゃ」
「自覚してる」
「そんなダメなお前を、一人で行かせても惨めに死ぬだけにゃ。
だから、私が守ってやる。この身体果てようとも、お前だけは守りぬくにゃ」
アヤメは胸に手を当て、誓うようにそう言った。
いつもの冗談見に溢れた表情はどこへやら。
まるで女騎士のように気高い光を瞳に宿し、俺を見つめていた。
アヤメの覚悟に頷いて応える。
だけど、一つだけ聞き捨てならないことがあった。
「お前も生きるんだぞ?」
「にゃ? 私が心配にゃのか」
「お前は死んでも死なない奴だろうが。心配といえば心配なのが本音だけどな。
だけど、俺の手が届く限り、この戦いでは誰も死なせない」
それこそが、俺の迎えるべきハッピーエンド。
湿っぽい雰囲気の中で帰還するなんざ御免だ。
そんなのは、俺の望む未来じゃない。意地悪な神様が喜ぶ最悪の終わりだ。
だから、絶対にこいつらを死なせない。死なせるものか。
「さあ、じゃあ改めて行こうか。俺たちのハッピーエンドに」
この言葉を言った瞬間、俺の左足から腰にかけての侵食が急激に進んだ。
どうやら、神様はお怒りのようだ。
だが、こんな脅しに俺は屈しない。
俺を消したければ消すがいい。
俺がこの全力を持って、消えずに元の世界に帰り着いてやる。
石山城まで移動するのに、だいたい2日を要する。
往復の時間も考えて、向こうについたら電光石火の勢いで打ち払わなければならない。
そのことを念頭に置いて、俺たちは風薫を呼びに行った。
――神在月まであと5日。
この日、詐欺師と策士と猫娘が、最後の戦いへと赴いた。




