第四十九話「汝はどこへ行く」
パチパチと、薪の爆ぜる音がする。
ついさっきにでも薪を追加していたのだろう。
強い炎光が目に染みる。それに気づいたのか、紅葉はおもむろに火中へ手を突っ込み、過剰な薪を掴み出した。
そして、女神のような息吹を吹きかけると、強い火力が嘘のように弱まり、そのまま灯火は消え去った。
「……熱くないのか?」
「霊力で手を覆っておる。慣れれば大したことではない」
いや、霊力って言葉が出てくる時点で、大したことなんだけど。
しかしそういえば、甘屋の伯父も霊力とかいうトンデモ力を持ってるとか言ってたな。
さすがに嘘だろと思ったのだが、頭のイった発明品を見て納得してしまったんだっけ。
その時俺は、この世には科学の干渉できない世界があることと、オッサンのドヤ顔はウザいってことを学んだのだ。
「くく、驚かぬのか」
「そういう胡散臭い力を持ってるやつを知ってるからな」
「む、知人に巫女か陰陽師でもおるのか。その年にしては大した人脈よな」
いや、特許を申請したと思った翌日には失踪してる発明家なんだけどな。
あのおっさんはそんな上等な職には付いていないはずだ。
ということは、霊力を持てるのには条件があるんだろうか。
まったく、どうやってそんな力を身につけたんだか。
「いや、そんな事はどうでもいい。
それよりも、俺は訊きたいことがいくつかあるんだ」
「おお、そうじゃったか。長話は嫌いみたいじゃな」
いや、仕事柄から言ってむしろ大好きなんだが、今の状況においては議題が違うって話。
今俺が訊きたいことは、そんな事じゃないんだ。
紅葉の童顔を見据え、質問を繰り出す。
「俺が元の世界に帰るためには、どうすればいい」
「んー、意外と簡単じゃよ?
というより、望むなら一週間後にでも帰れる」
「……は?」
「いや、運がいいことに神在月の直前に来ておるからの。
この事実は汝にとっても有益であろ」
そんなに簡単に、帰れるのか。胸から疑念が沸き上がってくる。
確かに神在月がもう少しでやってくる。
だけど、それが俺の帰還に何の関係があるんだ。
「出雲大社が祀っている宝物の中に、『転世の古鎧』というものがある。
と言っても、これははるか昔に焼けてしまって、もはや力は残っておらぬがな」
「なにやら心ときめくネーミングセンスだな」
「くく、実はその鎧にはな。
太古の昔より一つの伝説が受け継がれておるのじゃ」
茶棚から茶っぱを引き出し、紅葉は茶を点て始める。
じわりじわりと波紋を広げていく日本茶の緑色。
それを満足気に眺めながら、紅葉は続けた。
「それは――心正しき迷い人を、本来の世界に帰すというもの。
しかし、そんなものはとんだ夢物語。普通の人は信じないじゃろうて」
ああ、いかにもよくありそうな伝説だ。
てか、俺が今までやってきたゲームにもそんな設定のRPGがあったぞ。
それだけ有名かつ一般的な話なんだろうけど。
「しかし、神在月になると、神々から発せられた霊力が鎧に宿り、一時的に本来の力を取り戻すのじゃ」
「……つまり神在月になれば、俺帰れるのか?」
「ふぅむ、それは汝の心の在り方によるな。
鎧が心正しきものであると認めれば、汝も元の世界に帰れよう」
……心正しきもの。
俺は果たして、そんな人間として認めてもらえるのか?
もし鎧が俺の現実世界での過去を知っているとしたら、もはやその可能性は皆無だろう。
人を突き落としてきた事実は、不変なのだから。
「焦っておるのぉ。しかし、わしの眼から見てじゃが、汝はこの世界にきて変わったみたいじゃな」
「そうか? 俺としては、帰りたいがために必死だっただけなんだが」
「くく。心配せずとも、鎧は現在の汝を見極める。
その意識が許すならば、神在月の初日にでも帰れよう」
つまりは、来週に帰ることが出来るかもしれない。
しかし、一度拒まれた時、おそらく俺は元の世界に帰るすべを失うのだろう。
……こんな不透明な賭けは、今までに体験したことがない。
でも、俺のマンションに来て、待っていてくれているかもしれないあいつのためには、乗り越えなければならない。
だが――
「面白い困惑じゃな。今までに人と関わったことがなかった汝は、この世界での人間関係のことで葛藤しておる」
「…………」
「なんじゃ、違うのか?」
「合ってるよ。心が読めるんなら分かるだろ」
「くく、もっともじゃな」
まったく、やっぱりタチが悪い巫女だ。
――それにしても、風薫やアヤメに、なんと説明するか。
あと、紫にも伝えておくべきかな。
俺の眼から見て、アヤメは意外とサバサバしている。
人間関係的にはドライだから、俺を笑って送り出してくれるかもしれない。
でも、問題は風薫か。
さっきの張り詰めた顔は、俺がこうなることを直感で感じ取ってのことだったのだろうか。
俺が帰ると知ったら、ショックなのかな。
「愛する男が消え失せて、悲しまぬ女がおるものかな」
「……プライバシーって知ってるか?」
「知らぬ。汝の世界の言語体系に興味はない」
きっぱりと否定して、なおもニヤニヤと俺の顔を眺めてくる。
どうやら、俺がどんな答えを出すか、見定めているようだ。
なるべく誰の心にも負担はかけず、後腐れなく俺が元の世界に帰る方法。
それを見出すには――
「なあ、神在月は毎年やってくるんだよな」
「当然じゃ、暦じゃからの」
「……だったら、俺が帰るのを来年に引き伸ばすことは出来るのか?」
「ふむ。まあ、予想通りといえば予想通りか。
浅はかな答えじゃが、気を遣う汝ならそういう考えを抱いてもおかしくはない」
「どういう意味だ?」
俺の考えをあざ笑うかのように、紅葉は喉を震わせる。
そして、少し俺の脚に視線を投じて口を開いた。
「ところでその脚、どうしたんじゃろうかの」
「見えるのかよ」
脚を覆い隠すような着物を着ているというのに。
そしてそれ以上に、靴下で脚を隠しているというのに。
透視でも出来るんだろうかこの意地悪巫女は。
「くく、汝には二つの選択肢が用意されておるのじゃよ。
逆に言えば、それ以外の選択肢はない」
「というと?」
「一つはじきに来る神在月の日に帰るかじゃ。
もう一つは――」
そこで言葉を止め、俺の顔色をうかがってくる。
しかし、それに対して俺は沈黙するしか無い。
「――汝がこの世から消えるかじゃ。全ての可能性はこの2つに絞られる」
「……冗談だろ?」
「何を言っておる。もはや汝にはこの道しか開かれておらん。
汝は世界に拒否をされてしまった存在なのじゃ」
「…………」
それが、二個目の選択肢とどう関係があるんだろうか。
紅葉が口走る言葉は、全て抽象的で、俺を不安にさせてくる。
あるいは、それが少女の狙いなのかもしれないが。
「汝はな、この世界に干渉しすぎたのじゃ。
この世界の因果を乱した結果、世界の修正機能に巻き込まれてしまったのじゃよ。
その結果が、現在の汝に起こっておる異変じゃ」
俺の脚は、少しづつ透けてきている。
じわりじわり、とまるで贖罪を促すような速度でだ。
この透過が俺の全てを覆い尽くした時、果たしてどうなるのか。
末路がなんとなく分かってしまうだけに、震えが収まらなくなる、
「……それを信じろと?」
「世界の修正機能は、決して珍しいものではないのじゃ。
巫女らしく言えば、『神様が怒った』と言い換えられる。
この世界で暴れすぎた者に対する神様からの鉄槌じゃよ。
まあ、信じなくても良い。わしは別に困らんからの。
とは言え、汝の身体は遠からず透けていき、この世から消滅する。
これはもはや定められた運命なのじゃよ」
「でも――でもそれなら毛利両川だって……!」
修正機能? 何だそれは。
そんなSFもどきの説明なんかで、俺の運命が決まるだと?
馬鹿馬鹿しい。神様の存在に関しては肯定派だが、それは余りにも突拍子すぎる。
俺が神様から嫌われるようなことをしたのか。
暴れたって言われても、俺は生きようと必死にもがいていただけなのだ。
そうだ。俺がそんな世界の修正機能云々に睨まれているんだとしたら――
吉川元春。小早川隆景。
あの二人だって、その例外じゃなかったはずだ。
元いた人間にすり替わって、国を乗っ取ったんだから。
しかし、俺の考えを真っ向から否定するように、紅葉は不敵に微笑んだ。
「程度が違うのじゃよ、程度がな。物事をよく考えてみよ。
その二人は精々、一国の統治に少し影響を与えただけじゃろうて。
しかし汝はどうじゃ。
『違う世界の者』が『結果的』に『大国』を『滅ぼした』。端的に言えば、歴史と未来の改変じゃ。
汝の行動は、明らかに度を越してしまっておったのじゃ」
「つまり……毛利家が消滅したから、俺は消えてしまうのか」
「ま、究極的に言えばそういうことじゃな。
汝の世界を例に取ると、戦国時代から来た人間が、時の権力者を殺したようなものじゃ。
異端分子がそんなことをしてしまえば、世界を敵に回しても仕方がないことじゃろうて。
まあ、神様を怒らせたとでも解釈すればわかりやすいであろ」
俺は、皆と協力して、障壁である毛利を打ち破った。
それによって宇喜多家も風薫も救われたし、俺としても最高のことをしたと思った。
でも、それはしょせん俺からの主観での話。
客観的に見れば、この世界を滅茶苦茶にした大馬鹿野郎なんだ。
「……どうにも、ならないのか?」
「ん、何のことじゃ」
「俺は、この身体が消える前に元の世界に帰るか、そのまま消滅するか。
その他に選択肢はないのか?」
「くどい。無理じゃといっておろうに。
あと、わしをそんな目で見るな。わしに何かを頼られても困る。
巫女は選択と未来を提示するだけで、選択をするのは他ならぬ本人なのじゃ」
このままこの世界に残って、みんなと楽しく話をして、馬鹿みたいに騒ぐ。
そして、来年の神在月に、ちゃんと全員に挨拶をして、後腐れなく帰る。
それが、俺の掴みとりたかった最後だった。
――でも、その選択肢は、最初からなかったのか。
迫ってくるタイムリミットが、世界からの修正機能が、全てを無に帰してしまっている。
「まあ、どの未来を選ぶかは汝次第じゃ。
『帰還』か、『消滅』か。
どちらを選んでも、汝はこの世界で得た絆を断ち切らねばならぬ。
それが、世界の意志なのじゃから」
どちらにしても、あいつらを残して俺はどこかに行ってしまう。
前者を選べば何か言われてしまうだろうし、後者を選べば俺の人生そのものが終わってしまう。
どうやら世界は、俺にどうしてもハッピーエンドを迎えさせたくないらしい。
「くく、辛い選択よの。汝の心が揺れ動いておるのが、手に取るように分かる。
恨まれながら元の世界に帰るか、悲しまれながら世界から消えるか。
どちらにしても、先程の娘は悲しむことじゃろうな」
「…………」
「竹中風薫、といったか。ずいぶんと汝に心酔しておったの。
わしもいい加減恋慕に飽きるような年をしておるのじゃが、あそこまでの熱気は久しぶりじゃった。アテられてこっちまで恋に目覚めそうじゃったわ」
どう見ても少女にしか見えない紅葉は、顔をパタパタと仰いだ。
しかし、俺は他の事で頭がいっぱいで、そんなことを気にする余裕はない。
――竹中、風薫か。
俺をここまで導いてくれた存在。
この世界にきて、人を信じることを思い出させてくれた策士。
どこか知り合いの発明娘に雰囲気が似ていて、危うげなところがあった少女。
遠からず、俺は彼女との関係に決着を付けねばならないのだろう。
それならせめて、言い訳くらいでもしておきたい。
どのような結果になったとしても、あいつに何も言わずにおさらばするなんて言うのは、絶対に駄目だ。
だから、だから俺は――
「そうかい。長話をさせて悪かったな」
「おや、もう腹は決まったのか。もう少し悩むと思ったのじゃが」
「悩んだよ。脳がねじれ切れそうになるくらいまで苦悩した。
だけど、俺は俺なりの最善を選ぶよ」
「それは、果たしてどっちなんじゃろうな」
「神在月になれば分かるさ」
それだけ言って、俺は茶に口をつけた。
舌が痺れそうになるくらいに苦く感じる原因は、この茶が渋いということだけではないのだろう。
緑色の液体を喉に流しこみ、湯のみを床に置いた。
そして、俺は立ち上がる。
「神託をくれてありがとな、巫女様。
神在月になるまで、俺は少し席を外すよ。その時が来たら、もう一回力を貸してくれ」
「それは構わんさ。しかし、どこに行こうというのじゃ。
ここに至って、汝はどこに向かって行くのじゃろうな」
「…………」
後ろからの声に無言を返して、俺は戸に手を掛けた。
少し力を入れて開扉すると、外から冷たい風が流れ込んできた。
目に染みる涼風を無視して、外に出る。
そして戸を閉める直前になって、紅葉はもう一度、最後にもう一度だけ訊いてきた。
それに対して、俺は答えてやろうと振り向いた。
「伏見春虎、汝はどこへ行く」
「決まってるだろ。みんなが幸せになれるハッピーエンドまでだ」
そう言い切って、戸を完全に閉めた。
そう、バッドエンドなんて認めない。
トゥルーエンドなんてもっての他だ。
そんな最後を選ぶくらいなら、俺は美しい終わり方よりも、誰かを幸せにする終わりを選ぶ。
それが、俺の詐欺師としての最後の騙しなのだ――
少し歩いて、風薫が待機していた詰所に辿り着く。
少しの逡巡の後、戸を開いた。
するとそこには、俺がここに来ることがわかっていたかのように、身支度を整えた風薫がいた。
どうやら、彼女なりに俺の答えを予想していたのかもしれない。
だけど、残念ながら俺は詐欺師だ。
彼女の期待を打ち砕いて、彼女を幸せにする嘘を、俺なりについてみせる。
「風薫、話がある」
それが、伏見春虎における最後の――詐欺なのだから。




