第五話「帰宅の開始」
この地図の中では、北海道が台湾の近くにあり、沖縄が樺太の近くに位置している。
つまりは、俺が知っている日本地図の形と、まるっきり反対であった。
俺の故郷である岡山県が、この世界における群馬県の辺りになってしまっている。
ということは何だ。
ついに晴れの国岡山のベールを脱ぎ捨てる時が来たのか。
俺がくだらないことを考えていると、水仙が話しかけてきた。
「何が逆なんだ?」
「いや……なんというか、こう……」
南には蝦夷という大陸、北には薩摩・琉球といった島国が記されている。
すごい下手な字だな、と思ったが、ただ単に崩してあるだけだった。
俺の古典の勉強不足を嘆きながら、解析を続ける。
しかしまあ、あまりにもカオスだな。
現代で例えるなら、年間平均気温が20度を超える北海道。
降雪量が尋常でなく、雪かきが日課となっている沖縄。
うーむ、振興会の方々が聞いたら激怒しそうな内容だ。
これを謎といわずに何と言おう。
地質学や気候学の学者が発狂するに違いない。
「……いや、ちょっと待ってくれ。
まず地図があることがおかしくないか?」
この時代からこんな精巧な地図があったら、伊能忠敬さんお役御免じゃん。
歴史の偉人を潰すなよ、と思ったが、そういえばこの世界が俺の知っている戦国時代とは限らない。
男の減少率が半端無いみたいだしな。
とはいえ、今が西暦何年なのかを知っておくのは良策だ。
「えっと、室町以降だから……なあ水仙さんよ」
「…………」
「水仙?」
「なっ、なんだ? すまない、聞いていなかった」
「随分とガンを飛ばしてくれてるが、俺の顔がそんなにおかしいか?」
「うるさいっ! 忘れろ! ……まだ何か質問があるのか」
「いや、今って応仁の乱から何年経ってるのかなって」
応仁の乱。
1467年に京都を舞台に繰り広げられた、有力大名による血の祭典。
ヒャッハーな人々とヒャッハーな人々が激闘を繰り広げ、『火の7日間』と呼ばれる惨劇が繰り広げられた。
その死闘はやがては全国にまで波及し、結果的に戦国時代の到来を呼び込むことになった歴史的な事件である。
一部間違った情報が入っているので、テストに書くのはおすすめできないが、応仁の乱と言うのは大体そんな感じだ。
「……応仁の乱か。私の曽祖父母の世代ではないか。多分……102年前だ」
すんなりと答える水仙。
やはり将軍お抱えの武士だけあって、多少の教養はあるということか。
てか、この時代の人間なら、そのくらい誰でも知ってるのかもしれない。
「……てことは、1467足すことの102は……1569年か」
「そんな暦の数え方があったとは……」
ははは、西暦を知らんとは。
この時代ではまだ普及していないんだったか。
とまあ、俺が現代の知識を引き合いに出して茶化していると、水仙がジト目で見つめてきた。
「な、なんだよ」
「お前、本当にここの国の人間なんだろうな?」
「言ったろ、先祖代々日本生まれだ。
幾度となく徴兵制度を身体検査で落ちて来た、暗黒の歴史を持つ貧弱一族だよ」
いやこれ、以外とマジだったりする。
きっと俺の家系は体力がない血統なのだろう。
先祖が悪事を働いたツケが俺に回ってきたに違いない。
なんてことをするんだ、俺の先祖は。
それにしても、南が蝦夷で北が薩摩ね……。
ここは山城だから、位置的に丁度ど真ん中か。
元々本州の真ん中辺りだし、あんまり地図反転の影響は受けてないのかな。
山城というのは旧名で、今の京都府のあたりを指す。
俺がいつか旅をしてみたいと思っていたところだ。
それがまさかこんな形で叶うとはな、人生とは分からないものだ。
山城は確か足利家が持っていた領地だったか。
「う、ぐぁ……くぅっ」
「どうした?」
いきなり水仙が苦しそうに声を漏らす。
歯を噛み締めて激痛に耐えているのか、瞳からは大粒の涙が覗いていた。
そんな彼女の足首は、血が通っていないのか、鬱血して変色しかけている。
「いや、縄が食い込みすぎて痛い……」
「ああ、悪い。
だけど、そうでもしないと何をされるか分かったもんじゃないからな。
後で外すよ。とりあえず今は報いだとでも思っとけ――因果応報だ」
「……男に手を出して咎められるはずもないのに」
水仙は泣き言のように、自分のしたことは悪ではないと訴える。
いやまあ、文化の違いだからなんとも言えないけど、流石に俺の世界では犯罪なんだけどな。
てか、殺人の次くらいに重たくなかったっけか。
「ったく。……で? 何でこの国はそんなに男が少ないんだ?
自分が気に入る男が枯渇してるって、もう相当な人数が死んでるってことだろ」
「それは……」
すると、何か含む所があるのか、水仙は急に口数が少なくなる。
……まさかまた膠着状態か?
そんな事になる前に、手を打たなければ。
「猫じゃらしもう一本生えてるな、あそこに」
すると効果は抜群のようだ。
水仙は慌てて先程の沈黙を撤回した。
「分かった! 言うからやめろ!
……そもそもだな、男がこの日の本で激減した根本的な理由は――」
一度言葉を切り、遠い目になりながら、水仙は口を開く。
「――疫病だよ」
苦々しく呟く。
その言葉には、負の情念が込められているように感じた。
彼女が放つ憎悪の矛先は、俺ではない。
「……疫病?」
「ああ。お前のいう応仁の乱以降から流行りだした奇異な病で、男だけが罹る病なんだ」
「……その病気で、莫大な男が死んだのか?」
「……広まり方が尋常じゃなかったんだ。
疫病に罹った者はまず生殖機能が壊滅し、筋肉が全て削げ落ちる。
そこから身体が急激に衰弱していき、数日で死に至る――男の命は無残に消え去っていったよ」
「怖いな……」
爆発的な感染性もさることながら、症状も恐ろしい。生殖器が壊滅て。
次いで筋肉。つまりは、今まで築き上げた身体機能が全て無に帰すってことか。
そんな強力な病原体が日本に存在すること自体が驚きなんだが。
「病が収まりを見せたのはつい5年前。
その時には既に、国内の男は殆どいなくなっていたよ。私の父上もな」
水仙は後ろ手に縛られた手を弱々しく握る。
後悔の念が、全てその一つの行動に凝縮されているかのようだ。
実父の生命を奪った、疫病という不条理。
先程から垣間見える憎悪は、正体不明の病へと向けられていた。
「父上って……もしかして一宮随波斎?」
「父上を知っているのか?」
俺の言葉を受けて、水仙は胸を衝かれたらしく、勢い込んで尋ねてきた。
そこまで必死になって食いつくか。
「いや、随波斎っていう武将は聞いたことがある。
日本で一位二位を争う弓の名手だろ。
足利家に仕えていて、医術も修めていた天才弓士だ」
「その通り、父上は万夫不当の弓兵だった。だけど…………」
水仙は言いよどむようにして目を閉じる。
その無念で満たされた表情を見ていると、胸が締め付けられた。
肉親を失うという苦痛は、相当なものだったのだろう。
残念ながら俺には彼女の気持ちを理解することが出来ないが、
世間一般において、肉親の死というのはかなり辛いらしい。
……俺には、良く分からないのだけれども。
まだ成人を迎えているか怪しい少女であれば、尚更辛いのかもしれない。
果たして気持ちの整理が付いているのか、デリケートな事だけに言葉を選びづらい。
「疫病か」
水仙は緩やかに頷く。
「そっか。そりゃご愁傷様、冥福を祈るよ。
……あと二つだけ確認したい事があるんだが、大丈夫か?」
「構わない」
「じゃあまず一つ――
織田信長、木下藤吉郎、松平元康――この3人は生きているのか?」
あの有名な、戦国時代に天下を取った3人である。
何度歴史シミュレーションゲームでお世話になったことか。
この3人を中心にして、この時代は進んでいったと言っても過言ではない。
だから、この世界でも彼らが圧倒的な力量を持っているはず――そう思ってこの3人を列挙したのだ。
「……信長は知っている。恐らく男の大名の中で、最後まで生存した男だ」
「ってことは、まさか疫病で死んだのか?」
「そう聞いている。
松平家は領主たる元康が数年前に死んで、4つに分裂したはずだ。
……あと、木下藤吉郎というのは聞いたことがない。武将なのか?」
信長は疫病で死亡。家康も疫病で。
そして木下藤吉郎――豊臣秀吉に至っては武名さえ轟いていない。
……う、うーむ。
余りにも俺の知る歴史と食い違っている。
ゲームのIFプレイでもそんなとんがったシナリオはないよ。三人が全員死滅か無名て。
という事は、戦国時代の有力大名当主は、軒並み死んでいるのかもしれない。
俺の歴史の知識が果たしてどこまで効果を発揮するのだろうか、謎だ。
「……藤吉郎の名前が知れ渡ってないってことは、墨俣築城前に織田家が破綻したってことか」
「何を言っているのか良く分からないんだが」
咬み合わない歴史の会話に、むず痒くなってくる。
あんまり収穫もなさそうだし、最期の質問へ行こうか。
といっても、何となくこの少女が答えそうなことは予測できるのだが。
「じゃあ最後だ――今この日本で、一番強い勢力はどこだ?」
先ほどまでとは違い、水仙は自信ありげに即答した。
その口元には、笑みすら浮かんでいる。
「決まっている。私が仕える足利家こそ幕府であり、武家の最高峰だ」
「……そうか、分かった。情報ありがとう、一応礼を言っとくよ」
俺は少しばかり会釈する。
……うん、予想通りの答えだった。
というより、どこの勢力の武将に聞いても、皆自分の勢力を挙げるだろう。
どうやら武士の自尊心は、この世界でも健在のようだ。
「結局、私の処遇はどうなるのだ?
何をされようと、もう心構えはできているのだが」
おお、決意のこもった眼光だ。
こんな気迫を見たことがない。少し気圧されてしまう。
とはいえ、特に何もするつもりはないんだけどな。
俺が女性に手を出したら、確実に悲しむ奴が一人いるから。
「じゃあお言葉に甘えて、金だけ頂いておこう。その代わりこっちの短刀は返す」
懐から短刀を取り出し、水仙から少し離れた場所に置く。
俺の行動が理解できないのか、彼女は不審げに首を傾げる。
「慈悲のつもりか……?」
「いやいや、家宝なんだろ? なら大事にしなきゃダメだ」
「…………」
「まあ本音を言うと、単に金にしか興味が無いだけ。
でも、服と金だけは頂いていくけどな、寒いし文無しだし。んで、ベルトも回収だ」
少女の自由を奪っていたベルトを解き、ズボンに再装着する。
同時に水仙がつけていた麻袋から、重みのある財布を取り出した。ナイス収穫。
こういう時こそ慌てずに、弱みを見せずにだ。
「今私が襲いかかると考えないのか?」
「そういう質問をするってことは、しないんだろ?」
「……喰えない奴だ」
水仙は観念したかのように、手を肩のあたりで振った。
やれやれ、のアレだ。
「さて、足の方は結構キツく結んどいたから、頑張って外してくれ。俺はさっさとここから立ち去る」
「どこに行くつもりだ?」
少女は脚に施された緊縛を解きながら、俺に質問してきた。
どこに行く、ね……。
そんなこと、決まりきっているんだろうに。
まあいい、口に出さないと伝わらないものもある。
「帰るんだよ、家に。どうやって帰れば良いのかも分かんないけどな」
俺は苦笑いをしつつ、腰を上げた。
ちょっとしたアクシデントもあったが、俺の帰宅はここから始まる。
靴紐を結び直し、戸口へ向かう。
すると、背後から、掠れるように小さい声が聞こえてきた。
「……神社」
戸口から外に出ようとしたのだが、水仙の一言で足が止まった。
「ん? なんて?」
「神社に行けば、多少なりとも方策が見つかるかもしれない。
規模が大きい所に行けば、未来視が出来る巫女もいる」
「……良く自分を縛った男に助言ができるな」
俺だったらチェーンソーを振り回しながら復讐すると思うのだが。
水仙は意外と寛容なのかもしれない。あやかりたいものだ。
俺が何の気なしに水仙の顔を見ると、彼女の顔が赤く染まった。
……まだ怒ってるのか?
と思ったが、別に不機嫌ではないようだ。
解いた縄を指先で弄りながら、表情の機微を隠そうとしている。
「……いや、違うんだ。これはそうっ、短刀を持って行かない事に対する礼だ!
そ、それに、今言ったことは嘘かもしれない!」
言っている事が支離滅裂な上、説明からして嘘になっていない。
だが不思議だ。ものすごく微笑ましい。
ひと通り彼女の顔を眺めた後、俺は立ち上がる。
「はいはい。んじゃ、一宮水仙さん。狼に気をつけろよ」
「……あ」
今度こそ立ち去ろうとした時、水仙がまたしても話しかけきた。
ふりむくと、そこには晴れやかな顔をした水仙がいた。
なんだろう、何か心境に変化があったようだ。
「ん? なに?」
「名前、教えてもらっていいか?」
熱い瞳で、俺を見つめてくる。
いや、そういう顔をされたら、是非とも詐欺師の血が疼くじゃないか。
「万事院田吾作だ」
「ばんずいん……たごさく? 変わった名前だな」
「そりゃあ偽名だからな」
「…………」
水仙の眼に再び涙が浮かぶ。
あ……やっちゃった。
ていうか、どんだけ泣きそうになってるんだよ。
先程からの表情の変化を見るに、水仙はまだ内面が成熟しきっていないのかもしれないな。
俺は高校生にしては老成していると自負しているのだが、
こいつはその対極に位置しているのかもしれない。
「冗談だよ。名前は伏見春虎。彼女無し婚約者一人の根無し草。
二度と会う事はないだろうけど、それじゃあ元気でな」
最後に爆弾級の発言を残して、俺は戸口を出ていく。
後ろから引き止めるような声が漏れたが、俺は気にせず歩を進める。
さて、結構時間を食ったな。
街に出るにはどうすればいいんだろうか。
俺は地図を開きながら下山を始めた。