第四十七話「激戦のあと、そして新たなる懸念」
人を信じることは難しい。裏切られることを覚悟しないといけないから。
でも、ひとたび信じられる人に出会った時、その覚悟は徐々に芽生えてくるんだと思う。
端的に言うと、この世界に来てよかったってことだ。
◆◆◆
――眩しい。
嫌な夢を見ていた気がするが、今はどこまでも明るい光に包まれている。
差し込んでくる陽光が、俺を長い眠りから覚ましてくれたようだ。
「……あぁ、生きてるのか」
金属疲労のようなものが残っているが、もう頭が痺れる感じは残っていない。
左腕は未だにズキズキと痛み、右足は熱を持ったようにヒリヒリする。
どうやら、死後の世界でもなく、純粋に生き延びることが出来たみたいだ。
「お、起きたか」
頭の方から、涼やかな声が聞こえてくる。
その美しい声にカリスマを見出すことができる。
どうやら、宇喜多日和がいるようだ。
「ああ……って、毛利はどうなったんだ!?
大量出血でクラクラした後にアヤメに眠らされて、それから――」
「まあ落ち着け。毛利家は崩壊したよ」
「は? 崩壊?」
「毛利両川の恐怖政治が終わったからな。
二人が死んだと知るや、重臣が次々に宇喜多家へ投降してきたよ。
毛利蓮臥をかくまっていた甲斐があった」
そうか。やっぱり毛利両川は死んだのか。
アヤメは、その惨めな死を俺に見せたくなかったんだろうな。
少なくとも、地獄の亡者の中に放り込まれたかのような死に様は、俺としても見たくない。
だけど、風薫を助けようとした俺がまっさきに倒れてるんじゃ、格好つかないな。
苦笑しながら身体を起こそうとすると、右腕の辺りに心地よい重量感を感じた。
ふと見てみると、そこには気持ちよさそうに寝息を立てる風薫がいた。
「……えーっと、これは?」
「いや、私も言ったんだけどな。
どうしてもお前のことが心配だったらしく、一晩中そばで看病していたぞ」
「……まったく、こいつも重傷だっただろうに」
少しは自分の身体を大切にして欲しいな。って俺が言えることじゃないか。
でも、可愛らしい少女の柔肌に傷がつくというのは、個人的によろしくない。
「あの後どうなったか説明してくれるか」
「もちろん。お前と紫が独断専行して陣に向かったと聞いて、私たちはすぐに軍を動かした」
「……怒ってる?」
「かなりな。だが、こういう結果になったのだから強くは言えない。
いざ陣を包囲した時、いきなり毛利軍が中から開門して降伏を申し入れてきたんだ」
多分、毛利両川を惨殺したアヤメが、風薫と一緒に説得して回ったんだろうな。
本来の君主は宇喜多家が保護していて、恐怖と武力によって押さえつけていた人物がいなくなったんだ。
家臣団としても、それ以上抵抗する理由はないだろう。
「まあ、少なからず毛利両川側についた家臣もいたんだろうが。
そいつらは全員命を刈り取られた上で、毛利両川とともに座敷牢に押し込められていた」
ああ、下手人はアヤメに違いない。
俺が失神していた間に、そんなショッキングなことがあったのか。
でも、現場に俺がいたら確実にアヤメを止めてただろうな。
だからこそ、邪魔をされないようにアヤメは俺を失神させたんだろう。
「まあ、お前たちの勝手な行動のお陰で、宇喜多家は一躍中国地方の覇者なわけだ」
「そりゃおめでとう」
「何を言う。お前も宇喜多家の一員だろう。共に勝ち取った栄光なんだ。共に喜ぼう」
「そう言ってくれるとありがたい」
君主を失った勢力は、流星のごとく失墜するな。
その点、宇喜多家の場合は安泰だ。
ここに頼れる君主がいるんだから。一人でうなずいていると、隣にいた風薫が眼を覚ました。
そして、俺が起きているのを見て、あわてて身体を起こした。
「ご主人様! 身体は大丈夫なんですか? 目を覚まさなかったらどうしようかと……」
本気で心配した視線を向けてくる。
その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
そこまで俺が死にかけてたってことなのかな、これは。
ただ単に風薫が心配性なだけかもしれないけど。
「いや、十分だよ。一晩ぐっすり寝てりゃ疲れも取れる」
「ん? 春虎よ。勘違いしているようだが、お前は三日間寝込んでいたんだぞ」
「……へ?」
「いや、だから三日間」
ちょっと待て、そんなに寝てたのかよ俺。
気分的には一夜を明かした心持ちなんだけど。
それだけの間、意識を失ってたのか。
風薫は俺が眼を覚ましたことが嬉しいようで、目を潤ませながら俺の袖を握ってくる。
「……すごい量の血を流してたんですよ?
アヤメさんの強心作用のある幻術をかけ直しても、まったく効果がなかったみたいで。
医者様はいつ死んでもおかしくないと仰ってましたから……」
「そんな大げさな。そんな状態で帰ってきたの? 俺」
「ああ、あの紫までもが慌ててしまって、まともに勢力が機能しなかったほどだ」
へぇ、あの紫がね。
あいつのことだから、俺が死んでも『惨めよな』くらいしか言いそうにないんだけど。
俺の持ってるイメージが間違ってるんだろうか。
「そうだ、風薫。ひとつ頼まれてくれるか?」
「何なりと」
「出雲大社に行きたいから、馬を出してくれるか」
「出雲大社、ですか」
「そう。俺がこの中国地方に来たのは、出雲大社で元の世界に帰る方法を知るためだ。
毛利という障壁がいなくなった今、念願だった目的地に行けるってわけだ」
「……しかし、馬に乗ると傷口が開きますよ?」
「大丈夫だ。俺はこう見えて我慢が得意でな」
こそどろ、がまん、わるあがきは標準装備だ。
少なくとも、元の世界に帰るため、出雲大社に行く事は避けては通れない。
俺が布団を剥いで包帯だらけの身体を晒すと、日和が驚いたような顔をした。
「……春虎。お前――」
「ん? どうした」
聞き返してみるものの、日和は眉根を潜めて押し黙っている。
すると、風薫までもが俺を見て驚愕の表情になった。
――いや、俺じゃなくて、俺の『足先』を見てだ。
「ご主人様……それは?」
風薫が俺の足の指付近を指さす。
何の気なしに見てみると、俺の心臓が跳ね上がった。
「……なんだよ、これ」
俺の両足の指先が、不自然に透けていた。
半透明の状態で、向こうにある畳が透けて見える。
おそるおそるその部分を触ってみると、その部分を通り抜けてしまった。
「……どんどん広がっていってます」
「夢じゃ、ないのか。これじゃあ、これじゃあまるで――」
俺の存在が、消えて行ってしまっているようだ。
何かの間違いかと思いながら、指先付近を触れてみる。
しかし、第一関節より先の部分はただ半透明として見えるだけで、触れることができなかった。
「……まさか、これが例の疫病か?」
男だけが発症し、この戦国から男を消し去る原因となった病。
しかし、日和はすぐさま俺のつぶやきを否定した。
「それはない。疫病にかかったらアレが不能になるはず。
本当に疫病にかかっているかを試してみるか? 私が相手になってやるが」
「はは、ふざけろ」
その提案を一蹴し、俺は少し前にどこかで聞いた情報を持ちだした。
確か、これは水仙から聞いた話だったか。
「例の疫病だったら、生殖器がダメになる前に、全身の筋力が削げ落ちるんだろ? 俺は至って健康だ」
「そ、そうみたいですね」
風薫が頬を染めてうなずく。
はて、何をそんな色気づいているのかと思いきや、その視線は俺の股間に注がれていた。
包帯と薄い寝間着によって保護されている部分が、不自然に屹立している。
「……やべ」
生理現象で、下半身が一時的にみなぎってしまっているのだ。
見苦しいので、掛け布団を腰のあたりまで巻きつけた。
これは、アレだ。仕方がないことだ。
だから言い訳すらもせんぞ、俺は。
「てか、真面目な話。脚が透ける病とかに、心当たりはないよな?」
「ない」
「ないです」
……だよなあ。そんな病、俺の世界にだってなかったよ。
というより、この現象は病というより、何らかの摂理が関係してるんじゃないか?
とりあえず、ここにいても結論は出ない。
出雲の巫女に、この現象も一緒に聞いてみるか。
気合を入れなおそうとした刹那、日和がボソリと何かをつぶやいた。
「……消えて、しまうのか?」
恐らく俺に言ったんだろう。
しかし、聞きづらいことだから小声になってしまったか。
その言葉を受けて、風薫までもが慌てふためく。
「ご、ご主人様が消えるのは嫌です! 認めません。……認めませんから」
「消えりゃしないって。日和さんよ。風薫を不安にさせないでやってくれ。
とりあえず、俺は出雲大社に行ってくるからよ。ここの統治は任せたぜ」
「……あ、ああ」
震えてしまっている風薫に「大丈夫」と耳元でささやき、身体を起こす。
いざ立ち上がらんと思った瞬間、俺はよろけて布団に倒れこんだ。
すると、日和が包帯を手に心配げに覗きこんでくる。
「大丈夫か? まだ貧血があるのか」
「いや、それもあるんだろうけど。
左脚に体重を掛けられないから、どうやっても歩けない」
なんという想定外。
昨日の槍か。あの一撃が俺をこうして苦しめているのか。
その上、少しでも動いたらフラリと倒れてしまいそうだ。体力不足、ここに極まれり。
「……まさか立ち上がることすら出来んとは。これじゃあ外に行けねえじゃねえか」
「仕方がない。風薫殿、分かるな?」
「はい、それしかないみたいですね」
何やら目的語のない会話をして、風薫が納得する。
すると、俺の横にススッと回り込み、俺の背中に手を当て、膝の裏側に手を差し入れる。
あれ、これはなんだか嫌な予感がするんだけど。
「ん、よいしょっと」
風薫は少し息を貯めると、掛け声とともに俺を持ち上げた。
俺より体格が圧倒的に小さいはずなのに。
相変わらず力の法則を無視してるよな。
かくして、俺は『お姫様抱っこ』状態で風薫に運ばれることになった。
これが元の世界でのことなら、舌を噛みきって死んでいるかもしれん。
「……これでいいのか、俺の人生」
「少なくとも私は大丈夫ですよ。ご主人様の身体、思ったよりも軽いですね」
「平均身長はあるんだぜ? 筋力はお察しだが」
まさかこの年になって、こんな運ばれ方をされるとはな。
羞恥心で耳が赤く染まりそうだが、これも出雲大社に行くためだ。
――あと、この足先から始まった侵食は、嫌な予感がする。
杞憂であってくれればいいんだが。
馬小屋までお姫様抱っこ状態で連れて行かれ、そのまま出てきた馬にまたがる。
風薫が乗馬するとその肩に手を置いた。
そうだ、念のため注意しておかないと。
紫の時は悲惨なことになったからな。
「風薫、あんまり揺らさないでくれると嬉しい」
「分かっています。傷に触ると危ないですから」
うん、まあ酔い止めのつもりで言ったんだけどな。
でも、慎重に運転してくれるのはありがたい。
それより、やっぱ足のことが心配だ。
巫女に頼めば、この原因も突き止めてもらえるんだろうか。
嫌な予感が心中で渦巻いていたが、馬が走り出すと無心状態になった。
さあ、本願である出雲へレッツゴーだ。
安全運転で頼みますぜ、風薫さんよ。
結果から言って、三回嘔吐したんだけどな。
元の世界に戻っても、絶対に馬にだけは乗るまいと心に誓った。




