第四十五話「詐欺師は夢に沈む」
「……アヤメ、気をつけろ。そいつが持ってる武器は危ない」
「にゃぁに。幻術使いに飛び道具を出した時点で、勝負は決まってるにゃ」
「そこまで言われては、心中穏やかではないですね。
こちらを見せても、まだそんなことが言えますか?」
そう言って、小早川隆景は懐から何かを取り出した。
それはまさしく、風薫に傷を与えた殺傷武器。P-90だった。
すると、アヤメは肩を竦めてため息をつく。
そして、バカにするように嘲笑を返した。
「聞こえにゃかったか? お前の負けって言ってるんにゃよ、ゴミ」
「死んでください」
――連続する発砲音。
火が爆ぜたような炸裂を見せながら、アヤメの身体を銃弾が貫いた。
その体躯を貫通した弾は、壁に当たってようやくその勢いを失う。
アヤメの身体は冷たい床に投げ出され、その活動を止めた。
この間、俺は動くこともできなかった。ただ、破壊されていくのを見ることしかできなかった。
致死傷を与えたことを確認した隆景は、満足そうにうなずいて俺の方を向いてきた。
「口だけですね。何のために出てきたのか分かりませんよ。
こんな科学もへったくれもない時代にキメラがいたことは驚きですが。
さて――死ぬ覚悟はできましたか、伏見春虎さん?」
「何の話だ?」
俺がそのまま返事を返すと、隆景は眉根を潜めた。
俺が泣き叫んで土下座でもすると思ってたのか。
弾を装填しながら、皮肉るようにアヤメを見やっている。
「お仲間が死んだというのに、ずいぶんと冷たいのですね」
「んー、そうかもな。でも、一応理由があるんだけどな。
まあ、何が言いたいかって言うと、アヤメの言う通り――お前の負けだ」
「――何をッ!?」
その瞬間、背後に怖気を感じたのか、隆景が振り向いた。
奴はそのまま目を剥いて硬直する。
銃殺したはずのアヤメが、真後ろに立っていたのだ。
「にゃおん」
挑発するように猫なで声を上げ、隆景の銃を蹴り飛ばした。
空中を舞ったP-90は、施錠済みの空き部屋に入り込み、そのまま駆動を止めた。
驚愕のさなかにある隆景は、口をパクパクと開かせながら、己が先ほど撃ち殺した方のアヤメを確認する。
銃弾で穴だらけになった方のアヤメは、陽炎のように輪郭を歪ませ、そのまま消滅した。
――なるほど、どうやら奴は完全に術中にはまっていたらしい。
「私に会った時点で、お前は幻術にかかってたのにゃ。
格の違いが分かったかにゃ、ニセモノ」
「ま、まだですッ!」
その言葉とともに、隆景は懐から拳銃を抜いた。
一瞬で撃鉄を下ろし、アヤメの頭に照準を合わせる。
しかし、すでにアヤメはそこにいなかった。
驚いた隆景は、先程の二の舞にならないよう、背後を見やった。
しかし、そこにも少女の影はない。
一瞬で視界から消え去る身体技能。
猫はしなやかな足を持っており、人の及ばないところまで高い跳躍が可能なのである。
まあ、何が言いたいかといえば――
「――上だよ、今更気づいても遅いけどにゃ」
「うッ!? う、うわぁああああああああ!」
「私は春虎みたいに甘くにゃい。
春虎に逆らったことを後悔して――そして死ね」
長い爪が振り下ろされた。
まさに、死神を思わせる一閃。
頭頂部から首にかけて爪が蹂躙し、その息の根を確実に止める。
赤い花が咲いた瞬間、偽物がこの世から消滅した。
それはまるで、生きるべきだった英雄を殺したことへの報い。
介入するべきではなかったバランスを崩壊させたことへの、罰だったのかもしれない。
無残な死に様を晒した隆景は、アヤメの手によって引きずられていく。
そこで、俺はアヤメの方に這いずっていき、問いを投げかける。
「おい、待てアヤメ。そいつをどうするつもりだ?」
「そこの捕虜部屋に叩きこむにゃ。お前と風薫に手を掛けた罪は重い。
恨みを持った人間の渦の中で、消滅するといいにゃ」
「それは、やめてやれ」
「にゃ?」
「どんな善人だろうと悪人だろうと、死んでしまえば同じ仏だ。辱めてやるな」
「……やっぱりそういうことを言うかにゃ。
まぁ、予想通りといえば予想通り。
でも、その甘さは看過できないにゃ。春虎には悪いけど、こうさせてもらう」
そう言うと、アヤメは小早川隆景を打ち捨て、俺の方に歩いてきた。
地面にへたり込む俺に視線を合わせるようにして座り込み、あろうことか俺を抱きしめてきた。
鼻孔をくすぐる甘美な匂いが、脳髄に染み渡る。
「――ッ! な、ななな!?」
「……どうせ説得はできにゃい。
だから、春虎が責任を感じにゃいように、こうさせてもらうにゃ」
俺の頭を胸に抱えるようにして、身体を密着させてくる。
ここまでの疲労が蓄積しきった俺の身体には、特効薬とも言える心地よさだった。
眠りを誘うような甘い香りがする。
アヤメは俺の髪をなで、慈しむように強い抱擁を続けている。
柔らかな胸の感触が、安心感を増幅させてくれる。
わずか一分ほどで、激しい睡魔に襲われた。
その瞬間、アヤメが俺の言うことを聞くつもりがないということを、ぼんやりとした頭で理解した。
「…………あ……やめ?」
「この世界の常識は必会必殺。殺せる時に殺すのが流儀。
だけどそれは、春虎にとっては辛いものだにゃ」
「……だからって、そんな――」
「納得できにゃなくていい。
春虎は、この世界の常識に慣れちゃダメなんだにゃ」
その言葉が耳に入った瞬間、俺は一つのことに気づいた。
俺がしようとしていたことが正義でもなく、また誰の為にもならないのだということ。
初めから薄々感づいていたのだが、今更ながら理解する。
そう、俺はこの世界の人間ではないのだ。
次元を超えて、さらに数百年の時を超越した世界から来た――よそ者。
だから、この世界で風薫やアヤメのような女の子たちが、顔色一つ変えないで人を殺すことに、大きな違和感を覚えた。
もっといえば、恐怖を感じた。
だけど、それは俺の世界を常識を押し付けているからに過ぎない。
例えば、いきなり外国人が日本にやってきて『あいさつの時に言葉を交わすのは非常識だ。通りすがりに発砲するのが常識である』なんて言われても、困惑して迷惑なだけだろう。
例に近いことを、俺はしようとしていたのだ。
この世界の常識を俺が否定してはならない。
だから、俺はこのまま抵抗しない。
吉川も小早川も、この世界に来た時点で、そのことは覚悟していたはずだ。
人を殺す以上、殺されることも考えなければならない。
そう、これは単なる必然にすぎない。
理屈では納得できる。しかし、本心で納得ができない。
だけど、俺は――
「……わかって、くれたかにゃ」
ふぅ、っと耳元に熱い吐息をかけてくる。
それが合図となって、急速に意識が遠のいていく。
どうやら、幻術かなにかをかけられたようだ。
精神に隙間があるとき、幻術は人を蝕む。
アヤメの温かい体温に身を任せると、今までの疲れが和らいでいくように思えた。
何やら外が騒がしい。なんだろう、聞き覚えのある声だ。
でも、もう聴覚さえマトモに機能していない。
疲労が臨界点に達した瞬間――俺は意識を埋没させた。
◆◆◆
――ある少年がいた。
これは、ある少年が、壊れた人生から狂った人生にシフトするまでの、簡単なダイジェスト。
いかに少年が人を信じられなくなり、人を騙して破滅させる道へと進んだか。
そんなヘビィな過去を、ライトな語り口で紹介してやりたいと思う。
それがあの人間に向けての一番の当てつけになるだろうから。
と言っても、内容はただの悪口と愚痴なのだけれど。
結論から言って、その少年は父親のことが大嫌いだった。
そして今でも大嫌いである。
理由はいくらでもあげることができる。それこそ、星の数ほど。
家に金を入れていることを笠に着て、少年に暴力を振るう。
家に帰ったと思えば、妻の家事に事細かにいちゃもんをつけ、酒瓶を投げつける。
休日はパジャマのまま、少年を引きずってパチンコに出かける。
大勝ちした時は少年に荷物役を強制し、負けたらパチンコ必勝雑誌を丸めて少年を殴りつける。
酔った勢いで少年を階段から突き落とし、その足で競馬に出かけたこともあった。
そのとき、少年はこみ上げるような殺意を経験した。
でも、殺意よりも激痛のほうが勝って、その時は病院に行って黙々と処置を受けた。
頭を四針縫って全治2週間。
しかし、退院した少年は、父親に会った瞬間蹴り飛ばされた。
――『無駄なことに金を使わせるな』
その言葉に少年はひどく傷ついた。
また、父親は過度の浮気性で、家計から抜いた金を何人もの愛人に貢いでいた。
中学校からの帰り、少年は何度も知らない女を伴ってホテルに入っていく父親を見つけた。
一度声を掛けたことがあるが、その時の一連の流れは次のようなものである。
『親父、その人だれ?』
『えー、この子あなたの息子なのー?』
『……知らん。こんな貧相な餓鬼が俺の子供なわけないだろう。行くぞ』
『あー、もう! 待ってよ』
『……人の楽しみを邪魔するなよ、クズが』
その日夜遅くに帰ってきた父親は、寝ていた少年の頭を蹴り飛ばした。
酒瓶で頭を殴りつけ、二度と外で話しかけないように誓わせる。
現場を見た母親は、弱り切った体を引きずって、泣きながら少年をかばっていた。
舌打ちをして、酒瓶を母親の背中に投げ捨てた父親の狂気を、少年は今でも覚えている。
それでも、少年は必死に耐えてきた。
身体の弱い母親の看病をしながら、文句も言わずにひたすら地獄の日々を過ごしてきた。
しかし、ある出来事から地獄は修羅へと変わる。
――突如、父親が務めている会社が倒産したのだ。
原因は、父親が酒を飲んだまま経理をしていたことに端を発する、とんでもないミス。
その結果、取り返しの付かない大損害を被ったのだ。
責任をほぼ一人で被る形となった父親は、誰にも足跡を悟られぬよう、負債を家庭に押し付けて失踪した。
以前に自己破産経験をすでに有していた母親には、その借金を返す術がなかった。
それからは、まさに地獄の日々。
借金取りは家に押しかけ、ただでさえ身体の弱かった母親はさらに衰弱した。
しかし、何とか少年を学校に行かせようと、倒れそうな体を引きずって仕事をしていた。
ただ、それが長続きしないことは、誰の目から見ても明らか。
壊れた身体で仕事を続け、ついに心を病んだ母親は、縄を購入してこの世からドロップアウトした。
暑い夏の日、少年は帰宅して絶望を味わった。
もはや、生きる術も望みもない。
こんな貧乏神をどこの親類が引き取ってくれる。
しかし、それでも少年は生きたかった。
死ぬことの恐怖よりも、辛い日常を超えた先にある希望の方が勝ったのだ。
そして、少年はまず借用書を握っている悪徳金融を潰そうと、決死の覚悟を決める。
法律の抜け穴を中学生ながらにして必死に覚え、人を破滅に追い込む術を身につけた。
憎悪が凄まじい力となり、直ぐに結果は出た。
親父に匹敵するほどに憎い組織を潰すため、血反吐が出そうな努力を積んだ。
そして少し時は経つ。
少年が覚悟を決めた後、日本から3つの金融会社が姿を消すことになる。
少年は、自分が生きるため、悪者に地獄を見せるため、詐欺の道へ身を投じた。
――それが高校に入るまでの、少年の人生。
そんな少年はある日、高校で奇妙な少女と出会う。
いつものように校内で粛清行為を繰り返していた所、変に懐いてくる女の子と出会ったのだ。
発明家としてずば抜けた才能を持つ少女。
初めは、利用して捨てるつもりで少女とつるんでいた。
しかし、人を疑わない少女に、太陽のように己を照らしてくれる彼女に、いつしか心惹かれていった。
そして、それは少女も一緒だったようだ。
恋に落ちた二人は、いつか結婚することを約束する。
しかし、少女の父親は大反対をした。
絶対に認めないと、頑として首を振ってくれない。
そこで、少女は伯父に助けを求め、なんとか婚約にこぎつけることができた。
しかし、少年が少女と結婚するにあたって、一つの条件が提示される。
それは――『詐欺師』をやめること。
条件が達成された時、両者の結婚は認められることになった。
しかし、その当時少年は辟易した。
自分が詐欺師をやめられるはずがない。
人を信じることができなくなった自分が、マトモな世界で生きられるとは思えない。
だから、少年にとってそれは結婚の破棄にも等しく感じたのだ。
月日が経ち、少年は詐欺に抵抗を感じなくなるほどまで堕ちていた。
そんな時、搾取した物の中に奇妙な鎧があることに気づく。
――それが少年の転機であったことは、いまさら言うまでもない。




