第四十三話「囚われの少女」
――毛利陣・捕虜の牢獄
とても暗い部屋。
嫌な湿気が充満しており、無造作に放り込まれた敗残兵の呻きが聞こえてくる。
そんな中で、一人だけ不屈の精神を持った少女がいた。
後ろ手に腕を縛られ、全身に流れ弾を浴びた傷を付けられながらも、一つも弱音を吐いていなかった。
この牢獄にやってきた吉川元春は、少女がいる牢屋の前に立つ。
そして、無表情で虚空を見据える少女に、笑いながら話しかけた。
「よぉ、やっぱり隆景の銃の前に敗れたか」
「……初見で不覚を取っただけです。次は勝ちます」
「はははッ、なるほどなるほど。
さすがは天下の策士・竹中風薫、気丈だねえ。
これは確かに良い人材だな。それに、女としても悪くない」
吉川元春は、無粋な視線で風薫の身体を睨め回した。
幼さの残る体つきであるが、彼からしてみれば許容範囲のようだ。
風薫は不快に感じて、とっさに身体を閉じた。
警戒しつつ、今まで気になっていたことを問いかける。
「……吉川元春と、小早川隆景は、どうしたのですか?」
「あん? ここにいるじゃねえか。
あと、隆景は明日執り行うショーの準備で部屋にいるよ。
まったく、あいつも悪趣味なもんが好きだよな」
「何のことでしょうか。
私の知る毛利両川は、あなた達のように愚劣な人間ではありませんよ?
あの二人はどうしたのかと訊いているんです」
ここに至って、風薫は挑発するような態度をとった。
しかし、吉川元春はまったく気にしていないようだ。
いくつもある閂の中から、風薫が入っている牢の鍵を探している。
「元の毛利両川か?
殺したよ。個人的にはあの瞬間が一番楽しかったな」
「……あなたの槍術がどのようなものかは知りません。
でも、あの吉川元春が負けるとは思えないんですよ」
生涯不敗の異名を誇る吉川元春。
戦略的撤退を除いて、絶対に負けることのなかった勇の猛将。
そんな人物が、他の時代から来た人間に負けるのは考えられない。
「ああ、毛利両川がルソンから日本に帰国して、本城に帰る途中に襲撃したんだよ。
その直前に会った奴と意気投合してな。そいつが今の小早川隆景。
二人がかりであいつらを殺して、毛利両川にすり替わろうって画策したのよ」
当時のことを思い出してか、吉川元春は武者震いをする。
彼の言う通り、楽しかったことは事実のようだが、それに匹敵する恐怖も味わったようだ。
「俺比較的武に疎い小早川隆景を槍で貫いた。もちろん奇襲でな。
まあ、うまく半身を捻ったようで、即死には至らなかった。
とどめを刺そうとしたら、そこで邪魔が入ってな。
前の方で行軍してた吉川元春が、鬼神みたいな表情で追ってきたんだよ」
「あの二人は、毛利両川の片割れのためなら、命をも投げ出す結束力です」
やっとのことでルソンから帰り、疫病で国が揺らいでると知って、急いで帰国しようとしていた本物の毛利両川。
そんな時に、いきなり相棒が不審者に襲われたら、激高もするだろう。
噂に名高い真の武人。義に厚い吉川元春なら。
「そうみたいでな。まあ吉川元春は超強かった。
俺の槍術が通用しないのなんの。化け物かよテメー、て思ったよ」
「あの人は豪の人ですからね。
あなたに負けるはずが無いです」
「そう、俺には負けないかもな。
でも、後ろから飛んできた軽機関銃の弾には勝てなかったんだよな」
「――ッ!」
吉川元春も、近代兵器の餌食になったというのか。
銃を撃ったのは間違いなくこの男の相棒だろう。
闇商人が持っている武器は、底が知れない。
「蜂の巣だよ蜂の巣。でも、あいつはやっぱり異常だった。
身体が穴だらけになって落馬しても、まだ刀を握りしめてるんだぜ?
まあ、俺がその手を槍で貫いたら、抵抗しなくなったけどな」
「…………」
「そんで、俺が意気揚々と小早川隆景に致命傷を与えようとしたんだよ。
そしたらどうだ。俺の足元を吉川元春が掴んで、泣きながら頼んできたんだよ。
『こいつはまだ若い。俺が代わりに死ぬから命だけは助けてやってくれ』ってな」
「…………」
「おかしいよな、頭イッてるとしか思えねえよ。
自分が死にそうだってのに、他の人間の心配するんだぜ?」
風薫の心中が、ドロドロしたもので埋まっていく。
そこまでの義愛を見せる相手に対して、この男は何の仕打ちをしたのか。
今この牢の前に男がいる時点で、その結果が想像できてしまうのだ。
「仕方ねえから、お望みどおり先に吉川を絶命させようとしたんだよ。
そしたら、今度は逆方向から手掴んできた奴がいてさ」
「……小早川殿、ですか」
「そう、そいつ。
せっかく吉川元春が命を投げ出して頼んでくれてるのに、
『元春殿の命を救ってくれ。この人は、毛利の未来の為に絶対必要なんだ。
そしてそれ以上に――私の大事な兄弟なんだ』ってな。まあ鬱陶しいことこの上なかったよ」
やはり、毛利両川は、互いに尊重し合い、実力を認めていた。
だからこそ、本来の史実では、毛利家を繁栄させる英雄として育っていった。
しかし、異世界から来た乱入者によって、その未来は完全に奪われてしまった。
「もう迷うのも面倒臭いから、相棒に両方同時に撃ち殺してもらったけどな。
気持ち悪い二人だったぜ。最後まで互いのことを心配しちゃってよ。
同性愛のケでもあるのかって話だよな」
「――毛利両川を愚弄するな!」
そこで、風薫が激怒した。
いつもの口調が一瞬外れてしまうほど、我慢がならなかったようだ。
本来なら、その二人は敵対していたはずの人間。
彼女が宇喜多家にいる以上、敵として出会っていた可能性もあった。
しかし、目の前の男が英雄を貶めているのは、我慢がならなかった。
「あなた達のような偽物が、穢して良い人間じゃないんです!
最後まで義を貫いた武人のことを、あなたが侮辱する権利はない。
そんなことをするのは最悪の人間です!」
「ほぉ、言うじゃねえか。
やっぱりある程度元気があったほうが俺の好みだな」
「何の話をしているんですか。
今すぐ墓碑を立てて毛利両川に土下座してください!」
「ああ、もういいって。その話は終了。
死んだ人間をどうこう言ったって、仕方ねえだろ。
それより、これからのことを楽しもうや」
戦国に命を賭けていた男たちを、そんな気位で殺し、不敬の念を示す。
そこに武将としての誇りは一切ない。
だからこそ、眼の前にいる吉川元春の言葉を、風薫は鼻で笑った。
「あなたのような人間に、私は屈しません」
「どうかな、口と身体じゃ主張する意見が違うからな。
一回経験してみてそのセリフが言えたら、純粋に褒めてやるよ」
「……何をするつもりですか?」
「楽しいことだよ、嬢ちゃん」
ようやく目当ての閂を見つけ出したのか、吉川元春は上機嫌のまま開扉した。
縄で腕を縛られていて抵抗できるはずのない風薫に、近づいていく。
「……あなたは、最低の屑ですね」
「悪口なら今のうちに言っとけよ。すぐになんにも言えなくなるからよ。
タイムリミットは明日の昼までだ。ゆっくり優越感に浸らせてもらうぜ」
風薫の肢体を値踏みするように見渡し、口元をいびつに釣り上げた。
少女の前にしゃがみ込み、その服に手をかけようとする。
しかしその瞬間、銀色の線が空中を通過した。
「――ッ!」
煌く剣閃が、大気を薙ぐ。
鋭い軌道の目標到達点は、吉川元春の頭部。
当たればまさに一撃必殺。
しかし、それを繰り出した者の体勢は、あまりにも不十分。
とっさに身を引いて、吉川元春は回避に成功した。
「……ヒュゥ、危ねえな、おい。天下の策士様ってのは縄抜けも得意なのか?」
「……ぐっ」
渾身の力で薙ぎ払った小刀の一撃は、いとも簡単に避けられてしまった。
そして、返す刃は今度こそ、元春の腕によって阻まれてしまう。
風薫の手を抑え、握力を込めて小刀を取り落とさせる。
「涼しい顔して、俺を殺す気満々だったってことか。
怖いねぇ、いつかこうやって主人も殺そうとするんじゃないか?」
「あなたにご主人様を語ってほしくないです」
「いいや、語るね。あいつは俺と同じ世界から来た人間だ。
噂によると、元の世界では詐欺師を営んでたらしいじゃねえか。
マトモな人間のすることじゃねえよ」
「――お前のような人間が、ご主人様のことを軽々に貶めるなッ!」
あまりの気迫に、一瞬元春は身震いした。
まるで、自分が本当に大切にしているものを、踏みにじられた時のような反応。
それほどまでに、この少女はあの詐欺師に傾倒しているらしい。
先程の毛利両川の時もヒートアップしていたが、この激怒はその比ではない。
「熱くなるなよ。あんな槍も持てそうになく、人を殺す覚悟もなく、
ましてや策謀すらもできないようなゴミを、どうしてそこまで好きになれるかね。
アレか? 弱い人間を守りたくなる母性本能ってやつか。
こんな小娘に好かれるような人間だってことだな。底が知れるぜ」
聞き捨てならない言葉の羅列に、風薫の内心が沸々と温度を上げていく。
沸騰した感情が、怒りとなって口からこぼれだしていた。
「ご主人様を馬鹿にするなッ!
人間の苦しみを理解しようとせず――
快楽を求めて人を殺し――
あまつさえその苦しみを人に与えているお前が――
懸命に生きている人を笑うな! 撤回しろッ!」
「……怖えな、おい。怒りで丁寧語もどっかに行っちゃってるぜ」
毛が逆立って、元春を射殺すような険しい視線になっている風薫。
自分の愛する人が侮蔑されていることを、看過できない。
そこには策士の冷徹さはなく、一人の少女としての愛情があった。
だからこそ、その膨大な愛が怒りへと変貌した時、凄まじい爆発を起こす。
「身体能力で少し利点があるだけで驕り、欲望に駆られて槍を振るうあなたに、
人を悪く言う資格は存在しない! あなたとご主人様の間には、天と地の差がある。
それを胸に刻みつけて元の世界に帰るか――この場から消えろ!」
いつもの面影がないほどに、本心をさらけ出している。
春虎に『無遠慮』を許された今、どこまでも的確に人格を言い当てる暴言を吐いていた。
痛い所を思いきり突かれてしまった元春は、眉のあたりを痙攣させた。
「てめぇ……この場で殺したっていいんだぜ?」
「あなたに貞操を奪われるよりは大変マシです。
どうぞ槍を血で染めてください」
「……チッ、まあいい。
さんざん犯した上で、自分が何を俺に言いやがったか後悔させてやらあ!」
そう言って、完全にタガの外れた元春は、風薫の服を脱がせにかかった。
すると、風薫も蹴りを繰り出して抵抗を試みる。
しかし、体術の心得はあっても、この場面で影響するのは純粋な腕力。
性別面の基礎能力で、完全に力負けを喫してしまっていた。
「覚悟しろよ、この生意キ――」
――トスッ
妙な音と共に、元春の腕に何かが生えた。
それは、大量の返し刃がついたナイフ。明らかに現代的な代物である。
こんな物を持っている人間は、小早川隆景を除けば、ただ一人であった。
「――グッ……。誰だてめぇは!」
「人の配下に、何汚ねえ手で触れてんだよ。そいつに触れていいのは俺だけだ」
そこにいたのは、両膝に手をついて何とか身体を起こしている、伏見春虎だった。
千里の道を走ってきたとでも言うように、全身は汗で濡れ、顔は疲労一色。
肩で息をしながら、苦笑とともに風薫に手を振った。
「遅くなってごめんな、風薫。
一応確認だけど、まだ何にもされてないよな?」
「されてません……って、何でこんな所に来てるんですか!
ちゃんと軍勢を率いてきたんですよね!?」
「いいや? 俺と紫の二人だけだけど。何かまずい?」
「……なっ!? ま、まずいって次元じゃないです!
なんでこんな死地にまで来ちゃうんですか!」
「なんで? まさかお前、俺が風薫を見捨てるとでも思ったのか?」
春虎の顎から、汗が滴り落ちる。
本当に、ここまで一度も立ち止まらずに、風薫を助けるために走り続けてきたのだろう。
だからこそ、そこに込められた気持ちが本物であることを、風薫はすぐに感じ取った。
涙をにじませながら、無茶な救出を敢行しようとしている春虎に、答えを返す。
涙で濡れた声が、牢の中に響き渡った。
「……いいえ。
ご主人様なら、来てくれると、思ってました。ありがとうございます。
……こんな、ヘマをやって捕まってしまった、私なんかのために」
「いいよ、むしろ守ってやれなくて俺のほうがゴメンな。
今から助けるから、そこで休んでてくれ」
そう言って、春虎は服の中に手を入れ、装備品を指で確認した。
その動作を見て、腕を苦しげに抑えていた元春が、槍を持って立ち上がった。
「てめぇ、あの時に無理してでも殺しとくんだったぜ。
それに、ナイフになんか塗りやがったな?」
「ヤマトリカブト、って毒草らしい。
死ぬか死なないかのギリギリの量だから、あんまり動かないほうがいいぜ」
「ハッ、冗談きついぜ。
毒を盛った程度で、俺に勝てると思ってるのか?」
「分からん」
「はぁ?」
「やってみないと分からねえよ。勝負ってのは水物だ。
だけど、なんか知らんけど今の俺は精神的にも身体的にもハイな感じなんだ。
今なら握力200も出そうな気がするぜ」
もっとも、200グラムかもしれないけどな。
戯言を吐いて、話を長引かせる。
そこには、詐欺師らしい腹黒さがありありと現れていた。
時間の経過とともに、毒が浸透してくる。
時を味方につけている現状なので、春虎は皮肉げな会話で相手の自爆を待っている。
だが、さすがに吉川元春もバカではない。
ナイフ傷付近を思い切り絞り、血を外に排出すると、槍を振り回して臨戦態勢に入った。
「殺す、絶対に殺す!」
「まあ待てよ、ここは戦国なんだ。
この時代らしく、後腐れのないように名乗りを上げてからやろうぜ。
あんたが曲がりなりにも、『戦国武将』・吉川元春を名乗るんだったらな」
「…………」
「俺の名前は伏見春虎。
詐欺師だ、よろしくな変態」
「俺の名は吉川元春、元槍術師範だ。
俺に刃を向けたことを後悔して、そして死ねッ!」
怒り狂った吉川元春は、槍を突き出して突撃する。
その姿を見て、何故かハイな春虎も攻撃の構えをとった。
どちらかが確実に命を落とす殺し合い。
傷だらけの風薫は加勢できそうにないが、春虎の姿を心配げに見つめていた。
現実世界で因縁の無かった二人が、戦国の世で因果によって激突する。
その決定的な死合が、今始まった――




