第四十二話「派手な陽動」
正直言って、何回吐きかけたか覚えていない。
というより、吐いた回数すらカウントできていないので、そんな事はどうでもよかった。
今はただ、風薫を一刻も早く救出するだけだ。
「……うぇぷ」
「ま、またなのか? 一回止まってやろうか」
「いや、いい。できる限りの速度を出してくれ」
「……気丈なんだか、意地っ張りなんだか」
手綱を握りながら、紫はため息をつく。
今俺達が走っているのは、毛利の陣営へと続く街道だ。
とっくに夜が更けているとはいえ、人通りは少なくない。
これでは、不審者であることがバレてしまうんじゃないだろうか。
「おい紫、もっと人通りの少ない所から行ったほうがいいんじゃないか?」
「凡愚め。大人数で往来を闊歩すると逆に目立つだろう。
周りから見れば私たちはただの二人連れの武士。山道をコソコソ通っている方が不自然だ」
ああ、そうか。
紫は丁寧にも、黒田の家紋が刺繍された着物の上に、無地の和服を着ている。
確かにこの状態なら、急使が馬を走らせているだけに見えるだろう。
この闇夜なら、よっぽど近づかれない限り、よそ者であることは露見しないだろうな。
「もう少しだ、この街道を抜ければ着くぞ」
「ああ。けど、どうやって侵入するんだ?」
「……そんなことすら考えずに来たのか。
まあいい、この完全にして究極たる私が、貴様に策をくれてやろう」
「それはありがたい」
「ありがたい? ありがとうございます、だろう?」
「はぁ? 何でお前なんかにそんなことを――」
「おっと手が滑ったぁ!」
紫が持っていた手綱を思いっきり左右にねじり、馬に蛇行運転を強いた。
すると、今まで耐えていた俺の嘔吐メーターが一気に振り切れた。
「う……うぇ。……うぷ」
「お、おい! 今のは冗談だ。ここで吐くな、私の一張羅を汚したら手討ちに――」
その瞬間、俺の喉から半流動のものが込み上げてきた。
抑えようと思ったがもはや不可能。
紫の小さな背中に対して思いっきり吐瀉を行った。
すると、紫は引きつった表情とともに悲鳴を上げた。
「うわわわわ! な、なんてことをするんだ貴様は!」
「そりゃこっちのセリフだバカ女!
揺らすなって散々言っただろうが! 今度ばかりは俺に非はないからな!」
「……うわぁ。この無地の服だって高かったのに……。あんまりだぁ……」
なぜか涙目になる紫。そこまで服に思い入れがあるのか。
俺は服に対して無頓着なので、その心情が分からなかった。
学生服なんて何度ゲロと喧嘩でダメにしたことか。数えるとキリがないほどだ。
「まあいいじゃん。服は消耗品だろ」
「……も、もういい。
代わりに、石山城に帰ったら貴様の服を一つよこせ。それで許してやる」
「俺の? いいけど、全部一回は着てる中古品だぜ。
きれい好きっぽいお前が喜ぶものなんてないと思うが」
「かまわない。一番着た回数が多いのを渡すんだぞ。約束だからな」
「分かった分かった」
俺の服を欲しがるなんて、どんだけ金で切羽詰まってるんだよ。
月末になると訪れる貧困地獄ってやつか。
俺は大体もやしで乗り切るけど。あれは万能野菜。
もやしっ子は褒め言葉レベルだ。
紫は一つ咳払いをすると、引き締まった表情で話を振ってきた。
「まあ、その話はもういい。もう陣が見えてきている。話を戻すぞ」
「了解、どうやって潜入するかだろ。
しかしまあ、当然のごとく柵で正門付近を封鎖してやがるな。
この分じゃ裏口も侵入するには厳しそうだ」
「ふむ、仕方がない。
使い古された策だけに気は乗らないが、陽動で行くとする。
私が正門で暴れるから、貴様はその隙に西門か東門から入れ」
「あ? 裏門じゃなくてか?」
「なまじ陽動を破る訓練をしている兵がいれば、まっさきに逆の裏門を確認しに行くだろう。だから、まだ見張りの手薄な門から入れ」
「分かった」
適当に言ってるように見えて、ちゃんと考えがあるのか。
俺だったら間違いなく裏門から侵入していただろう。
しかし、よく考えれば敵も知恵が回る可能性がある。
そのさらに上を行って、裏門以外から入るということか。
さすが合法ロリ、見た目は幼くても中身は腹黒いな。
「今なにか失礼なことを考えたか?」
「いいや、何も。そんなことより、陽動をするって言ったってだ。
お前は何か武器を持ってきてるのか? 急ぎだったみたいだが」
「……太刀と脇差なら」
「それじゃあ陽動にもならないだろ。
門前で暴れたバカがいるだけじゃ、大騒ぎにもならない。これを使え」
肝心な所で抜けている紫に、ある物を渡す。
それはフチに『アマヤブランド』と記載してある、ネズミ花火だった。
その名も『殺陣鼠』。
とんでもなく太いリングがとぐろを巻いている。
外観だけで、ただのネズミ花火ではないことを分からせてくれる代物。
以前に搾取したことのある組織を、一網打尽にした兵器だ。
その総重量は2キログラム。
この世界に飛んできた時、よくこんな重いものをポケットに入れていたな。
自分を自分で褒めたくなる。
ともかく、同時に俺は元々持っていたマッチを同時に渡す。
「これは?」
「火付け道具だ。ここを擦れば火がつく。
とりあえず門番をなぎ倒した後、陣中に着火したこれを放り投げてくれ」
たかがネズミ花火が何の役に立つ、そう思うかもしれないだろう。
だが、これを作ったのは現代科学を超越した技術を持つ、甘屋一家の娘。
そこに君臨する甘屋茜だ。
あいつは草一とか言ういけ好かないおっさんより実力や経験は劣るものの、発明にかける情熱では誰にも負けていない。
さすがは信頼のアマヤブランドだ。
「そんなものが陽動になるのか?」
「なる。俺の後輩を信じろ」
「……むぅ、分かった」
怪訝な表情をしているが、とりあえずは納得してくれたようだ。
陣の近くにある茂みに隠れ、俺は馬から降りる。正方形で策に囲まれた簡単な陣地。
即席で作ったものらしく、そこまでの耐久性は感じられない。
正門の門番は二人で、眠そうな顔をこすりながら監視をしている。
そして、陣の四方に作られた櫓には、それぞれ一人づつ見張りが配置されている。
なるほど、下手に人数を連れてきていたら、一発で察知されてただろうな。
紫は一撃で門番を葬るべく、慎重に馬の進行方向の微調整をしていた。
ゆっくりと太刀を抜刀し、息を整える。
「……行ってくる。貴様も気をつけてな」
「ああ、無理はするなよ。お前が死ぬようなことがあったら、悲しくて嫌になりそうだ。
「誰に物を言っている。私はこの戦国において無敵の軍師、黒田紫だ。
心配されなくとも、こんなところで死ぬつもりはない」
「よかった。安心したよ」
風薫に続いて、こいつまでが危機に陥ったら、もうどうしていいか分からなくなってしまう。
だから、風薫はもちろん、こいつにも生き延びて欲しい。
「……なあ、伏見春虎よ」
「ん?」
「ものは相談なんだが。この毛利との戦いが終わったら――」
闇夜に浮かぶ紫の顔は、どこか紅潮して赤くなっていた。
いつもは傲慢なはずの口調が、妙に健気になっている。
俺は首を傾げながらもその続きに耳を傾けた。
「私と、ちぎりを――」
――ヒヒーンッ!
「……ぁッ!?」
「……まずいッ!」
いきなり、紫がまたがっている馬が、大きな鳴き声を発した。
どうやら、ミリ単位で首の位置を調整していたことに腹を立てたようだ。
すると、見張りはもちろん、門番までもがこちらを訝しげに睨んできた。
とっさに息を殺して、馬ごと深い茂みに隠れる。
「そこに誰かいるのか!?」
「大人しく出てこいッ!」
門番がこちらに近づいてくる。
なんとか姿は隠しているものの、茂みまで接近されてしまっては、確実に二人の存在がバレる。
そのことをを瞬時に悟った紫は、舌打ちをして何かを呟きながら、馬の腹を蹴った。
「……もう少しで、伝えられそうだったのに」
歯がゆそうな苦い表情をしながら、紫は騎乗状態で茂みから飛び出した。
こちらに接近していた門番二人に向かって突撃していく。
「どけどけどけッ! 毛利両川の首、頂戴しに参った!」
紫は太刀を上空高くに掲げた。
そして、馬に乗っている利を生かして、その刃を門番に叩きつける。
肩口から心臓までを一直線に切り裂き、門番の命を一人散らす。
驚いたもう一人の門番が、恐れ慄いて大声を上げた。
「お前ッ、毛利の人間じゃないな。皆の者出会え! くせも――」
――の。
という言葉を言い切る寸前に、脇差の刺突が首元に入っていた。
紫はその脇差を勢い良く引きぬくと、そのまま正門に向かって疾走した。
異変に気づいた見張りが、陣中に伝令を飛ばした。
「敵兵だーッ! 正門の門番がやられた! すぐに追い払えッ!」
その声とともに、中に建てられた簡易住居から、ぞろぞろと毛利兵が出てきた。
大規模な陣だけに、正門へと走るのに時間が掛かっている。
それもそうだろう、なんたって数千人を数日滞在させるほどの陣なんだ。
すぐに現場に出向くことなんてできないだろう。
見張りの矢を避けながら、紫はマッチに火を灯した。
一回見せただけで成功させるとはな。しょぼい褒め方かも知れんが。
紫は徐々に正門に集まりつつある群衆に向かって、『殺陣鼠』を投擲した。
綺麗な放物線を描いて、ネズミ花火は陣中へポトリと落ちた。
ただの火が着いたゴミ。
そう判断した毛利兵は、そちらに目もくれず矢を引き絞り始めた。
――その瞬間、網膜を焼き切るような閃光が、陣中で爆ぜた。
爆音を発して、火の粉をまき散らしながら、疾走を始めるネズミ花火。
火を踏んで消そうと兵が接近すると、全身に業火のような炎を浴びせかけた。
甘屋いわく、この発明品は某映画の火の7日間をイメージして作ったらしい。
なるほど、製作インタビューに違わぬ暴れっぷりだ。
中にいる兵士は、あちこちに火種をまき散らすネズミ花火から、必死に背を向けて逃げていた。
まさに阿鼻叫喚。右往左往。
一分を超えてもなお火力を増しながら暴れ狂う火種は、簡易住居に放火を繰り返し続ける。
紫はいつの間にか、どこかへと姿を消している。
しばらくは外を伺っていた見張り。
彼女らも、櫓の足元で走り回る花火に視線を釘付けにされていた。
つまり、この陣にいる人間の視線は、全てあの花火に集中しているということだ。
――今しかない!
俺は心中で叫び、茂みから飛び出て全力疾走を開始した。
走って走って走って。陣の柵までスピードを緩めない。
その刹那――ジジッ、というような信号が脳に走った。
一瞬の違和感。
しかし今の刺激からは、どこか慈しむような優しさを感じた。
……何だ、今のは。
スタンガンのスイッチでも入れっぱなしだったか。
そう思って確認してみるが、しっかりとロックが掛かっている。
そもそも、スタンなんかが暴発したらこんな電気信号じゃすまない。致死量だ致死量。
すると、その信号みたいな電波以降、嘘みたいなまでに異常な力が出た。
お世辞にも身体能力が高いとはいえない俺だが、今に限っては凄まじい力が出る。
どういうことだろうか。
これは、アレか。
人のために力を使っているからか。
風薫を助けようとする意志が、身体を強化しているのだろうか。
そう思うと、内心で余計に力が出た。
風薫を助ける。助けられる。助けなければならない。
妙なハイテンション状態で、柵のもとにたどり着いた。
荒い材木を突き立てているので、素手で触ったら手の皮がズル剥けそうだ。
そこで、いつか狼を殺した時に使用した、強化素材の手袋。
名前を『不滅の両腕』という。
スタンガンの暴発にも効果がある、最高の鎧。
それを装着し、背の高い柵を登っていく。
見張りは未だに暴走する花火に釘付けになっているので、心配する必要はない。
一足飛びにも近い勢いで柵を乗り越え、陣中に着地した。
さて、この混乱が収まらない内に、風薫のもとに行かなければ。
――待ってろ風薫、今すぐにお前の所に行くから。だから、絶対に諦めるな。
奥にそびえる一際大きな簡易屋敷を見据え、俺は静かに闘志を燃やしていた。




