第三十九話「出陣と転変」
「よし、兵の配分はこれでいいですね?」
「まあ、お前がそう言うのならば……」
風薫と紫が熟考した末、ついに対応の詳細が決まった。
まず、一番急を要する小早川軍の迎撃に、風薫と風鈴が向かう。
兵量は2000人だ。
そして、苦戦していると思われる円城砦に、俺と紫が3000の兵を率いて救援に向かう。
あとは、多少の伏兵がいても守りきれるように、臨時徴兵を行なって待機軍を編成し、石山城に置いた。
その数1500。
ただし、農民が多い石山城の兵を戦力として数えることはできない。
だから、進撃は石山城の手前で食い止めることが大前提だ。
「では、武運を祈ろう」
すべてが決まった所で、日和がそう言った。
そうだ、ここで負けるようなことがあれば、現実世界への帰還はない。
心を一層引き締めて、俺と紫は評定の間を出る。
するとその時、風薫が俺の袖を掴んで引き止めた。
「……ご主人様」
「ん、どした風薫」
「いえ……何でもないんですが、まあ。お気をつけて」
「……? ああ、お前も気をつけてな」
何だろう。こいつらしからぬ、妙な雰囲気だ。
まるで儚げな少女のように、陽炎のような存在感で俺を見てくる。
「私が死んでも、諦めないでくださいね」
「こら」
俺は風薫の頭をポカリと叩く。
いきなりなんてことを言い出すんだ。
浮かない顔をしている風薫に、俺は少し強い口調で言った。
「俺が助けられる範囲では、誰も死なせない。
だから、そんな哀しいことを言うな」
「……そうですね。確かにそうです」
……なんだ? 風薫の様子が、どこかおかしい。
苦しげな決意を迫られた時のような、悲壮な表情。
ちょっと前に回復したと思ったんだが、別の理由で思い悩んでいることでもあるのだろうか。
俺のし視線を受けて、風薫は言いにくそうに呟いた。
「もしも、もしもですよ? 私が命に関わる危機に陥ったら、助けてくれますか?」
「当たり前だ。誰よりも早くお前を助けてやる」
俺は即答した。
ここには、一滴の混じり気もない。
俺としては比較的珍しい、心底からの即断だった。
「じゃあ行ってくるよ。ほら紫、行くぞ」
「貴様に言われるまでもない」
辛辣に吐き捨てて、紫もついてきた。
これから、3000もの人の命を預からないといけない。
もちろん、こんなシケた高校生詐欺師に戦場でできることなんて何もない。
ただ、戯言でも虚言でも、何でも良いから吐いて、鼓舞を行うくらいだ。
おそらく、軍としては紫の指示を仰ぐ事になるのだろう。
この黒田家の血を引く、天才軍師の指示を。
天守を抜けて、練兵場へ急ぐ。
早めに布陣しないと、迎撃することが難しくなってしまう。
風薫のことが少し気がかりで、天守閣を再び見上げる。
曇り空に映える天守は、どこか重たげだった。
「何をしている、早く来い」
「あ、ああ。悪い」
まあ、大丈夫だよな。
あいつは一人で万能の天才策士。
俺が気するのもおこがましいってものだ。
早足で歩く紫の背を追いかけ、俺は小走りを開始した。
◇◇◇
二人が走り去った後、評定の間には風薫と日和が残っていた。
しかし、どこか納得が行かないらしく、日和は風薫に声を掛けた。
「本当に、あの兵量でよかったのか?」
「ええ、重要度としては小早川撃退のほうが高いですからね」
「……ならば。そなたは何をそこまで気にしている?」
先ほどから風薫の表情はいやに曇っていた。
日和もそれに気づいていたのだ。
「いえ、毛利両川が生き残っているという話は聞いていたんですけど。ちょっと違和感がありまして」
「違和感?」
「ええ。毛利両川は、今の君主である毛利蓮臥から実権を奪いました。
しかしその時、同時に大規模な粛清があったらしいですね」
その言葉に、日和は眉をひそめた。
確かにその話は聞いたことがある。
しかし、家臣が実権を奪ったという事実のほうが大きくて、その事には光が当たりにくかったのだ。
だから、こうして口に出されるまで、そのことを失念していた。
「そういえば、あったな」
「おかしいと思いませんか?
確かに実権を奪うにあたって、ある程度の家中変革は必要でしょう。
しかし、私の聞いた話だと、『直に毛利両川を見たことのある人物』ばかりが粛清されたと聞きました」
毛利両川は、以前にルソンへ渡航しており、そのために疫病を免れた稀有な武将である。
しかし、その情報では、いくつか食い違った点というのが出てくる。
風薫はそう考えていた。
「地位を安定させるためとはいえ、古参の優秀な家臣を皆殺しにするというのは、明らかに度を逸しています」
貴重な戦力となる武将たち。
しかし、彼女らをわざわざ根絶やしにする辺り、どこか作為的な意図を感じる。
まるで、自分の過去や本性を知っている者を、抹殺しているような。
その話を聞いて、日和は首をひねった。
確かに、どこか引っかかる点もある。
しかし、深く考え過ぎだという疑念もあった。
「……現状では、何も分からないな」
そうつぶやいて、日和は腰を下ろした。
彼女はこの城にとどまって、細やかな指示を出す。
それゆえに、別に今すぐ急ぐ必要はなかった。
「まあ、そのあたりは今度考えてみよう。
とりあえず、風鈴はもう練兵場に向かっているはず。そなたも――」
「そうですね」
思い悩んでいた表情を柔らかに変え、風薫は踵を返す。
日和に一礼し、そのまま天守を後にした。
◇◇◇
この戦国に来て、俺は一つ分かったことがある。
それは、誰しもが大抵、元の世界の人よりも身体が強いということだ。
文字通り商人は『足』で稼ごうと数十キロを走り、武士は戦場まで遠征をしに行く。
マラソン大会の完走すら難しい俺からしてみれば、苦行に等しい日常である。
まあもちろん、今に限って言えば、馬が支給されているので足が疲れることはあまりないのだが。
しかし、もっと重大な問題が出てきてしまった。
――そう、俺は馬に乗れないのだ。
馬なんてテレビの中でしか見たことがないし、よもや乗ったことなんて一度もない。
そんな俺に、いきなり馬に乗って行軍しろなんて言うのはさすがに無茶だ。
「……だからといって、これはどうなのだ」
「仕方ないだろ。俺に馬の手綱を握る勇気はない」
紫が馬上に座り、危機に瀕している円城砦への道を急ぐ。
しかし、その紫の背後には、俺が所在なさげに座り込んでいる。
紫は馬術の心得があるので、馬に二人を乗せながらも問題なく進むことが出来るみたいだ。
その能力にあやかって、俺は甘い汁を吸わせてもらう。
何というヒモヒモな考え方。自分のことながら涙が出そうだ。
しかし、これで俺の体力不足は補える。
代わりに、恥や情けない外聞が蓄積されていくのだけども。
……しかし、こうも目線が高いところにいると、怖くなってくるな。
高所恐怖症というわけではないが、俺は未知の体験をすると不安になってしまうのだ。
緊張が汗となって滴り落ち、喉を滑り落ちる。
すると、その異変に目ざとく気づく者がいた。
「おや? もしや馬に乗っていると怖いのか?」
器用に首を後ろに向けながら、紫が意地悪く微笑んだ。
まずい、こいつに弱みを握られると何をやらされるか分かったものじゃない。
「い、いや? 俺は岡山のサラブレッドと言われた男だ。
そんな俺が馬にビビるはずが――」
「おっと手綱を握る手が滑ったー」
「――うわぁあああああああああああ!?
うわぁ、ああぁ! やめろ、揺らすな!」
紫が手綱から手を離した途端、馬の揺れが激しくなった。
視界が音を立てて揺れ、胃に蓄積された異物がシェイクされる。
ずり落ちそうになりながら、俺は絶叫を上げた。
「やめろ! 酔ったらどうするんだ」
「……くく、冗談だよ。しかし、面白い弱点を見つけたな」
楽しそうに喉を鳴らしながら、紫は前を向いた。
どうやら、馬上でこいつを不機嫌にするのは避けたほうがいいみたいだな。
文字通り胃に悪い。
ふざけたことをやっている内に、とある山岳についた。
すると、遙か前方に目的地である円城砦が見えた。
赤い火の粉をまき散らしながらも、いまだ敵兵の侵入を許していない。
その円城砦の前方に、布陣する毛利家の家紋が見えた。
とはいえ、この角度では向こうから俺たちを視認することはできないだろう。
現在の位置関係を見た瞬間、紫の眼の色が変わった。
先ほどまでおちゃらけていた雰囲気はどこへやら、人をオーラで射殺すような、軍師のそれへと変貌した。
彼女はいきなり馬から飛び降り、背後にいる部隊に檄を飛ばす。
「――敵兵を発見した!
これより騎馬隊を前列に組み、その後ろに長槍隊を配置する。
心得がないものは弓を取り、後方支援に努めろ!
敵はまだこちらに気づいていない! 背後から急襲し、敵を根絶やしにしろッ!」
その声に、小さく声を返す面々。
すると、さすがは訓練を積んだ兵士たち。
みるみる内に陣形を組み、敵後方を穿つ鋒矢のような形となる。
敵兵が工作兵とともに円城砦に接近するのを見て、紫が号令を発した。
「突撃しろッ! 円城砦の命運は我らに掛かっている!
いざ敵兵を蹂躙し、故郷に華を添えよ!」
「おおおおおおおおおおおおおおッ!」
まさに、『怒涛』という説明がふさわしかった。
先ほどまで噛み殺していた闘気を爆散させ、逆落しの要領で丘を下っていく。
騎馬隊の疾走は敵兵の予想を超え、毛利兵がこちらに気付いた時には、本陣を急襲していた。
比較的開けた場所に布陣していた吉川軍は、攻撃される前に敵を察知することが出来る、と踏んでいたのだろう。
だが、紫はその思惑を打ち破り、山岳から駆け下りることで、敵兵が気づくよりも先に攻撃を開始した。
はるか向こうで巻き起こる土埃に、俺は息を呑む。
「続いて長槍隊ッ! 両側面から包み込み、退却を許すな!」
「応ッ!」
再び出された号令に、歩兵たちは気勢を上げる。
山岳を駆け下りるようにして加速し、敵兵に向かって突撃を敢行した。
同時に、この高所から遠方の工作兵に向かって、弓兵が射撃を開始し始めた。
一切の隙がない用兵。これが黒田家の軍略なのかと身震いする。
――だが、土埃の中で、一際大きい奇声を上げる者がいた。
その姿を見た瞬間、俺の身体がこわばった。まさに無双の体躯。
大長槍を縦横無尽に振り回し、駆け寄ってくる宇喜多兵をなぎ払っている。
「オラオラオラオラァッ!
こんなぬるい奇襲で、この俺を打ち取れると思うなァッ!」
羅刹のごとく宇喜多の兵を蹴散らしていく。
あれは、明らかに常軌を逸した強さだ。
まず第一に、男の体格というアドバンテージで、他の将兵を大きくリードしている。
その上、あんな槍術を披露されては、誰も近寄ることさえ叶わない。
「――ッハァ! 誰かと思えば、隆景に連戦連敗の黒田さんじゃねえか。
自分から死にに来るたぁ律儀だな。今からそこに行くから待ってやがれ!」
そう言って、吉川元春は愛馬の腹を打ち、こちらにその鼻先を向けた。
迫り来る矢を打ち払い、この山岳めがけて一直線の突貫を開始する。
突撃してくる男を見て、紫は兵に細かく指示を出し始める。
そこに、一切の焦りはなかった。
「予備の槍兵、あの進撃を食い止めてこい。
同時に弓兵、吉川元春に向けて一斉射撃だ。用意開始ッ!」
目の覚める号令で、兵の意識があの男に向いた。
浅黒くも端正な顔、うなるような豪腕を振りたて、元春は雑兵を蹂躙していく。
外の毛利兵は、吉川元春の鼓舞によって支えられている状態だ。
つまり、あの男を打ち破れば、この戦は完全勝利。
それが分かっているからか、弓を引き絞る兵の手は緊張で汗ばんでいく。
「弓兵よく狙え! 的は吉川元春、あの男だ!」
腹から絞り出した声とともに、兵はその弦を弾く。
すると、何百もの矢が一人に向かって飛来していった。
――しかし、その光景を見た吉川の口元は、笑っていた。
彼は体にまとった鎧を調整し、その体全面を覆うように変形させる。
……ちょっと待て、折りたたみ式の鎧なんて聞いたことがない。
それに、あの鎧の色――素材は一体何なんだ?
俺の視線を受け、吉川元春は俺に気付いた。
すると、一瞬驚くような表情を見せ、挑発的に口の端を釣り上げた。
同郷の士を見るような慈しむような瞳。
しかしその眼に宿った光は、すぐさま殺意に変わった。
吉川元春は、俺にだけ聞こえるような、鋭く研ぎ澄まされた声で、こう言った。
「――よぉ、お前もこの世界に来たのか」




