第三十八話「毛利両川」
――円城砦
石山城の東に位置するこの大規模な砦は、宇喜多が毛利の侵入を抑えるために立てられている。
出丸はもちろん、堅固な建築によって建立されているため、防衛する力は高い。
しかし、圧倒的な軍勢に加え、敵陣に異常な天才がいるとなれば、その防御力は紙と化す。
「……っ。くそ、矢の補充はまだなのか!?」
「底をつきかけております! このままでは失くなってしまいます!
次いで報告ッ。城門付近の敵兵が、正門を破壊しようとしております!」
「耐えろ! ここを突破されれば宇喜多の危機! 堅く守って隙を見せるなァッ!」
宇喜多の将はひたすらに兵を鼓舞し、劣性の中を耐えている。
そして、己の腹臣に手勢を率いさせ、門前の工作兵を打ち払わせようとした。
そこは屈強な宇喜多の兵。
練度の薄い毛利の工作兵を、次々となぎ払っていく。
凄まじい気勢に、毛利兵が怯みを見せる。
「うぉおおおおおあああああッ!」
「くそっ、何という士気だ!」
「怯むな! 宇喜多は所詮小兵! 恐れることはない!」
拮抗する戦力の中、宇喜多の将がある物を敵陣に見つける。
金色の飾り物を付け、黒光りする鎧に身を包む、武将の姿を。
その瞬間、円城砦の守将は全身に鳥肌が立ったのを感じた。
「……あ、あれはまさか」
この時代では見ることすら難しい――男性。
眼に凄まじい闘気を秘め、鷹のように円城砦を見据えている。
なかなか進展しない戦況を見て、その男が出てきたのだ。
彼は隣にいる女兵を呼び、退屈そうに問いを投げかけた。
「よー、戦況はどうだ」
「宇喜多の士気が依然高く、城門を突破できないでいます」
「んー、工作兵がやられているようだな。代えは効くのか?」
「いえ……これ以上彼女らを失えば、攻城兵器に期待できなくなるかと……」
そのもどかしい口調に、彼は苦笑する。
その男の歳は三十代半ばといったところだろうか。
甘く若い容貌をしているが、そのまとっている雰囲気は他と一線を画していた。
「あちゃー。仕方ねーな、俺が手伝おうか。ここにいてもやることないし」
「ぜ、前線に出るので?」
「格下の敵には慎重に、強い敵には死力を尽くす。これが俺の闘いだ。
お前も俺に従軍するんだったら覚えときな」
多くは語らず、それだけ呟いて彼は馬にまたがった。
重々しい長槍を携え、挑発的に微笑んだ。
「さあ――それじゃあ行こうか」
彼が馬腹を蹴ると、愛馬は興奮して馬蹄をうならせた。
大地を駆り、一直線に門前の宇喜多兵に突っ込んだ。
雷鳴のように斬り込み、大声を轟かせる。
「俺の名は吉川元春ッ! 行くぜおらぁあああああああああああああああ!」
響くような名乗りを上げ、その槍を頭上に振り上げた。
長い槍を横になぎ、工作兵を攻撃していた宇喜多兵を絶命させる。
すると、彼を中心にして大きな真空地帯が出来上がった。
門を守備していた兵があらかた打ち払われ、背を向けて逃走を開始したのだ。
「う、うわぁあああああああ!」
「吉川だ、吉川が出たぁああああ!」
しかし、元春は逃げようとする兵に槍を突き立て、そのまま振り回して他兵を蹂躙する。
反撃を試みようとする兵を柄で殴り倒し、先端の部分を持って兵の肉を貫く。
まさに攻防一体、隙が見当たらない。
さらに恐ろしいことに、敵味方入り乱れる混戦の中、彼は的確に宇喜多兵だけを歯牙にかけているのだ。
相当な実力と余裕があって、初めてできる芸当。
縦横無尽に暴れ回る吉川元春を見て、門上の兵が震え上がった。
「……無茶苦茶だ、敵うわけがない」
「あれが出てきたらもうお終いだぁ……」
守将の鼓舞も虚しく、次々に戦意を喪失していく。
門前に派遣した腹臣も、いつの間にか全員討ち取られてしまっていた。
あらかた掃除し終わった現場を見て、元春は再び大声を上げる。
「おい、生娘は殺すな! 俺が後で可愛がってやるからよ」
愉悦の笑いをこぼし、吉川元春は討伐を続ける。
その奮迅は、誰も止めることができない。
続々と死者と捕虜だけが出ていく現状。
守備を任された彼女は、吉川の猛威に歯ぎしりしていた。
「これが……吉川。早く援軍が来ないと……」
このままでは、長く持ちそうにない。
弓を必死に引き絞りながら、彼女は背後の石山城を見ていた。
――石山城の北・宇喜多家の小拠点
海方面からの小海賊による被害を防ぐために作られた小規模な拠点。
何度も来襲してきた海賊を撃退してきた拠点は、陥落寸前まで苦しめられていた。
結集した守兵たちが、限界に達して悲痛の叫びを上げる。
「ここはもう持ちません! 撤退の許可を!」
「馬鹿を言え! ここを突破されては石山城への攻撃を許すことになる! 何とか堪えろ!」
わずか数百人が立てこもるだけの拠点に対して、数千の大軍。
圧倒的な戦力差によって、みるみる内に守兵が戦死していった。
「伝令! 北門が突破されましたッ! 既にこのあたりまで侵攻が――」
現状を報告しに来た伝令が、途中で言葉を切らした。
少女は目をむいて、そのまま前方に崩れ落ちる。
その背中には、おびただしい数の矢が突き刺さっていた。
つまり、もうここまで毛利平が侵襲してきている。
伝令の無残な姿を見て、守兵はさらなる恐怖に駆られた。
「守将! このままでは無駄死にしてしまいます!」
「……ぐぬぬ」
ここの守りを任された守将は、悔しそうに脇差を握りしめた。
しかし、苦しげな顔をして絶命した伝令の顔と、周囲の疲弊しきった兵の姿を見て、ついに決断を下した。
苦々しくつぶやき、大声で指示を飛ばす。
「……撤退だ。北・西・東門は包囲されている! 南門から退却せよ!」
その言葉を受けて、兵が尋常でない速度で南門に走った。
ここに残っても見えているのは死のみ。
兵たちに続き、守将も我先にと外へ走った。
それゆえ、脱兎のごとく逃げることには納得できる。
しかし、南門から外に出た彼女らは、前方を見て絶望した。
先ほどまでいなかったはずの毛利兵が、南門を完全に包囲していた。
おそらく、わざと南門を開放して、付近に隠れていたのだろう。
そして、この退却しようとするタイミングで、一気に姿を表したのだ。
この状況になると、宇喜多はもう混乱しかない。
慌てて城内に戻ろうとする兵士と、依然外に逃げようとする兵士が全面から衝突してしまった。
その隙を突いて、毛利の兵が拠点内になだれ込んでくる。
「くそ、誰がこんな小賢しい真似を……!」
守将は恨みがましい眼で、包囲している兵を睨みつける。
すると、そこにはひときわ目立つ、理知的に微笑む青年の姿があった。
細身の体躯ながら、放っている雰囲気は尋常ならざるものがある。
まさに、獲物を狩る猛虎。
見事に混乱している宇喜多軍を見て、彼は満足気にうなずいた。
「拍子抜けだなぁ。早く宇喜多本隊と手合わせしたいものだね」
「ここまで来れば、あとは後詰の部隊だけで陥落できるかと。先に進みますか?」
「うん、そうしようかな。あの宇喜多日和とかいう平和ボケを、早く屈服させたいからね」
歳はやはり三十の半ばといったところか。
しかし、子供のように無邪気に微笑んでいる上に、童顔が抜けていないので、少年に近い容貌に感じる。
しかし、その本性は酷く獰猛で、好戦的な武将である。
「じゃあ僕たちは行くから、後詰の人達には皆殺しの指示を出しといてね。例外は一切合切なしで」
「……み、皆殺しですか。しかし、投降してきた者はいかがしましょう」
「そんな骨のない兵を組み込んでどうするの。
でも、僕の言うことを素直に聞かないという点で、君は評価できるよ」
「こ、これは失礼しましたッ!」
ささやかな反論に対して優しく微笑む彼に、女兵は恐怖を感じた。
しかし、その機微が伝わったのか、彼は撤回するように手を横に振る。
「いや、怒ってるわけじゃないよ。むしろ褒めてる。
人の言うことを鵜呑みにする人間は、信用出来ないからね」
そう言って、青年は馬に飛び乗った。
ゆっくりと馬に助走を付けさせ、宇喜多家の本拠へと続く道を進む。
「んー、元春に手柄はあげたくないなぁ。ちょっと急ぐか」
自分の配下に迅速な進軍を促し、彼は前方を見据える。
この拠点を落としたからには、吉川軍よりも先に宇喜多本軍と接敵する。
兄弟とはいえ、彼としては元春よりも勲功を上げたいというのが本音だった。
嗜虐の興奮を目に灯して、隆景は愛馬の馬を急かすように蹴飛ばした。
「――さあ、良い滅亡の音を聞かせてくれ。
この小早川隆景が、その音を自伝に綴ろう」
彼の馬が疾走を開始するのと、背後で毛利軍が勝どきを上げたのは、ほぼ同時だった。
――戦況
宇喜多家・本軍(石山城)……5500人 備考:なし
宇喜多家・円城砦……2467人。うち負傷691人 備考:苦戦中
宇喜多家・小拠点……0人。備考:壊滅
毛利家・吉川軍……6268人。うち負傷518人 備考:吉川元春が奮迅を開始
毛利家・小早川軍……4478人。うち負傷311人 備考:石山城に進軍中




