第三十三話「竹中風薫の希望」
――ある男がこの世界に飛んでくる数ヶ月前
「お勤めご苦労様です。開門を求めます」
「……貴殿は」
天下の将軍が率いる足利家。
その直轄城に、竹中風薫は来ていた。
懐から密約の手紙を取り出し、用件を伝える。
「竹中風薫。約束通り、足利家への仕官を希望します」
「約束? どんなものだ」
「私は以前、足利家が行った六カ国侵略の手助けをしました。
その功あって、侍大将として仕える約定を締結しています。
城主に確認して頂ければ分かることかと」
そう、もはや近畿地方で己の力を発揮できそうな所は、足利家しかなかった。
というより、その流れに持ち込んだのが、他ならぬ風薫だ。
彼女が斉藤家でクーデターを起こした折、その切り崩しの才能を買われて足利家から誘いがきていた。
ある条件を満たせば、侍大将として仕官させてやる、と。
それは、新参がいきなり与えられるような地位ではない。
しかし、足利家は気前よく、風薫の才能を買って高い役職を贈ると言っていたのだ。
やっと自分の才能を認めてもらえた。自分の力を、誰かのために使うことが出来る。
胸の中を期待でいっぱいにして、風薫はこの足利家の軍門にやってきていた。
「そうか、では入られよ」
「どうも」
重苦しい音とともに、鉄門が開いた。
この先には、武士としての新しい可能性が待っている。
守衛の手招き通り、城内に入る。
悲鳴のような音を立てて、鉄門が閉まった。
――その瞬間。
「――ッ!?」
風薫の肩口に、飛来した矢が刺さった。
完全に気を緩めていた所に、最高速度の雷矢。
いくら凄まじい身のこなしをしているといっても、全くの無防備の所を攻撃されてしまっては、どうしようもない。
「……ぐッ、何を」
矢が飛んできた方を見ようとした刹那、眼前に鉄刀が映った。
今しがた先導をしてくれていた守衛が、抜刀して切りかかってきたのだ。
しかし、今度は不意を突かれることはなかった。
とっさに刀を抜き、鍔元で刀の進撃を止める。
――ギャリリッ
鼓膜を削り取るような音が迸る。
しかし、鍔迫り合いからの流れは、嫌というほど身体に叩き込んでいる。
風薫は剣の腹を滑らして、守衛の喉元を穿つ刺突を繰り出した。
「……ぎうッ!」
表情を歪めながら、守衛は地に倒れこんだ。
風薫は慌てて周りを見渡す。
竹中風薫は、この狭い城の中で完全に包囲されていた。
圧倒的な軍勢。
その数は、10や20ではきかない。
100人を優に超えた兵に、周りを取り囲まれていたのだ。
「これは、一体何の真似ですか!」
風薫の怒声に呼応して、一人の足利家武将が名乗りを上げた。
それは、足利家の重臣。
その横には、同じく重臣とみられる女武将が同行していた。
二人がこちらに歩いてくると、おびただしい数の兵が割れ、見事な通路が出来上がった。
「――足利家所属・本城を任された三好凱菜だ。
己から死地に出向くとはな、無駄骨ご苦労」
「……私の仕官話は、嘘だったのですか?」
「考えろよ、天才策士さん。
確かに足利家は人間の仕官を許しているが、化物を抱えるほど懐は寛容じゃない」
くつくつと嫌に笑い、三好凱菜は胡乱な瞳で風薫を睨む。
その隣にいる武将は、ただ静かに状況を見守っているだけ。
凱菜のあまりにも不躾な態度に、風薫は反感を示した。
「私は人間です」
「見れば分かる、外面はかわいい少女ってところかな。
だけど、内部に凄まじいモノを飼ってるよな」
「……ダメなのですか?」
「分かれよ、ガキじゃないんだから。
暴発して使い手を殺す可能性がある火縄銃を、お前は使いたいのか?」
「…………」
それは、今までにさんざん聞いてきた言葉。
殺意に塗れた奇才は、誰も使ってくれようとはしない。
それはただ、異形の者として迫害される存在。
ここまで散々頑張って、言われた通りに近畿地方統一の手助けをして。
それでも、認めて貰えない。
金属疲労にも似た脱力感が、風薫を襲った。
ここまで気丈に保ち続けていた心は、崩壊しそうになっている。
「……い……なぁ」
「あ?」
「……悔しいです。何で私は、こんなに簡単に殺意が湧いてしまうような性格で生まれてきたんでしょう」
それは、何があってもやってはいけない行為。
――己の否定。自分という存在を、完膚なきまでに拒絶する、
涙をにじませながら、風薫は自分の出生を呪った。
人より優れた能力を持つと同時に、それらを棒に振る欠陥を持って生まれてきてしまった。
そんな自分への憤りなのかもしれない。
「知らねえよ。とりあえず、お前を殺せって命が下ってる。
思考を人に投げ出すようなら、もう策士としても使えないな。
――もう良い、あの世に行ってこいよ」
そう言って、凱菜は手を頭上に掲げた。
その合図とともに、包囲する兵士たちの顔に緊張が走った。
全員が矢をつがえ、少女に照準を合わせる。
「――待て」
しかし、その振り上げられた手をつかむものがいた。
凱菜としても予想外だったのか、右に並び立っている少女を睨む。
「何のつもりだ? 水仙」
「もうあの少女に戦意はない。放っておいても害にならないだろう」
横から少女への一斉攻撃を制止したのは、凱菜よりも若い武将だった。
背中に大弓を携え、野性的な茶髪をなびかせている。
その少女は、弓術の達人・一宮水仙。
竹中風薫を殺害するために派遣された、将軍お抱えの精鋭だった。
「若輩が私のやることに口を出すか?」
「上様から自由行動の許可をもらっている。
私は別に貴殿の司令の傘下にいるわけではない」
物怖じしない水仙を見て、凱菜はなおさら不愉快そうな顔をする。
双方とも意見を撤回せず、そのまま睨み合う。そのまま、ずっと。
均衡によって、周囲の兵はどちらの指示に従えばいいのか困惑している。
その時間は、永遠のように思われた。
「――夢」
しかし、風薫のつぶやきで、その均衡が崩れた。
全く文脈の繋がらない一言。
しかし風薫は、それを思い出すと同時に、何かの光を見つけようとしていた。
「は? 夢?」
「父上は、叶わぬことは夢で見ろと言いました。
そして、夢を現実で必死に追い求めていれば、その夢は実現するのだと」
「……くだらん理想だな」
「我、夢に胡蝶なるか、胡蝶の夢に我なるか。
確かに、夢と現実の境目は曖昧だという解釈もあります。
しかし、父上はその様に解釈していました。
叶わないことは先ず夢で見て、その後に叶えろと」
自分を喪失していた少女の雰囲気が、徐々に変わってくる。
腕を振りあげれば死に絶えるその生命が、煌々とした光を灯し始めていた。
唐突な話に、凱菜は首をひねる。
「で、お前は何を言いたいんだ?」
「――夢を見たんです。
こんな爆発しそうな私を、欠陥を負った私を、認めてくれる人がいる夢を。
その人は、ものすごく胡散臭くて、嘘つきで、良く分からない人なんです。
でもその人は、私を救ってくれる。そんな夢を見たのです」
「それは夢だ。叶わない幻想だよ」
「現実にしてみせます。
だから、もう少し意地を張って生きて、夢を現実にしようと思うのです」
風薫の瞳に、強固な光が宿った。
小さな体躯が、威厳を取り戻して、凄まじいプレッシャーを放ってくる。
やはり、この少女は只者ではない。
そのことを肌で感じた凱菜は、腕を振り上げようとする。
しかし、またしてもその腕は水仙によって止められた。
「――貴様ッ!」
「新たなる武士の門出に、水を差すものじゃない」
二人がもみ合っている隙を見て、風薫は跳躍した。
脱出のために。しかし、余りにも完成された逃亡。
猫を思わせるしなやかな跳ね上がり。
そのあまりにも流麗な一連の行動に、誰もが目を奪われていた。
「――もういい、放てッ! こんな若輩の言うことなど聞くな! 射抜かねば斬るッ!」
だが、殺害の命を受けている凱菜は、最後まで行動を許さなかった。
水仙を振り払いって刀を抜くと、城門をよじ登ろうとする風薫に向かって投げつけた。
唸る蛇を思わせるそれは、風薫の細い脚を斬り裂く。
「……ッ!?」
声にならない悲鳴を上げる風薫。
しかし、それでも門を駆け上り、新たな未来を求めて門から逃走を図ろうとする。
「放てッ! あんな危険な虎を野に放つなァッ!」
執念にも似た命令に、兵士の心がついに動いた。
数の暴力を体現したような軍勢が、一人の少女に向かって弓を向ける。
一人が矢を射出したのを皮切りに、一斉に矢が放たれた。
それはまさに、矢の嵐。
陰に隠れようとした少女の細い体躯を、何本もの矢が刺し貫いた。
苦痛に顔を歪ませる少女の様を見て、水仙がついに抜刀した。
「やめろ! お前ら、やめねばこの一宮水仙が斬って捨てる!」
再び響き渡った怒号。まさに鶴の一声。
少女を射殺さんと降り注いでいた雨が、一瞬にして収まった。
門を登り切った風薫は、後ろを振り向く。
その双眸が捉えていたものは、毅然とした表情をしている一宮水仙だった。
「――感謝します」
そう言って、風薫は門から飛び降りた。
あっけなく、まるで陽炎のように、竹中風薫はこの場から消えた。
しかし、その姿を見て、悔しがる人は誰もいない。
それどころか、三好凱菜は哄笑を漏らしていた。
「……そっちの門は、下が崖になっている。
そして底に流れるのは牛馬をも飲み込む激流。
飛び降りれば死は確実よ。なあ水仙?
お前のしたことも、無駄骨だったようだ」
「さあ、どうだろうな」
「……ッチ、お前だけは気に食わん」
唾棄するように吐き捨てて、凱菜は城内へ戻っていった。
それに続いて水仙も戻ろうとする。
だが、先ほど少女が飛び去った城門を眺めて、一つだけ言葉を漏らした。
「会えるといいな、認めてくれる御仁に――」
風薫が夢に見た人物と、最初にこの世界で話を交わすのが自分になることは、この時点で分かるはずもなかった。
ただ、一宮水仙は弓を撫でて天を仰いでいた。
◇◇◇
――死を覚悟してから数ヶ月。
風薫は、激流の中から引きずり上げられ、ある商人の庇護を受けていた。
凄まじく太った店長が、今日も奴隷を虐待している。
変わらぬ光景に、風薫はため息を付いた。
そして顔を上げた瞬間、誰かがこの商店に近づいてきていた。
奇妙な虚無僧帽子をかぶった人物。
ただの尼が入りこまないような通りなのに、珍しいこともあるものだ。
しかし、風薫がその人物に目をつけたのは、別の理由があるようだった。
それは、ある日見た夢の続き。
自分の叶わない夢を、現実にまで引き上げてくれるかもしれない、異形の存在。
その人物は、風薫のところに来て不思議そうに呟いた。
「……なあ」
妙に安心感のある声。それは奇しくも、夢で聞いた声と全く同じだった。
父親の遺言とともによみがえる――夢の光景。
「辛くないのか?」
女性の真似をすることも忘れて、地声で話しかけてきた人物に、風薫は興味を持った。
虚無僧姿の人物も、同じのようであった。
「お前、辛くないのか?」
再び繰り出される質問。
確かに、ここまでの人生は辛いことしかなかった。
夢にしか逃げる場所はなかった。
だけど、この人がいてくれたら。また違った世界が見れるのかもしれない。
それを確信して、風薫は返事をする。
――こうして、策士と詐欺師は出会った。




