第二十九話「竹中風薫の異常性」
眠たげに眼を擦りながら、紫は無言の圧力をかけてくる。
傍から見れば、日記を盗み見たのがバレた現場、といったところだろう。
問い詰められて折檻を受けても文句なんて言えない。普通ならば。
しかし、今に限って言うならば、問い詰めたいのは俺の方だった。
「……ここに書いてあることは、何の冗談だ?」
「ああ、やっぱり読んだのか」
これは失敗、と自分の頭をペシリと叩いている。
しかし、そんなことをされても、こっちの心は安らがない。
「風薫を消すってのはどういうことだ」
「どういうことも何も、その書面通りだ。
貴様は田に害虫が侵入して来ていると知って放置するのか?」
「……害虫ってのは、まさか風薫のことを指してるんじゃないだろうな」
自分でも不思議なほど、低い声が出てしまう。
甘屋に一度言われたことがあるが、俺は怒る時に声が低くなる傾向にあるらしい。
なるほど、どうやら的を射ていたようだ。
目を伏せる俺を見て、紫は困ったように首をひねった。
「やれやれ、もう少し外堀を埋めてからその本題に入りたかったのだが、仕方がない」
「何が仕方ないんだ。風薫が排斥されるようなことでもしたのか?」
紫の言っていることは、あまりにも理不尽。
あいつは――風薫は、この世界に来て初めて信頼を置けるようになった奴なんだ。
何度も俺を守ってくれて、ここまで導いてくれた存在。
こいつの無茶を、そう簡単に通す訳にはいかない。
「やれやれ、貴様の反応を見る限り竹中風薫は己の本性を見せていないようだな」
「本性? 俺があいつに、騙されているとでも言うのか?」
「いいや? そんな事を言うつもりはないさ。
しかし、人間は騙すまで行かなくとも、隠し事をすることくらいはある」
「…………」
あいつが俺を騙すはずがない。
それは本能で信用できる。詐欺師としての、経験則で。
でも、こいつの言う『隠し事』ならどうだ。
俺は読心術の使い手でも何でもない。嫌な予感が、頚椎を軋ませる。
「そもそも、貴様はあの女がどのような人間か、知っているのか?」
「あまり多くは知らない。だけど……」
――竹中風薫。
目方軽め。チビっこい。幼児体型。明るい表情。何故か敬語。
俺をご主人様と呼んでくる。竹中撃剣術の使い手。同時に策士。過去は……
過去は……。
――過去は、知らない。
そういえば、俺は風薫の昔を、何一つ知らないのだ。
何て酷い関係だ。思わず自嘲の笑みが溢れる。
「内心が透けて見えるようだよ。貴様は竹中風薫の今しか知らない。
その余りにも血塗られた過去を、一つも聞いていない。
だから、あんな存在を側に置いておけるんだ」
「……お前は知ってるのかよ」
「まあ、人並みにはな」
皮肉げに笑って、紫は近づいてくる。
腹を割って話す姿勢を言うより、花魁が客を誘惑するような、そんな意図が見える。
顔を近づけつつ、紫は続けた。
「なあ春虎。
一つ聞きたいんだが、貴様はあの女に掛けられている懸賞金のことを知っているか?」
「ああ、3000貫だったよな」
「知っていて、なぜ疑問に思わない。
優秀な策士の跡継ぎとはいえ、たかが小娘にそんな大金を掛ける馬鹿がどこにいる」
「それは……風薫が規格外に有能だから……」
「なんだ、分かっているじゃないか。
竹中風薫は、才能と内面があまりにも乖離しすぎている。
――仕える国を、再起不能にする程に」
卓越した策士の才能を持ち、内政を君子のごとくこなし、剣術も山賊を打ち払うほどに強い。
人材の勢力からしてみれば、確かに欲しい存在だろう。
しかし、言われてみれば、確かに3000貫は異常だ。
何故、そんな高額の値を付られけて追われていた?
理由は何となく分かる。ただ単純に、曰く付きだからってことだ。
「物分かりの悪いお前に、二つばかり情報をくれてやろう。
これを聞いてなお、貴様はあの女に執着が湧くのかな」
「言ってみろ。
嘘だったら洒落じゃなく暴力に訴えてしまいそうだから、ふざけるのはやめろよ」
「ふん、勢力の存亡が掛かっているときに、虚言を吐くか」
そう言って、紫は懐から何かを取り出した。
またしても巻物のようだ。
だが、胸元から引っ張りだすと同時に巻物の紐が絡まって、着物がはだけそうになっていた。
それに気づくと、紫は慌てて胸を押さえた。
「はぅ……」
「ふざけるなって言ったはずだが?」
「ふん。きょ、狭量な奴よ。今のは素で危なかった」
胸に手を当て、スーハスーハー深呼吸を繰りかえしている。
どうやら、今のはわざとじゃないらしい。
巻物を開いていくと同時に、紫の顔は真剣なものになった。
それは湯屋で会った時の可愛らしい少女の顔ではなく、獲物を謀殺する軍師のそれだった。
「これが何か分かるか?」
そう言って出してきたのは、5年前の地図だった。
ひらひらと振り、俺の視線を集めようとする。
「地図……いや、勢力図か」
しかも近畿地方限定。
そこには、今は亡き赤松家や畠山家など、数々の大名の図版が書かれていた。
「そうだ。この勢力図は現在こうなっている」
出てきたのは、現況が記されている近畿地方の姿だった。
近畿一帯の7割を支配する足利家が、妙に目に付く。
「やっぱり、足利家の伸びが凄いな」
「そう思うだろう?
しかし、この滅ぼされた勢力たちも、決して抵抗しなかったわけではない」
そりゃそうだろう。主家の危機と知っては命を賭して奮戦するはず。
窮鼠猫を噛むというわけではないが、ここまで急速に残党を含めて根絶することは可能なのだろうか。
正直、信長の破竹の勢いを超えているような拡大だ。
「この数年で勢力を広げた、天下の足利家。
しかしその裏では、敵対勢力の自滅があった」
「……自滅?」
内部抗争ということだろうか。
国内の権力争いで国が潰れることは少なくない。
しかし、たて続きにここまで多くの勢力が不和を起こすか?
まるで、後ろで誰かが糸を引いているような――
その瞬間、脳ですべての回線がつながった。
今まで不明瞭だった所が、明るみになって脊髄を刺激する。
「……まさか」
「そう、これが懸賞金3000貫の理由。
この数年で一変した近畿の勢力図は、竹中風薫の暴走によって発生したんだ」
◆◆◆
その情報を、簡単に信じることはできない。そう思った。
しかし、竹中風薫なら、あの少女ならやりかねない。
何故か、脳の一部がそう決めつけている。
一地方の勢力図が、一人の少女によって操られるなど、とんだ夢物語。
……そのはずなのに。
「竹中風薫は、恐らくお前に会うまでに最低6つの勢力を遍歴している」
淡々と話す紫は、巻物の『斉藤』・『畠山』・『六角』・『北畠』・『朝倉』・『浅井』の勢力を塗りつぶしていく。
それは、俺でも知っている近畿の有力大名たちだった。
同じ共通点を持つ――大名たち。
風薫が使えた勢力は、必ず滅亡か衰退の一途をたどっている。
例外は、どこにも存在しなかった。
紫は破滅的な内容の文面をゆっくりと読み上げていく。
・斉藤家――ある少女が謀反を起こし、城を乗っ取った。
その直後、潜伏していた足利家による急襲によって滅亡。
・畠山家――仲の良い重臣二人が、ある少女に無礼を働いた。
それも、日に日に折檻は酷くなっていく。
ある日、重臣二人はいきなり仲違いをして分裂。
その混乱に乗じて足利家に滅ぼされた。
・六角家――ある少女を前線に死兵として送り出した所、彼女が予想以上に善戦。
あと一歩で勝てるという所まで敵兵を追いやる、奮迅の活躍を見せる。
すると、少女がそこで援軍を求めてきた。
そこで君主が期待して援軍を派遣すると、異変が起こった。
本拠が手薄になるのを見計らった足利家の伏兵が、本拠に攻め上ったのだ。
大した抵抗もできずに、一ヶ月足らずで滅亡。
・北畠家――ある少女を冷遇した若殿が、虚言に惑わされて配下を斬る事件が発生。
部下を斬殺してしまった跡取りが、心労によって夭折する。
そして、君主も後を追うように息を引き取った。
跡取り問題で紛糾している所を、足利家の一斉攻撃によって滅ぼされた。
・朝倉家――重臣七人が結託して、増長してきた少女を排斥しようとした。
すると、何故かその全員が翌月の合戦に敗北した。
その陣中には、布陣を任された少女の姿があったという。
重臣を全て失った朝倉家は、その勢いを失った。
・浅井家――勢力の跡取りが、騎馬訓練中にある少女を轢いて怪我をさせてしまう。
仕えて日の浅い少女に対して、「邪魔な所に立つな」と叱責した。
その後、町中で跡取りが謀反を起こそうとしている噂が流れる。
君主にカリスマがあって内部をまとめていたが、勢力が二分されてしまう。
本家の方は足利家に滅ぼされたという。
そこまで書き留めて、紫は筆を置いた。
周囲の文献から判断するに、この内容はすべて真実のようだ。
ある少女というのが誰かは、もはや言うまでもないだろう。
この勢力の滅亡ラッシュ、余りにも違和感で満ち溢れている。
「……これは、まるで」
「竹中風薫が足利家に密通しているようだ、か?」
「…………だけど」
「ふん、お前にとって幸いかどうかは知らん。
しかし、少なくとも現時点では竹中風薫と足利家は接点がない。
と言うよりも、両者は決定的に決裂している」
「どういうことだ?」
「言ってやってもいいが、それは私の口から話すことではないな」
しれっと、紫は足を投げ出して会話を放棄する。
一番気になる所をぼかして、そっぽを向いてしまった。
人をここまで焚きつけるようなことを言っておいて、肝心の所で中止するのか。
その態度に、沸々と怒りが湧いてきた。
「……続きを話せ」
「嫌だ」
「……頼む」
「嫌だ」
「……こんな状態じゃ、何も手に付かない。だから――」
「嫌だ」
「……犯すぞ」
「やってみろ、抵抗はしないさ」
舐めたように笑って、紫は手を肩のあたりで振る。
むしろ、無防備なことをアピールし挑発しているように見える。
犯さないまでも、殴りたい。
暴力衝動と苛立ちが最高潮に到達するが、拳を握りしめて耐える。
「……で、お前は結局何が言いたかったんだ?」
「竹中風薫、あれは生半可な武士でも手に余る武術の使い手だ。
剣術に体術、その両方を極めているなんて常識はずれもいい所だ。
しかし、情は人を狂わせるという。言いたいことが分かるな?」
「分からん。お前のくどい言い回しはもううんざりだ」
「ふん、私の口から敢えて言わせるか。いいだろう。
要するに、貴様にあの女を殺す依頼をしようと思っていたのだ」
「……………………」
「言っておくが、竹中風薫に同情する余地はないと思うぞ。
それは私にも言えることだがな。
不満ならば、あの女がいかに非道なことをしたか、包み隠さず伝えることも吝かではないが」
「……もう、いい。分かったよ」
俺は、吐き捨てるようにそう言った。酷い疲れが出た。
湯屋に入って疲労も回復したんじゃないのかって疑いたくなるレベルだ。
「そうか。やってくれるのか。ならば、この小刀を――」
その瞬間、俺は紫に飛び掛った。
正気を失っているわけではない。
だが、紫をこれ以上喋らせていると、大切な何かまで見落としてしまいそうだった。
それがこいつの正義感や忠義心からくる行動なのだとしても、今の俺からしてみれば邪魔以外の何物でもない。
「な、なにをッ――」
咄嗟に身体を強張らせる紫の口に手を突っ込み、その口の駆動を静止した。
すると、苦しそうに呻きはじめる。
手を引き抜こうと、喉が必死に吐き出そうとする。
「……ぇあ、うぅ」
喉の奥にまで進入した指のせいで、紫は満足に言葉も形成できない。
指に唾液が大量に付着するが、大して不快ではなかった。
というより、俺はこいつが何故か嫌いになれないのだ。
例え対立したとしても、黒田紫を憎む気にはならないのだと思う。
彼女が反論をする余裕がなくなる所まで追い詰め、俺は口を開いた。
「分かったっていうのは、殺すのに加担するって意味じゃない。
今思えば、俺は風薫に大して距離を置き過ぎていたのかもしれない。
いい機会だ、あいつと正面から向きあってみるよ」
そして最後に、俺は汚泥に塗れたかのように低い、重低音を発した。
イメージは、動物を射殺す猛禽類の眼。
そこから発せられる視線を、言葉と共に紫に叩きつけた。
「だから、邪魔はするな」
こいつがまともに話さないのなら、本人に聞くまで。
それが終わって初めて、風薫と対等になれるんだと思う。
もちろん身分の違いでじゃなく、心の問題でだ。
無意識に、俺はあいつに大して遠慮してしまっていたのかもしれない。
それを正す時が、今なんだと思う。
頭の中で決意を固めていると、いきなり頭部に衝撃が走った。
「――ぐあッ!?」
風薫に蹴られた時ほどではないが、思わず後ろに倒れてしまう。
どうやら、紫に足刀で反撃をされてしまったようだ。
さすが軍師とはいえ武士だ。俺を遥かに上回る戦闘経験が、日常の面でもありありと出る。
俺が吹き飛んだ拍子に手が抜けたので、紫は苦しそうに唾液を口から零した。
それに気づくと羞恥に頬を染め、袖で拭い始める。
「……い、いきなり、狼藉を働かれるのかと思った」
泣きそうな目で、俺の方を見てきている。
先ほどまで存在した威厳はどこへやらだ。
予想外の暴力に驚いたのか、紫は普通の少女のように怯えていた。
俺より年上のはずなんだけど。
誰にも聞こえないよう独りごちて、俺は立ち上がった。
「さて。じゃあ、一応行ってくる」
「ま、待て。どこに行く気だ?」
「風薫の所に行ってくる。
間違っても、風薫に危害を加えようとするなよ」
「……ふん。どっちみち、手なんか出せないさ
。竹中風薫の本質を見極めてみるがいい。
どれほど危うい存在か、よく分かることだろう」
「……言ってろ」
吐き捨てて、紫の部屋から出る。
あっけなく開いた障子は、どこか感傷的だった。
足を踏み出そうとした時、部屋から声が聞こえてきた。
「ああ、そうそう。一つ言い忘れていたんだが」
「……何だ?」
「情報を二つ教えるといって、一つしか教えていなかったと思ってな」
「別に聞かなくてもいいように思うが、一応聞こう」
「――67人」
障子の向こうの紫は、仕返しといったばかりに、意地悪っぽい口調でそう言った。
唐突な数字の出現に、思わず首をひねる。
「どういう意味だ?」
聞き返すと、しばらくの沈黙が流れた。
夜の静寂が、辺り一帯を包んでいた。数十も待ったが、何も言う素振りがない。
煩わしくなったので、放置して足を進めることにした。
風薫の部屋は、この角を曲がった突き当りだったか。
軋む床を踏みしめた瞬間、
「――竹中風薫が、謀略で葬り去った人の数だよ」
辛辣な声が聞こえてきた、気がした。
その言葉に、一瞬足が止まる。しかし、それすらも数秒。
今更何を言われても特に気にしない。
暗い廊下を、俺はゆっくりと進んでいった。




