第二十五話「黒田という軍師」
「……これは、酷いな」
「斥候と自警団が戦ったのでしょう。
この分だと、毛利の先鋒は撤退したようですが……」
俺たちは城下町に降りようと、丘を下って宇喜多家が所有する村に足を踏み入れていた。
城下町は大きな川の三角州に栄えていて、一回大きく迂回しないと辿り着けない位置にある。
そのため、この村を通り抜けて城下町へ行こうと思っていたのだが、ここは惨状だった。
積み上がる死人の山。
辺りに飛び散った鮮血が、殉死した兵士の無念を語っているようだ。
道の中央に積み上がった屍を道の横にどけ、アヤメは呟く。
「……怪我人は運びだされた後みたいだにゃ」
「そうみたいだな。
ということは、ここに倒れてる人間はやっぱり、全員死んでるってことか」
その数、両陣営を合わせておよそ200。
斥候部隊にしては、随分と派手に戦ったようである。
道が開通したところで、風薫が俺の手をとって歩行を促した。
「とりあえず、ここを通らないと城下には行けません。先を急ぎましょう」
うなだれた死体を跨ぐようにして、彼女たちは足を進める。
若干の動揺はあるみたいだが、二人とも落ち着き払っていた。
だが、俺の心は未だ釈然としない。
ここまでの命の喪失は、心に来るものがあった。まあ、下らない勝手な感傷なんだろうけども。
この圧倒的な死の世界に、俺はいつになったら慣れるのか。
そして、慣れなければならないのか。
頭痛と吐き気を催しながら、彼女たちについていく。
すると、どこからか激しい剣戟の音が聞こえてきた。
刀が打ち合うような、金属の擦れる音。
ここが訓練場でもない限り、そんな殺風景な音はしない。
現地点は、言うまでもなく戦場。
となれば、この音が何を意味するかは視認するまでもなく明らかだった、
「ご主人様、あれを」
風薫が指さした方向、即ち20メートルほど離れた位置に、一人の少女の姿があった。
年齢は風薫と同じくらいか、絹のように艶やかな黒髪をなびかせ、脇差を振るっている。
決して恵まれているとはいえない体格を激しく動かし、周囲から繰り出される剣舞をしのいでいた。
しかしその表情には、はっきりとした疲労の色が現れている。
「……どうやら、苦戦していますね」
「ああ。見たところ、あの少女は武人じゃないみたいだな」
使用している武器が脇差という時点で、もはや戦闘を主軸に置いていない。
周囲には三人の若武者がおり、彼女の首を取ろうと、剣槍を振り回していた。
その格好を見る限り、周囲の女は毛利家の練兵であるらしい。
「……アヤメ、あの少女を助けられるか?」
「にゃ、また甘ったるいことを言ってるのかにゃ」
「そうかもしれない。だけど、あの娘は必死に戦って助かろうとしてる。
ただの俺のワガママだが、聞いてくれるか」
「……言ったろ。お前には恩があるにゃ。
多少の無理くらい、簡単に聞いてやるにゃ」
そう言うと、アヤメはおもむろにその辺りにあった石を拾い上げた。
それを渾身の力で放り投げ、兵士の周辺に投擲する。
――カツーン。
かくして、石は誰にも当たらず、そのままその動きを止めた。
すると、その音に驚いてか、兵士たちが一瞬そっちに目を奪われた。
つまりは、意識が散漫になった。
その様子を見て、アヤメが意地悪げに微笑む。
彼女は口の端を吊り上げながら、己の身に宿った能力を使用した。
「――縛レ」
地の底から響いてくるような、鳥肌の立つ声。
それが周囲へと伝播した刹那、少女を取り巻いていた女たちの動きが止まった。
「……な、何だこれは!」
「身体が、動かないっ!?」
自分の体に起きた異変に対応できず、若武者たちは恐慌状態に陥る。
なるほど、幻術の仕組みというか、発動させるための条件の一端が分かった気がする。
幻術は言ってしまえば、心を惑わす外法の術。
だが、仙人のような存在である果心居士くらいしか使えない、高難易度の術である。
アヤメは今、石を投げることによって女たちの意識に濁りを与えた。
言うなれば、戦闘状態で張り詰めていた精神に、隙間が生じたのだ。
その中途半端な意識に、粗悪な信号を潜り込ませる。
それによって、相手の身体に異常を起こさせるのだ。
風薫に急激な発熱を起こさせたりと、使い方によっては死にも至るだろう。
なるほど、タチが悪いっていうか、凶悪な術だな。
つくづく、こいつを敵に回したくない。
指一本動かせなくなった若武者達を一瞥し、アヤメは残酷な笑みを浮かべる。
そして、その細やかで美しい指を、すぅっと女たちの首元に突き付け、狙いを定めた。
「――首ハ、捻レル物。捻レテ、果テロ」
その冷徹な声と共に、若武者達の首が胴体から離れた。
血がスプリンクラー状態となって、首元から吹き荒れる。
都合3つの球体が、地面に転がる結果となった。
いきなりの異常事態に、攻撃されていた少女は腰を抜かしていた。
俺は吐いていた。
昨日だっただろうか。宿屋で頂いた和食を消化し切る間もなく、外界に戻す。
酸味と液体が、喉を通って口内を蹂躙した。
「ご主人様、大丈夫ですか?」
風薫が俺の背中を摩ってくれる。ひとしきり吐き終えたところで、俺は顔を前に向けた。
俺の衝撃を知ったのか、アヤメが死体を撤去していた。
うん、その心遣いには全力で敬意を示したいんだが、もう少し何かやり方があったろ。
あの少女を助けてくれと言っただけなのに、嘔吐確実のスプラッタを見ることになろうとは。
戯言を脳内で展開しつつ、俺はゆっくりと膝を立てた。
「……風薫、ありがとう。もう大丈夫だ」
まったく、(多分)年下の少女に心配されてしまうとは。
俺の心臓にも少しは毛が生えて欲しいものだ。
俺は、未だ唖然として地面にへたり込んでいる少女に話しかける。
「怪我はないか?」
すると、少女はハッと我に返り、俺達の顔を眺めてきた。
風薫を見て表情が緩み、アヤメを見て表情が強張り、俺を見て鼻を鳴らした。
あれ、俺だけ完全に舐められてないか?
どうやらその予感は的中したようで、少女は威厳を保つようにして立ち上がった。
「ふん、貴様に心配される私ではない。
余計なことをして、私の完全にして至高な脳髄に混乱が生じたらどうする」
「いや、どう考えても殺されかけてたろ。
その脇差でどうやって相手にするつもりだったんだよ」
「浅はかだな、貴様は。
私はあの凡愚共の動きを全て計算して立ち回っていた。
あと4秒もすれば、全員切り伏せていたところだったのに。
ままならないものだな。奴らもいきなり目の前で果ておって」
なんか、ものすごく偉そうな少女だな。
風薫と大して変わらない背丈でそんなに尊大になられても、可愛いだけなんだが。
俺が表情を緩ませながら首肯していると、少女がキッと睨みつけてきた。
かなり矜持が高い性格のようだ。
「で、お前の名前は?」
「頭が高い。私の名を聞こうと思うのなら、地を舐めて懇願しろ」
「助けてやったんだからそれくらい了承しろよ。懐が狭い奴だと思われるぞ」
「はっ、天才とはかくも理解されない孤高の存在だ。
貴様に評価などされたくない。
だが、そこまで言うのならば答えてやろう。
その汚れた耳で偉大なる私の名前を傾聴するがいい」
「そうか。俺の名前は伏見春虎だ」
仰々しく言葉を連射している合間を縫って、俺は名前を名乗った。
すると、先に名乗られたのが不快なのか、少女は歯をギリッと噛み鳴らした。
いや、そんなに不愉快ならさっさと名乗ればいいのに。面倒臭い奴だ。
「私の名は黒田紫。
対毛利家の軍師として宇喜多家に雇われている」
胸を張って、自分の存在を誇張しようとしている。
だけど、ない胸を張られても威厳なんて毛ほども感じないんだけどな。
黒田紫――歴史の知識から探って見るに、黒田という苗字は大当たりの可能性がある。
「そうかそうか。ところで、官兵衛と長政は健在か?」
「……む、父上と兄上を知っているのか。
しかし悲しいことに、彼らは憎き疫病によって命を落とした。
だが私は違う。真なる才知を持つ英傑を、神は助けたんだろうな」
「……いや、女だから助かっただけだと思うんだけどな」
ふむ、それにしても、黒田か。
しかも、官兵衛の血縁者ときた。
本当に紫という娘がいたかは定かではないが、黒田の血が入っている以上、能力には期待できそうだな。
――黒田家。赤松家の武将、小寺氏に仕えて出世した一族。
後に織田信長、豊臣秀吉、果ては徳川家康と、天下人に重用されてきた有能家系だ。
特に、黒田官兵衛の軍略と野望は常軌を逸していた。
それの血を色濃く受け継いでいるのだとしたら、この尊大な態度も分からないではないが……。
「何でお前、宇喜田家に招かれてるんだよ。赤松家はどうした」
赤松家は、黒田家一派が仕えていた大名だ。
歴史があり、守護大名としては上位の位置づけだったと思うが。
「あ、ご主人様。赤松家は昨年、足利家に討伐されました」
「……なに?」
足利家が中国地方の入口付近まで勢力を広げているのか。
征夷大将軍が率いている以上、勢いはかなりの物なんだろうけど、あまりにも勢力の図版が大きすぎる。
もしかしたら、近畿一帯を制圧しているのか?
織田家が数十年がかりで成し遂げたことを、1569年の時点で完遂しているとでも?
なるほどな。水仙が天下一の大名だと自信を持つのも無理はない。
「まあ、あの暗君が私の献策を聞いていれば、足利家など返り討ちだったろうにな。
まったく、凡人に神槍は使いこなせぬとは、良く言ったものだ」
「……どこから出てくるんだよその自信は」
その余裕に満ち溢れた態度に呆れていると、背後から声がした。
ガッチャンガッチャンと、鉄が地面に擦れる音がする、
「紫殿ー! いずこへー!」
どうやら、宇喜多家の武将が迎えに来たようだった。
重装備に身を包んだ女性が、大声を上げて紫を探している。
すると、紫は目の前に立つ俺の頭を押さえつけ、その武将に手を降った。
どうやら、俺が死角になって見えなかったらしい。
「ここだ、私はここにいる」
「……まったく、せめて最低護衛の一人をつけて外出なさって下さい。
あなたに何かあれば、ただでさえ薄い陣容が更に脆弱になってしまうのですから」
「ふん、私がこんな僻地で命を落とすか。
……そういえば、この余計な連中が敵兵を片付けていたな。
私を心配する暇があるのなら、こいつらに褒美でもやったらどうだ」
さっきまで罵倒してたのに、いきなり褒美を与えろ発言か。
ツンデレ属性でも秘めているのかと邪推したが、どう考えてもそれはない。
ひたすらにツン殺しをしてきそうなほど毒舌だもんな、この小娘。
すると、女性は兜を脱いでこっちに驚きの眼差しを向けてきた。
いや、こっちというか、風薫に対してなんだけど。
その視線に気づいて、風薫は女武将を見上げる。
「……もしや、竹中風薫殿か?」
「ええ、懸賞金が掛かっている亡国の将ですが、それが何か」
その淡々とした告白に、女性は眼を丸くした。
そういえば、風薫は竹中半兵衛の養子ってことで有名なんだっけか。
その才を恐れて、懸賞金が掛けられるほどに。
「おお、天下に名高い策士が、こんな田舎へ。
感涙で胸がいっぱいになりそうでございます。
よろしければ、我が宇喜多家へ参ってお力添えをして下さいませんか?」
女武将は風薫の手をひしと握り、輝かしい目で口を開いた。
……なんか、もの凄い速さで勧誘されてるな。
毛利家と戦争中で人材が必要なのは分かっているが、どうやら相当切羽詰まっているらしい。
旅人をその場で勧誘するって、どれだけ登用が苦しいんだか。想像するに恐ろしいな。
「嬉しい声掛けですが、ご主人様の許可が必要ですね」
「……ご主人様?」
「こちらの伏見春虎殿です。
私とこちらのアヤメ殿は今、この方に仕えています。
私を使いたければ、どうぞご主人様に交渉なさってください」
……俺に振るのか。
するとその声を受けて、この女武将は俺に方に視線を向けてきた。
睨め回すようにして、俺のスペックを見定めている。
「珍しいですね。男性ですか」
「ああ、そうだ」
「よろしければ、あなた方3人、宇喜田家に力を貸していただけませんか?」
「……って、俺も含まれるのかよ」
「はい。男性を保有する大名というのは、それだけで箔が付きます。是非あなたも」
なるほど。俺を能力で誘ってるんじゃなくて、男性という付加価値で招こうとしてるのか。
まあ、当然のことなんだろうけど、複雑な気分だな。
「ああ、ちょうどどこかの勢力に頼ろうと思ってたところだ。こっちから頼むよ」
「ありがたいです。
黒田殿を救って頂いたようなので、そちらの礼も兼ねて、是非登城して下さい」
「分かった、よろしく頼むよ」
「待った待った! いつ私が助けられたのだ。
あれくらいの雑兵、私一人で片付けられたというのに」
なおも食い下が紫を無視して、女武将は俺たちを先導するように前に出た。
その素っ気ない振る舞いを見て、紫は頬を膨らませている。
つくづくプライドが高いな、こいつは。
身体がちっこいから威圧なんてできてないけど。
「……風薫、これでよかったのか?」
「はい。とりあえず、毛利家に頼るよりは格段にマシです」
「眠いから、早く寝たいんだがにゃー。まだ歩かにゃいといけないのか」
「城下までは後少しです。お手数ですが、ご足労をお願いします」
不満を言い続けるアヤメと紫を置いて、俺達は女武将の後に付いて行く。
しばらくして、彼女たちも追いついてきたが、まだ文句を言い続けていた。
――宇喜多家か。君主が理解ある人物だといいんだがな。
宇喜多家当主の懐が深いことを信じて、俺は城に足を運んでいた。




