第二十二話「中国地方への旅立ち」
「……ちょっと待ってくれ」
俺は先導して歩く少女二人を呼び止めた。
すると、アヤメと風薫、その二人は何の気なしに振り向く。
「どうしました?」
「もうヘバッたのかにゃ。だらしない奴だにゃー」
いや、俺に体力がないのは認めるけど。
流石に山ひとつ超えたくらいじゃグズらないって。
それよりもっと重要な、人間の生命に密接に関わることだ。
「よく考えたら、俺はこの3日間弱、何も食ってないんだが」
腹が尺八のごとく鳴り始めたので、先程再認識してしまった。
気づいてしまえば最後、強烈な空腹感が俺を襲う。
「お前らは大丈夫なのか……?」
「大丈夫です、飢えには慣れてます」
「水が飲めてるんだったら耐えられるにゃ」
ああ、そう?
俺が我慢の利かない現代っ子ってことか。
というより、戦国を生きる乙女と現代に生きるもやしじゃ、比較できないって。
食事の面で言っても、毎日3回の飯を食ってる俺からしたら、ここまでの絶食はもはや死活問題なんだけどな。
「歩くのが遅いにゃー。これだから春虎は人間な上にダメダメなのにゃ」
「悪かったな、ダメダメで。だけどそれを言うなら、風薫だって人間だぞ」
「風薫は黙々と歩いてるにゃ。にゃー、風薫?」
「空腹で行軍ができないのは、言い訳になりませんからね」
「…………」
おかしいな。何でこんなに集中攻撃されるんだ。
風薫までそっち側につきおって、もう少し俺を労ってくれよ。
体育のマラソン大会なんて一回も真面目に参加したことないんだから、体力なんて付くものか。
「そんなに腹が減ってるにゃら、私が一つ恵んでやろうかにゃ」
「何? なにか持ってるのか」
「んー、栄養にはなると思うにゃ」
あるのかよ。それを早く言ってくれよ。
早く村でも城下町でもいいから飯が食える所に到着したいと思ってた苦労は何だったんだ。
「ちょっと分けてくれよ。
もう背と腹が殴り合いを開始しそうなほど腹が減ってるんだ」
「お安い御用にゃ」
すると、ゴソゴソと服から何かを取り出そうとする。
服に収納できるということは、木の実か魚の干物か、その辺りか。
毒草だけではないと信じたい。
某未来型タヌキロボットのテンションで取り出してくると思いきや、そのブツをすんなり持ちだしてきた。つまらん奴め。
「口を開けるにゃ」
「いや、良いよ自分で食う」
「ならあげないにゃ」
「何だよメンド臭いな。……んぁ。これでいいか?」
何故わざわざ俺に口を開けさせたのか、その理由に気づけなかった。
こいつは分かっていたんだ。その食い物を、俺が拒むことを。
「ほい」
「……んぐっ」
その食い物がの正体がなんなのか見せることなく、アヤメは俺の口にそれをねじ込んだ。
口の中に広がるのは、仄かな酸味。
そして、溢れでてくる何かの汁。
この瞬間、柑橘系の木の実でも放り込まれたのかな、そう思った。
だが、その汁は、あまりにも生臭い。
生物特有の肉の感触が、口内に広がった。
例えるなら、そう。
まるで洗いもせず生で食した鶏肉のような、そんな風味。
――当然吐いた。光の早さで吐いた。
味を感じた刹那、俺の前運動器官はその異物を吐き出そうと一致団結した。
「……うっ、うぅぎ。……お前、何食わせた?」
涎を拭いながら、アヤメに詰め寄る。
明らかに現代では食ったことがない物が、俺の味覚を蹂躙したわけだが。
「蛇を絞めたやつの残りにゃ。おいしいかにゃ?」
「ああ、天国が見えた気がしたよ。そしてもう二度といらん」
こいつに食料を求めたのが間違いだった。
だが、こいつは十年以上森で暮らしてきたんだから、食える物も限られてくるはず。
こいつからしたら、蛇は主食なのかもしれない。
食文化の否定はしちゃいけないな。現代でも、沖縄や内陸の方じゃ食ってる所もあるみたいだし。
「なら風薫、お前食うかにゃ?」
「はい、全力でお断りします」
手をゆるやかに振って、風薫は遠慮の意思を示した。
ほら見ろ、やっぱり不味いんだって。風薫に毅然とした態度で断られてるじゃないか。
せめて肉に塩でも振るか酢に漬け込むかして臭みを取れよ。
「ワガママだにゃあ。なら、これを食うにゃ」
そう言ってアヤメが取り出したのは、俺でも知っている野性の食料。
20粒ほどのヤマブドウだった。
これなら、腹が膨れるまでは行かなくても、空腹の足しにはなるかもしれない。
「ああ、さんきゅ」
投げられたのを受け取り、10粒を風薫に手渡す。
すると、呆気にとられたような顔で俺を見てきた。
「……ほぇ?」
「いや、ほぇじゃねえよ。お前だって腹は減るだろ。食えよ」
「私はいいですよ。ご主人様が食べて下さい」
「いーや、だめだ。用心棒が動けなくなったら俺が困る。
俺を守るためと思って、これを食うんだ」
俺は一歩も引かず、風薫にこれを食うよう迫った。
首を横に振り続けてはいたが、ついに手を伸ばして果実握りとった。
その数実に7粒。
……こんなところで遠慮してどうするんだか。まあいいけど。
それならばと、俺は余ったヤマブドウをアヤメに返却しようと振り向いた。
こいつが採ったものなんだから、こいつが食う権利はあるよな。
久しぶりに機嫌がいいので、善者振った行動に出ようと思ったのだが、アヤメはその気遣いを見事に粉砕してくれた。
振り向いた時、既にアヤメはヤマブドウを口に運んでいた。
もしゃもしゃと、美味そうに目尻を下げながら味わっている。
しかも、その手に握られたヤマブドウの数は、優に200を超えている。
「にゃんだ? これ以上はやらないからにゃ。悔しかったら自分で採るにゃ」
俺の視線に気づいたのか、アヤメは果実を隠すように手を後ろに回した。
……この野郎。
珍しく俺に人の心が芽生えていたというのに、それを突っぱねるとは。
てか、そんだけあるならもっとくれとけよという話だ。
「……猫に小判って知ってるか?」
「くれるのかにゃ。ならそれを換金して豪遊するにゃ」
ことわざの意味も当てはまらなかった。
こいつ、小判を使いこなせる猛者だったか。
仕方がないので、俺は手元にあるヤマブドウを口に運んだ。
下の上で転がし、歯で果肉を圧迫する。
すると、瑞々しい皮が破け、中に充填された甘酸っぱい果汁が味覚を刺激した。
うむ、なかなか美味いな。
ちょっと酸味が強くて苦いけど。現代じゃ経験できないな、この味は。
「さて、食い終わったんなら行こうぜ。
さっさとこの鬱屈とした山を抜けて宿場で寝たい」
「お前が遅いから出来なかったんだけどにゃ」
「まったくもってその通りです」
「……うぐっ」
相変わらず手厳しいな、おい。
休めていた足を再稼働させ、下山の足取りを早める。
この山を超えて、少し行けば、中国地方だ。
そこに覇を唱えている大名は、何となく想像できる。
というより、中国地方の覇者と言ったら、あの勢力しかないよな。
もっとも、疫病で勢力図がどうなってるのかは想像が難しいのだけども。
あとともうもう一つ、俺の故郷である岡山に居城を構えている大名に、少し心辺りがあった。
中国地方の雄に対して、寡兵で奮戦を続けたあの勢力。
このまま中国地方に行けば、何らかの形で接触するかもしれない。
正直な所、そこの血族は頭が切れる奴ばっかりだろうから、あんまり出会いたくないんだけどさ。
出雲まで行けば、俺の旅は飛躍的に終焉に近付く。
だが、このまますんなりと出雲へ着くような気はしなかった。
直感というやつか、嫌な予感というやつか。
とりあえず、ここで気にしていても仕方ないので、ひたすらに先導する二人の後を追っていた。
人里が見えてくるのと同時に、天高くに登っていた月が、太陽と交代しようとしていることに気づく。
やれやれ、これでこの世界に来て何日目だろうか。
甘屋も心配するかもしれないし、さっさと帰ろう。
それが例え、叶わぬ夢だとしてもさ――




