第二十話「果心の呪縛と俺達の光明」
話し終わると、アヤメは決まりが悪そうにうつむいた。
その表情は、寂寞と無念で溢れている。
「――以来、私はずっと一人だったにゃ」
唇を噛みながら、アヤメは苦々しく呟く。
果心居士の葛藤と、少女の運命が密接に絡まった結果。
それが、今の彼女の境遇なのだろう。
「そうか、それは……」
大変だったな。
そう言いそうになったが、言葉ひとつで片付けられても腹立たしいだけだろう。
そこは個人の問題であり、俺が言及するところじゃない。
俺が言いよどむのを見て、アヤメは身の上話を続けた。
「親父が消えて、一〇年が経って、山賊が山に侵入してくるようににゃった。
もちろん、私はそいつらを追い払ったにゃ」
「追い払う……? 殺したんじゃなくてか」
「違うにゃ、人を殺しても楽しくにゃい。
だけど、あの結界を知ってからは、この山に来る人間を殺してきたにゃ。
とはいっても、ほとんどが人殺しや山賊ばかりだったんだけどにゃ」
人を殺しても、楽しくない。
やはり、あの飄々とした態度は、虚栄だったみたいだな。
俺が一つ納得していると、風薫が口を開いた。
「……なるほど」
「ん、何がなるほどなんだ?」
「いえ、彼女がなぜ人間を殺そうとするのか、やっと分かりました」
「……どういう意味だ?」
持って回ったような言い方なので、俺は思わず聞き返す。
すると、風薫は幻術について知っていることを述べ始めた。
「すべての幻術がそうではないんですけども。
代償が必要なほどに強力な幻術は、解く時も条件が厳しいんです。
その幻術を解こうと思えば、幻術をかけた時に払った代償をもう一度払う必要があるんです」
……ふむ。
幻術ってのは、ずいぶんシビアみたいだな。
術者をも惑わせる禁術、それが幻術なのかもしれない。
だとすると、気になることが出てくるのだが。
「なあアヤメ、お前の親父が結界を張った時、何を代償として支払ったんだ?」
「…………」
「答えにくいか? なら――」
「……にゃ」
アヤメはボソリと、何かをつぶやく。
だが、泣きそうなほどにまで押し殺した声だったため、聞き取れなかった。
「え、何だって?」
「――人肉、百人分にゃ」
「……なっ!?」
少女の言葉から出た言葉。『人肉』
人肉――それはつまり、人間の肉だ。誰でも分かる。
だけど、そんな物を代償にしていたのか?
それを供物にして幻術に使用していたのだとしたら、果心居士は百人を殺したことになる。
「やっぱりですね。この山に張られた結界を解くには、
相当な代償が必要がいると踏んでいましたが、人肉百人分ですか。
でも、それを解かない限りこの山から出られず、解こうと思えば人間を大量虐殺する必要がある。
どっちにしても、過酷を強いる結界ですね」
「……酷いな」
果心居士――これはおそらく、娘を守りたかったがゆえの行動なんだろう。
だが、あまりに残酷だ。
好奇心の塊である人間と、自由を好む猫の特徴を備え付けておいて、一生この森に縛るなんて。
生殺しと言うにも温い、残虐な仕打ちだ。
俺はふとアヤメの方を振り向く。
すると、自分のこれまでを語り終わったアヤメは、涙を流していた。
大粒の涙が、頬を伝ってこぼれ落ちている。
「私は、人間じゃないかもしれにゃい。
猫でもないかもしれにゃい。
だけど、それでも、私は人間の世界で生きたかったのにゃ。
でも、結界のせいでこの森からは……」
「――なあ風薫」
アヤメが嘆くのを、これ以上聞いていられない。
こんな話を聞かされて、放って置けるか。
見捨てられたことがあるだけに、俺は人を見捨てることなんて出来ない。
少なくとも、俺が何かをしてやれる範疇に、そいつがいるのなら。
「なんでしょう、ご主人様」
「幻術を解くのって、『原則』代償を支払わないといけないんだろ」
「……確かにそうですが」
「『原則』があるんなら、『例外』もあるってことだろ。
この森の結界が幻術で出来ている以上、幻術を解除すれば結界も解けるはず。
方法に心あたりがあるんなら、教えてくれ」
風薫は、さっき幻術の解き方について触れた時、『原則』と言った。
それに従うのなら、この結界を解くのに人肉が必要だ。
だが、『例外』が――それ以外に手があるのなら、話は違ってくる。
「……それは」
「俺にも言えないのか?」
「いえ。ですが、この少女をこの森から出す気ですか?」
俺の瞳を見据えて、風薫は真剣に訊いてくる。
こんな大量殺人を犯してきた半獣を、解き放つ気かと訊いているのだろう。
だが、俺の意思は変わらない。
「俺に同行させて目を光らせてればいいだろ。
こいつをこのままにして出発なんてこと、俺にはできない。それに――」
俺は一旦言いかけてやめようとした。
でも、アヤメの顔を一瞥して、やっぱり続けることにした。
「可愛い女の子を連れて旅ができるんなら、俺は嬉しいよ」
俺は恥ずかしさをこらえて本音を言う。
すると、風薫が悔しそうに微笑んだ。
「……なんか。予想と違いましたね」
「ん、何が?」
「いえ、ご主人様はもう少し冷徹な方だと思っていました。
でも、私の認識が甘かったみたいです」
「冷徹、ね。それになりきれないから、俺は困ってるんだよ」
諦めることができるのなら、どれだけ楽かことか。
見捨てることができるのなら、どれだけ重荷が少ないか。
だけど、俺はそのいずれもする気にはなれないのだ。
中途半端な自分が、嫌になる。
「……分かりました。
ご主人様がそこまで言うのなら、お話しします」
「頼む。アヤメもよく聞いといてくれ」
「……にゃん」
俺達は風薫に期待の眼差しを向ける。
言葉を待っていると、彼女は一つ咳払いしてから言った。
「代償を払わなくても幻術を解く方法は、確かにあります。
ですが、それは難易度が非常に高く、鬼門とも言えます」
「つまり?」
「幻術は心を惑わす術です。
心の強さ、つまり精神力で打ち勝てば、幻術は力を失って消滅します。
かいつまんで言うと、例外とは『正攻法で幻術を破る』ことです」
正攻法で、幻術を破る。
心に訴えかける妙術である以上、強靭な精神の波動を受ければ、幻術は消え失せる。
つまり、先ほど風薫がアヤメの幻術を破った方法か。
確かに、そうすれば幻術も木っ端微塵になることだろう。
「それは、難しいにゃ」
「アヤメ?」
風薫が方策を話した途端、アヤメが難色を示した。
唇を噛みしめて、その方法の難易度を語る。
「私だって、幻術くらい使えるにゃ。
だからこそ、解除方法くらいも知ってる。
心を強く保ってその方法を何度も試してみた。
だけど、この結界はびくともしにゃかったにゃ」
この結界は、この森、そして山全体にかかっている。
なるほど――広範囲に及んでいるだけあって、そう簡単に壊せないということか。
だけど、それは今までのお前の話だ。
「大丈夫だ。ここにはお前の味方が2人もいるんだから。
一人ではどうにもならない難事も、3人集まれば何とかの何とかって言うだろ」
「それを言うなら文殊の知恵です」
あ、この時代からそのことわざあったのね。
というか今のは、ボケじゃなくて単なるど忘れだったのだけれど。
「まあ、あれだ。なにが言いたいかっていうとな、アヤメ」
「にゃ?」
俺はここで、安っぽい言葉にならないように気を払いながら、真摯に言った。
「お前はもう、一人じゃないんだ」
「…………」
「頼りたかったら、頼ればいいんだ。
出来ないことがあったら、すぐに泣きつけ。旅は道連れ。
俺がこの世界にいる限り、お前のことを助けてやるから」
最後に俺は、「な?」と同意を求めて微笑んだ。
今の言葉は、俺の本心だけあって、さすがに毒は混じっていなかったはずだ。
俺がおそるおそるアヤメの顔を確認すると、彼女は泣き腫らした顔で、笑っていた。
「……がとにゃ」
「聞こえないって」
俺は困ったようにしてアヤメを慰める。
すると、顔をゴシゴシと洗い、アヤメはもう一度大きな声で言った。
「ありがとにゃ」
「いいよ、可愛いから許す。……だけど、とりあえずは結界だ。
あれをまずどうにかするぞ。風薫、手順説明を頼む」
「はい。では、こちらに来て下さい」
解き方に心当たりがある風薫は、森の中を歩いて行った。
風薫が向かっているのは、大きな木だ。
――とてつもなく大きい。
明らかに、人によって何らかの手が加えられている。
あれが、幻術を解くキーポイントなのか。
俺は策士でも幻術士でもないので、良く分からない。
だけど、風薫を信じて、俺とアヤメはついて行くことにした。




