アプローチは突然に
本日の勤務も無事終わり、私は一人駅前のレストランへと向かう。土曜の出勤日は、彼氏といつもそこで待ち合わせているのだ。私の会社は月に3回ほど、土曜日は午前のみ出勤の日がある。携帯に何も連絡が入っていない時は、自然とここで待ち合わせるようになっていた。このレストランには外テラスがあり、そこの一番奥の席が私たちの定位置になっている。大きな木々に囲まれた木陰の中だから、風がとても気持ちいいのだ。ただ空調が整っていて、清潔感のある店内の方が人気なので、外はガラガラに席が空いている。私はやって来た店員からメニューを受け取ると、開いて今日のお昼を吟味する。今日は何を食べようか。
すると、ぶるぶると携帯が震え、同期の友達から電話が掛かってきた。
「やほー。お昼一緒に食べない? ってごめん、今日は彼氏とか」
私が土曜のお昼は彼と一緒に取っていることは、同期の女子のほとんどが知っている。彼女は自分で突っ込むと電話の向こうでがくりと項垂れたようだった。
「あーあ、あたしも彼氏ほしーなー」
「いつも、何人かで食べてたじゃん。皆は?」
私がそう尋ねると、彼女はますます意気消沈した。
「それがさー、問題があったらしくて終わらなかったとか、男と食べる、とかであたし一人なのよぅ。独り飯とかチョー寂しいんですけど」
彼女は電話の向こうで、「ないわー」と呟いた。それに苦笑すると、私は再びメニューに目を通した。よし、日替わりランチにしよう。今日は野菜たっぷりコロッケにスープとデザートが付くらしい。
「そういえばあんたって自炊できるの? 平日はいつも社内食堂だし、土曜は外で食べてるんでしょ?」
「や、だって時間ないし」
自慢じゃないが、私は学生時代から手作り弁当なるものを持ってきたことは、この6年間一度も無い。料理はできなくも無いが、弁当作る時間があるなら、私はヒバリくんとダイスケを愛でる時間に充てる。まぁ、休みの日くらいは彼氏に振舞ったりはするが、平日の朝は2匹とコミュニケーションを取れる貴重な時間帯なのだ。
「ふうん。朝が弱いタイプには見えないのにねー」
友人はそう言うと、「じゃ、あたしもお昼食べて来るわ。独りで!」と通話を切ってしまった。寂しい寂しいと言ってはいるが、あの子は一人でも平気で牛丼屋に入れる女なのは重々承知だ。きっと一人でも牛丼なりラーメンなり涼しい顔で食べるのだろう。私は店員にアイスコーヒーだけ注文して、彼氏が来るのを待った。
休日なだけあって、店内は若いカップルや友達同士が目立つ。ガラスの向こう側の、可愛らしく着飾った女の子たちを見ながら思った。さっきの話ではないが、私の女子力はかなりヤバイ。別におしゃれは好きだし、メイクだって人並みにはする。ただ、それが私にとって一番ではないので、学生時代から毎朝時間をかけて髪を巻いたり、丁寧に爪を磨いてツヤツヤにしたりという事はしてこなかった。
「ごめん、ちょっと遅れた」
ふとテーブルに影がかかって見上げると、私の彼氏のお出ましだ。背も高く、顔だって悪くない。今時のチャラチャラしたところが一切無い、清潔感溢れる好青年だ。白いシャツをカジュアルに着こなしてしまう彼は、私の自慢の彼氏である。本当、容姿も頭も平々凡々な私と何故付き合っているのか。彼女の私が言うのもなんだが、不思議でしょうがない。
「いいよ、私も大して待ってないし」
お互い社会人にもなれば、時間が合わないことなどしょっちゅうだ。いつもは私が待たせる方なので、別にこれ位の遅刻など気にならない。彼が向かいに座ると、メニューを渡して店員を呼ぶ。彼はこの店おすすめのチキンカツを頼んだ。ボリューム満点なので、男性に大人気である。
ランチの時はいつも午前中の話とか、この後何をするだとか、とりとめの無い話をしている。途中、おいしそうだったので彼のカツを一切れ貰うと、彼は私のコロッケを丸々1個持っていった。2個しかついてないのに。くそう。
「そうだ、今公開してる映画で見たいのあるんだけど、この後行かない?」
そろそろコロッケも無くなるだろうか、というところで私が誘うと、彼が少し緊張した面持ちで私を見た。
「映画もいいけど、その前にちょっと公園で話をしないか?」
「え……? いいけど、ここじゃ駄目なの?」
彼は「ああ」と頷いた。改めてする話とはなんだろう。まさか、ここにきて別れ話というやつだろうか。ありえる。私は世間一般で言う『いい彼女』では無かった。どうしよう、と不安になる私を置いて、
「じゃあ、それ食べ終わったら行くよ」
と、彼はなんでもないようにカツレツを食べ終えた。その後、私は残りのコロッケをどう食べきったのか、まったく覚えていない。
遊歩道が完備された駅前の公園は、自然も豊かで一日のんびり過ごしたい人には最適の場所だ。私たちも良く昼食の後にふらっと寄って、ずっとおしゃべりしたり、ごろごろしたりと利用していた。カフェやレストランと違って周りにいる人を気にすることも無い、外に居ながら二人っきりを感じられる場所だ。そこで話そう、だなんて本当に何の話をするつもりだろうか。
公園に入るとまず、グニャグニャとした抽象的な黒いオブジェが目に入る。この公園には、あちこちにいくつものオブジェが置かれているのだ。どれも著名な作家が造ったものらしいが、抽象過ぎて私には何がすごいのかさっぱり分からない。ただ目印にはなるので、入り口から一番近いこのオブジェは待ち合わせの場所としていつも賑わっていた。
私たちは自然といつもの散歩コースを歩いていく。大きな花壇には、紫、黄色、白など色とりどりのパンジーが咲いていた。その花壇の前を通り過ぎて、彼は開いているベンチに腰を下ろした。私も彼の隣に座る。
「その、さ」
彼が口を開いた。一体何が飛び出すのか。私は緊張で強張る表情のまま彼を見つめた。気分はまな板の上の鯉である。もう、別れ話でもなんでもどんと来い。いや、その時は泣くけど。きっと。
「あ……その、そろそろ一緒に暮らさないか?」
さあ、何が出るか、と息を詰めた私は耳を疑った。低い彼の声が耳のずっと奥の方で何度も反芻する。一緒に暮らさないか、だと?
「え? それって……」
「だから、同棲しよう」
彼は私の両手をすっと握って、真っ直ぐ私の目を見つめた。彼の黒い瞳に、呆けた表情の私が映っている。
「本当は卒業したらすぐそうしようって思ってたんだ。ただ、お互い去年は新しい生活でバタバタしてただろ?
生活費とか、色々決めなきゃならないことはたくさんあると思う。でも、やっぱり先のことを考えて、そうした方が良いんじゃないかと思うんだ。もちろん、ご両親にも挨拶に行く。……だから、良く考えておいてくれ」
彼の真摯な視線が私の目を射る。「……はい」と、か細く頷くと、彼は私の手を引いたままゆっくり立ち上がって、
「映画は今度にしようか。大事なことだから家でよく考えて、君の考えを聞かせてほしい」
と、そのまま家まで送ってくれた。私は彼に手を引かれるまま自宅に帰り着き、彼を見送ると、しばらく夢のようなぼんやりとした時間を送っていた。