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桜の刻   作者: Shellie May
9/19

第4章(1)

梅雨明け間近と思われる、ある日の午後。

明け方に降った雨が上がると、久々の太陽が照りつけ、暑さと湿度で俺の機嫌は滅法悪い。

庭では、竹刀の音が響く。



小太刀の稽古から帰った日以来、彼女は時間があると藤田と練習をする事が増えた。

あの日も、藤田と一緒に帰って来て、それから何となく藤田が彼女を気遣っているのが分かる。

そして、彼女も…。

以前の屋敷勤めの時の様な硬さが少し取れ、年相応の明るさも出て来た。

いい事じゃねえか…。

なのに、何を苛つく事がある?

この、蒸し暑さのせいだ…くそったれめっ!



「あー、あっちい!この暑い中、桜の奴元気だわ。俺と藤田、二人を相手するんだぜ。」

暑苦しい奴が、事務所に戻って来た。

「どこで剣なんか振るうつもりなんだか…、返って危なくて連れて歩けねぇよ。」

「実際に振るうつもりは、ないんだろうょ。本人も、精神修行って言ってるしな。」

「精神修行ねぇ…。」

「トシ、いやに批判的じゃねえか?」

「そんな事は、ねぇよ…。」

「俺も、立ち会ってみて驚いたぜ。なかなかなもんだ。お前も、一度試してみればいい。」

「お前の喧嘩剣法なんて、練習には成らんだろう。…まぁ、その内な。」

その時、ベルの音と共に表のドアが開いて、汗だくの男が入って来た。

「暑いなぁ、今日は!よぅ、お二人さん!」

「橘警部、久し振りじゃないですか。」

この人は、警視庁の橘警部。

俺達の仕事を助けたり、助けられたり、良い関係を続けている。

「今日は、どうしたんです?」

「実は、助けて欲しい事があってね。」

「それは、正式な捜査協力依頼ですか?」

「…そうだ。」

「わかりました。おい真吾、藤田を呼んで来てくれ。」

「申し訳無いが、あのお嬢さんにも頼みたいのだが…。」

「…女手が必要な仕事って事か。」

「そうだ。」

「わかった。少し時間をやってくれるか?今、外で稽古中なんだ。用意をさせて来る。」

話しを聞いた真吾が、二人を呼びに行く。

「お嬢さん、桜さんと言ったか、すっかり此処に馴染んだ様じゃないか。」

「お陰さんでな。」

「藤田君と稽古って、何か…。」

「ああ…、小太刀を習っていたそうなんだ…。」

嫌な予感がした。

「ほぅ、武道の嗜みがあるのか。そりゃあ、いい。」

「橘さん、彼女には…。」

そう言おうとしたのと、橘警部の言葉が重なる。

「今回は、彼女の協力が不可欠なんだよ。色々、複雑でな…。」



しばらくして全員が揃った所で、橘警部は話を始めた。

「西園寺君、元駐清国特命全権公使だった大鳥男爵とは面識があるかね?」

「一応は。以前元老院議官も務めていた人だろ?」

「彼の御子息とは?」

「いや、無い。というか…。」

「2人おられたのだがな、亡くなられた。」

「…。」

「2人共に、それぞれ1人ずつ子供がおってな。長男の御子息が、稔君5歳。次男の御子息が瑠嘉君12歳。この子供達が、何者かに毒を盛られた。」

「!」

「まぁ、大事には至らなかったのだが、屋敷内での事だし、相手は男爵家だ。大っぴらに捜査も出来ん。というか、捜査自体許して貰えん。」

「成る程、さりとて繰り返されるかもしれない犯罪を、放ってもおけない、と…。」

「今回は、関門が多くてな…。」

「?」

「まず、男爵から攻略せんと、家の者に接触も出来ん。然も、屋敷内という、閉鎖空間での事件だ。」

「潜入捜査という事か。」

「どうだろうか?」

そう言って、橘警部は彼女を見た。

成る程、以前屋敷奉公していた彼女には、打って付けだ。

しかし…。

「君の名前を出したのは、男爵の方からなんだ。」

「何故だ?」

「…次男の御子息の瑠嘉君は、西洋人との間に出来た子供らしい。」

「…そういう事か。」

俺は、事務所の面々を見る。

皆が、一応に頷く。

「わかった。この依頼、受けさせて貰おう。」



俺の父親は、若い頃海外に留学していた。

そこで出会ったフランス女性と恋仲になり、俺が生まれた。

母親は、出産後すぐに亡くなったそうだ。

俺の家も爵位を持ったそこそこの家柄だが、流石に外国人との間に出来た子供を正式な跡取りとする事は出来ず、俺は今自由な生活をしている。

親子関係も、妹達との関係も、決して悪いものでは無いのは、一重に親父の仁徳だろうと感謝している。

だがこんな俺でも、若い頃はその境遇に悩み、色々と葛藤したものだ。

その武勇伝も、誠しやかに伝わっている。 孫の事を思いやって、男爵は俺を名指しして来たんだろう。



俺達は、全員揃って小田原に向かっている。

男爵は今、本宅を出て、別荘に居るらしい。


別荘で男爵に面会を求めると、俺達は応接室に通された。

先年、大きな津波で全壊し、新築された別荘は、モダンな和洋折衷建築だ。

程なくして入って来た気難しそうな男爵に、我々は挨拶をする。

髭の立派な老人は、俺達を見て…正確には彼女を見て、明らかに狼狽した。

「きっ、君は…。」

少しはにかんだ様に笑う彼女は、

「…ご無沙汰致しております。御前。」

と言った。

知り合いか?と思った瞬間、男爵は彼女を抱き締めた。

呆気に取られる俺達に向かい、

「君達、少し失礼するよ。」

そう言うと、彼女の腕を取り、退出してしまった。

「あ…何だ、ありゃ?」

「知り合いの様ですね。」

それから、小一時間は待たされただろうか?

「流石に、遅過ぎるんじゃねえか、トシ?妙な事になってるんじゃ…。」

「まさか、その様な事も無いかと…。」

「でも、いきなりの抱擁だぜ!ありゃあ、生き別れの娘か恋人にでも会ったって感じだったしよ。」

俺は、心の中の不安を打ち消しながら、苛々していた。

「お待たせしたね。」

と部屋に入ってきた男爵に向かい、

「大鳥男爵、申し訳無いが、この依頼は受けかねる。失礼。」

そう言うと、

「来いっ!」

と彼女の手首を荒々しく掴んだ。

「待って下さい、所長!藤田さん、お願い…。」

そう叫ぶ彼女を、引き摺る様に退室した。



そのままずんずん駐車場まで来た所で、彼女は手を振り払う。

「どうされたんですか、所長!」

「どうしたも、こうしたも、ねぇ!」

「落ち着いて下さい。依頼は、どうなさるんです!」

俺は振り返ると、彼女の両手首を掴み、彼女の背中を車のドアに力一杯押し付けた。

「…っ!しょ、所長?!」

「俺にはっ!依頼よりも大事な事がある!」

「…所長?」

そのまま、噛み付く様に彼女を睨み付けた。

「…何をしていた!」

「何って…お話ししていただけです。」

再び、力任せに彼女を押し付けて問う。

「本当だろうな!」

「古い、知り合いなんです。何年も連絡を取っていなかったので、それで…」

小さな声で、彼女は言った。

俺の口から、深い溜め息が出る。

力が抜け、支え切れずに、彼女にもたれる形になり、慌てて彼女が抱き止め、支えてくれる。

「…勘弁してくれ。寿命が縮まった…。」

「…私を…私の身を案じて下さったのですね?」

「…うるせぇ…所長の務めだ。」

「嬉しいです。」

彼女の顔が、赤らむ。

「まずいな、依頼断っちまった。」

「きっと大丈夫です。藤田さんが、何とかしてくれていると思います。」

俺は、彼女の頭をくしゃくしゃと撫でると、

「戻るぞ。」

と、再び別荘に入った。



「いやぁ、西園寺君済まなかったねぇ。」

俺達が応接室に入ると、男爵はわざわざ立ち上がって謝罪の言葉を述べてくれた。

「いえ。私の方こそ、失礼な態度を取ってしまい、申し訳ありませんでした。」

「いやいや、それも彼女を慮っての事だろう?」

再び全員が席に着くと、藤田が報告する。

「所長、大鳥邸潜入内偵の許可を頂きました。市村と私は使用人として。所長には、客人として大鳥邸に入って頂きます。真吾には、外との連絡、調査に当たらせます。」

「わかった。」

「それでは、西園寺君。宜しく頼むよ。」

そう言って立ち上がった男爵は、右手を差し出した。

「わかりました。宜しくお願い致します。」

そう言って立ち上がって男爵の手を握った途端、俺の視界は暗転した。

「トシ!」

「西園寺君!」

皆の呼ぶ声が聞こえる。

「西園寺さん!!」

彼女が、泣きながら叫ぶ声が…。

泣くなよ、俺は大丈…夫…。




「こんな馬鹿騒ぎ、やってられるか!今は、こんな事してる場合じゃねえだろうがっ!」

「気持ちは分かるけど、もう少し上や周りも立ててくれないかな?」

雪道をズカズカ軍靴で踏みしめ、宿舎に帰ると荒々しくドアを開ける。

「お帰りなさい。」

そう言う彼女に一瞥して、俺は続いて入ってきた大鳥さんに言った。

「俺は、もう絶対に出ねぇからな!」

「何かあったんですか?」

「ああ、今日の祝賀会がお気に召さないんだよ、彼は。」

「ふんっ!俺は、其れよりも今遣らなきゃいけねぇ事が…。」

大鳥さんは手を広げて首を振り、彼女はクックッと笑いを噛み殺している。

「君が酒を飲めないのは、知っているけれどね。」

「大鳥さん、俺は飲めないんじゃない。飲まないんだ!」

「全く君は…。まぁいい。その代わり、全ての戦いが終わったら、その時は僕と杯を酌み交わす約束をしてくれるかい?君とは一度、ゆっくりと飲みたいからね。」

「あぁ、いいぜ。その時には、浴びる程飲んでやるよ…。」




月の明かりが眩しくて、目が覚めた。

何処だ、此処は…?

起き上がろとした時、ベッドの横に俺の手を握ったままうたた寝をしている彼女が居る事に気が付いた。





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