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桜の刻   作者: Shellie May
7/19

第3章(2)


********************


事務所の薬箱を開けながら、俺は頭の中を素早く回転させていた。

市村が事務所に入って来て、俺の向かいに座る。

「手を出せ。」

おずおずと出す手を取る。

脈が早く、掌にはジットリと汗をかいている。

傷を消毒しながら、目線を上げずに話す。

「…市村、今度少し時間を作って貰えるか?」

「私も、藤田さんにお願いがあります。」

「何だ?」

「お父様に、ご連絡を取って頂けませんか?」

「?!」

「市村が、是非稽古をつけて頂きたいと。」

「先程の話、我が父の事だったのか?」

「はい。」

「それでは、その折に、俺の質問にも答えて貰いたい。」

「何でしょう?」

「…魔女について。」

「……わかりました。」



数日後、俺は出掛ける用事がてら、彼女を小太刀の稽古に送ると所長に話し、車で実家に向かう。


「ただいま戻りました。」

「お帰りなさい、剛さん。市村さん、いらっしゃい。」

母が、俺達を迎える。

「ご無沙汰致しております、時尾様。」

「さあ、どうぞ…。先にお着替えになる?あの人は、道場で待っているから。」

「はい。」

そう言うと、別室に彼女を通した。

「母上も、彼女をよくご存知なのですか?」

「以前、2度程お見えになった事が有るのですよ。」

「彼女は、一体…。」

母は、眉根をよせて静かに言った。

「それは、ご本人と父上にお聞きなさい。」



「失礼します。」

袴に着替えた彼女は、髪を高く結びつけ、凛とした佇まいになった。

俺は、彼女を道場に連れて行く。

「失礼します。父上、市村桜さんをお連れしました。」

道場上座に座った父の向かいに、市村は進み出て手を付いた。

「ご無沙汰致しております。斉藤さん。」

「…その名前で呼ばれるのは、久し振りだ。変わり無い様だな、市村。」

その遣り取りを聞いて、予想はしていたものの大きな衝撃が走る。

俺の父は、以前警官隊に居たが、それ以前幕末には新撰組隊士として名を馳せていた。

三番隊組長といえば、居合いの達人、維新の志士を大勢手に掛けたが、鳥羽伏見の戦いで会津に組みし、官軍に敗れた後は会津藩お預かりとなった身だ。

斉藤一という名前は、新撰組に居た時に父が使っていた名前。

その名前を、市村は言った。

今から50年近く前の筈。


「今日は、お預かり頂いていた小太刀を、お返し頂きたく参りました。」

「稽古も所望だったな。」

「はい、お願い致します。」

父は、用意していた小太刀を市村の前に置く。

市村は、それを腰に差し、スラリと抜くと父と対峙した。

掛け声と共に、市村は父に向かう。

キンッという金属音が何度か交わされ、父が市村を力で跳ね飛ばした。

息と体制を整える市村に対し、父は刀を鞘に収め、低い体勢を取る。

あの構えは!

間合いを見ていた市村は、再び掛け声と共に突っ込む。

銀色の光が弧を描き、ギンッ!という音と共に市村の小太刀が吹っ飛び、彼女の喉元に刃が掛かる。

新撰組三番隊組長、斉藤一の抜刀術。

未だ衰えを知らぬその技に、俺の背中は汗で濡れる。

まるで、自分が対峙している様だ。

父は刀を収め、市村も飛ばされた刀を収めて座る。

「ありがとうございました。」

「いい立ち会いだった。」

「斉藤さん、私の腕は…。」

「心配するな。相変わらず、曇りの無い剣だ。」

「良かった。しばらく手にしていなかったので、不安だったんです。」

そう言うと、汗を拭い彼女は笑う。

いつも事務所で見せるのとは違う、少女の様なその笑顔に、俺は見取れていた。

「その小太刀を手に取ると言う事は、現れたという事か?」

「はい。実際に小太刀を使う事にはならないと思いますが、この小太刀も又、私の心の支えですから。」

「そうか…。市村、剛と同じ所に居るのだと聞いたが。」

「はい。藤田さんには、お世話になっております。」

父は、俺の方に視線を移すと、

「剛、立ち会いなさい。市村、見取り稽古をするといい。まだ、腕が痺れるだろう。」

「ありがとうございます。」

それからしばらく、俺は久々に父と立ち会った。

幼い頃から稽古を付けて貰っていたとはいえ、この人の剣には到底及ぶものではない。

父の剣は、竹刀よりも真剣、実戦で力を発揮する。

それを、いきなり真剣で立ち会いだと?

有り得ない…。

「今日は、お前の方が心に乱れがある様だな。」

「申し訳ありません…。」

父は、小太刀用の竹刀を持って来ると、市村の前に置いた。

「普段の稽古は、剛に付けてもらうといい。真剣と言う訳にも、いかないだろうからな。これを持って行け。」

「ありがとうございます。」



稽古が終わり、彼女が着替えている間、俺は父に問いただした。

「父上、彼女は一体…。」

父は、腕を組み静かに目を閉じて言った。

「…お前も、先程の会話を聞いて、薄々は理解出来たのではないのか?」

「しかし、いくら何でも…。」

「彼女に…話を聞くのか?」

「市村は、答えてくれると言いました。」

「…そうか…。」

深いため息を吐くと、居住まいを正し、父は言った。

「話を聞くのは構わん。ただ、他言無用だ。お前の仲間にもだ。彼女は、紛れもなく誠の旗を掲げた、新撰組の隊士だ。その秘密を他言するとなれば、私が容赦はしない。」

そして、いきなり抜刀すると、切っ先を俺の喉元に当てたまま言った。

「彼女には、果たす事がある。その思いだけで、今迄生きてきた。」

本当に、斬り殺される様な威嚇に、俺のこめかみから汗が流れ落ちる。

「…。」

やがて刀を収めると、

「剛、市村を守ってやれ。絶対に死なせるな。」

と言った。


後ろで扉を開ける音がする。

「剛さん、市村さんがお待ちですよ。」

と、母が声を掛ける。

父に一礼すると、母と共に道場を出た。

「…殺されかねない威嚇でしたわね。」

「見ておられたのですか?」

「市村さんの事になると、未だに血が湧くのでしょうね。」

「どういう事です?」

「父上の、昔の想い人ですょ。多分、間違いありません。」

そう言うと、母はコロコロと笑った。

「では、昔の恋人…?」

「いいえ、父上の片思いでしょう。市村さんは、気付いてらっしゃらないから、剛さんもそのつもりでね…。」

「…。」

今日は、とんでも無い事を、山の様に知ってしまう日になるらしい。



座敷には、市村が静か座り、俺を待っていた。

「待たせて済まない。」

「いえ。」

母が座を外すと、俺は口火を切った。

「俺が、父の息子だと、いつ気が付いた?」

「初めから、お名前も存じておりましたし、お父上の若い頃に瓜二つでしたので…。」

「…。」

「それに以前、此方にお伺いした時に、お会いしました。お忘れだと思いますが…。」

「いや…。」



俺には、朧気ながら記憶があった。

彼女がまだ寝込んでいた頃、持っていた懐中時計を見て、幼い日の記憶が蘇った。

家に来宅した女性に、庭で遊んで貰った記憶。

彼女の懐から取り出した時計を見せて貰った俺は、粗相をして落としてしまった。

落ちた拍子に蓋が開き、文字盤の硝子にヒビが入っている事に驚き青くなった。

父や母の怒り声が響く中、彼女はふわりと俺を抱き寄せたまま優しく言った。

「驚きましたね坊ちゃん。大丈夫ですよ。この時計は、元々壊れているんです。」

「本当に?」

「はい。だから、気にしないで下さい。」

子供ながらにその優しさが嬉しくて、自分から抱き付いた。

顔は、はっきり覚えていない…だが、母とは違う、いい匂いがした…。



「藤田さん?」

「いや…、先日言った、魔女の話だが。知っているのか?」

「はい。」

『魔女伝説』…誠しやかに流れるその話は、どこからともなく上流階級の中で広まっている都市伝説。

この世には、永遠に歳を取らない美女が居る。

夜な夜な人の生き血を啜り、変わらぬ美貌を保ち続けている…という吸血鬼の話だ。

「あの魔女とは、お前の事か?」

「噂の元は、私かもしれません。かなり脚色されていますが…。」

そう言うと、クスクスと笑った。

「吸血鬼というのも?」

「脚色ですょ。」

「何時からだ?歳を取ることが無くなったのは。」

「多分…明治の御代になって、直ぐ位だと思います。」

「何故だ?どうして…。」

「わかりません。」

「!?」

「私にも、解らないのです。」

「…。」

「年を取らないというのは、やはり気味が悪いですからね。奉公先も3年から5年で変わらないといけませんでした。何十年も空けて同じお屋敷に勤める事もありましたが…それにしても、先日のキヨさんには参りました。」

と、子供の様に笑った。

「西園寺の伊豆の別邸に居たというのも、お前なのか?」

「そうです。」

「所長や真吾とも、会った事があるんだな?」

「えぇ、可愛かったですよ、お二人共。」

俺は顔をしかめて、こめかみを揉んだ。

父上、もしかしたらバレるのは時間の問題かもしれません…。「誰か、人を探していたのか?」

「…はい。」

「…敵か何か、いわくのある人物なのか?」

「…。」

「俺は先程父より、お前を守る様に言われた。絶対に死なせてはならぬと。」

「…。」

「相手は誰だ?誰から、お前を守ればいい?」

「…。」

「市村!!」

「…ご勘弁下さい。そればかりは…。」

そう言って、彼女は深々と頭を垂れた。






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