第5章(1)
翌日、橘警部が報告の為に大鳥邸を訪れ、男爵に一部始終の報告を行った。
鷹取は逮捕出来たが、堂本組組長他数名には逃走されたらしい。
環にも近々事情聴取が行われるらしいが、当の本人は朝の内に小田原の別荘に行ってしまった。
夕方、大鳥邸の面々に惜しまれつつ、橘警部と藤田と俺は退散した。
「西園寺君、本当にありがとう。でも堂本組には、気を付けてくれよ。奴等、相当いきり立っていたそうだから。」
「わかってるよ、橘警部。精々気を付けるさ。」
乗り合いタクシーが、事務所の近くに止まっていた車の後ろに停車し、俺達は車を降りた。
停車していた車を通り過ぎ様とした時、
「剛さん。」
と、後部座席から呼び止められた。
「母上!どうして、この様な場所に?」
中の女性は俺達に会釈をすると、
「桜さんの荷物を、取りに来たんですよ。それよりも…」
そう聞いて、俺は1人急いで事務所に向かった。
事務所のドアを勢い込んで開けると、
「おぅ、お疲れさん。」
と、真吾が茶を啜っている。
「…来てるのか?」
そう問う俺に、真吾は黙って上を指差した。
どうしようも無く彼女に会いたい衝動と、会わずに行かせた方がいいという理性が葛藤し、足が動かない。
2階の部屋のドアが閉まる音がする。
廊下を歩く足音…。
階段の上に現れた彼女は、白地に黒いパイピングをあしらったワンピース姿で、旅行鞄と小太刀を持っていた。
階下の俺の姿に少し驚いた様だったが、ゆっくりと階段を下りて来た。
「元気に…していたか?」
今更ながら、間の抜けた挨拶をする。
彼女の身に起こった事を考えれば、元気も何もあったもんじゃ無い。
それでも彼女は、コクンと頷いた。
彼女の憂いを含んだ目が、俺を捉える。
俺は、次の言葉が思い浮かばす、思わず彼女に近付こうとした。
「桜…俺は…」
その時、藤田と橘警部が、事務所に転がり込んで来た。
「西園寺君!堂本組の連中が!」
「所長!襲撃です!」
彼等の言葉が終わらぬ間に、銃声と共にドアの硝子が割れる。
真吾は素早く棚より銃を出し、俺と藤田に投げて寄越す。
「お前は、裏から逃げろ!」
俺は、被りを振る桜を部屋の奥に向かわせ、銃を構えた。
「正当防衛だ!撃って構わないぞ!」
橘警部の声が響く。
表から数人、入り込んで来たのがわかる。
その途端、激しい銃撃戦。
相手の1人は、被弾した様だ。
敵は弾が撃ち尽くされると、今度は合口を持って襲って来る。
俺達は、事務所の其処此処に隠してある木刀等で応戦する。
その時、裏で銃声がした。
「しまった!」
俺は、相手の眉間に一撃を与えると、裏に行こうとした。
そこに、また新手が…。
「ちっ!」
焦る気持ちを抑えて、対峙する。
と、相手の体が、突然崩れ落ちた。
「!?」
其処には、血で濡れた小太刀を握る桜が立っていた。
「大丈夫か!」
と問う俺の言葉に、彼女は黙って頷く。
「お前は、此処に居ろ!動くなよ!」
そう、桜を部屋の隅に誘導した。
その時、新たな銃声と共に、一際大きな男が現れた。
片手に銃を持ち、片手で長物を肩に担ぎ、ギラギラとした目で事務所を見わたして叫ぶ。
「西園寺ぃ!!」
「堂本だな?」
「何度も何度も俺達の邪魔しやがって!お前ぇだけは、許せねぇ!!」
そう言うと、銃を撃ち放つ。
ギリギリでかわしながら、家具の間をすり抜ける。
堂本の背後から、真吾が一撃を見舞った。
その一撃を身に受けてなお、長物を持った手で、堂本は真吾を殴り飛ばした。
真吾の体が、家具と共に部屋の隅まで飛ぶ。
「真吾!」
藤田が、残党を片付けながら叫ぶ。
「この野郎っ!」
俺は、木刀で堂本に向かうが、奴の桁外れな力に押されてしまう。
隙を見て、決まったかと思った途端、奴の蹴りをまともに食らい、壁に激突する。
「がはっ!」
胃が裏返る様な衝撃。
そのまま奴は俺の側まで来ると、
「いい格好だなぁ。」
と、笑う。
口から流れる血を拭い、立ち上がろとする俺を上から見下ろし、
「お前は、そのままジッとして、この現状を見ておけ。」
そう言うと、銃を取り出し、俺の太ももを撃ち抜いた。
「がっ!!」
太ももが火のついた様に熱い。
「キャーーーッ!!」
と言う叫び声と共に、桜が俺に飛びつく。
「おっ、西園寺。お安くねぇなぁ。お前の、スケか?」
「桜、下がってろ!」
「おぉ、いいねぇ。そんな姿で、女を守れるのか?」
そう、下品た笑いを浮かべる。
「お前の目の前で、この女を慰み物にするってのも、いいよなぁ?」
「てめぇ!」
「いいねぇ、その顔。」
俺に抱きついていた桜が、スッと立ち上がり、堂本に向かって小太刀を構える。
「やめろ!桜!お前のかなう相手じゃない!」
俺は、叫んだ!
それでも、桜は構えを解かない。
「俺とやろうってのかい?お嬢ちゃん?」
堂本は、ニヤニヤ笑って長物を手の中で回す。
「貴方の相手は、私がします。」
桜は、低いがしっかりした声で言い放った。
「面白れぇ、気に入った!受けてやるよ。」
そう言うと、堂本も長物を構える。
「やめろ!桜!藤田、止めてくれ!」
「おっと、邪魔しないでもらいてぇな。」
そう言うと、横から打ち込んで来る藤田を、難無く力でねじ込む。
しかし桜に向かっては、力を使う事無く、刀を合わせ傷を付ける事を楽しんでいる。
「いいねぇ、西園寺!お前のスケは、最高だせ!」
そう言いながら、桜の身体を切り刻む。
かなりの出血と疲労で、桜の剣先は震え、肩で息をする状態だが、それでも彼女は構えを解かない。
「てめぇ!いい加減にしやがれ!」
木刀を使って立ち上がった俺は、何とか一打打ち込むが、今度は肺腑に一撃をみまわれ、息が出来ない。
「お前は、そこで見てろと言ったろぅ?」
倒れても何度も立ち向かう藤田と、白いワンピースを真っ赤に染めて立ち向かう彼女を、霞む目で見るしか無いのか?
その時、
「其処までだ!堂本!」
警官隊が突入し、堂本の背後から銃で狙いを定める。
「武器を捨てろ!堂本!」
しかし堂本は、上段の構えのまま俺に近付いた。
桜が、間に割って入る。
堂本は、不適な笑みを浮かべると、
「お嬢ちゃん、俺の心臓、貫いてみろよ。」
「!?」
間合いを取っている桜に向かい、再び挑発する。
「ほら、でないと、俺はあんたの大事な人を斬っちまうぜ。」
一瞬の躊躇。
桜は、小太刀の構えを解いた。
「…賢いな、お嬢ちゃん。」
後ろでは、引き続き警官隊が警告を発していた。
「西園寺っ!」
そう堂本が叫ぶのと同時に、発砲される。
1発、2発…堂本は、倒れない。
4発、5発…上段の構えのまま、堂本の身体がゆらりと傾き、一歩近付いた瞬間、桜が俺に覆い被る様に抱きついていた。
堂本の身体が倒れるのと同時に、
「桜!」
「市村!」
と、真吾と藤田の叫び声が聞こえる。
「…ご無事…ですか?」
「桜?」
「良かった…。」
そう、微笑みながら崩れ落ちる彼女を支えようと背中に手を回した俺は、彼女の背中が切り裂かれ、大量の血が溢れ出しているのを感じた。
雷が身体を駆け巡る。
「さくらぁーーっ!!」
彼女を抱きかかえ、力の限り呼び続ける。
「今、救急隊が来ます!」
「マズいぞ、トシ。出血が酷い。」
「しっかりしろ、桜!」
俺達が口々に叫ぶ中、1人の男性が近付いて来た。
「父上!」
藤田が驚く。
藤田の親父さんは、黙って桜の身体を抱くと
「市村、分かるか?」
と声を掛ける。
桜は、荒い息の中頷いた。
「お前の身体では、もう保つまい。お前が望むなら、俺が引導を渡してやろう。」
桜は、微かに微笑んだ。
「止めて下さい!父上!」
「親父さん、それはいけねぇ!」
俺の身体の血が逆流する。
桜の小太刀を拾い上げ、今正に彼女の心臓に当てられる瞬間、俺は叫んでいた。
「やめろ!!斉藤!!お前が桜の命を絶つなんて、この俺が許さねぇ!副長命令だ!!」
その瞬間、藤田の親父さんの身体がビクリと痙攣し、小太刀を置いて頭を下げた。
そして、
「喜べ、市村。お戻りになられたぞ。お前は、生きなければならない。分かるな?」
と、桜に言った。
桜は、親父さんの手を握って、涙を流す。
「お願いします。」
そう言って、彼女の身体を俺に渡して、藤田の親父さんは去って行った。
程なく来た救急隊の車で、俺達は桜を病院に運んだ。
手術室の片隅で、俺は自分の太ももの治療を受けていた。
弾は貫通しており、消毒だけをして貰う。
「あんたも縫わなきゃならんが、まずこのお嬢さんだ。」
そう言いながら、医者は彼女の体を拭きはじめた。
「先生、患者さんですが、麻酔が効きません。」
「濃度は?」
「最大ですが、意識を保ったままです。」
「マズいな…。」
「手術出来ないのか?」
「傷を診たところ、縫うだけで済みそうだが、麻酔無しではかなりな苦痛を伴う。それに、動かれると縫えないぞ。」
「押さえ付ける人手なら有るが。」
「そんな簡単な話じゃない!麻酔無しでは、拷問も同じだ。精神が崩壊する危険もあるんだぞ!」
「…それでも…。」
「出血もかなり酷い。しかも彼女は女性だ。とても耐えられんだろう。」
「先生、それでも頼む!手術してくれ!」
「私には…責任が持てない。」
「責任は、全て俺が持つ。彼女の痛みも、精神が崩壊しても。」
「…見ている方も辛いぞ。」
「分かっている。」
「…承知した。押さえ付ける者を呼びなさい。」
俺は事情を話し、真吾と藤田に手術室に入って貰う。
真吾は足を、藤田に左腕と左肩を、俺は右腕と右肩をそれぞれ押さえる。
「手拭いを噛ませてやりなさい。」
桜の口に手拭いを噛ませると、俺は彼女の耳元で囁いた。
「済まない、桜。耐えてくれ、俺の為に。」
彼女が頷く。
「それでは、行くぞ。」
そう言って医者は傷を消毒し始めた。