第4章(5)
部屋に戻ると、彼女の傍らに瑠嘉が寝ていた。
彼女は、起きて瑠嘉に布団を掛けようとしている。
俺は藤田に、瑠嘉を俺の部屋で休ませる様に指示をして、自分は彼女の枕元に座った。
藤田は、瑠嘉を抱え上げ、そっと出て行く。
2人きりになると、重苦しい沈黙が続いた。
「何故だ?」
先に口を開いたのは、俺だった。
彼女は、何も答えない。
「答えろ!桜!!何故飲んだ!」
俺は、彼女の肩を掴み揺すった。
「俺は…お前を雇う時、自分の命を大切にしろと言ったよなぁ!その約束を守らないってんなら、お前を雇っておく事は出来ねぇ!」
「…すみません。」
消え入りそうな声で、彼女は謝る。
まだ体調が戻っていないのだろう。血の気の失せた顔が、余計に白くなる。
彼女の顔を見ると、気遣う気持ちより、俺は自分の中の怒りを抑える事が出来ず、彼女を乱暴に布団に投げ倒した。
布団に倒れた彼女は、そのまま涙を流す。
「俺は、仲間が傷付く事が何より嫌いなんだ!」
夕日がベッドまで差し込んで、彼女の背中を赤く染めた。
「…お前まさか、死にたいとかって思ってるんじゃねぇだろうな?」
彼女は、ビクッと体を痙攣させた。
「お前が、自分はどうでもいいって思っている様に見えるのは…全てを投げ出してもいいって見えるのは、俺の気のせいだよな?」
「…。」
「俺達の所に来た時の、生きる事にも誇りの為にも、あがらう気持ちを無くしちまったのか?なぁ、俺達の所に来たのは、間違いじゃねえよな?」
再び彼女を抱き起こし、彼女の身体を揺すった。
「なぁ、お前の未来の夢って何だ?それは、生きる糧にはならないのか?」
「…私の…ずっと長い間…思っていた夢は……も…う…叶ってしま…った…から…。」
そう息も絶え絶えに言うと、彼女の意識は切れた。
「さくら!」
彼女の体は、グニャリと俺の腕の中に落ちる。
その身体を抱き締めて、俺は呟いた。
「未来を…お前との未来を夢に見るのは、俺だけって事かよ…。」
彼女を寝かせると、俺は深いため息を付いた。
彼女は、俺達の所に来て楽しそうに生活をしていたし、甲斐甲斐しく世話も焼いていてくれた。
決して、無気力になる様な生活は、していないはずだと信じたい。
「願いが叶ったって、何だよ!」
岩崎邸を辞める事が、出来たって事か?
そんなちっぽけな物か?
こんな時は、奴に無性に会いたくなる。
俺は事務所に連絡を入れ、真吾に迎えに来てもらう事にした。
「夜には戻る…。」
そう藤田に言うと、俺は上着を持って大鳥邸を出た。
「…事務所、戻るか?」
車に乗り込むと、何かあったのを察した様に真吾が聞いた。
「…キヨは?」
「一昨日から湯治に出してやった。戻りは、明日だ。」
「…事務所にやってくれ。」
久々に戻った事務所のソファーに、俺は横たわる。羽虫が一匹、電灯の周りを飛んでいた。
真吾は黙って、俺の前に日本茶の入った湯飲みを差し出した。
「…桜が…毒を飲んだ。」
「あぁ、藤田から電話で聞いた。顛末も含めてな。」
ソファーに座り直し、額の前で両手を組んで、俺は話しを続けた。
「俺は…桜が飲むのを、分かっていたんだ。なのに、止められなかった…。」
「…。」
「あいつ、此処に来て変わったよな?」
「そうだな。明るくなった。毎日が、楽しそうに見えるぜ。」
「いや、何ていうか…満足仕切って、もうこれでいいって思っちまってる様な…。」
「?満足なら、良いじゃねぇか。」
「そうじゃ無くて…あいつ、全てを投げ出しちまうんだ。自分の守った来た誇りも、命も…。なんか、もう死にたいっていうみたいに…危うくて。」
「それは…。」
「満足しちまって、もう守る必要が無い様に俺には見える…。」
「…。」
「あいつを此処に置いたのは、間違いだったんじゃねえかって気がしてな…。未来の夢は、生きる糧にはならないのかって聞いたら、ずっと長い間思っていた夢は、叶っちまったんだとよ。何だよ、全く…。」
「で、お前はそれを彼女にぶつけて、1人落ち込んでるってか?」
「…。」
「それじゃ、言ってやろう。お前は、阿呆ぅだ!」
「何だと?!」
「何度でも言ってやる。阿呆ぅだ!」
「…っ。何なんだよ。」
「桜は、幸せなんだよ。此処に来て、幸せ噛み締めて生きてるんだ。」
「だったら…。」
「惚れた男の役に立ちたい。その一心で、毒も煽りゃあ子供の我儘にも我慢する。背中を守れる様に、小太刀の練習も再開した。」
「…。」
「お前、今、藤田を疑ったろ?」
「…っ!」
「まぁ、藤田自身は、憎からず思ってるだろうがな。今のアイツは、姫を守る騎士様だ。多分、誰かに言われたんだろうよ。」
「誰に?」
「恐らく、桜の小太刀を預かっていたという人物。そしてそれは、俺の見る所、十中八九藤田の親父さんだ。」
「!」
「気が付かなかったのか?全く…。恋は盲目とは、よく言ったもんだぜ。」
「うるせぇ…。」
「彼女の想い人は、お前だトシ。彼女を見てれば分かる。だからこそ、藤田も手を出さない。」
「…。」
「後は、お前が桜の手を取ってやるだけだろうよ。」
「…未来を夢見てるのは、俺だけだ。彼女は、捨てちまってる様に見える。」
「お前なぁ。」
「不安定なんだよ。身体も心も!そんな女を、どうやって捕まえればいい?」
「彼女が危ういのは、全身全霊で物事に当たるからだと、俺は思うぜ。小手先で物事捌く様な女じゃ無いからな。お前…ちゃんと、彼女に気持ち伝えたのか?」
「いや…言っちまうと、すり抜けてしまいそうでな…。」
「桜が、現状維持を望む気持ちもわかるしなぁ…。」
「どういう意味だ?」
「はぁ?トシ、阿呆ぅの上に馬鹿が付くのか?てめぇは?」
「てめぇ、喧嘩売ってんのか!」
俺は、真吾の胸ぐらを掴んだ。
「あぁ、売ってやらぁ!」
そう言うと、真吾も俺の胸ぐらを掴んで対峙した。
「てめぇは、忘れちまってるかもしれねぇがなぁ!」
真吾の拳が、みぞおちに入る。
「お前は、市井には下ってるが、れっきとした公爵閣下のご子息様なんだぞ!」
頬に一発拳を食らうと、俺は床に吹っ飛んだ。
「…っ!」
息を弾ませて、真吾は言い放つ。
「身寄りの無い彼女が、手を伸ばせる相手じゃ無い事位、子供だって分からぁ!」
久々に真吾に食らった拳よりも重いものが、ズシンと胸に打ち込まれた。
「…真吾…済まない。」
「…目ぇ、覚めたか?」
「あぁ。」
「そいつは、良かった。」
そう言うと、手を差し出し俺を起こす。
「仕事の話だかな?」
「あぁ、聞こう。」
「環の浮気相手に、鷹取って奴がいてな。名前ばかりの貴族様で、内情は火の車らしいんだが、近い内に金には困らなくなるって、うそぶいてるらしい。」
「うむ…。」
「組関係とも連んでる様で、どうもきな臭い。」
「何処の組だ?」
「…堂本組。」
「あそこか…。」
武党派の堂本組は、以前俺達が関わった事件に関与し、その折り半壊滅したが、代替わりして又勢力を盛り返して来たと噂で聞いた。
「そっちは、橘さんに連絡を取って、動きがあったら封じる様に頼んでくれ。」
「鷹取の方は?」
「それは、こっちから仕掛けてみる。」
「いつものトシらしくなって来たな。」
真吾はニヤニヤしていたが、急に真顔になって、
「お前、桜に解雇するって、口にしちまったろう?」
「…ぐっ!」
「全く…ちゃんと、撤回しとけよ。」
「あぁ。」
「じゃないと、彼女…本当に消えちまうぞ。あいつは、こっちの言葉も思いも、全身全霊で受け止めちまうんだろうからよ。」
「…分かってる。なぁ…。」
「ん?」
「彼女の…桜の叶っちまった夢って、何だと思う?」
「そんなの、お前と一緒に居る事に決まってるじゃねぇか。」
「…なんか、おかしくねぇか?」
「何が?」
「夢って、ずっと思い描くもんだろ?」
「あぁ。」
「桜がウチに来て、たかだか2ヶ月だぞ。」
「あぁ。だから?」
「彼女…ずっと長い間思い描いていた夢だって言ったんだ。」
「それでも、お前の側に居るのが、彼女の幸せな事に間違いねぇんだよ。」
真吾は、そう吐いた。
「俺は…怖いんだよ…俺と一緒に居る事で、彼女が命を縮める事が…。」
「お前…。」
「それなら、いっそこの想いを封印して、彼女を送り出してやる方が、彼女の為にいいんじゃねえかと思う。」
「…。」
「さっき、お前が言った様に、彼女が俺の身分で負担に思ってるなら尚更だ。瑠嘉に言ってる場合じゃねぇ。俺自身が、大人にならなくてどうする?俺は、彼女に女として幸せになって欲しい…。」
「彼女の幸せの形は、彼女が決めるもんだ。彼女がお前から離れて、幸せになれるとは、俺には思えねぇがな。」
「…。」
「馬鹿だから、お前は言っちまうんだろうなぁ…。そして、彼女を泣かす…。」
「そうだな…。」
「言っとくが、俺は女を慰める方法、一つっきゃ知らねえんだぜ。」
「…。」